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転生悪道

作者: 紅茶
掲載日:2026/07/05

 私が前世の記憶を取り戻し、この理不尽な世界で「絶対悪」になると誓ってから五年が経過した。


 ここは私が、生前遊んでいたゲームと相似的な世界だ。

 概ねゲームのシナリオ通りに進み、それを阻害しようと行動しても、歴史の強制力のような力が働きもとのシナリオへと戻そうとする。


 この世界における私の役割は、チュートリアル的に処理される悪徳貴族。

 勇者の幼馴染にちょっかいをかけ恨みを買い、なおかつ横柄な態度と徹底した民への搾取で嫌われた悪役令息。


 この役割から脱するため、私は今の今まで対策を講じてきた。


 現在、私は十五歳。かつて私を死に至らしめるはずだった「チュートリアルボスの悪役令息」は、今やアストリア公爵家の実権を完全に掌握し、執務室の革張りの椅子で優雅に紅茶を傾けていた。


 そして今日は、本来のシナリオであれば勇者に首を切られ生涯を終える日。


「ルシアン様。ご報告申し上げます」


 音もなく執務室に現れたのは、執事長のギルバートだ。五年前、私が汚職の証拠を盾に隷属させた彼は、今や一切の無駄な感情を捨て去り、私の手足として機能する完璧な歯車システムとなっていた。


「タリム村より出発した『勇者』アレン一行が、先ほど王都の正門を通過いたしました。まっすぐに当家へ向かっております」


「そうか。随分と早い到着だったな」


 私はティーカップを置き、薄く笑った。

 この五年間、私は勇者アレンに一切の干渉を行わなかった。刺客を送ることも、ヒロインを奪うこともしていない。システムの強制力によって彼が辺境で聖剣を引き抜き、正義感に燃えて「悪名高きアストリア公爵家を討つ」ために立ち上がるのを、ただ静かに待っていたのだ。


「結局、アレンは私を悪徳貴族と勘違いしたままなのだな」


「種々の対策を講じましたが、どれもルシアン様の印象を悪くする方向へと転じてしまいました」


「王都の民の様子はどうだ?」


「はっ。勇者一行は道中、民衆に『悪徳貴族アストリアを討ちに来た』と宣言したようですが……誰一人として、彼らに賛同する者はおりませんでした。むしろ、怪訝な顔で彼らを遠ざけていたとのことです」


「……そちらは成功したようだな」


 私は立ち上がり、窓から王都の街並みを見下ろした。

 活気に満ちた大通り。清潔なレンガ造りの屋台。行き交う馬車と、笑い合う平民たち。


 五年前、私はこの王都の「歓楽街」「物流」「魔石エネルギー」の三大インフラを、法律の抜け穴と暴力的な資金力を用いてすべて買い占めた。今、この王都で動くすべての金と物資は、私のダミー商会を通らなければ流通しない仕組みになっている。


 私は彼らから限界まで搾取している。だが同時に、その莫大な利益のほんの一部を「治安維持」や「雇用の創出」として再分配してやった。


 結果として、王都の犯罪率は過去最低となり、孤児院には十分な資金が行き渡り、失業者は姿を消した。

 民衆にとって、私は彼らの生殺与奪の権を握る「最悪の搾取者」であると同時に、今日のパンと平和な眠りを保証してくれる「絶対的な庇護者」なのだ。

 田舎から出てきた見ず知らずの子供が「あいつは悪い貴族だから殺す」と叫んだところで、誰が賛同するというのか。


『――そこまでだ、悪逆非道のクズ貴族!!』


 突如、執務室の重厚な扉が吹き飛ばされ、一人の少年が飛び込んできた。

 燃えるような赤髪と、意思の強い瞳。その手には、神々しい光を放つ伝説の「聖剣」が握られている。彼こそが、シナリオの主人公である勇者アレンだ。

 護衛の騎士たちが武器を抜こうとするのを、私は片手で制止した。


「よく来たな、アレン。辺境からの長旅、ご苦労だった」


「気取った口を叩くな、ルシアン・ヴァン・アストリア! お前が裏で法外な税を搾り取り、国中の富を独占して私腹を肥やしていることは分かっている! 今日こそ、その悪行に終止符を打ってやる!」


 聖剣の切先が、真っ直ぐに私の喉元に向けられる。

 シナリオ通りだ。私が十五歳の年、勇者の怒りの刃が私を両断する。世界の強制力は、見事に彼をこの部屋まで導いた。

 だが、盤上はすでに私のものだ。


「悪行、か」


 私は全く動じることなく、デスクの引き出しから分厚い書類の束を取り出し、彼の実直な顔に向けて投げつけた。

 バサリと音を立てて散らばったのは、王都の経済を循環させている流通網の契約書と、各ギルドとの雇用協定書だ。


「な、なんだこれは……」


「私を殺すのは構わない。だが、その前に一つだけ教えておいてやろう。勇者よ」


 私はゆっくりと彼に歩み寄り、冷え切った青い瞳でその正義感を射抜いた。


「現在、この王都の食料流通の八割、魔石エネルギー供給の九割は、私の個人資産によって運用されている。孤児院への寄付金も、街の自警団の給与も、すべて私の口座から支払われているのだ」


「それが、どうした……! お前が死ねば、その金は民のものになるはずだ!」


「浅はかだな」


 前世で、現場を知らない政治家の理想論を聞いた時と同じ、深い溜め息が出た。


「私が死ねば、契約はすべて白紙だ。物流網は翌日には完全に停止する。ダミー商会に蓄えられた資金は法の壁に守られ、誰にも引き出せなくなる。王都の物価は数時間で十倍に跳ね上がり、暴動が起き、三日後には数万人の民が飢えと凍えで死に絶えるだろう」


「なっ……!?」


「お前が今、その聖剣で私の首を落とした瞬間、この国のインフラは完全に崩壊する。お前が守りたかった『罪なき人々』は、明日から泥水をすすって餓死することになるのだ」


 アレンの顔から、さぁっと血の気が引いていく。

 剣を握る手が小刻みに震え、切先が定まらなくなっていた。


「さあ、どうした勇者よ。私の首はここにあるぞ。正義の剣とやらを振り下ろすがいい」


 私は両手を広げ、彼に向かって無防備に身を晒した。


「私を斬って、数万人の民を殺す大罪人になるか。それとも剣を収め、私が構築した『搾取という名の平和』を享受するか。選べ」


 世界が彼に与えたのは「悪を斬る力」だけだ。「複雑に絡み合った社会システムを管理する知恵」ではない。

 物理的な暴力など、インフラという巨大な質量システムの前では何の役にも立たないのだ。


「あ……ああ……ッ!」


 カラン、と。

 甲高い音を立てて、伝説の聖剣が大理石の床に転がった。

 アレンはその場に膝をつき、両手で顔を覆って絶望の嗚咽を漏らした。世界の強制力が用意した「チュートリアルイベント」が、絶対的なロジックの前に完全崩壊した瞬間だった。


「ギルバート」


「はっ」


「彼らは疲れているようだ。当家のゲストルームへご案内しろ」


「仰せのままに」


 膝をつく勇者を冷たく見下ろしながら、私は再び紅茶のカップを手に取った。


 善意ではなく、恐怖と依存による完全な管理社会。

 霞が関の亡霊が異世界で構築したシステムは、今日、すべての不確定要素を飲み込んだ。


 これからだ。


 私の人生はここから始まる。

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