最後通告と、名前を奪われた死者
最後通告と、名前を奪われた死者
通達は、朝の光と同時に届いた。
管理居住区の照明が通常より三分早く点灯し、
壁面に埋め込まれた魔術装置が、低く、逃げ場のない音を鳴らす。
「修復師――個体識別番号R-17」
名前ではなく、番号。
その呼び方だけで、何が始まるのか分かってしまう。
「至急、評議会臨時審問室へ出頭せよ。
対象の同席は不要。
……これは最終通告である」
最後通告。
その言葉が、静かに胸へ落ちた。
私は、隣のベッドを見た。
彼は、すでに起きていた。
表情は静かだが、目は覚醒している。
聞こえていたのだ。
「……行くの?」
彼が聞いた。
「ええ」
それ以外の選択肢は、用意されていない。
私は、コートを羽織り、扉の前で一度だけ立ち止まった。
「戻るわ」
それは、約束ではない。
願いでもない。
ただの、言葉だ。
それでも、彼は小さく頷いた。
「……行って」
扉が閉まる。
結界の音が、やけに大きく響いた。
***
臨時審問室は、地下にあった。
地上から遠ざかるほど、
世界は「修復師の論理」に近づいていく。
白い円形の部屋。
座席は一つだけ。
正面には、評議会の象徴である黒い円環。
そこに、声だけが浮かぶ。
「修復師R-17」
複数の声が、重なって響く。
「本日をもって、対象の観測は最終段階へ移行する」
私は、何も言わなかった。
「感情発生率、歪み頻度、修復拒否反応――
すべてが許容範囲を逸脱した」
「あなたの管理下に置いた判断は、誤りだった」
予想していた言葉。
それでも、胸の奥が痛む。
「よって、対象は――」
一拍。
「三日後に、存在切除処分とする」
室内の空気が、凍りついた。
三週間ではない。
一週間でもない。
三日。
猶予の放棄。
結論は、すでに出ていた。
「……異議を申し立てます」
声が、思ったよりもはっきり出た。
「対象は、まだ修復不能な歪みを起こしていません」
「まだだ」
即座に、切り返される。
「我々は、未来を修復する組織だ」
――違う。
それは修復ではない。
予防という名の排除だ。
「……判断の根拠を、提示してください」
一瞬、沈黙。
やがて、黒い円環が光った。
「では、提示しよう」
空間に、映像が浮かび上がる。
古い記録。
修復師の報告書。
そして――
「……!」
喉が、ひくりと鳴った。
そこに映っていたのは、
私自身の過去だった。
欠けた街道。
歪んだ空。
泣き叫ぶ少女。
――妹。
「本件は、十年前の重大歪み事件」
無感情な声が、続ける。
「修復師R-17、初期任務中に発生」
違う。
私は、まだ正式な修復師ではなかった。
「当時、歪みの原因となった感情反応は――
対象外の人物による恋情」
妹だ。
妹の恋が、世界を壊した。
「修復は不完全。
結果として、感情発生源である少女は、存在切除処分」
私は、思わず立ち上がった。
「……彼女は、処分じゃない!」
声が震える。
「事故です!
修復が間に合わなかっただけ!」
沈黙。
そして、冷酷な返答。
「公式記録では、そうはなっていない」
映像が切り替わる。
そこには、私の署名があった。
――修復補助官R-17(仮)
私が、書いた。
あの日、泣きながら、
世界を守るために。
「あなたは、理解しているはずだ」
声が、私を追い詰める。
「恋は、世界を壊す」
「感情は、修復不能な歪みを生む」
「だからこそ、
我々は感情を切除する」
円環が、淡く光る。
「今回の対象は、
あなたの妹と同じ兆候を示している」
胸の奥で、何かが崩れた。
「……だから、彼も?」
「そうだ」
即答。
「あなたは、同じ過ちを繰り返そうとしている」
私は、息ができなかった。
妹の件は、
私を縛る鎖だった。
それを、
正しさの証拠として突きつけてくる。
「三日後だ」
声が告げる。
「それまでに、あなたは選べ」
「修復師として、この判断を受け入れるか」
「それとも――」
間。
「妹と同じ立場に立つか」
審問は、それで終わった。
***
部屋に戻ったとき、
私は、ほとんど歩けなくなっていた。
扉が閉まる音が、やけに遠い。
彼は、すぐに私の異変に気づいた。
「……何があった」
私は、しばらく声が出なかった。
それでも、逃げなかった。
「……三日後」
そう言っただけで、
彼はすべてを理解した。
「処分、か」
淡々と。
私は、頷いた。
「妹の件を……出してきた」
彼の表情が、わずかに揺れた。
「公式記録では、
彼女は必要な切除だった」
沈黙。
それは、私が初めて語る真実だった。
彼は、静かに聞いていた。
そして、しばらくして、
穏やかな声で言った。
「……君は、まだ自分を責めてる」
「当然よ」
私は、吐き出すように言った。
「私が、世界を優先したから」
「だから、今度は?」
問い。
私は、答えられなかった。
その沈黙の中で、
彼が、ゆっくり立ち上がった。
「……なら」
彼は、私を見て言った。
「今回は、僕が選ぶ」
胸が、嫌な音を立てた。
「何を……」
「君が、世界を壊さずに済む方法」
私は、首を振った。
「それは、選択じゃない」
「違う」
彼は、はっきり言った。
「犠牲だ」
空間が、震えた。
それは、歪みではない。
決意が、空気を押したのだ。
「僕が、感じるのをやめればいい」
「感情を、完全に遮断すれば」
「そうすれば、
歪みは起きない」
それは、彼が一度、口にした答え。
だが今は、違う意味を持つ。
「切除と違って、
存在は残る」
彼は、微笑んだ。
「君は、修復師でいられる」
胸が、裂けそうだった。
「……それは、生きてるって言わない」
私が言う。
「でも」
彼は、私を見た。
「君が壊れるより、ましだ」
その瞬間。
歪みが、発生した。
床に、はっきりとした裂け目が走る。
だが、それは広がらない。
私の感情が、原因だ。
私は、彼に近づいた。
距離を詰めた瞬間、
世界が、悲鳴を上げる。
それでも、止まらなかった。
「……妹はね」
私は、震える声で言った。
「最後まで、笑ってた」
彼は、何も言わなかった。
「世界が壊れてもいいって」
「そう言った」
私は、彼を見上げた。
「それを、
奪ったのが、私」
彼の手が、私の肩に触れた。
その瞬間、
歪みが、さらに広がる。
でも。
壊れない。
「……奪ってない」
彼は、静かに言った。
「世界が、奪った」
その言葉は、
私の中の何かを、完全に崩した。
私は、泣いた。
声を出さずに。
世界を壊さないように。
それでも、
感情は止まらなかった。
彼は、私を抱きしめなかった。
それでも、
確かに、そこにいた。
「三日後」
彼が言う。
「その前に、
君が答えを出せなかったら」
私は、顔を上げた。
「僕が、選ぶ」
それは、
世界への服従ではない。
愛の形をした、反抗だった。
歪みは、静かに脈打っている。
第2章は、
完全に臨界点へ達した。




