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恋をすると、世界がひとつ壊れる  作者: Futahiro Tada


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測定される心音

測定される心音


 食事の時間は、毎日決まっていた。

 朝は七時。

 昼は正午。

 夜は十八時。

 それは規則正しい生活というより、観測のための周期だった。

 金属製のトレイが、決まった音を立てて搬入される。

 白い皿に、色味の薄い食事。

 栄養は計算されているが、味は二の次だ。

「……今日は、少し多い」

 彼が言った。

 私は皿を見た。

 確かに、いつもより量が多い。

「昨日の数値が安定していたからでしょうね」

 言葉にした瞬間、胸の奥がちくりと痛んだ。

 数値。

 いつから、彼をそういう単位で見始めたのだろう。

 彼は、黙ってフォークを手に取った。

 食べる動作はぎこちないが、少しずつ慣れてきている。

 その様子を見ているだけで、

 私の胸の奥に、微かな温度が生まれる。

 ――まずい。

 私は視線を逸らした。

 その瞬間、

 天井の魔術装置が、低く鳴った。

「……反応、出た?」

 彼が聞く。

 私は、小さく頷いた。

「ごく微量。

 でも、確実に」

 床の端が、ほんの数ミリだけ揺らいだ。

 欠けるほどではない。

 けれど、歪みだ。

 誰も触れていない。

 何も言っていない。

 ただ、同じ空間で食事をしているだけ。

 それだけで、世界は軋む。

「……一緒に食べるの、やめた方がいい?」

 彼の声は、静かだった。

 だが、その問いの裏にあるものを、私は知っている。

 ――存在を、削ろうとしている。

「だめ」

 私は、即座に言った。

 否定が、早すぎた。

 壁の向こうで、記録装置が反応する。

「……理由は?」

 彼が聞く。

 私は、言葉に詰まった。

 正直に言えば、

 一緒に食べる時間が、彼を人として感じさせるから。

 だが、それは言えない。

「……分離は、心理的負荷を高める」

 私は、組織の言葉を借りた。

 彼は、少しだけ目を伏せた。

「……そう」

 その声に、失望が混じっている気がして、

 胸がまた痛んだ。

 そして、その痛みと同時に。

 空間が、わずかに震えた。

「……っ」

 私は、無意識に息を止めた。

 感情が、歪みを呼んでいる。

 それが、明確すぎるほど分かる。

 食事を終える頃には、

 部屋の四隅に、微細な裂け目が三つ増えていた。

 修復するほどではない。

 だが、記録には残る。

 それが、問題だった。


 ***


 午後、定期報告の時間。

 私は、一人で会議室に呼ばれた。

 円卓の向こうに、修復師評議会の代理者たちが座っている。

 誰もが、顔を見せない。

 投影された影と声だけ。

「対象の観測数値について、説明を」

 無機質な声が、空間に響く。

 私は、資料を開いた。

「歪み発生頻度は、微量ながら増加傾向。

 ただし、急激な拡大は確認されていません」

「原因は?」

「……感情反応です」

 一瞬、沈黙。

「恋ですか」

 その言葉に、私は首を振った。

「いいえ。

 恋と呼べる段階ではありません」

 自分で言っていて、苦しくなる。

 恋でなければ、安全なのか。

 そんな単純な話ではないのに。

「では、何ですか」

 私は、答えた。

「……感情の発芽」

 評議会の空気が、わずかにざわついた。

「発芽?」

「対象は、これまで感情をほとんど持たない状態でした。

 現在、その状態が変化しつつあります」

「つまり」

 声が、低くなる。

「人間になり始めていると」

 私は、黙って頷いた。

 その沈黙が、肯定になる。

「……許容範囲を超えています」

 即座に、結論が下された。

「感情発生率がこのまま推移した場合、

 三週間以内に臨界値に達する可能性が高い」

 心臓が、強く打った。

「臨界値とは」

 分かっていて、聞いた。

「修復不能レベルの歪みが、

 自律的に発生する境界線です」

 ――存在の切除。

 その言葉が、喉元に浮かぶ。

「対策案を提示します」

 声が続ける。

「① 接触頻度の低下

 ② 感情刺激の遮断

 ③ 修復師――あなたの交代」

 最後の項目で、

 胸の奥が、ひどく冷えた。

「……私が外れれば、安定すると?」

「あなたは、対象にとって

 最も強い感情刺激源です」

 事実だった。

 私がいる限り、

 彼は感じてしまう。

「それでも、交代は」

「まだ最終決定ではありません」

 だが、

 猶予はないという言い方だった。

「一週間後、再評価します」

 会議は、それで終わった。


 ***


 部屋に戻ると、彼は机に向かっていた。

 紙と鉛筆。

 許可された、数少ない私物だ。

「……何を書いてるの?」

 私が聞くと、彼は少し照れたように言った。

「言葉」

「言葉?」

「夢の中で聞いた声を、忘れないように」

 胸が、ざわつく。

 それだけで、

 空気が、ほんの少し揺れた。

 私は、立ち止まったまま動けない。

 近づきたい。

 でも、近づけば歪む。

 守りたい。

 でも、守るほど壊れる。

 私は、深呼吸した。

「……今後、少し距離を取る」

 自分でも驚くほど、

 冷静な声が出た。

 彼が、顔を上げる。

「……どうして」

「観測数値が、危険域に近づいている」

 また、数値。

 彼の表情が、少し曇る。

「それは、君が?」

「……ええ」

 私は、逃げなかった。

「私がいるから、

 あなたは感じてしまう」

 沈黙。

 その沈黙が、

 世界を安定させているのが、

 皮肉だった。

「……分かった」

 彼は、ゆっくり言った。

「僕が、何も感じなければいいんだね」

 その瞬間。

 歪みが、止まった。

 完璧な安定。

 それが、

 何よりも残酷だった。

「違う」

 私は、震える声で言った。

「……違うの」

 だが、

 違うと言いながら、

 私は彼から一歩、下がった。

 彼は、それを見逃さなかった。

 小さく、笑った。

「大丈夫」

 その笑顔が、

 妹の最後の笑顔と重なった。

 ――ああ。

 私は今、

 感情を殺す側に立っている。

 修復師として、

 世界の味方として。

 その事実が、

 胸を裂いた。

 夜。

 私は、一人で天井を見つめていた。

 彼は、向こうのベッドで静かに眠っている。

 感情を抑え込んだ、

 安定した眠り。

 その安定が、

 この世界の望み。

 でも。

 私は、拳を握りしめた。

 このままでは、

 彼は生き延びるだけで、

 生きられない。

 そして私は、

 その管理者になる。

 それが、

 世界を守るということなら。

 ――私は、その世界を、

 本当に守りたいのだろうか。

 答えは、まだ出ない。

 だが、確実に言える。

 恋に近づくほど、

 世界は壊れる。

 そして今。

 壊れているのは、

 世界ではなく、

 私の方だ。

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