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恋をすると、世界がひとつ壊れる  作者: Futahiro Tada


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監視される日常

第2章


監視される日常


 その部屋は、住居と呼ぶにはあまりに無機質だった。

 白い壁。

 白い天井。

 白い床。

 家具は最低限。

 ベッドが二つ。机が一つ。椅子が二つ。

 窓はあるが、外は見えない。曇りガラスの向こうに、光だけが存在している。

 ――管理居住区。

 表向きは「特別観察下での共同滞在」。

 実態は、半分牢獄だ。

「ここが、当面の居場所になります」

 案内役の補助官が、感情のない声で言った。

「外出は原則禁止。

 移動は許可制。

 会話内容は、すべて記録されます」

 言いながら、壁の一角に埋め込まれた魔術装置を指差す。

 視線、音声、魔力の揺らぎ。

 すべてが、監視対象。

「……私も、ですか」

 私が聞くと、補助官は一瞬だけ言葉に詰まった。

「……はい。あなたも」

 それが、私の選択の代償だった。

 修復師でありながら、

 修復師に監視される側に回る。

 補助官が去り、扉が閉まる。

 結界が静かに起動する音がした。

 私は、ようやく息を吐いた。

「……狭いわね」

 そう言ったのは、彼だった。

 青年は、部屋をぐるりと見回し、少しだけ肩をすくめた。

「でも、思ったより人が住む前提だ」

「牢屋と比べれば、ね」

「比べる対象が牢屋なのが、もう問題だと思う」

 その言葉に、思わず口元が緩んだ。

 すぐに気づいて、私は表情を引き締める。

 ――今、笑った?

 壁の向こうで、誰かが記録している。

「必要な物資は、定期的に補充されるそうよ」

「食事も?」

「ええ。味は……期待しない方がいい」

「それは残念だ」

 彼はそう言いながら、ベッドの端に腰掛けた。

 拘束具はない。

 逃げられないと分かっている者に、鎖は不要だ。

 私は反対側のベッドに座った。

 沈黙。

 この距離が、妙に落ち着かない。

「……後悔してる?」

 彼が、ふいに聞いた。

 私は一瞬、言葉を選んだ。

 嘘はつけない。

 でも、正直すぎるのも危険だ。

「不安ではあるわ」

「後悔とは違う?」

「……違う」

 それは本心だった。

 修復師としての立場を危うくした。

 信頼も、評価も、失いかけている。

 それでも。

「あなたを、あの場で切り捨てる方が……

 たぶん、ずっと後悔した」

 彼は何も言わなかった。

 ただ、ゆっくりと目を伏せた。

 ――空気が、揺れた。

 ほんの一瞬。

 だが、修復師の感覚は見逃さない。

 私は反射的に、腰のケースに手を伸ばした。

 もう、針は入っていない。

「……今、何か感じた?」

 私が聞くと、彼は少し考えてから頷いた。

「胸の奥が、熱くなった」

 その言葉に、背筋が冷えた。

 熱。

 それは、恋の歪みが生じる前兆だ。

 私は、ゆっくりと立ち上がった。

「距離を取りましょう」

「……え?」

「今は、まだ」

 彼を見ないようにして、私は窓の方へ歩いた。

 曇りガラスに、自分の輪郭がぼんやり映る。

 ――近づくだけで、世界が歪む。

 こんな共同生活が、成立するはずがない。

 ***

 翌朝。

 目を覚ました瞬間、私は違和感を覚えた。

 部屋が、静かすぎる。

 音がない。

 空調の音も、結界の低い唸りも、聞こえない。

「……?」

 体を起こした瞬間、視界の端で欠けが揺れた。

 床の一部が、消えかけている。

 正確には――

 「そこにあったはずの感覚」が、ない。

「……起きて」

 私は、彼を揺すった。

 青年は、すぐに目を開けた。

「どうした」

「歪みが出てる」

 彼は一瞬、天井を見た。

 そして、静かに言った。

「……夢を見た」

 胸が、嫌な音を立てる。

「どんな」

「誰かが、僕に触れようとしてた。

 ……怖くなかった」

 その言葉と同時に、

 空間が、微かに軋んだ。

 床の欠けが、広がる。

「だめ」

 私は、即座に距離を取った。

「それ以上、話さないで」

「……僕が?」

「あなたの感情が、歪みを呼ぶ」

 彼は、驚いたように私を見た。

「感情が……世界を?」

「ええ。しかも、あなたの場合は特殊よ」

 言いながら、私は理解していた。

 彼が歪みを生むのは、

 恋をしたからではない。

 感情を持ち始めたからだ。

 今まで空白だった場所に、

 温度が入り込んでいる。

 それ自体が、世界にとって異物なのだ。

 壁の向こうで、警告音が鳴った。

 淡い赤い光が、部屋を照らす。

「……反応が早すぎる」

 私は歯を食いしばった。

 まだ何も起きていない。

 ただ、夢を見ただけだ。

 それでも、世界は即座に危険と判断する。

 扉の外から、補助官の声がした。

「歪みを確認。

 原因は接触、もしくは感情変動と推定」

 私は深く息を吸った。

「……分かりました。報告します」

 返事をしながら、私は彼を見た。

 彼は、どこか困ったように笑った。

「……生きるだけで、迷惑みたいだね」

 その一言で、

 歪みが、さらに一段深くなった。

「違う!」

 思わず、声を荒げていた。

 壁の装置が、反応する。

 記録。警戒。評価。

 それでも、止められなかった。

「あなたが悪いんじゃない。

 世界が、あなたを受け入れる準備をしてないだけ」

 彼は、黙って聞いていた。

 そして、静かに言った。

「……それなら」

 その続きを、私は恐れていた。

「僕が、何も感じなければいい?」

 胸が、締めつけられる。

 それは、妹が消える前に言った言葉と、

 あまりにも似ていた。

「……それは、選択じゃない」

 私は、震える声で言った。

「それは、消滅よ」

 沈黙。

 床の欠けが、ゆっくりと止まった。

 彼が、感情を押し殺したのだと分かった。

 ――世界は、安定した。

 その事実が、

 私の胸を、何よりも痛めた。

 壁の向こうで、誰かが満足げに息を吐く気配がした。

 世界は、彼が何も感じない状態を望んでいる。

 だが。

 私は、拳を握りしめた。

 このままでは、

 彼は生きていても、

 生きていない。

 そして私は、

 その管理者になる。

 それが、世界の正しさだとしても。

 私は、曇りガラスに映る自分を見つめた。

 修復師として、世界を守る。

 そのために、誰かの心を凍らせる。

 ――本当に、それでいい?

 彼の存在が、

 私に問いを突きつけている。

 世界か、彼か。

 まだ答えは出ていない。

 けれど、ひとつだけ分かっている。

 この共同生活は、

 恋に近づくほど、

 確実に世界を壊していく。

 それでも。

 私は、彼を見捨てない。

 それが、

 第2章の始まりだった。

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