壊れた世界が、声を持つ
壊れた世界が、声を持つ
世界は、同時多発的に揺れ始めた。
それは爆発でも、崩壊でもない。
もっと曖昧で、もっと厄介なもの――解釈の揺れだった。
***
最初に起きたのは、沈黙だった。
各地の修復局が、一斉に業務を停止した。
公式発表は、ない。
あるのは、記録の断片と、観測不能という報告だけ。
「歪みが……修復できない?」
「いや、違う。歪みじゃない」
「じゃあ、これは何だ」
都市の広場で、空が波打つ。
だが、欠けない。
人は消えない。
それどころか、
そこにいる人々は、奇妙な安堵を覚えていた。
――壊れていない。
怖いはずなのに、
なぜか、恐怖よりも先に
理解したいという感情が立ち上がる。
***
一方で、修復師制度は、即座に分裂した。
記録が示したのは、
恋が世界を壊すという前提そのものが
作られた神話だったという事実。
信じ続けてきた者ほど、反発した。
「捏造だ」
「危険思想だ」
「感情を解放すれば、
世界は必ず破滅する」
だが、同時に。
「……本当に、そうだったのか?」
そう呟く修復師も、確かに存在した。
彼らは、
小さな歪みが自然に収束する現象を
かつてから観測していた。
だが、それは報告されなかった。
なぜなら、
修復師制度の正当性を揺るがすから。
今、その蓋が外れた。
***
私たちは、移動を続けていた。
追撃は、もはや組織的なものではない。
修復師同士が、対立している。
「彼らを保護すべきだ」
「いや、隔離しろ」
「存在切除は、もう許されない」
世界は、
一つの正しさを失った。
その中心に、
私たちはいた。
――意図せず。
「……外、見て」
彼が言った。
高台から見下ろす街は、
どこか不完全で、
それでも、確かに息づいている。
空の一部は歪み、
建物の輪郭は揺れている。
だが、人々は逃げていない。
集まり、
話し、
互いの顔を見ている。
「……世界が、壊れてるのに」
彼が、困惑したように言う。
「誰も、泣いてない」
私は、ゆっくりと答えた。
「壊れたんじゃない」
風が、頬を撫でる。
「管理されていた形が、剥がれただけ」
彼は、考え込むように黙った。
「……それって」
「ええ」
私は、彼を見た。
「世界が、
初めて自分の声を持ち始めた」
***
修復師制度の内部では、
明確な分断が生まれていた。
一方は、従来派。
世界は脆弱で、
感情は制御されるべきだと信じる者たち。
もう一方は、再定義派。
歪みは必ずしも破壊ではなく、
過程であり、反応であり、調整可能なもの
だと考える者たち。
そして、
彼らが共通して恐れている存在。
それが――
私たちだった。
***
「……気づいてる?」
彼が、夜の焚き火のそばで言った。
「何を」
「僕たち」
炎が、静かに揺れる。
「もう、
ただの逃亡者じゃない」
私は、苦笑した。
「ええ。分かってる」
記録は、世界に拡散した。
妹の名前も、
実験の真実も。
それらは、
私たちを象徴にした。
恋をしてはいけない世界で、
恋が世界を壊さなかったという
生きた証拠。
「……怖い?」
彼が聞いた。
私は、少し考えてから答えた。
「怖い」
「それでも?」
「それでも、
目を逸らすよりは、まし」
彼は、小さく笑った。
「君らしい」
その瞬間、
空間が、柔らかく揺れた。
だが、壊れない。
彼の能力は、
今や無意識ではなく、
意思を伴って発動している。
感情が高まっても、
世界は耐える。
それは、
希望そのものだった。
***
翌朝。
空が、いつもより澄んでいた。
歪みは残っている。
だが、それは傷ではない。
私は、彼の隣に立ち、
遠くの街を見た。
「……ねえ」
私が言う。
「私たちは、
世界を変えたいわけじゃない」
「うん」
彼が頷く。
「ただ」
私は、続けた。
「選べるようにしたい」
恋をするか。
恐れるか。
抑えるか。
育てるか。
それを、
世界ではなく、
人が決められるように。
彼は、私の手を取った。
もう、躊躇はなかった。
歪みは、起きない。
「……象徴、か」
彼が、呟く。
「なりたくなかったね」
「ええ」
私は、苦笑する。
「でも」
空を見上げた。
「誰かが、
最初に立たなきゃいけなかった」
風が、世界を渡る。
壊れたはずの世界は、
今、確かに呼吸している。
修復師制度は、
もう元には戻らない。
世界は、
管理される対象ではなく、
問い続ける存在になった。
そして。
私と彼は、
その問いの中心に立っている。
恋か、世界か。
そんな単純な問いは、
もう、誰も信じていない。
第3章は、
ここで終わる。
次に来るのは、
選択ではない。
共存だ。




