渦の潮血、波の望絶 陸
潮は、彼の「身体」である海の底で、静かに、しかし深い悲しみと共に、沖縄の光景を見つめていた。
五話で見た老漁師が命を落としたその場所から、潮は南の海へと流れていった。そこでは、陸上での激しい戦闘が、海の底にまで響いていた。人々は洞窟に隠れ、爆弾の音に震え、飢えと渇きに苦しんでいた。
潮は、その様子を、海の底から感じ取っていた。
ある日、潮は、これまでの歴史の中で見たこともない、絶望的な光景を目の当たりにした。
彼の「身体」である海に面した断崖絶壁。そこには、多くの人々が集まっていた。
兵士たちに追い立てられるように、人々は崖へと向かっていく。
「鬼畜米英に捕まるな! 生きて恥を晒すな!」
兵士の怒号が、風に乗って潮の耳に届く。
人々は、恐怖に顔を歪ませ、互いに抱き合い、そして、次々と、その身を崖から投げた。
「お母さん、怖いよ…」
幼い子供の声が、潮の心に響いた。
潮は、その声に応えるように、波を揺らした。
だが、彼が揺らした波は、彼らの命を救うことはできなかった。
彼らは、まるで白い泡のように、次々と海へと消えていった。
潮は、海の底で、彼らが沈んでいくのを見ていた。
彼らの魂は、絶望と恐怖に満ちていた。
そして、彼らの血で、海は赤く染まった。
潮は、彼らが死んでいった場所を、いつまでも包み込み続けた。
潮は、彼らがなぜ、自ら命を絶たなければならなかったのかを知っていた。
それは、兵士たちに「捕虜になるな」と強要されたからだ。
それは、敵に捕らえられたら、人間として扱われないと信じ込まされていたからだ。
それは、彼らが、ただ、生きることを許されなかったからだ。
潮は、彼らの魂を抱きしめるように、静かに波を揺らし続ける。
「なぜ…」
その問いは、答えのないまま、海の底に深く沈んでいった。