夢の沫泡 壱
昭和〇〇年八月。空は、燃えるような青だった。
特攻服に身を包んだ佐藤 潮は、操縦席からその空を見上げた。故郷の海を思い出す。故郷の海は、こんなにも濃い青ではなかった。穏やかで、太陽の光を浴びてはキラキラと輝く、どこまでも優しい海だった。
「隊長、そろそろです」
無線から、若い隊員の声が聞こえる。震える声だった。無理もない。誰もが怖かった。彼もまた、怖かった。ただ、恐怖よりも、この国を守りたいという想いが勝った。そして、もう二度と故郷の海を見ることはできないという、どうしようもない悲しみが胸を満たしていた。
「よし、行くぞ」
潮は腹の底から声を絞り出した。操縦桿を握る手に力がこもる。機体はゴトリと音を立て、巨大な空母から飛び立った。
眼下に広がるのは、鉛色に染まった大海原。その中に、獲物はいた。米軍の巨大な軍艦。まるで海に浮かぶ要塞だ。
潮はただひたすらに、その一点を目指して進んだ。視界の端で、仲間たちの機体が次々と散っていく。白い煙を上げ、火花を散らし、そして海へと消えていく。彼らもまた、故郷の海を思いながら散っていったのだろうか。
「待っていろ、昭。俺が必ず、お前の分まで故郷の海を守るから」
弟の声が聞こえた気がした。そう、弟がいた。愛しい家族がいた。もう会うことはできない。そう思うと、瞼の裏に、笑いあった日の光景が浮かぶ。
もうすぐだ。
目標が、目の前に迫る。潮は、故郷の海を思い浮かべながら、最後の力を振り絞った。機体を真下に向ける。太陽の光が、操縦席いっぱいに差し込む。
故郷の海は、いつも優しかった。その光を浴びて、キラキラと輝いていた。
「……母さん」
潮の呟きは、轟音にかき消された。
次の瞬間、彼の意識は弾け飛び、激しい光と熱が彼を包み込んだ。
潮は、夢を見ていた。
それは、遥か昔の記憶。家族と海辺で遊んだ日々のこと。弟と貝殻を拾い、母が作ってくれたおにぎりを食べたこと。夕焼けの海が、空と同じ色に染まっていたこと。
温かく、懐かしい夢だった。
しかし、その夢は次第にぼやけ、遠ざかっていく。
彼の身体は、まるで泡のように溶け出していく感覚に襲われた。手足の形がなくなり、胸を締め付けていた悲しみが、水に溶けた絵の具のように広がっていく。
どこまでも深い、青の世界。
彼は、自分がもはや人間ではないことを悟った。
それでも、一つだけ、確かなものがあった。
彼の胸に残った、最後の想い。
「……海に、なりたかった」
彼は、静かに意識を手放した。
そして、再び目覚めた時、彼は――。