目覚め
……。
待ち構えていた衝撃が一向に身体に伝わって来ず、恐る恐る瞑っていた瞼を持ち上げる。想像していたような赤一面だったり、真っ白な世界だったりはなく、代わりにごつごつとした岩肌が視界に映った。
何かの幻覚かと自分の目をゴシゴシと擦ろうとして、自分の手に違和感を覚えた。そうして目に映った私の手は、白色の鱗に覆われて鋭い爪を有した巨大なモノに変化していたのだ。
「何、これ……」
思わず困惑の声を零すと、少し声のトーンが低い気がする。発違和感を覚えて喉をさすってみれば、感じたことのない出っ張りが引っかかる。もしかしたらこの異形的に変わってしまった手が悪さをしているのではないかと一旦は思うことにして、自分の状況確認に移ることにした。
身体を起こして周囲を見渡すと、どうやら私は洞窟の中に横たえられていたように思える。そして、肘から下と下半身が創作物で言うドラゴンのような鱗に覆われている青年へと姿が変わっていることが把握できた。
あくまでも把握だけができた状態で、いったい何が起きているのかは理解が追い付かない。
自殺を試みて、気が付いたら此処に寝ていた。そして、明らかに現代日本で見かけるような四肢を持たない。これだけが今この場に居る私が持ち合わせている情報だ。明らかに、情報が足りない。
中学生の頃、窓際でよく本を読んでいた子が「異世界転生」だとか口走っていた記憶が僅かにある。言葉を文字通り解釈するなら、死によって異世界に飛ばされる、的な意味だろうとその時は意に介してすらいなかった。
「……これが異世界転生かぁ~!」
嘘みたいな現実を咀嚼した果てに辿り着いた人間がすること、それは現実から目を背けるということだった。空元気を帯びた妙に明るい声を発して、自分の意識を誤魔化そうと試みる。そうだ、もしかしたら身に覚えのない走馬灯の一つかもしれない。
当然のことながらそうやって誤魔化してもどうにかなる問題ではなく、洞窟の岩肌は現実を押し付けるように目の前に鎮座している。どうしようもなく忌々しい。
込みあげる理不尽に対する理不尽な怒りを飲み込んで、結局この世界に適応するために周囲を探索することに意識をシフトチェンジする。やけに眩しく見える洞窟の出口から外の世界へと足を踏み出すと、"ぎゅ"と言うような音がかぎ爪のついた足から響いた。人生……前世で感動したことトップ5のランキングに入るほど感動したから、これは覚えている。雪を踏みしめる特徴的な音だ。
「っわあ……!」
視界いっぱいに広がる銀世界に、さっきまでの怒りは霧散していた。
どうやら此処は高山の広がる常冬の世界で、その中でも屈指の高さを誇る山にある洞窟に居たようだった。一歩足を踏み出しただけで眼下に広がった絶景は、死ぬ前にまじまじと眺めた都会の夜景とは比べ物にならないほどの美しさだった。
見える限り、この幻想的な世界の終わりは見えない。それくらいには規模が大きく、異世界転生とやらを果たさなければ想像すらもできなかっただろう。食い入るように景色を眺めていて、そうして気づく。
「あれ。私、寒く……ない?」
雪と氷で閉ざされているはずの世界で、特に靴なども履かずに出てこれた自分に疑問が浮かぶ。辛うじて中世の庶民が着ていそうな衣服は身にまとっていても、元々寒がりだった私ならこんな世界だったら寒くてすぐに家に籠っているはずだ。だというのに、全く寒さを覚えないどころか足から伝わるはずの寒さすら感じられない。
後者に限っては鱗によって守られている、という理由だけで説明がつくかもしれないが、前者に関しては鱗の感覚がせず普段通りに表情筋を動かせている顔までも寒くないのは理解ができない。自分の顔をしっかりと確認できていないというのはあるが、それでもここまで違和感なく動かせているとなると顔まで鱗まみれというのはあり得ない……はずだ。
半ば希望が混ざっているのは気が付かないふりをして、自分の身に降りかかっている不可解な現象たちに頭を捻った。