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序幕

 眼下に広がる景色に、意識せずとも足が竦む。頬を撫でる夜風さえも自分の恐怖心を掻き立てるのには十分だった。


 今日のためだけに近所を入念に調べ上げて、ようやく見つけた東京某所にある廃ビルの屋上に私は立っていた。噂によると、近々取り壊す予定があるらしい。それを裏付けるかのように、"進入禁止"と書かれた黄色いテープが至る所に貼られていた気がする。

 そんな建物ではあったが侵入するのは大して難しくなく、一時間に数回の頻度で見回りに来る警備員の目を掻い潜るだけで容易く入り込めた。もう少し苦労するものだと思っていたから拍子抜けだ。

 当然のことながらエレベーターは動いていないので、非常階段を伝ってここまで辿り着いたというわけだ。ビル内にまで警備を回すほどではなかったらしい、室内では誰も見かけなかった。


 少し身を乗り出して、すぐに錆びたフェンスを掴む。

 先ほどから数十回と繰り返している行動だ。此処まで来たというのに、最後の一歩が踏み出せない。そうなってしまうから今まで散々な目に遭っていたのにと自嘲する。

 今まであった全ての事に片をつけて、嫌いな自分とお別れする為に、私は今此処に立っている。もしかしたら逃げと囁かれるのかもしれない。

 死ぬ間際になってそんなことを気にしてしまう自分がやはり嫌いだ。


 思考を放り出して、再び足元の景色を視界に収める。

 調べによれば、この建物は前の前のオーナーの頃まで都心の有名なホテルだったらしい。それが繰り返される土地開発によって都心とは呼べなくなった時、運悪くオーナーの有していた企業が破産。そして今に至るまで放置されていたらしい。解体予定があるのは、また別の大富豪が土地を買い取って何か別の形として運用するとかなんとか。

 当然、今の私に関係がないのは火を見るよりも明らか。調査過程で見つかっただけの余計な情報にすぎない。

 頭の隅にそれを追いやりながら、光が明滅する眼下の街を眺める。きっと後ろ手に握っている金属の柵さえ手放してしまえば、こんな無駄な思考も、私の中に芽生える劣等感も消えてなくなるのだろう。なのに。


「やっぱ無理だってこれ……」


 絞りだすような声とともに落ちないように気を付けながらゆっくりとしゃがむ。体の重心をできる限りフェンスに預けて、目を瞑る。


 振り返ってみても、自分の人生は人より苦しいものだったように思える。物心ついた時から母親は居なくて、父親もほとんど家に居なかった。今思えば女遊びに興じていたんだろう、きつい香水の匂いを振りまきながら家に戻ってきていた。

 当たり前のように家事全般は私の仕事。父親が目を覚ます前までに朝食を準備して、帰宅するまでには家事を済ませる必要があった。当然のことながら学業もこなしていた。

 今考えるとどうやって生きていたか分からないくらいの過酷な生活を送っていたと思う。そして、この過去を持つなりに理性的であるとも思う。それでも、疲れてしまったのだ。

 金銭面こそ困らなかったものの、18を迎えるにあたって今後どうして生きていくか分からなくなった。父親の家事ロボットとして生きるのは御免でも、それ以外の道を私は知らない。だから家に遺書を置いて、そして今此処にいる。

 別に自分の身の上を嘆くつもりはない。この歳まで生きているという事実があるから。それでもこうやって惰性で生きて行きたくないから、自らの命を絶つ判断を下した。誰も悲しまない、苦しまない。そう考えると自分がいかに寂しい人生を送ったかを痛感させられる。


 大きく息を吸って吐く。

 未練も思うことも、何もないはずだ。沢山調べて、この高さからなら一命を取り留める、なんてことはないことが分かっている。

 それでも緊張だったり恐怖だったりが綯い交ぜになって、宙に身体を預けることができない。思ったより生にしがみ付くんだなぁと自分のことながら憐れみを覚えた。

 しかし、こうやってうだうだしていても恐怖心が掻き立てられるだけだ。ごくりと生唾を飲み込んで、しゃがんだまま体を傾ける。


「ひ……」


 視界が真下の世界と段々と平行になるにつれて、喉から変な音が鳴る。でも、覚悟はもう決めたはずだ。いつまで経っても優柔不断な自分に嫌気が差して、辛うじて地に触れていた両足を蹴った。

 途端、支えを失って宙に放り出された身体は強い浮遊感を覚える。一瞬閉じた瞼をあげれば、ぐんぐんと地面が近づいてきているのが分かった。死ぬ間際だからスローモーションに見えるのだろうか。ぼんやりとそんなことを考えた。耳には風を切る音が絶え間なく響いてくる。


 もし、私にやり残したことがあったとして。もし、私に来世があったとして。そしたら何を思うのだろうか。落下の衝撃を待ちながらそう考える。

 自分らしくない考えとは思うが、死ぬ間際ならば考える価値はあると思う。今までの人生をスローモーションの世界の中で振り返って、願った。



<自由を、一度でいいから謳歌してみたかった。>

処女作。

温かい目で見守ってください、どうぞよろしくお願いいたします。

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