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モンスター(権力の暴走に立ち向かえ)

作者: 杉下栄吉

大阪北新地のクラブのホステスが殺される。大阪府警は必死に捜査するが有力な証拠が出てこない。そこで焦った府警と地検は強引な手法で犯人を逮捕する。しかし冤罪事件へと発展する。被害者は刑期を終えてから再審請求が認められ再審無罪を勝ち取る。国家賠償請求ができるがその責任は国民にあるのだろうか。

1、北新地ホステス殺人事件


 大阪は取り残された感がある。東京は止まることを知らない大都会で、常に新陳代謝が起きているし、名古屋もTOYOTAの発展と共に進化を続けている。しかし大阪は『天下の台所』と言われた商業の町だったが、大阪発祥の大企業のほとんどが本社機能を東京に移してしまっている。昔ながらの物づくりの町やミナミの商店街など古き良き時代の遺物は残っているが、東京との経済力の差は開いていく一方である。

 イメージとして大阪では貧困層が多い感じがするが、数少ない富裕層は北新地の高級な店に集まる。そんな北新地のホステスが関係する事件が発生したのは1991年、3月25日 北新地から淀川の河口付近に行った西淀川区の古ぼけたアパートだった。

 被害者は北山美香20歳、北新地の高級ナイトクラブ「フォンテーヌ」で働くホステス。高校を卒業してホステスとして働き始めてまだ2年の若者だった。第一発見者は北山美香の母親で北山みどり44歳 みどりもホステスとして西淀川区塚本の小さなスナックで働いてるが、仕事を終えて26日の深夜2時に自宅に帰って、遺体となった美佳を発見し、110番通報した。

 事件現場を取り仕切ったのは大阪府警刑事部刑事今井達治42歳。西淀川署の所轄巡査たちを使って付近の聞き込みや被害者の状況などを調べている。今井が来る前に鑑識課の職員も到着し、現場検証がなされている。北山親子の部屋は立ち入り禁止になり黄色いテープで規制線が引かれている。手袋と靴カバーで今井が現場に入ると部屋の壁には血しぶきが飛び散り、床には大量の血が流れているのが見えた。被害者の北山美香は仰向けに倒れていて、衣服に乱れはなかった。ただ今井が鑑識の主任に状況を聞くと

「凶器と思われるサバイバルナイフが床に落ちていて、腹部から胸部に掛けて複数の刺し傷がある。解剖してみないと分からないが、10か所程度刺されているのではないか。犯行時刻は午後8時から午後12時ごろまで」と言っている。2人暮らしの狭いアパートなので台所と奥に一部屋しかないが、どちらの部屋も血しぶきがあるという事は、被害者の美佳は台所で襲われ、奥の部屋まで逃げたと考えられた。

今井は殺人事件の現場には慣れてはいたが、こんなに激しく何回も刺して大量の血を出させたむごたらしい殺し方は初めてだった。何といっても大量の出血で血の匂いが部屋中を包み込み、気分がふさぎ込んでしまった。

第一発見者の母であるみどりや付近の住民からの聞き込みをしていた西淀川署の刑事や県警の署員によると、美佳はみどりが24歳の時に、客だった男との間に出来た子供だったが、複数の男と関係を持っていたので、父親を断定することもできず、生まれた時から母一人、子一人で育ててきた。逞しいもので美佳は6歳の頃には料理を作るようになったし、12歳の頃には母親の働くスナックでお手伝いするようになっていた。みどり譲りの美人で高校生の頃にアルバイトで付近の繁華街、塚本のキャバクラに短期で働くとすぐに人気が出たらしい。そんな彼女が高校を卒業すると水商売の世界に身を沈めていくことは、当然のことだったのかもしれない。「フォンテーヌ」の面接で一発採用になり、翌日から店に出るようになっていたが、店の中で見せる底抜けに明るい雰囲気とは別に、私生活は質素で口数も少なく、相談できるような仲間もあまりいなかったようだ。


今井は刑事たちに美佳の交友関係と共に母のみどりの交友関係も当たるように指示した。ホステスとは言え、まだ20歳の美しい娘が殺されたことで、多くの憶測を呼んだ。大阪府警に戻ると早速マスコミの取材攻勢にさらされた。テレビや新聞などのマスコミの中に週刊誌記者も混じっていたが、その中に週刊文秋の横田栄吉も含まれていた。週刊文秋は東京に本社があるが、大阪支局に数名記者が常駐し、大阪の記事について取材して記事を東京に送っていた。大阪府警担当の記者として取材活動をしているが、東京で勤務していた時には大きな事件をスクープしたこともあった。しかし芸能人の不倫問題で不確実な情報をもとに記事を書いてしまった責任を取らされ、大阪に転勤して1年目だった。

西淀川の事件現場から戻ってきた今井を多くの記者たちが取り囲んで臨時の記者会見になった。

「今井刑事、事件は怨恨の線が強いですか?」と新聞社の記者が聞くと

「わかりません。捜査中です。」と言って記者たちを振り切ろうとした。

すると後方にいた横田が

「大阪府警は未解決事件をいくつも抱えていますが、この事件解決への見込みはあるんですか。」と皮肉な聞き方をした。すると今井刑事は表情をこわばらせ不快感をあらわにして横田の方を睨みつけ

「まだ捜査は始まったばかりだ。お前はどこの記者なんだ。」と低い声で言った。怒りを引き出した横田は怯むことなく

「週刊文秋の横田です。今後ともよろしくお願いします。」と言って今井に自分の名前を印象付けた。

横田が大阪府警には未解決事件が多いと言ったのには根拠があった。昨年、大阪湾からコンクリート詰めの女性の死体が発見されていた。何の遺留品もなく事件解決への切り札がなかった。また2年前には生駒の山でバラバラに切断された遺体がいくつか発見され、その身元自体が不明の事件が残っていた。かつてはお菓子メーカーを狙った脅迫事件もあり、これら未解決の大事件がいくつも残っていたので、横田の言葉になったのだ。

しかしこのことはマスコミや市民たちの思いだけではなかった。大阪府警や大阪地方検察庁の高官たちも頭を抱える問題となっていた。


大阪府警刑事部長の杉田君和は今日も本部長室に呼び出された。8階の本部長室はエレベータを降りたところから赤いじゅうたんが敷き詰められ沈み込みながら廊下を歩いた。本部長室前に立つと重厚な扉で仕切られ、中に入ると秘書室になっている。秘書に挨拶すると中に入るように促された。杉田はドアをノックして返事があったので扉を開けると、10人座れる応接セットがあり、そこに本部長の吉田美和ともう一人紺のスーツを着た立派な紳士が座っている。本部長はショートヘアを7・3にわけ、きりりとした顔立ちで、まるで宝塚のスターのような風貌だった。警察庁のキャリアで国家公務員上級職のエリート。全国に配置された警察庁キャリアの本部長たちの中でも特に地位が高いのが大阪府警本部長だ。吉田本部長は

「杉田君。こちらは大阪地検首席検事の藤澤周一さんです。昨夜、北新地の若いホステスが殺されたでしょ。藤澤さんは是非ともこの事件をしっかりと捜査して欲しいとわざわざ大阪府警まで出向いていらっしゃったのよ。大阪府警としては未解決事件が続いているからはっぱをかけに来たというところね。是が非でも犯人逮捕にこぎつけてください。大量の捜査員を動員してでも頑張ってほしい。君の評価にも関わっているからね。わかっているでしょ。」というと言われた杉田は襟を正して踵を揃え起立の姿勢を取り直し

「本部長や主任検事のご期待に応えられるように、全力を挙げて事件解決に臨みます。」と言って敬礼の姿勢を取った。吉田本部長は

「頼んだわよ。」と言って杉田に下るように合図した。杉田は緊張しながら部屋を出て行った。心の中で絶対に解決させなければと考えたが、逆に遺留品がほとんどなかったことも知っていたので、そう簡単ではないので困ったなと考えた。

本部長室に残った藤澤は吉田に対して

「杉田部長はどのような方ですか。」と訝しげな表情で問いかけた。吉田本部長は髪をたくし上げながら

「真面目な方ですよ。たたき上げって感じかな。ただそんなに捜査能力が高いわけではないわ。だって未解決事件が多いでしょ。でもね、彼の下で捜査にあたる今井刑事はなかなか優秀ですよ。きっとやってくれると思ってる。藤澤さんは今まで相当きわどい事もしてきたんでしょ。不敗神話の藤澤って有名ですもんね。ところで大学の同窓会は行ってるの。」と急にフランクな話し方になった。藤澤は

「君が大阪府警に来た時はびっくりしたよ。しかも本部長だろ。俺なんかまだ主任検事で頑張って手柄をたてられれば、どこか地方の検事正にしてもらえるかもしれないけど、完全に先を越されたよ。」と言って笑っている。この2人は東京大学の同級生だったのだ。学部は法学部と教養学部で違っていたが、就職後それぞれ外務省に派遣され、北米部局で一緒に仕事した仲だったのだ。

「大阪地検特捜部でしょ。大きな事件をたくさん抱えているみたいね。」と吉田が言うと藤澤は

「今のところさっきの北新地ホステス殺人事件が最大の事件さ。君の力を借りてどうしても解決して、東京に帰る手土産にしたいのさ。」と言うと吉田も

「私だって東京に帰りたいわ。お互いに頑張りましょう。」と言って立ち上がり藤澤に向かって手のひらを出し、握手をした。藤澤は彼女の柔らかい手のぬくもりを久しぶりに感じた。


杉田は刑事課の自分の部屋に戻ると担当刑事の今井を呼び出した。今井は刑事部長室に入ると

「部長、どのようなご用件でしょうか。」と緊張気味に話^した。すると部長は

「昨夜の西淀川の事件、解決の見通しはどうなんだい。本部長も主任検事も気に掛けているから絶対に犯人逮捕まで頑張ってくれよ。捜査人員は増員するから、手落ちがないように。」と言って今井を激励した。今井は本部長も主任検事も気に掛けているというところが気になった。そこで

「本部長や主任検事が気に掛けているとはどういう事でしょうか。」と大胆な質問をした。すると

「ここ数年、未解決事件が多いから本部長として汚点は作りたくない。だから頑張って犯人逮捕に至ってほしいって事さ。」と杉田部長は促した。


部長室を出た今井は少しやりきれない思いを感じながら捜査員が集まる捜査会議に臨んだ。

その日の朝から捜査人員は増員され、捜査一課と捜査二課、それに西淀川署の刑事課も合同捜査になったので50人体制になった。捜査会議室も大会議室に移り、捜査本部の看板も立ち上げられた。捜査本部の本部長は県警本部長だが、副本部長は杉田刑事部長があたった。

杉田部長は開口一番

「みんな、大阪府警の威信にかけて事件解決にあたってもらいたい。毎回どんな事件でもみんなは全力でやっていることはよくわかっている。でも今回は本部長からの激励も出ています。何が何でも犯人逮捕に至ってもらいたい。怪しい人物は躊躇せずに職質をかけ、任意同行を求めてください。」と激励した。捜査員たちは府警本部長や刑事部長のプレッシャーに押しつぶされそうなくらいの圧力を感じていた。しかし一番大きな圧力を感じていたのは一番の責任者の吉田本部長だったのかもしれない。東京に帰れるかどうかの瀬戸際であり、さらには東京の警察庁でのポストがどこになるのかがかかっているのだ。何事もなく大阪での任期を終える事ができさえすれば次のステップに昇格するはずなのだ。万が一、この事件を解決できなかったとしても不祥事だけは避けてもらいたかったのだ。


大阪府警記者室には警察周りの各社の記者が待機している。新聞社の記者が10人ほど、テレビ局が10人ほど、週刊誌記者が5人ほど待機している。横田栄吉は新参者なのでこの部屋の末席で携帯のネットニュースをチェックしていた。ネットニュースでは北新地のホステス殺人事件が大きく取り上げられていた。

『北新地ホステス殺人事件は有力な情報もなく、捜査は難航。被害者の刺し傷は20カ所以上に達し、怨恨の線が濃厚』と出ていた。横田は悲惨な事件なので早く解決すればいいと感じていたが、最近の大阪府警の実績から考えると難しそうだなとも感じていた。他の記者たちは大声でその事件のことを話している。

「あの殺され方は怨恨だな。あのホステスに熱を上げて大金をつぎ込んだ男が、振られそうになって逆切れして殺害してしまったってとこかな。」と大手新聞の記者がテレビのニュース番組のキャスターに向かって叫ぶと他の記者が

「そんなところだろうな。彼女が勤めていた店のなじみ客を順番にあたると、犯人にあたるんじゃないかな。」と言っている。すると横田が

「大阪の皆さんは何でも決めつけちゃうんですね。警察も頭が固いけど、地元の記者たちも頭堅いな。」と場の雰囲気を読まない言葉を発した。すると咄嗟に

「文秋さんよ、大きな口をたたくじゃねえか。大阪を馬鹿にするもんじゃないよ。」と言って目の前の机を大きな音を立てて叩いた。横田は

「甘いって言ってんだよ。証拠を集めて真実を追求しなくちゃならないのに、思い込みに囚われたら犯人を取り逃がすし、焦ると冤罪を産むんだ。大阪府警は、未解決事件をこのところ続けざまに起こしているから、そろそろ冤罪を産むんじゃないかって心配してる。おれたちマスコミは冷静に事件を眺めて、しっかりと証拠を確かめて報道するようにしなくちゃいけないんだ。」と少し声を荒げて言うと周りのみんなも大阪を馬鹿にされていることには不満があったが、思い込みを非難されて少し委縮したようだった。



2、被疑者の出現


捜査員の今井は被害者の北山美香の過去を当たっていた。北山の知人を探して話を聞いて回っていたが、北山が高校生の頃からアルバイトばかりしていたので、友人も少なく彼女のプライベートにかかわるような人物にはなかなかぶつからなかった。北山美香は派手な性格だったが、芯の強い母親思いの所があったので、友達と遊ぶよりも母が働くスナックで母のお手伝いをすることの方が多かったのだ。だから同級生や近所の人に聞き込みをしても交友関係の話はなかなか出てこなかった。


しかし北山美香が高校生の時にバイトしていた塚本のキャバレーでの仲間を探し当てた。北山美香と同様に高校卒業と同時に正式に北新地のナイトクラブに就職していた内山里香だった。彼女は北新地に近い淀川区のマンションに住んでいた。まだ20歳なのに高級マンションに住んでいるのは店から住宅手当をしっかり支給されているのだろう。そう考えた今井は昼過ぎに彼女の部屋を訪ねた。部屋の呼び鈴を鳴らすと彼女の眠そうな声が聞こえ、しばらく待っているとドアがチェーンの分だけ開いて薄着の女の目だけが見えた。。

「大阪府警の今井と言います。北山美香さんが殺された事件でお話を伺えませんか。」と言うと女はチェーンを外してドアを開けてくれた。女は朝方仕事を終えて帰ってきたのだろう。髪はみだれていて、大きめの膝まであるTシャツをパジャマとして首からかぶっていた。

「美佳が殺されたって、ニュースで見たけどどうしてなの?」と逆に聞いてきた。今井は彼女の顔以外の所に目をやらないように気をつけながら

「北山美香さんとはどういうご関係ですか?」と質問した。すると彼女は

「高校生の頃に塚本の安いキャバレーでバイトした時に一緒でしたよ。もう、高校卒業してるから今更白状しても退学にはなんないよね。」とあっけらかんと答えてきた。

「彼女の交友関係で何か知っていることはありませんか。付き合っていた男性とか、男性をめぐるトラブルとか」と聞くと彼女はしばらく考えて

「美佳は幼馴染の男の子だけは仲良かったみたいだったよ。時々夕方店に来るときに一緒に来ていたから、同棲しているのかって聞いたら、そんなんじゃないって否定してたけどね。でも仲が良かったから体の関係はあったんだろうね。確か“せいちゃん”って呼んでたな。そうそう“内川誠二”だった。一度だけ3人でいっしょに飲んだことがあるの。彼は美佳の実家の西淀川の生まれよ。」と教えてくれた。


 今井は捜査本部に戻ると杉田刑事部長に報告した。杉田は

「ようやく男関係が出て来たな。今井は寺田といっしょに継続してその男を探ってくれ。」と指示した。今井は寺田という若い捜査員を伴って“西淀川区の内川誠二”という情報を頼りに当たった。内山里香の話では内川は北山美香の幼馴染という事だったので推定20歳ということを設定した。

 今井たちはまず西淀川区役所の住民課で警察手帳を提示して捜査であることを示して20歳の内川誠二を検索して欲しいと頼んだ。受付にいた若い女性職員は一旦奥に入って上司に判断を仰いだ。そして上司の許可を得たのか戻ってくると

「ではしばらくお待ちください。」と言って端末のPCを操作した。そしてすぐ後ろにあるプリンターに行くと印刷された紙を持って今井の前に来た。

「お待たせしました。西淀川区には該当する方が1名だけいらっしゃいます。」と言って印字された書類を渡してくれた。

「内川誠二 20歳 西淀川区大和田3丁目2-5 父 内川拓三 母 内川良子」と書かれている。今井と寺田はその紙を受け取ると軽く会釈をして区役所を出て行った。黒いセダンの車に乗り込むとナビに内川家の住所を打ち込んで早速出発した。


内川家を見つけることはさほど難しくなかった。西淀川区大和田周辺は大阪湾が近い工場地帯で、太い道路で仕切られた工場用地に大きな倉庫と工場が立ち並んでいる。おそらく海を埋め立てた場所で、まっすぐな道路で仕切られた幾何学的な四角い土地が並んでいる。まだ売れ残っている工場用地も残っていて、雑草が生い茂った場所もある。駅の近くには民家が集まっているがどの家も古くて小さい造りで、一見して貧乏な感じがする。先日の北山美香の殺害現場となったアパートもこの近くだった。

 車はその民家の中の一つの前で停まった。今井と寺田は車を家の前に停めると

表札を確かめてからチャイムを押した。中から女性の声がして玄関のドアが開いた。

「どちら様ですか。」女性はおそらく内川良子だろうと感じたが今井は素早く警察手帳を提示して

「大阪府警です。こちらに内川誠二さんはいらっしゃいますか。」と質問した。するとその女性は

「お待ちください。」と言って部屋の奥に入っていった。中では数人の話し声が聞こえてきたが、すぐに大柄な若い男性が出てきた。彼は背丈が180cm程度でがっしりとした体格で、顔には無精ひげを蓄えている。夕食を食べるために部屋着に着替えていたのか、鼠色のスウェットの上下でくつろいでいる感じがした。

「内川ですけど何の御用ですか。」彼は大きな体の割には小さな声で言った。今井は

「内川さん、幼馴染の北山美香さんが殺されたことは知ってますか。」と質問した。すると内川は頷いて今井の方を見つめた。

「あなたは3月25日午後8時ごろから12時ごろまでの間、どちらにいらっしゃいましたか。」と彼のアリバイを尋ねた。すると内川はしばらく考えたが、後ろで話を聞いていた母親が

「誠二はその日は家にいて、夕飯も家族と一緒に食べたし、お父さんと一緒にお酒も飲んでいたわ。毎日のように遊びまわっているけど25日は珍しく家にいたから覚えているの。あの日は下の子が高校の修了式だったから進級をお祝いした日だった。」と話すと後ろにいた夫の拓三も首を縦に振って相槌を打った。

 今井は家族の証言ではアリバイ成立にならないと考えながらも話題を変えた。

「誠二さんは北山美香さんと最後にお会いになったのはいつですか。」と聞いた。内川誠二はじっくりと考えこんで言葉を選びながら

「確か、24日の夕方だと思います。小学生の頃から貧乏だったので、クラスのみんなと馴染めなかった彼女を子供ながらに可哀そうに感じて、話し相手になって来ました。子供の頃のままお互いに大人になり、支え合ってきました。24日も夕方、僕の仕事が終わるのを待って工場の玄関で待っていた美佳と車でファミレスに行って夕飯を食べ、そのまま北新地の店まで送りました。19時には店に入ったと思います。25日は母ちゃんがお祝いだから早く帰って来いって言うから、仕事終わりには会わずに帰ってきたんです。」と答えてくれた。今井と寺田はお礼を言って玄関を出た。

 車に乗り込んだ今井は寺田に

「おまえはあいつのこと、どう思う。」と聞くと寺田は

「かなり怪しいと思いますが、母親の証言は信憑性がありますが、わかりませんね。」と答えた。今井は

「弟の進級祝いってさ、卒業じゃないんだろ。3年生になれたからってお祝いするか。お前の家でお祝いしたか。」と不機嫌そうに話した。

車の中では警察無線の音がけたたましくなり続いている。


 大阪府警に戻った今井と寺田は杉田部長に内川誠二のことについて報告した。杉田部長は考え込んで

「怪しいことは間違いないが、まだ何の証拠もない。ただ重要な関係者として今後もマークしてくれ。」と指示した。しかしその表情には捜査の進展がない事に対する焦りがにじみ出ていた。物証は犯行に使われたと思われるナイフがあり、被害者の身体に残った切り傷からも深い恨みが感じられた。しかし犯人につながる物証が出てこない。

事件捜査を指揮する杉田は今井を連れて捜査本部を抜け出して吉田本部長の部屋を訪ねた。重要な参考人として内川誠二が現れたことを報告するためだった。白いスーツを着こなした吉田本部長の前にはあの藤澤主任検事が座っていた。

ソファーに座る吉田本部長の前で藤澤主任検事がいることで報告を躊躇したが、吉田本部長は気にせず報告するように促した。

杉田部長の報告を聞いた吉田本部長はそれまで見ていた書類から目をそらし銀色の眼鏡を取って

「しっかりとその参考人の周辺を当たって、物証をつかみなさい。周りの人間の証言も抑えるのよ。大阪府警の威信にかかわるから頑張って。」と言って机の上の紅茶を飲み干した。今井は吉田本部長が紅茶を飲む時の右手の小指が立っていたことを見逃さなかった。さすがタカラジェンヌだなと思ったが、口には出せなかった。対面する藤澤主任検事も紅茶を飲みながら

「君が今井刑事ですか。なかなか優秀だと聞いているよ。折角見つけ出した被疑者は確実に検察に持ち込んでください。今後の捜査の進捗も僕の所へも報告をしてくださいね。」と言ってほくそ笑んだ。


刑事部の部屋に戻ると寺田たちと立ち話をしながら本部長の様子を聞かれた。

「部長、真矢さんはどう言ってましたか。」という寺田に対して杉田は

「おいおい、もうそんなあだ名をつけたのか。不謹慎だぞ。本部長だぞ。本部長は大阪府警の威信にかけて頑張ってくれとおっしゃっておられた。」と言いながら笑いをこらえていると今井が

「部長も真矢さんって聞いてピンと来るでしょ。」と話している。真矢さんとはフジテレビの人気シリーズだった「踊る大捜査線」に出演した真矢みきのことで警視庁の幹部として湾岸署にやってきて捜査の指揮を執る女性キャリアのことだ。

「とにかく全力を挙げて被害者の北山美香、参考人の内川誠二の周辺の人間の聞き込みを徹底してくれ。」と杉田が全捜査員に指令して全員が出動していった。


その日今井と寺田が向かったのは北新地の飲み屋街だった。クラブ「フォンティーヌ」周辺の聞き込みを徹底していた。すると新たな情報が入った。まさかとは思ったがホストクラブの聞き込みに入った時のことだった。3軒目の店で北山美香の写真を見せると数人のホストが見たことがあると証言してくれた。その話を総合すると

“北山美香と思われる女は時々この店を訪れ、わずかだが消費してくれた。数回訪れるうちに坂本というホストを指名するようになり、坂本にかなりの額を貢ぐようになっていた。”というものだった。

今井と寺田はその店の玄関でその坂本というホストを呼んでもらった。坂本は奥から出てくると軽く頭を下げて挨拶すると

「坂本ですけど何か用ですか。」とチャラい感じで聞いてきた。今井はむっとしたが落ち着いて要点から切り出した。

「北山美香さんをご存じですか。」

すると坂本は悪びれることもなく

「美佳ですか、僕のお客さんです。美佳がなんかあったんですか。」と言うので今井はあんな大きな事件でテレビでも新聞でもネットでも報道されているのに、こいつは知らないのかと半ばあきれた感情を持った。

「3月25日の夜、何者かに殺されたんです。あなたは北山美香さんとはどういう関係だったんですか。かなりの額を貢がせていたという事を耳にしましたよ。」と言うと坂本は顔色を変えて

「ホストの客ですからいくらか貢いでくれる行為は珍しくありません。彼女以外にも僕に貢いでくれている女性はいますよ。それが何かいけないんですか。」と口をとがらせて反論してきた。

「店以外でも彼女と会っていたんですか。」と聞くと

「時々は会ってました。彼女が僕の店に来た時のアフターで食事に行ったり、僕のマンションに行ったりしました。けど営業ですから、普通のことです。」と説明した。最後に今井は

「彼女との間で金銭トラブルはありませんでしたか。」と聞くと彼は

「何回も言ってますが、いくらか貢いでもらう事は僕たちの業界では当たり前のことで、珍しい事ではありません。僕だってこの店の人気ホストですからそれくらいの金で困っているわけではありません。25日の夜だって僕はこの店で営業してました。これってアリバイですよね。」と自信満々に言ってきた。今井は礼を言って店を出てきた。


大阪府警本部に戻った今井は捜査本部で杉田に坂本のことを報告した。今度こそ大きな成果を上げようと意気込んでいたが、やや残念な結果だった。

捜査本部の部屋で聞き込みに疲れた今井と寺田は女性警官が煎れてくれたコーヒーを飲みながら、事件について語り合った。

「今井さん、やっぱり内川と坂本が怪しいと思うんです。」と感想を述べると今井は

「おれもそう考えていたんだ。2人ともアリバイがあるというけど偽装工作することはそう難しい事ではないからね。例えば目撃証言が得られないかな。幼馴染の内川は北山のことが心配でいつも遠くから観察していた。しかしあるとき北山美香がホストクラブ通いを始めてしまった。そして坂本というホストに熱を上げてしまった。幼いころから北山美香に好意を寄せていた内川だったが、ホストに熱を上げる北山を許せなかった。ストーカーと化した内川は思い通りにならない北山美香を殺害してしまった。そんな風に考えられないかな。」というと寺田は

「北山が坂本に熱を上げる姿を見た内川は北山ではなく坂本に対して殺意を抱くんではありませんかね。」と違う見方を披露した。どちらにしても捜査は暗礁に乗り上げてしまった。内川にも坂本にも犯行動機はあっても決定的な証拠がなかった。

事件は初動捜査が肝心だと言うが、思い込みが強すぎると冤罪を産むことになってしまう。慎重に進めなくてはいけないが、事件発生から日が経つに従い検挙率は下がる。この事件でも手掛かりがないままに時間が進んでいった。


数日後、捜査本部では激しい口論がなされていた。捜査員の寺田は顔を赤らめながら杉田刑事部長にかみついた。

「部長、犯人は内川に間違いありません。北山美香がホストである坂本と付き合うようになり、北山が坂本に貢いでいることを知った内川が幼馴染の北山美香に坂本との付き合いをやめるように説得したが、北山が言う事を聞かないことと自らの北山に対する思いが踏みにじられたことに腹を立て、衝動的に殺してしまったんです。内川は素行が悪く、毎日盛り場で喧嘩して相手から金を巻き上げるのが仕事なんです。周りの悪ガキたちから証言は受けています。内川を逮捕させてください。」と言うと杉山部長は苦々しい表情で寺田を睨みつけて

「そんなことはわかってるんだ。俺だって内川が犯人だと思っているよ。でもな、証拠が足りないんだ。本部長が逮捕に承諾してくれないよ。逮捕してもその後で無罪の証拠でも出てきたら、本部長は東京に帰れなくなってしまう。確実な証拠をとにかくみんなで集めてくれ。決定的なものが出れば本部長も逮捕に許可してくれるさ。みんな頑張ってくれ。」と捜査員全員に向かって、捨て台詞のように吐き捨てた。



3、目撃者の出現


有力な情報がないまま、3か月たったころ、捜査本部は解散し、専従捜査は今井と寺田の2人だけになった。捜査本部が解散されるときの吉田美和本部長の怒りは相当なものだった。刑事部長の杉田は本部長室に呼びこまれて、1時間近く説教を食らったらしい。何とか大過なく任期を終えて東京の警察庁に帰りたいと考えていたのに、早速の未解決事件になりそうだったからだ。彼女の今後のキャリア人生に影響を与えかねないことになった。また大阪府警に圧力をかけてくるのは大阪地検も相当なものだった。大阪府警が逮捕して取り調べをして送検するときには、検察と綿密な打ち合わせをして必ず有罪に出来ることを確認して行っている。だから日本の刑事裁判の有罪率が99.9%という高い数字をたたき出しているのだ。世の中が注目するような事件で未解決事件が起きるという事は警察だけでなく検察に対しても大きな批判が起きることは免れないのである。

 しかし有罪に限りなく近い被疑者がいても、確実な証拠を見つけなければ送検・起訴は出来ない。冤罪を産むことは避けなくてはいけないからだ。大阪府警本部長の吉田美和が捜査本部を解散という苦渋の選択をしたのは、必死に3か月被疑者の犯行を裏付ける証拠を見つけられなかったからだ。

 空虚な雰囲気が立ち込めた大阪府警刑事部の部屋で継続捜査を担当した今井刑事と寺田刑事は途方に暮れながらもとにかく資料を読み直し、関係者の聞き込みの範囲を広げていった。


 それから数か月たち、事件から半年が過ぎようとしていたころ、刑事課の別の事件を担当していた刑事が売春あっせんをして大きな利益を上げていた松山信二を逮捕してきた。今井は何気なく松山のことを見ていたが、担当刑事の書類を盗み見てはっとした。そこには住所が西淀川区とあり年齢は20歳となっていた。

『内川と同じだ。もしかしたらこの松山も幼馴染ではないか。』

そんな思いを持った今井は担当刑事に頼み込んで松山の取り調べに参加させてもらった。取調室に入ると松山は机に向かって座っていたが、担当刑事からの執拗な質問攻めにうんざりした表情を見せている。今井はこの事件の担当刑事に目配せして松山に向かい合った席に座るとおもむろに話しかけた。

「君さ、西淀川だろ。何処の小学校なの。」と遠巻きに聞いてみた。彼の住所から大和田小学校で内川と同窓生であることは知っていた。彼は

「大和田小学校ですけど。」と素っ気なく答えた。今井は彼に昔のことを思い出させるように西淀川のことを話し始めた。

「西淀川は海も近いけど工場が多いよな。どこで遊んでたんだ?」と聞くと

面倒くさそうに松山が

「工場が立ってない空き地もたくさんあって、野球したりサッカーしたりするには困らなかった。」と懐かしんで話してくれた。

「ところで先日殺された北山美香は同級生だろ。西淀川区の大和田小学校。2003年生まれ。どんな子だったんだ。」と聞くと松山は少し表情をこわばらせて

「子供の頃しか知りませんよ。かわいい子だったけどあまり一緒に遊んだことはありません。美人だったから北新地でも人気あったらしいですね。」とうわさは聞いていたようだった。今井は続けて

「それじゃ、内川誠二は知ってるかい。」と言うと松山は咳払いをして

「内川は知ってますよ。中学の頃からいっしょにグレてました。高校の頃にはバイクにも乗ってました。そういえば内川は北山のことをよく面倒見てましたよ。友達が少ない北山が仲間外れになると、内川が助けてました。あいつ子供の頃から北山のことが好きだったんです。」と2人のことを話してくれた。今井は

「内川のことで最近、何か変わったことはなかったかい。」と聞いてみると松山はしばらく考え込んで、思い出したように

「あれはいつだったかな。夜中に西淀川の地元を車で走っていたら、道路わきに内川がいたんです。車を止めて窓から話しかけたら、内川が乗せてくれって言うので乗せたんです。どこかで喧嘩したのか顔と腕に血がついていたんです。『おまえ、誰と喧嘩したんだ。』って言ったらあいつが『スナックで飲んでたら、生意気なガキがいたから店の外で殴り倒してやった。』って言ってました。あいつも俺も毎日のように喧嘩してますから、いつのことだかははっきりと覚えていません。」と証言してくれた。今井刑事は大きな証言を得たことを確信した。


 大阪府警に戻って杉田刑事部長に松山信二の証言のことを報告すると

「重要参考人として調書を取ろう。近日中に確かな調書を作成するんだ。。」と言って上機嫌になった。今井は杉田部長が喜んでくれたことはうれしかったが、松山が内川に会った日が3月25日かどうか確定してないことが気にかかっていた。


 翌日、寺田は取調室に拘留中の松山を連れてきた。取調室は小さな部屋だが鏡があり、隣の部屋から取り調べの様子が見れるようになっている。準備を整えた今井が取調室に入ろうとすると隣の部屋には吉田本部長と藤澤主任検察官、杉田刑事部長が入ろうとしていた。3人に気が付いた今井は軽く会釈をした。心の中では

『俺たちには任せられないって言うのか。捜査の幹部が勢ぞろいじゃないか。』と少し嫌な感じを持った。

 気を取り直して部屋のドアを開けると松山は座って待っている。寺田は部屋の隅の小机に向かって座り、記録をとれるように準備を整えていた。

「松山君、今日は売春斡旋の話ではなく、君の同級生の内川誠二君について話してもらいたい。君が夜中に道路わきに立っていた内川君を車に乗せたのは、いつの事か思い出してもらえないだろうか。」と言うと

「すみません、はっきりとは覚えていないんです。」と申し訳なさそうにしている。今井は彼の記憶を思い出させるために

「彼を車に乗せた日、君は何をしていたんだい。」と聞くと

「あの日は梅田の大阪駅前で風俗店で働く女の子のスカウトを昼から夕方まで頑張っていたと思います。5人くらいスカウト出来たのでお祝いに塚本の焼肉屋で仲間と飲んだんです。スナックに寄って、夜11時過ぎに車で家に帰りました。その途中で内川に会ったんです。久しぶりだったので覚えています。でもそれが3月25日だったかどうかは怪しいです。」と話してくれた。今井はすかさず

「それじゃ、彼をどこまで送ったんだい。」と言うと松山君は

「確か、彼の家の近くの大和田交差点だったと思います。」と記憶をたどった。しかし確かな日付にはたどり着けずにいたが、今井が

「家に帰った時の記憶はありませんか。」と聞くと松山は

「毎日同じようなことばかりだからその日が特別違うわけではなかったから、わかりません。」と答えた。


取り調べは膠着状態に入ってしまった。今井がいろんな手を使ったが松山の記憶が確かな日程につながることはなかった。膠着状態にあるときドアをたたく音がした。寺田がドアを開けると杉田部長が今井を呼んでいた。今井は立ち上がり廊下に出ると隣の部屋から藤澤主任検事が出て来て

「今井君、家に帰ってからどんなテレビを見たか聞いてみるんだ。意外とつながったりするもんだよ。」と耳打ちした。今井は相槌を打って部屋に戻ると

「松山さん、その日家に戻ってテレビはつけましたか。あの日は金曜日だったから関西テレビでは『すぽると』とかやってなかったかい。プロ野球の解説とかやってただろ。」というと松山は

「『すぽると』見たような気もします。開幕直後で巨人の岡本が逆転ホームランを打ったとか言っていたような気がします。」と言った。今井は手ごたえを感じたが、確かめるためにスマホで巨人戦の検索をした。すると3月25日(金)が開幕で確かに岡本が逆転ホームランを打っている。あとは内川を乗せた日とこのテレビを見た日が同じであることの記憶をつなげる事だった。しかしそのことになると松山は記憶があいまいだった。はっきりとは分からないを繰り返している。

 するとまたドアをたたく音がした。今度は今井がドアを開けると藤澤検事が立っていて今井に耳打ちした。

「記憶をつなげられたら奴の売春斡旋の罪は目をつぶると言ったらどうだ。」

今井ははっとした。3月25日に内川を見たと証言すれば、彼の罪は見逃そうと取引を持ちかけるというのだ。今井は藤澤の顔を見直した。法の番人であり、国民の見方であるべき検察官が、裁判に持ち込むために法に反することを警察官にさせようとしている。耳を疑ったがそれくらい検事も本気なのだろう。昔の検察や警察ではよくある事だったらしい。

 今井は藤澤の主張を受け入れ取調室に戻ると

「松山君、内川を車に乗せたのは岡本がホームランを打った巨人の開幕試合だよきっと。そうに違いないさ。そう言ってくれさえすれば君の売春斡旋は少し考えてあげても良いかも知れないよ。」と揺さぶってみた。すると松山君は

「でもはっきりと覚えているわけではないんです。あの日だと証言すると内川が犯人になってしまうんですか。」

松山はかなりやばい証言をしていることに気持ちが高揚して来ていた。

「そんなに大げさに考えなくてもいいんだよ。君が思ったように話せばいいのさ。大丈夫だよ。」と今井が言ったが松山は最後まで曖昧な返事をするだけだったが、調書では松山がその日のことを認めたことになっていた。

 しかし杉田部長もこの取り調べを見ていたが最後までハンコを押さなかった。昭和30年代まではよくあったことだが、今はこのような証拠や証言を捏造することは社会的に許されなくなっていたからだ。だから検察からは早く送検するように催促があったが、杉田部長は思慮を重ねこの証言では送検には至らず、捜査は継続のままお蔵入りの雰囲気が高くなっていった。。



4、新刑事部長の就任


 大阪府警が内川を送検することを躊躇している間に数か月が過ぎた。西淀川や北新地でも関係者以外はあの事件のことを口にしなくなり、みんな忘れかけていたころ大阪府警で大きな動きがあった。1992年3月末、刑事部長の杉田が事件の迷宮入りを受けて八尾警察署の刑事部長に異動した。府警の部長から所轄の部長なので明らかな左遷であった。杉田は再起することを決意していたが、手柄を上げて府警に戻ってきた人は少ない。その杉田に代わって府警新刑事部長の抜擢されたのが北新地などを領域に持つ大阪府警刑事副部長の岩口輝夫である。北山美香が殺された事件で捜査の第一線に出る事ができず、杉田の指示に従いながら捜査に協力していたが、捜査が難航することにいら立ちを隠せず、杉田に意見していた人物である。高校卒業から大阪府警に入り刑事畑を歩み、幾多の手柄を上げて昇進してきたたたき上げの刑事だ。一流大学でのエリートには強いライバル心を表に出す性格だった。

 吉田本部長は北山の事件が未解決なことにいら立って、捜査の最前線にこの男を持って来たのだ。

 岩口は就任直後から積極的に動き、藤澤主任検事と綿密に打ち合わせ、内川誠二の逮捕に踏み切った。その背景には事件当日に内川を乗せたとする松山信二の証言だったが、藤澤からは松山の証言を確かなものにすることを約束されていたことにあった。確固たる証拠が出てきたわけではなく状況証拠の積み上げであったが、松山の証言が決め手として採用されたのだ。

 1992年4月5日早朝の内川の自宅に捜査員が訪れると、内川はまだ就寝中だった。しかし捜査員が家の中に入る様子や逮捕して連行する様子をマスコミのカメラが撮影していた。大阪府警からマスコミに情報を流したのだろう。社会に内川が犯人であるという印象を強く植え付けることが目的だったのだろう。自宅から連行される内川の様子をマスコミのカメラがその表情と共に送り続けた。

 大阪府警に到着した内川を待ち受けたのは厳しい取り調べと世間の非難だった。裁判が終わったわけでもないのにマスコミも世論も内川を極悪な犯人と決めつけ、内川の家族も反論のしようもなかった。内川自身も身に覚えのない事なので、無罪を訴え続けた。しかし警察は聞く耳を持たず、内川が松山の車に乗った時にけがをして血を流していたことを詳しく聞いてきた。

 ワイドショーでは連日事件のことを思い出させるような報道が続き、いかに内川容疑者が冷徹で残虐な犯行に及んだのかを流し続けた。


そんな中、少し違う動きをしていたマスコミが週刊文秋の横田栄吉だった。この事件について始めから疑いの目を向けて、先入観は冤罪を産むと警告をしてきたが、新刑事部長の岩口輝夫の就任から怪しい空気が漂っていると感じていた。

内川の自宅のマスコミによる喧騒が収まり始めた頃、横田は内川の母親を尋ねた。玄関の呼び鈴を押しても何の反応もなかったが、内川は用意してきた手紙をドアのすきまから中に入れて帰った。翌日同じように手紙を差し込むと中から足音が聞こえ、扉を開けて女性が出てきた。内川の母親の良子だった。良子は前日の横田の手紙を読んで横田が他のマスコミと違って内川誠二を犯人と決めつけていないことを知って、少しでも助けてもらえればと考えて会うことを決めたのだ。

ドアを開けた良子は周りを気にしながら横田を中に入れた。玄関に入った横田は良子に

「私はこの事件の犯人がお宅の息子さんと決まったわけではないと考えています。検察と警察は自分たちの威信を守るために、誰でもいいから犯人を特定することにこだわったと考えています。事件があった日、息子さんは犯行時刻のアリバイはないんですか。」と聞くと良子は血相を変えて

「警察に何回も言っているんですが、誠二の弟が高校で3年生に進級できたので、お祝いをしていたんです。誠二が珍しく家で父親とお酒を飲んだので、よく覚えているんです。間違いありません。警察は家族の証言では信用できないって決めつけるんですが、弟の高校は理学療法士の育成をする学校で、3年生からは実習が主になるので3年生になることがほぼ卒業を意味するんです。だから家族でお祝いをしたんですが、警察は全く聞き入れてくれなかったんです。」と言うと横田は

「そう言う事だったんですか。普通の高校生だったら3年生になったからと言って進級お祝いをすることは考えられなかったから、その話は嘘じゃないかと思われたんです。」と言って玄関の奥の廊下を見ると父親の拓三が立っていた。

「横田さんでしたっけ。私たちの力は検察や警察に比べたら微々たるものです。是非力を貸してlください。」と言って横田を涙目で見つめていた。横田は

「これから誠二さんを解放するために取材していきますから、ご理解ください。」と言って挨拶するとドアを閉めて外へ出て行った。



5、送検


 数日後に内川は警察から検察に送られ、捜査は大阪地検特捜部が担当になり、藤澤主任検事が陣頭指揮を執った。藤澤たち特捜検事は捜査の過程で事件のシナリオを作成し、その内容に近づける自白を取り続ける。内川がいくら犯行を否定しても、連日自白を強要し体力の限界に達した内川は1週間目に自分がやったと自白してしまった。

 自白を得た検察は自白の裏付けとして再び松山信二の証言を使うため、大阪地検に彼を招集した。松山は売春斡旋の容疑で逮捕され、拘置所で裁判を待つ状況になっていた。拘置所から検察車両で運ばれ、大阪地検特捜部の取調室に入ると、すぐに藤澤主任検事が入ってきた。薄暗い取調室は狭苦しく、鏡の向こうは隣の部屋で観察できるようになっているのは警察署と同じだ。藤澤検事は強張った顔で立ったまま松山を上から眺め、威嚇してくる。そのまま机を隔てて松山の前の椅子に座り、開口一番

「松山君、3月25日、事件があった当日の夜、内川誠二を西淀川区の大和田地区で車に乗せて大和田交差点で降ろした。その時の内川は血を流していた。そう話していたのに君は最後までその日が3月25日かどうかわからないと言っていたらしいね。困るんだよ。そんな曖昧では。私たちの捜査をかく乱するつもりか?」と言って机をたたいた。部屋中に机をたたいた音が響いて松山は委縮してしまった。さらに藤澤は攻撃の手を休めず

「こんなことも言っているね。プロ野球の開幕日だったから家に戻った松山君は『すぽると』で巨人軍の試合のニュースを見た。岡本が逆転ホームランを打ったから覚えていたんだね。そこまで覚えていたらその日に内川を車に乗せたんだよ。そうに違いないよ。」と言って松山の目を見つめた。しかし松山には確信が持てなかった。内川を車に乗せたことと岡本がホームランを打ったことが同じ日として結びつかなかったのだ。はっきりとした態度を示さない松山に藤澤検事は

「松山君は今、売春斡旋の罪で裁判を待っているんだよね。事と次第によってはその件は不起訴にしてもいいんだよ。内川を乗せたのが3月25日だったと証言をしてくれさえすれば、すぐに釈放してもいいんだよ。よく考えて返事するんだ。いいかい。君は3月25日に血を流した内川を車に乗せたんだ。そうだろ?」と藤澤が誘導尋問のように話すと、松山は頭をかしげながら悩んだ挙句に、

「そう言えばあいつを車に乗せたのは3月25日、プロ野球開幕の日でした。」と証言してしまった。松山はしまったと思ったが、出てしまった言葉は戻ってこない。検察側は証人の言葉を有効なところだけ繋いで、検察の描いたシナリオに近づけていくだけだ。さらに藤澤検事は

「そうですって言ってくれればすぐにでも釈放するよ。どうするかは君自身が考えるんだ。さてどうするかな。」と言って松山を揺さぶった。松山はじっくりと考えたが、この部屋に来て5時間。意識は朦朧としてきた。

『このまま認めてしまえば自由の身になれる。それに内川は自分で犯行を認めたからこそ、逮捕されたのだ。自分が検察の言うようにあの日の出来事だったと認めめても決して悪い事ではないはずだ。』とおぼろげな頭脳で考えた。そしてとうとう藤澤検事が言うように内川を乗せたのは3月25日だということを認めた。

 当の内川誠二は大阪府警から送検されても全面否定を続けていた。しかし地検では着々と起訴の鉄好きが進んでいった。



6、起訴


週刊文秋の横田栄吉の取材は情報が不足して核心に迫る事ができていなかった。焦りはあったが事件を捜査して情報を握っているのは警察と検察なので、弁護側やマスコミは原告側の出方を見るしか情報を得る事ができないのだ。刑事裁判というものは原告である検察官が捜査で得た証拠を提示し、被告人が有罪であることを立証するが、被告代理人である弁護士がその証明が不完全であることを指摘して、有罪ではないという事を主張する。裁判官はその両者の主張を比較し、有罪か無罪かを判断するものである。だから裁判が始まるまでどんな方法で有罪を立証するか分からないのである。


裁判は送検されてから約半年でようやく始まった。事前に裁判前整理手続きがあり、検察側が提出する証拠などが提示され、裁判の日程などが決められた。正式な裁判が始まったのはその次の週だった。

本裁判が始まるとマスコミの関心は高く、多くの傍聴希望の人たちで抽選が行われるほどだった。多くの傍聴人で法廷はざわついていたが、被告人である内川誠二が入廷し、裁判官が入廷すると法廷内は静まり返った。

事務官の『起立』の声に全員が立ち上がり一礼すると裁判長が

「これより起訴番号2122号殺人事件の公判を始めます。」という宣誓で始まった。番号で呼ばれてしまうと何とも味気ない感じがしたが、事件の大小でルールが変わったりはしない。

まず最初に人定確認が行われた。被告人の内川誠二が宣誓台に立つと裁判長が

「名前と生年月日、住所を述べてください。」と促した。被告人は低い声で

「内川誠二、昭和56年10月5日生まれ、大阪府西淀川区大和田3丁目2-1」と答えた。答える内川誠二に傍聴人たちの視線が集中した。拘置所での生活が長くなったので幾分やせた感じがしたが、逮捕された当時よりも生活のリズムがしっかりしているし、お酒も飲まなくなっているので、顔色はすこぶる良かった。髭も公判に備えてきちんと剃って来たのか、無精な感じはしなかった。衣服は家族から差し入れされたのだろうが、小ぎれいなコットンパンツにカラーシャツを着て上から紺のジャケットを着ている。

人定確認が終わると検察側の起訴状朗読に入った。検察は捜査の指揮を執った藤澤主任検事が座っている。彼は今回の起訴にあたり準備した数十ページにわたる起訴状を20分近くかけて朗読した。エリート検事らしく一流のメーカーのパリッとした紺のスーツは出来る男を演出している感じがした。

事件発生の日時、場所、被害者が北山美香、20歳であること。被告人が内川誠二であること。そして内川の犯行に至る経緯、凶器、犯行後の逃走経路など、調べ上げられた内容を簡潔な文章で表していた。

その後、裁判長から内川に対して黙秘権が或ることの告知があり、1日目の最後として罪状認否が行われた。

裁判長は被告人サイドに対して

「原告が提出した起訴状の内容について罪状を認めますか?」と問いかけた。すると被告代理人である弁護士が発言しようとした時、隣に座っていた内川誠二が

「無実です。私はやっていません。美香は友達で殺すなんてありえません。僕は彼女を殺していません。」と叫んだ。法廷は内川の突然の発言後、一瞬の静寂があったが被告代理人の弁護士が改めて

「被告は無罪を訴えております。裁判の継続をお願いします。」と静かな声で述べた。裁判長は

「それでは本日の審議はここまでとします。次回は来週の23日午前10時開廷。原告側の立証から始めます。」という言葉で閉廷した。閉廷と共に被告人の内川が係員に携われて法廷をあとにした。見守る傍聴者の中の母親と父親の方を一瞬見て、目で『大丈夫だ』と合図を送った。その様子を週刊文春の記者である横田栄吉は見逃さなかった。横田はこのあとこの裁判を毎回傍聴して、世間を騒がす大疑獄をスクープすることになる。


傍聴を終えた横田は数か月間動かなかった事件が突然動き出したのは何か新しい証拠が出たのか、それとも判断する立場の人間が変わったのか調べてみることにした。

大阪府警に赴いた横田は受付で人事資料を請求した。事件発生時の1991年、3月25日の大阪府警の幹部職員の名簿と送検した1992年4月5日の幹部職員の名簿を請求した。受付の女性は警察官なのか派遣会社の人なのか分からないが、電話で上司に確認して対応してくれた。しばらくするとA4の紙で2枚、クリアケースに入れて手渡してくれた。横田は府警本部1階ロビーの長椅子に座って、じっくりと眺めた。1年の間に何人かが異動していたが、事件に関係が深いところを注目すると府警刑事部長が杉田君和氏から岩口輝夫氏に変わっていた。つまり岩口氏が刑事部長に4月1日付で就任するとほんの数日で前野の逮捕が行われたことになる。ちなみに本部長は田中美和のままだった。同じことを大阪地検に移動して地検人事も調べたが、大きな変化はなかった。横田の勘ではこの岩口輝夫氏の刑事部長就任が、この事件を大きく進捗させたのではないかと思った。その日のうちに横田は岩口輝夫の取材に入った。


週刊文秋の事務所で大阪府警ホームページを閲覧すると幹部役員の顔写真と経歴がしっかりと書かれている。吉田本部長の経歴もあるが、そこは割愛して岩口輝夫刑事部長の名前をクリックした。するといかつい顔写真と共に出身地から最終学歴、職歴・表彰歴まで詳細に書かれている。おそらく表彰を受けるときなどに、この略歴を添付して申請するのだろう。横田は目を画面に近づけて読み込んでいった。

『岩口輝夫 1940年5月10日生まれ 52歳 大阪府豊中市出身 1962年関西大学法学部卒業 同年大阪府警淀屋橋警察署を筆頭に市内警察署を勤務後、1972年から大阪府警刑事部配属、1990年から淀川警察署の刑事部長に出向していた時期もあったが、1991年には県警刑事部副部長、1992年に府警本部の刑事部長に昇進した。殺人事件の犯人逮捕や放火事件を解決して、本部長表彰を2回受けた。』というような内容が書かれていた。大阪府警だと京都大学や大阪大学卒業の同期のエリートが多い中、関西大学出身の彼がライバルたちに打ち勝ち52歳で刑事部長に上り詰めたのは現場での実績が物を言っているようだった。前任の杉田刑事部長が京都大学法学部卒の高学歴エリートだったことから、もしかすると証拠が少ないという事で、内川の逮捕に慎重だったが、岩口部長は刑事の勘を信じて少し無理な逮捕状請求に走ったのではないかという憶測は、現実味を帯びてきた。横田の記者の勘がビンビン響いてきた。


横田の次の取材は杉田前部長がどうして慎重になっていたのかという疑問だった。杉田部長の苦悩を最もよく知る人物として横田が接触したのが今井刑事だった。今井とはそれまでも何回か接触はあったが、信頼関係を持つというところまではいってなかった。そこで横田は今井刑事の経歴を調べ上げたうえで彼の行きつけの淀屋橋のスナックに数日間通った。

3日目の夜、カウンターで横田が飲んでいると夜8時過ぎに今井が店に入ってきた。店のドアを開けるとドアにつけてある鈴が鳴った。すかさずチーママが

「いらっしゃい、今井ちゃん。久しぶり。1人なの?カウンターどうぞ。」と出迎えた。今井は疲れた表情でカウンターに座ると

「いつもの」と注文した。毎日のように来ていることを推測させる注文の仕方は若い人からはかっこよく見えるかもしれないが、中年の横田には『いまだにこんなやつがいるのか』と時代錯誤を感じた。しかしここに来た目的を思い出して彼に話しかけた。

「もしかして大阪府警の今井さんですよね。覚えてますか。記者会見の時にお会した横田です。」と言うと今井は嫌気を表情に表した。

「よしてくれよ、折角プライベートでストレス解消に来てるんだ。取材はお断りだよ。」と言ってマスターが出してくれた水割りを煽った。横田は笑いながら

「取材なんて野暮なことは言いません。僕だって一日中働いてくたくたになってきたんです。」というとテーブルに置いてあった生ビールのジョッキを一口飲んだ。

一息つくと横山が今井を見て

「今井さんは関西学院大学法学部卒業ですよね。今井さんの同級生で澤田っていたでしょ。あいつ今、うちの会社の営業です。先日、今井さんに会見した後、会社で澤田と話した時、同級生だったって聞いたんです。サークルも同じだったんですよね。」というと今井は

「そう。4年間、硬式テニス部で関西1部でインカレ常連でした。」というと少し誇らしげな表情に変わった。

「そうですか。うちの澤田もスポーツマンだったんですね。今井さんの身体は鍛えられていますよね。警察でも若い時から鍛えてきたんですか。」と続けると

「わかりますか。府警に入ってからは柔道で徹底的に鍛えられました。」と言って右手に力を入れて力こぶを見せた。横田はすかさず

「僕も大阪市立大学でサッカーをしてました。でも関西3部リーグですから、関西学院大学なんかと比べたら、同好会レベルですよね。」と言って笑顔を見せるとジョッキを持って顔の高さに掲げると、今井も水割りのグラスを持って横田のジョッキに軽くぶつけた。横田は今井にしっかりと印象付けたことで3日間の目的を達成した。


後日、大阪府警を尋ねた横田記者は捜査一課で今田を訪ねた。廊下で待ち伏せた横田が捜査一課の部屋から出てきた今井を見つけるとすかさず近づき

「今井さん、先日はご一緒出来て楽しませていただきました。」と言って横を歩くと今井は

「横田さんでしたね、澤田の同僚でしたよね。」と言うと廊下の角を曲がって印刷室に入っていった。横田も一緒に入っていくとコピー機の前で

「今井さん、北新地のホステス北山美香殺人事件、とうとう被疑者逮捕から送検、起訴迄行きましたね。捜査が進展したのは何があったんですか。」と切り出した。今井は表情を曇らせた。捜査上のことは組織の人間として守秘義務を守る必要がある。すると横田がすかさず

「僕のあくまでも推測ですから聞き流してください。前の刑事部長の杉田さんは状況証拠だけだったから逮捕には踏み込めなかった。慎重な性格の方だったから冤罪は防ぎたかったんでしょうね。でも新しい刑事部長の岩口さんは現場たたき上げの人だから、手柄を立てることに貪欲なので就任早々逮捕に踏み切った。動き出した船は止めることは出来ない。大阪地検特捜部の藤澤主任検事も逮捕された内川誠二を犯人としてストーリーを書き上げ、その筋にのっとって調書を書き上げた。そのために目撃証人も都合よく作り上げてしまった。どうですか、この推理。」と自論をぶち上げると今井も事件の進行に若干の戸惑いがあったのか眉をひそめて横谷に近づき

「ここだけの話だけど、杉田前部長はどうしても逮捕には踏み切らなかったんだ。おそらく内川が真犯人だろうという推測は出来たけど、決定的な証拠が出てこなかったんだ。でも犯人逮捕に至らない大阪府警の捜査に上層部や検察から横やりがあったんだろうな。杉田部長は左遷されるし、新しい部長には現場たたき上げの岩口さんが来るし、俺も飛ばされるんじゃないかとひやひやしてたんだ。でもこの人事異動が捜査を進展させたのは間違いないと思うよ。」と語って周りを見回して誰も聞いていなかったことを確かめた。


今井は部屋に戻ったが横田は推論が確信に変わり、次なるターゲットを杉田前部長に定め大阪府警をあとにした。杉田元部長が転任した八尾警察署を目指した。電車で移動しながら横田は『府警刑事部長から八尾警察署長ならありうるが、八尾警察署刑事部長に転任ではさぞかし悔しかっただろうから、取材申し込みをしても取り合ってもらえないかもしれない。』と考え心配になった。

大阪府警本部の最寄り駅である谷町4丁目駅から谷町線で天王寺まで行き、JR大和路線で2駅行くと八尾市である。駅に降り立つと大阪の郊外のベットタウンである八尾は田舎の雰囲気も持ちながら中小企業が多いごちゃごちゃした街並みで、横田は犯罪も多そうな感じだと思った。駅から地図で確認しながら八尾警察署まで徒歩で数分だった。八尾警察署は思いのほか大きく、立派なコンクリートの建物だ。

正面の入口から入ると受付があり、所長への面会を申請した。週刊文秋だというとしばらく待つように言われたが、10分ほど待つと3階の刑事部長室に案内された。中に入ると小柄な男性が椅子に座って横田を見ている。横田は緊張しながら

「杉田部長、大阪府警本部でお会いしたことがあると思うんですが、週刊文秋の横田です。」と言って正面に立ち名刺を手渡した。杉田は名刺を見ながら

「週刊文秋さんか。僕はスキャンダルなんかないと思うけどね。何の用なんだい。」と落ち着いて言うと横田は

「単刀直入にお聞きします。北新地ホステス殺人事件で、杉田さんが捜査の指揮を執っていた時にはなかなか進まなかった捜査が、杉田さんから岩口さんに変わった瞬間に逮捕・送検、起訴まで進んだことに少し違和感を持っています。杉田さんが逮捕に踏み切れなかったのはなぜなんですか。」と早口で質問すると杉田は少し考えたが

「それは岩口君が優秀だからだろ。彼の業績の中にはたくさんのお蔵入り寸前の事件を解決したことが出てくるよ。僕に比べると決断力が違うんだろうな。」と自虐的なことを言ったが、横田は意に介せず

「あなたは熟慮の上で逮捕に踏み切らなかったんでしょ。僕の取材では事件当夜、血の付いた服を着た内川誠二を車に乗せたという友人の証言があったという事ですよね。岩口さんはその証言を根拠に内川の逮捕に踏み切ったけど、杉田さんはその証言の信憑性に疑問を感じていたんではないですか。」と杉田の目を見ながら説き伏せようとした。杉田は目を瞑りながら腕組みをして考え込んだが

「今更どうにもならんよ。私はもう府警本部の刑事部長ではないんだ。でもあの証言は確実に事件当夜の出来事だと断定するには、疑問が残るんだ。このことは当時の捜査陣はみんな知っているよ。だから確証を持てる証拠集めを必死に頑張ったんだけど、早期解決を望む上層部の設定したタイムリミットに間に合わなかったんだ。もう今となったら岩口君に頑張ってもらうしかないんだ。」と言って目を伏せた。横田は

「大体わかりました。この事件は冤罪の匂いがプンプンしてきます。岩口刑事部長や大阪地検の藤澤主任検事が勇み足を踏んでないことを願います。」と言って部屋を出た。その日から横田の取材が熱を帯び、裁判はすべて傍聴して、検察側が提出する証拠類もしっかり確認していった。



7、判決


 内川誠二の裁判は淡々と進んでいった。大阪地裁の担当検事は不敗神話を誇る有能な藤澤検事が当たっていた。対する弁護側は高齢の国選弁護士が当たっていた。内川家が有力な弁護士を雇う資金力がなかったので、形だけの弁護人で裁判は一方的な形勢で進んでいったのである。罪状認否で無罪を主張した内川だったが、検察側が準備した証拠は有力な物ばかりで、理路整然と論理立てて攻めてくるので、弁護側は守勢一方になった。検察側の論告求刑では懲役15年を求めてきた。人1人を殺した殺人罪の場合には妥当な求刑だった。弁護側の最終弁論でも国選の弁護人に藤澤検事を圧倒するような力はなかった。

 被告人の最終意見陳述が行われると、内川は自らの言葉で語り掛けた。

「私は殺していません。幼馴染の北山美香をなぜ殺すんですか。そんなはずがありません。彼女とぼくはお互いに助け合っていたんです。たまたまあの日、僕は家に居ましたが、そんな時に事件は起きたんです。警察は信じてくれませんでした。」と語る内川は憔悴しきっていた。傍聴席で聞いていた横田は

『毎日拘置所で寝れてないのかもしれない』と感じた。そして彼の言葉が嘘ではないような印象を受けた。

内川は続けて

「僕は彼女のことを子供の頃から妹のように大切にしてきました。彼女を助けることはしても殺すなんてありえません。」と涙ながらに訴えて最終陳述が終わった。


 法廷を出る内川はうなだれて警務官に支えながら歩いていた。その様子を父や母が見ていたが、その後ろで横田は内川が父や母にうつろな視線で目を向けたことを見逃さなかった。無実を主張しても勝ち目がなさそうな状態に希望を失っているように見えた。


 2週間後、一審判決の日がやってきた。内川が入廷するとどよめきが起こった。内川が頭を丸めて坊主頭にしてきたのだ。何か思いつめたような雰囲気で目線はきつく一点を見つめ、何か言いたげな様子がうかがわれた。

 裁判長が入廷すると『起立』という合図で参加者全員が立ち上がった。これまでにない緊張感が張り詰めた。裁判長が

「本日は判決を言い渡します。被告人は前へ」と言われて内川が立ち上がり、前に立った。すると裁判長はゆっくりと咳払いをして呼吸を整えると

「主文、被告人、内川誠二を懲役15年に処する。被告、内川誠二は1991年3月25日午後10時ごろ被害者の自宅である大阪府大阪市西淀川区東蓼科団地B棟301号に侵入しナイフで同人の首から胸にかけて12カ所に殺傷を加え、殺害した。北新地のクラブ「フォンテーヌ」に勤める同人が同じ北新地のホストクラブに出入りすることに腹を立てた被告人が、ホストクラブへの出入りを注意するうちにかっとなって犯行に至った。そのナイフによる傷は12カ所にも及び、残虐極まりなく幼馴染の犯行とは考えにくかったが、被害者に対する子供のころからの一方的な思いが犯行をエスカレートさせたものと推測される。幾分の同情の余地も見られるものの。凄惨な殺害方法は被害者家族の心情を思うと情状の余地はなく、15年の有期刑が妥当と考えられた。被告人にはその刑の重みを認識し、被害者及び被害者家族への謝罪の気持ちを深く抱えて、刑に服してください。以上。」と言って判決文読み上げが終わった。被害者である北山美香の父親と母親は判決の瞬間、裁判長の方を見つめて手を合わせていた。被告人の内川の父や母は落胆して顔を両手で覆って泣き崩れていた。当の本人である内川は15年という有罪の判決の瞬間、立ち上がって何か言おうとしたが警務官に取り押さえられ立ち上がれなかった。両脇の刑務官に腕を押さえられうつむきながら上目づかいで裁判官を睨んでいたが、判決文朗読が終わると力が抜け、崩れ落ちた。

 関係者の様子を冷静に事細かに観察していた横田はこの裁判の異様な雰囲気に何か恐ろしいものを感じたが、同時にこれからの取材に対する意欲も感じていた。


 その1週間後、弁護側は大阪高等裁判所に一審判決を不服として控訴した。内川誠二とその家族が無罪を主張して戦う意欲を見せたことで、減刑ではなく無罪をもとめての控訴となった。しかし新たな無罪を立証する証拠もなく約1年の審理の末に一審判決が支持され有罪の判決が出た。しかし納得できない内川誠二と家族は一里の望みをかけて最高裁判所への上告の道を選んだ。しかし司法の世界は甘くなかった。有罪を覆すほどの新たな証拠がなければ門前払いだった。2審の有罪判決が支持され、内川誠二の15年の刑が確定した。この頃には逮捕され拘禁されてから既に4年以上たっていた。残す刑期は11年。20歳だった内川は24歳になっていた。



8、再審請求


 大阪刑務所での11年は内川にとってとてつもなく長い11年だった。自分では無実であることを確信していたのに、裁判で有罪を宣告され反省するように裁判長から言われて投獄されたのだ。しかも大阪刑務所は殺人などの重犯罪を犯したやくざなど反社会的勢力の輩が多かったのだ。肩で風を切って大阪の町を闊歩していたとはいえ、若い内川ではビビってしまうほどの貫禄のある先輩たちが、幅を利かせていたのだ。毎日が生きた心地がしない状態で過ごしてきた。

 しかしそんな生活の中で心のよりどころになってくれたのがジローさんだった。ジローさんがどんな人かは詳しく教えてくれなかったが、11年の刑期を終えてもジローさんは出所してなかったので、終身刑か死刑なのか分からないが、数人殺しているのかもしれない。

 入所してしばらくすると生活にも慣れてきた。朝のラジオ体操が終わって部屋に戻るまでの時間にジローさんが初めて話しかけてきた。

「お前さんは随分若いな。何をやらかしたんだ?」とにやにや笑いながら近づいてきた。60歳過ぎの感じでギラギラした目で、一見やくざ風だったので、あまり親しくなりたくなかったが、無視すると機嫌を損ないそうだったので

「罪名殺人、刑期11年という事になってますが、本当は無罪です。おれやってないけど裁判で有罪になっちまったんです。」と素直に話すと

「それは大変だな。やってるかやってないかは本人が一番よく知っているんだしな。ここにはお前と同じように無実の罪で入っているのが何人かいるよ。必死に再審請求しているけど、なかなか再審なんて受け入れてもらえない。やめといたほうがいいぜ。」と言ってにやけている。内川は馬鹿にされたような気になり

「再審請求が通った人はいないんですか。」と長年ここにいる様子の彼に聞いてみた。すると彼は腕組みをして考えながら

「いない事はないよ。たしかこの間も静岡で殺人を犯して最高裁で死刑が確定した人が、新しい証拠や検察が無実の疑いが大きくなるような証拠を出してこなかったことが明るみに出て、再審が始まったとか言ってたな。お前の所は新しい証拠は出てきそうなのか?」と言うので内川も考え込んで

「今のところは無罪を立証する新証拠はありません。でもやってないことは俺が一番知っているし、親父やおふくろが必死に仲間を集めているので、何か証拠を見つけてくれると信じているんです。」と答えた。ジローさんは

「甘いな。新しい証拠もないのに再審請求だなんて。裁判を知らなすぎるよ。検察の連中は勝つことがすべてで、不敗神話の検察官こそが偉くて出世するんだ。勝つためなら何だってするんだよ。」と言って教えてくれた。内川は再審請求が一筋縄ではいかないことを思い知らされた。


 それからというもの内川はジローさんにいろいろ話を聞いてもらって、少しずつ気持ちの整理も出来たし、冷静に物事を考えられるようになってきた。そして裁判中のことを一つ一つ思い出して、考え直してみることにした。


 裁判では状況証拠だけだったが自分に有利な証拠は何一つ出す事ができなかった。一方的に攻撃されて耐える場からの弁護団は国選弁護人だったので始めから無罪を求めるよりも有罪を認め減刑することを勧めてきたのだ。内川が被告人として必死に無罪を訴えてもむなしく進んでいった。判決も淡々と予想通りの結果になった。強者が弱者をひねりつぶしたような結果になった。


 内川は裁判を思い出している中で少しだけ疑問を持ったところがあったことを思い出した。それは内川が殺人を犯した後、西淀川の道路を歩いているところを友人Aが見かけたという証言だった。内川からすれば思い当たるのは事件の数日前にチンピラと喧嘩した時のような気がするのだった。しかし毎日のように喧嘩するのが日常だった内川にとって、いつの事か特定できないのが実情だった。ただはっきりしているのは北山美香が殺された夜は家にいたことははっきりと覚えているのだ。友人Aという証言だったがいったい誰なのか。裁判でははっきりしなかったがずっと疑問だったのだ


 長く苦しい刑務所での生活だったが15年過ぎると内川も35歳になっていた。刑務所の扉をくぐると久しぶりの外の世界だったが、そこには父と母が待っていてくれた。そして2人以外に数人立っていた。内川が父の前に立つと父の拓三が彼を抱きしめた。そして母の良子は嗚咽して声を出して泣きながら、誠二に抱き着いてきた。しばらく無言で抱き合っていると父の拓三が口を開いた。

「この人たちはお前の裁判をやり直すために集まってくれたボランティアの弁護士さんたちと週刊誌の記者さんだ。誠二の無罪を信じて大阪駅前や難波周辺で支持者を募る活動をしていたんだけど、この人たちが話を聞いてくれて、検察の捜査に疑わしい点が多いというんだ。」と説明すると立っていや弁護士の中の一人が

「内川さん、お務めご苦労様でした。弁護士の村田と三好です。私たちはあなたの無罪を信じています。最近検察は自分たちの威厳を保ち法の秩序を守るという名目で、自分たちが描いたしなりをに固執する傾向があり、いくつもの冤罪事件を起こしています。内川さんの事件もどうやら冤罪の可能性があると思っています。とりあえずは検察側が所持している証拠と供述調書の開示請求から始めようと思います。」というと内川に握手を求めてきた。内川は彼らが弁護士とは言えど、法曹界の人間は信用できなくなっていたので、手を出すことをためらったが父の拓三が

「この人たちは大丈夫だ。力強い味方になってくれる人だ。」と言うので安心して握手した。するとその後ろにいた男が

挨拶してきた。

「週刊文秋の記者、横田栄吉です。貴方の裁判は一審から最高裁の裁判まで興味深く見せていただきました。私も村田さんたちと同じように冤罪の可能性が高いと思いますし、再審請求で無罪を勝ち取るだけでなく、検察や警察の闇を暴かないといけないと思います。力を合わせて頑張りましょう。」と言って握手を求めてきた。内川誠二はマスコミと聞いて少し気が引けたが、弁護士の三好が

「この再審請求は世論を味方につけないと勝てません。私たちは無実を証明する新たな証拠を探しますが、横田さんには検察が国民の権利を守る存在になっていないことをPRして国民世論を高めてもらわないと、再審の壁は開きません。私たちにとって大切なパートナーとなると思います。」と言われた。

 刑務所の前で話していた6人は車に分乗して村田弁護士の事務所に入った。


事務所で村田弁護士の事務員が全員にコーヒーを出して落ち着いたところで内川が切り出した。

「刑務所でよく考えたんだけど、血の付いた服を着ていた俺を見たという友人Aの証言だけど、あまり追及されなかったんだけど、あの証言をした友人Aって誰なんだろう。あのころ俺は、美香がホストクラブに出入りするようになって坂本とか言うホストに随分貢いでいるのを知ったから、いらいらして毎日のようにチンピラと喧嘩ばかりしていたからいつの事を言っているのか見当がつかなかった。でも美香が殺された夜は家で親父たちと酒飲んでいたから、道路で見かけられることはあり得ないんだ。」と言うと三好弁護士が

「検察に情報の開示を求めてその供述調書を見れば明らかになります。ただ検察側には情報を開示する義務はないんです。見せられないと拒否されたらそこで終了です。でも最近は冤罪事件が多いです。静岡の袴田事件や神奈川の大川原化工事件など記憶に新しいですが、検察が被告に有利な証拠を隠して裁判に臨んでいたことが明らかになって国民感情は怒りの頂点に達していると言っても過言ではありません。横田さんには雑誌の記事で袴田事件と同じように内川さんの事件でも検察側が出したくない証拠を隠しているのではないかという記事を書いてもらって、検察が供述調書を出さざる得ない状況に追い込みましょう。」と強い口調で訴えかけてきた。内川は一筋の光が差してきた感じがして少し笑顔になった。15年の月日は20歳の青年を35歳の中年の髭づらに変えてしまっていたのである。夢も希望もなく無実の罪を償い、世間からは極悪非道の殺人鬼として見られてきたのだ。家族もまた殺人鬼を育てた家族として地域から白い目で見られ、笑顔を見せる日はこの15年間、一度もなかった。この証拠の開示請求が唯一の望となっていたのだ。


 翌週、村田弁護士たちは開示請求の手続き書類を裁判所に提出した。書類提出には内川も同行した。横田はマスコミ各社に取材要請をしていくつかのテレビ局のカメラも来てくれた。再審請求に向けた第一歩がようやく始まったのだ。

 その日のテレビニュースで開示請求の書類提出の様子が映され、多くの国民が15年前の凄惨な殺人事件のことを思い出した。それと同時に内川被告が15年の刑を終えて、出所してきた事実も知った。さらに刑を終えてなお再審請求に向けた動きを始めたことに驚きを持った。

 さらに翌週には週刊文秋がこの話題を掘り下げた。当然筆者は横田記者だ。横田は袴田事件を引き合いに出し、検察側が国民の利益のためではなく、裁判に勝つために不利な証拠は敢えて出さないこと、被告人が本当は無罪であることを知っていても、そのことを示すような証拠品は裁判に出さない立場をとっていること、そして内川の事件でもその可能性が高く、友人Aの証言というのが具体的にどういう証言なのか、一切出していないことを書きたてた。

 反響は大きく内川をバックアップするボランティアに参加してくれる人は増えたし、街頭で内川の無実を訴えるビラを配る内川の両親に声をかけてくれる人も断然多くなった。

 テレビのワイドショーにも取り上げられ、司会者が

「最近、公務員である検察官が全体の奉仕者であるべきなのに、法の秩序のためとして国民の人権よりも法の秩序や自分たちの裁判での勝利を優先している事例が多い気がする。」というコメントを出してくれた。国民全体の世論が少しずつではあるが変わりつつある感触を感じ始めていた。


 しかし司法の壁は厚かった。裁判所から開示請求があった旨が知らされても検察は一向に返事をしなかった。そして2か月が過ぎた頃、報道各社に書面でコメントが出された。

『証拠の開示請求がありましたが検察庁には開示の義務はなく、請求は拒否させていただきます。』という内容だった。

 その中身を見たスタッフが再び村田事務所に対策を練るために集まった。6人の表情はさえなかった。予想されたこととはいえ、司法の扉のかたくなさに苦い思いをさせられた。しかし村田弁護士が口を開いた。

「友人Aの証言の信憑性に確証を持った根拠に絞って質問書を出したらどうだろう。そしてその中身をマスコミに流すんだ。国民の関心がこの請求に向けば、検察だって黙ってはいられなくなると思うけど。」というと横田記者が

「文秋社は週刊文秋だけではなく月刊誌もあるし他の週刊誌もあります。編集長を通じて各雑誌で取り上げてもらえるように話してみます。」と協調してくれた。内川は心配そうな表情で

「今日も大阪駅前に立ってビラ配りをしましたが道行く人たちの反応がだいぶ変わってきました。横田さんたち、マスコミ各社が報道してくださるので世論も動いて来ているんですね。ビラを受け取ってくれる割合が高くなったし、頑張ってねと声をかけてくださる人も出てきました。みなさんの応援を背中に受けて最後まであきらめずに頑張っていきたいと思います。」と決意を述べた。

翌週には意見書を今度は検察庁に送った。また内川も村田弁護士に同行して、横山記者が手配したテレビカメラの撮影を受けながら検察庁に乗り込んだ。

今回の世論の盛り上がりはすさまじく、ネットでは検察の態度に怒りを覚えたという意見が溢れた。特にX(twitter)では#検察庁批判というタグが立って多くの利用者が異口同音に検察批判を展開していた。その流れを汲んでテレビ放送でも新聞報道でも同様の検察批判が展開されていった。


するといよいよ2か月後、検察が資料請求に応える旨を公表した。1週間後に調書が公表され閲覧できることとなった。閲覧のみなのでコピーしたりは出来ないが、メモすることは出来た。早速横山記者が潜入して調書をマイクロカメラですべて撮影してくることに成功した。その資料を村田事務所で内川もじっくりと読むことができた。

「供述調書 1991年9月15日 大阪府警第1取調室 供述者 松山信二」と冒頭に書いてあった。内川はその名前を見て驚いた。

「松山だったのか。あんなに仲良くしていた友達だったのに」と思わず口走った。村田弁護士は冷静に

「内川さん、この男とはどんな関係ですか。」と聞いた。すると内川が

「いつもつるんで遊んでた仲間です。随分悪いこともしたと思います。でもガキの頃だから」というと三好弁護士が

「検察や警察の手口です。この松山君というのも他に何か罪を犯していることは考えられます。その犯行を見逃す代わりに目撃証言をするように誘導するんです。彼らは状況証拠でほぼ内川さんが犯人だと決めつけたら、そのストーリーに沿って証言を集めるんです。」三好弁護士の話を聞きながら内川は背筋が寒くなった。そして

「彼らは公務員でわれわれ国民の味方のはずですよね。犯罪被害者を守るために代理で裁判に臨むけど、被告人が無罪だったら被告人も国民なわけだから無罪でしたって言わなきゃおかしいでしょ。」と感情をあらわにして怒鳴った。横田記者は

「そこがおかしいんですよね。検察は国民のためではなくて法の秩序、悪く言えば自分たちの保身のため、出世のために裁判をしているのが現状なんでしょうね。上司である先輩検察官に絶対有罪に持ち込めと言われるとそれに従わなくてはいけないのも、強大な組織に属する検察官たちのジレンマなんでしょうけど。」と自論を展開した。

 調書の続きを読んでいくと腕や胸の部分に血の付いた服を着て道路を歩いていた内川を見かけたので車に乗せた。その日が北山美香が殺された3月25日であることを決定づけた内容も記されていた。

「内川を車に乗せたその日、家に帰ってテレビをつけたら、火曜サスペンス劇場の再放送をしていたことを覚えています。夜12時過ぎだったけど殺人事件現場のシーンがあって、内川を見かけた時のことを思い出したので、覚えているんです。」と書かれていた。その供述の後に警察が記入した文章で

「関西テレビで3月25日の放送を確認。深夜10:00から12:30まで火曜サスペンスが放送されていた。」と書かれていた。この供述がかなりの決め手になって検察は提訴に踏み切ったのだろう。


 すぐに内川と横田記者は松山信二を訪ねた。かつての松山の家は内川と同じ西淀川区の埋め立て地の一角で、安アパートに一室だった。15年前に内川が訪れたことのある場所だったので、行けるだろうと思ってきたが15年の月日はこの周辺を大きく変えていた。車から降りた二人は周りを見渡しながら泰アパ^戸を探した。しかしこの辺りも新しい、案ションが多く立ち並び、2階建てのアパートは簡単には見つからなかった。しかし内川の記憶を頼りにしばらく歩くと松山の住むアパートにたどり着くことができた。

 階段を昇った2つ目の部屋が松山の家族が住む部屋だった。部屋の前に立つと表札を確かめた。『松山浩平 尚子 信二』と書かれていた。両親と信二と3人で住んでいるようだ。内川が部屋の扉をノックした。しばらく返答はなかったが、30秒ほどすると突然ドアが開いた。隙間からギラギラとした鋭い目つきの男が内川を睨みつけた。

「どなたですか。」内川はその男を見てすぐに15年前の記憶がよみがえった。

「松山だよな。内川だよ。こっちの人は週刊誌の記者さんで横山さん。少し話せないかな。」と言うと松山はドアを大きく開けて

「汚い部屋だけど中でいいかい?」というので中に入る事にした。」

6条の居間と奥に8畳程度の寝室のある2部屋のアパートで両親が住んでいる様子はうかがえなかった。2人とも他界したのかもしれないと感じた。男一人で住んでいるらしく奥の部屋の布団は敷きっぱなし。居間のテーブル付近にはインスタント食品のカップが置きっぱなしだった。流し台も使用済みの食器が重ねられたままだった。

 内川が重い口を開いた。

「15年前の北山美香が殺された事件で俺が逮捕されて15年服役してきたんだけど、調べてみたら、あの日お前が血の付いた服を着た俺を目撃して車に乗せたという証言をしていたことが分かったんだ。ただ俺はあの日、家で弟の進級祝いをしていて外に出てないんだ。お前の証言は別の日じゃないのかな。」とやんわりと話した。松山は緊張した様子で内川の方を見れない感じだった。しばらく沈黙が続いて松山が話し始めた。

「警察がうちに来たのは9月の15日ぐらいだった。事件から半年も経っていたから記憶もあいまいだったんだ。だから俺はよくわからないって何回も言ったんだ。でも警察はどんどん話を進めていってどうしようもなくなってしまったんだ。すまなかった。でも俺が悪いんじゃないんだ。」と言って謝ってきた。内川は

「いったい何があったんだ。詳しく教えてくれよ。」というと松山は

「あのころ、俺もお前も地元の西淀でも塚田でも梅田に出た時でも肩で風切って歩いて、目が合ったと言っては喧嘩してただろ。殴り合ってりゃ、血も出るさ。毎日のように鼻血を出したり頭から血を流したりしてただろ。だからお互いに血を流しているところなんか何回も見てきたさ。でもそれがいつだったかって言われると、はっきりしないさ。警察はしつこく聞いてきてその日家に帰ったらどんなテレビを見たかとか、時間を特定するために時計を見なかったかとか聞いてきたんだ。火曜サスペンスの話だった警察が『火曜サスペンス見なかったか。』とか聞いてきて、『見たような気もする。』って言っただけなんだ。お前が逮捕されてから俺も警察に行って記憶が曖昧だって何回も言ったんだけど、もう結論が出たって言って取り合ってくれなかったんだ。」と話してくれた。内川は呆れたような表情だったが横山はそこに食い入って

「警察は取引みたいなことは話しかけてこなかったですか。」と三好弁護士から聞いたことを尋ねてみた。すると松山は

「すまない、内川。実は警察は証言をしたら俺の売春斡旋の容疑はもみ消すって言うんだ。あのころの俺は梅田で風俗関係のスカウトをやってたから警察からマークされてて、何回も警察に呼ばれてたんだ。そんな時にお前が逮捕されて警察が俺の所に来て、お前を見かけたことを証言したら罪は問わないって言われて、曖昧なことを言ってしまったんだ。もちろん反省して証言を取り消そうとして警察に言ったけど、取り合ってもらえなかった。おまえには悪いことをしたと思っているよ。すまない。この通りだ。」と言って土下座をして頭を床にこすりつけた。

 内川はこぶしを握り締めて腕を怒りで震わせながら

「おまえの自分よがりな証言で俺は15年もムショに行ってきたんだ。おまえを殴り殺したい思いはある。でも今更どうしようもない。今俺たちは再審請求をしようとしているんだ。せめて俺たちに味方して過去の証言が曖昧だったこと、警察の誘導で証言を作られたことを証言して欲しい。」と言うと松山は涙ながらに承諾した。


 新しい証拠が出たことで再審請求を裁判所に提出したのはそれから1週間後だった。当然、週刊文秋から特集記事が出され、検察に対する批判はテレビのワイドショーなどの力もあり、大きな力となっていった。再審請求が認められたのは半年後だった。



9、再審無罪


 再審が開始されると判決は早かった。新証拠の出現で検察側の主張の根幹が崩れたからだった。判決は無罪。大阪地裁は松山信二の証言の信憑性に疑問符があるとした。しかも村田弁護士たちの調査で、松山が見たという『火曜サスペンス』の再放送は事件当日、プロ野球開幕戦の放送の延長で中止されていたことが分かったのだ。松山の証言は検察・警察側の捏造の疑念すら浮かび上がってきたのだ。

 内川と弁護団は喜びを隠しきれず、記者会見で笑顔で握手を交わした。大阪地検は世論の高まりを危惧して、翌週控訴断念を発表した。これで晴れて内川誠二の無実が確定したのだ。

 村田弁護士は刑事補償を求める事ができるが、15年も刑務所暮らし、しかも検察側の意図的な証拠の捏造も疑われるので国家賠償請求権を行使することを勧めてきた。内川は

「国家賠償請求をして頂いていいんですが、それって補償金はどこから出るんですか。」と聞いた。すると村田弁護士は

「検察庁を管轄する国と大阪府警を管轄する大阪府を相手に補償を求めますから国と大阪府が支払います。」と答えてくれた。すると内川は

「そのお金って国民や府民が支払った税金ですよね。お金をもらえることはうれしいですが、本当に謝ってほしいのはこの裁判を主導した検察幹部と警察幹部個人です。彼らは国や大阪府がお金を払っても個人としては痛くもかゆくもないんじゃないんですか。正当な仕事として検察の仕事をして、こうなってしまったのなら仕方がないと思うけど。不当に証拠を捏造したとなると、検察組織の問題ではなくて検察官個人の問題ではないですか。ここを追求しなければ検察や警察組織はまた同じように法の秩序のためという決まり文句を歌い上げて、再び冤罪を産んでしまうと思いませんか。僕は敢えて個人を特定して戦う事が大切だと思います。」と力強く語った。

 内川の言葉を聞いた横田は少し興奮気味に

「内川君の言うとおりだと思う。今まで冤罪があっても公務員という枠に守られて、個人を追求することは難しかった。せいぜい冤罪事件の後、どこか違う部署に異動になる程度で、下手をすれば検察官の場合には検察をやめて弁護士に転身してお金持ちになっていく。なんかおかしいと思いませんか。税金を払う国民は冤罪事件の責任なんて何も侵してないわけですから。」というとその話を聞いていた三好弁護士も

「公務員の不法行為は刑事賠償とは別に個人を特定して裁かれるべきです。職種は違いますが学校の先生が業務中の事故で子供を死なせてしまった場合、普通は先生が地方公共団体採用の場合、その公共団体が賠償します。でも明らかな不法行為の場合は地方公共団体は支払いを拒否し、先生個人の責任という形で損害賠償請求に個人が答えることになります。最近では先生方が個人で賠償責任保険に加入する人も出てきています。検察官は今まで不法行為を行うという事は想定されていなかったんです。しかし被告人に有利な証拠を隠したり、有罪を立証できる証拠を捏造したりするのは、明らかな不法行為で国民への背任行為だと思うんです。」と言葉を荒げて話した。



10、告発


 翌日から検察・警察の個人の特定が始まった。同時に国家賠償請求も行使され、マスコミを通じて国民の関心を集める事態となった。

 当時の大阪地検トップは検事正の田中誓二 特捜部トップは主任検事の藤澤周一、あの裁判で不敗を誇る敏腕検事である。15年経って田中は大阪高等検察庁の検事正で退官し、現在は弁護士として大阪の大手弁護士事務所で役員をしている。藤澤は東京の最高検察庁の検察庁長官を勤めている。検察官として最高の地位まで昇りつめたらしい。

 大阪府警関係では当時の本部長の吉田美和はまだ57歳で現役の警察庁官僚として警察庁警務部の部長をしている。送検した刑事部長の岩口輝夫は当時55歳で現在は70歳。現役を退いて10年、まだ天下りで大阪運転免許センターで安全協会の会長におさまっている。当時の担当刑事の今井達治は現在57歳、大阪府警の刑事部長で一緒に捜査に当たっていた寺田はいまでも淀橋警察署で刑事をしている。

 内川と村田、三好の両弁護士はどこまで追求できるか分からないが民事訴訟を提起する中で事実が明らかになっていくかもしれないと考えた。

「民事裁判で訴訟を起こすとして請求金額はいくらくらいにするのが妥当ですか。」と内川が聞くと村田弁護士は

「お金目的でなく真相解明のためだけだったら1円でもいいんです。でも訴えられた被告同士が争い合ってお互いに罪を擦り付け合ってもらわなくては真相はわかりません。そこで個人として払うことが難しい10億円くらいにするのはどうでしょう。」というと内川は

「金額が大きすぎると世論が僕のことを金目的のきたない奴というレッテルを張りませんかね。」と危惧した。すると三好弁護士は

「妥当なところで行くと1億というところじゃないかな。国家賠償請求でおそらく15年分で1億ぐらいだと思うから、それに合わせた額くらいだよ。もし民事裁判で勝訴出来たら国家賠償請求のお金は返却したって良いさ。」と言うと横山も

「それでは来週の文秋にさっそく民事裁判のことを特集します。検察と警察と合計で4人を告訴するんですね。」すると内川が

「そうです。4人の関係をはっきりさせなくてはいけません。証拠の捏造を主導したのは誰なのか。4人の証言をしっかりと聞きたいと思います。裁判で負けても国家賠償で大金を頂くことになるから裁判費用は大丈夫です。」と言って笑顔になった。


 4人に対する告訴は検察・警察の個人に対する初めての賠償裁判としてマスコミにも大きく取り上げられ、記者会見にはテレビカメラもたくさん集まった。その会見で村田弁護士は開口一番

「この度、日本の裁判史上初めて検察官と警察官を組織としてではなく個人として告訴するに至りました。こちらの内川誠二さんは15年前の北新地ホステス殺人事件の犯人として大阪府警によって逮捕され、大阪地検特捜部によって起訴され、大阪地方裁判所で有罪、大阪高等裁判所でも有罪、最高裁判所でも有罪の判決を受け懲役15年が確定し、大阪刑務所で刑期を過ごし昨年出所しました。しかしその後の調査で有罪の有力な目撃情報に疑義がみつかり、再審請求をしましたところ再審が決定し、先日再審無罪となったところです。しかし改めて目撃情報の証言をした証人の話によると、その目撃証言は警察か検察の捏造がはっきりとしました。これは明らかな不法行為で、検察官や警察官の職務上の痂疲ではなく個人の責任によるものです。国家賠償を頂いて国民の税金のお世話になるのは筋が通らないと内川元被告人が申します。今回告訴させていただいた4人の幹部は、それぞれの組織で上層部として指揮監督する立場にありながら、国民の権利を守らなければならない立場を忘れ、自らの評価を上げて昇進を早める目的で証拠を捏造して、疑わしい人物を犯人に仕立て上げてしまいました。疑わしきは被告人の利益にという大原則を忘れ、自らを法の番人以上の法そのものと勘違いしてしまった行状です。4人の中の誰が中心人物なのかはまだ解明されていませんが、裁判を通じていずれはっきりすると思います。私からは以上です。」と告訴とその理由について詳しく話してくれた。

 続いて司会者が内川を指名した。マイクの前に立った内川は深呼吸して言葉を選んで話し始めた。

「みなさん、今日はお集まりいただいて有難うございます。私は北新地ホステス殺人事件の犯人とされた内川誠二です。15年の刑期を終えて昨年出所してきましたが、再審が始まり無罪が確定しました。ここまでの15年は辛く苦しい物でした。僕がやってないことは僕自身が一番よくわかっていますから、無実の刑務所生活を続けてこられたのは、必ず無罪を証明するという強い意志だけでした。国家賠償請求で国や府からお金を頂いても、国民の皆さんにご迷惑になります。国や府が検察や警察の関係者個人に応分の負担を求める求償権を行使してくださるなら今回の告訴は取り下げてもいいと考えています。とにかく今回の告訴で国民の皆さんに検察や警察の組織について考えていただきたい。国民の生活を守るために捜査してもらわなければならないわけで、彼らの出世の材料のために捜査されると国民に迷惑をかけるんです。よろしくお願いします。」と話した。

 記者会見場に来ていた記者から多数の手が上がった。

「毎朝新聞吉沢です。内川さんにお聞きしますが、国や大阪府が1億円払ったとして、個人にいくらくらい求償したら告訴を取り下げますか。」と聞いてきた。内川は村田弁護士や三好弁護士と耳打ちして意見を集約し

「求めるのは全額です。4人合計で国家賠償の金額全額を払っていただければ、国民の皆様にご負担をかけるわけではないので、その線は譲れないと思います。」と真顔で答えた。

 記者たちはさらに手を上げてきた。

「関西放送の島田です。告訴された4人に対して今言いたいことはありますか。」と聞いてきたので内川は躊躇せずに

「責任を取ってほしいという事です。僕は無実の罪で15年刑務所に入って来ました。証拠を捏造したことの罪を償ってほしいです。刑事事件として責任追及することは難しいようなので民事的な責任の取り方をお願いしたいです。」と答えた。このほかにもいくつか質問が出たが、内川は落ち着いて答え続けた。



11、民事訴訟


 異例の民事訴訟は1ヶ月後に裁判所に提出有れた。マスコミの取材が多く来ていたので内川と、村田、三好両弁護士の3人は提出する書類が入ったカバンを持って大阪地裁の前をカメラマンの要請にこたえて数回歩き、カメラ映りの良いテイクをさがした。後方には支援者の団体が横断幕で「検察官の不法行為は組織の犯罪ではない。藤澤元検事と岩口元刑事部長を許すな」と書いて内川を支援する気持ちを表している。

 裁判所への書類の提出は数分で終わったが、外に出てくるとマスコミの取材が始まった。内川に対する質問は検察官や警察官個人に対する告訴という事に、どういう意味があるのかに終始していた。内川は

「国や大阪府から賠償金を頂くのはうれしいですが、これからもこのような不法行為がまかりとおtらないようにするためには、個人に対する責任を追及しないことには歯止めになりません。何をやっても国や公共団体が補填してくれるとわかっていれば、何だってできてしまうわけですから。今までの冤罪事件でも国家賠償があったにも関わらず、今回、証拠の捏造が行われたのは個人を追求しなかったからです。検察も警察も国民を守ってくれるためにあるべきものなのに、国民を欺く検察官や警察官がいたという事です。今回の提訴が検察改革や警察改革になってくれればと願っています。」とマイクに向かって話した。内川が幾分、インタビューに慣れてきた感じもしてきた。


 第1回公判は提訴から1月後だった。双方の主張と争点は事前協議で詰めてあったので、スムーズに争点に入っていった。原告から訴状が提出され裁判所は被告に連絡すると回答書が出され、本日の公判に至っている。原告側には村田、三好両弁護士と内川が並び、被告席には代理弁護士が3人と訴えられた4人が苦々しい顔で座っていた。個人的に公務員である検察官が訴えられたことは過去になかった。その分、マスコミの興味も高く、傍聴券は数十倍の人気で抽選になっていた。

裁判長から原告代理人に訴状の朗読を求められると村田弁護士は被告である4人が共謀して偽の供述調書を作成し、意図的に内川元被告を有罪に持ち込んだこと。そして有力な証言を行った友人Aが自ら記憶があいまいで事件当日ではないと言っているのに、わざとその証言を調書から外して裁判に持ち込んだことなどを立証した。

対して被告弁護側の反対証言として被告人たちは職務上の行為として行ったにすぎず、個人的な賠償には当たらないと証言した

休憩を挟んで原告側が被告人を証人として尋問した。最初に証言台に上がったのは藤澤主任検事だった。村田弁護士は証言台に立った藤澤被告に対し

「藤澤さん、あなたは15年前の北新地ホステス殺人事件で内川さんの友人Aが腕や頭から血を流しているところを見たという証言を得て、その日が1991年の3月25日、つまり事件が起きたその日の夜であるとするために、Aさんにかなり強引な誘導尋問をしていませんか。」と聞くと藤澤は落ち着いた雰囲気で

「誘導尋問ではありません。正当な捜査活動の一環です。」と眉も動かさずに答えた。すると村田弁護士は

「あなたはAさんがはっきり覚えていないと言っているのに、その話は無視して、その日のテレビ番組で覚えているものとして『火曜サスペンス』を持ち出して強引にその日だと思い込ませたんではないですか。」と突き詰めた。すると藤澤は

「Aさんが自ら思い出して『火曜サスペンス』を持ち出したんです。私には悪意はありません。」と強気な証言を続けた。そこで村田弁護士は

「残念ながらあの事件の日はプロ野球開幕戦があって放送時間が変更になっていて、火曜サスペンスは放送されていなかったんです。そのことについては関西放送の放送記録を証拠として提出します。どうですか、まだあなたは誘導尋問ではないと言い切れますか。」と詰め寄ったところで藤澤検事に対する尋問は終了した。

 次に登場したのが大阪府警元刑事部長の岩口輝夫だった。岩口は今では退官して大阪運転免許センターで役員をしている。70歳とは思えない体格で背筋を伸ばし、しっかりと歩いている。今でも柔道や剣道で肉体を鍛えているのだろう。村田は岩口がたたき上げのデカ出身でキャリア組ではないことをよく知っていた。そこで

「岩口さん、あなたが刑事部長に就任してすぐに内川さんを逮捕に踏み切りましたね。決め手は何だったんですか? 友人Aから私たちも聞き取ったんですがAのことを岩口さんは証言をする前から知ってましたね。Aは風俗関係のスカウトをしていて、大阪府警刑事課の課長だった岩口さんは何回も任意で呼び出して、それ以上やったら逮捕するぞって脅してますよね。これもAの証言です。Aの取り調べをしている中でAが内川さんや北山美香と同じ小中学校出身だという事を知り、売春斡旋の罪は見逃す代わりに内川さんを目撃したことを証言するように取引しませんでしたか。これもAさんが証言しています。貴方は刑事部長になった途端にその取引を部下の今井刑事に命じてさせたんです。違いますか。」と聞くと岩口さんは重い口を開いた。

「私はそんなことを今井君に命じたことはございません。」と明確に証言した。すると

「では今井さんは誰に命じられたのでしょうか。今回今井刑事は当時を思い出して証言してくれています。その調書は証拠として提出させてもらいます。その今井さんの証言では上司から命令されて取引をしたと言っています。彼はそのことを強く反省し、内川さんに謝罪したいと言っています。岩口部長が命じてないとすれば誰なんでしょうか。刑事部長の上と言えば本部長でしょうか。当時の本部長の吉田美和さんを次に尋問したいと思います。」と言うと証言席の被告が交代した。吉田美和氏は現在では東京の警視庁警務部長として活躍している。紺のスーツで固めた姿はキャリア官僚警察官としての威厳が感じられた。村田弁護士は臆することなく

「吉田さん、論点は誰がAさんとの間で取引をするように今井刑事に命じたかという事になっています。吉田さんは今井刑事に、もしくは岩口刑事部長に取引してでも証言を取れと命じたことはありませんか。」と詰問すると吉田元本部長は

「私は国民のために働く警察官僚です。法を順守することは私たちの努めです。絶対にそんなことを命じるはずがありません。」ときっぱりと断言した。村田弁護士は怯まずに

「では誰かが今井刑事に命じたという事を聞きませんでしたか?肝心の所ですから正確にお願いします。偽証は偽証罪になることはよくご存じだと思います。よろしくお願いします。」と間接関与を聞いた。すると吉田元本部長は苦しそうな表情で

「副本部長からそんな報告を受けたように思います。ただ誰が命令を出したかは存じ上げませんでした。」と答えた。村田弁護士はすかさず

「当時の吉田本部長はA氏に取引を働きかけたことをご存じだったという事ですね。知っていてそのまま放置していたという事は、本部長自らに責任があるという事ではないですか。・・・吉田さん。正直に言いましょう。貴方が指示したんではありませんか。早く警視庁に戻りたい。しかも出来るだけ高いポストに帰りたい。そのためには汚点が多かった大阪府警で大きな手柄を上げる必要があったのではありませんか。」と追及した。しかし吉田はうつむいたまま無言を貫いた。

 続いて証言席に立ったのは当時の大阪地検検事正だった田中誓二だった。今は検事を退官し大手の弁護士事務所で役員を務めていた。村田弁護士は大物弁護士にやや気が引けたが、内川の方を見て気持ちを新たにして質問を続けた。

「藤澤検事から警察でA氏との間で取引をしたという報告は受けましたか?」と聞くと田中は手をあげて立ち上がると

「法の秩序を重んじる法曹界の我々がそんな取引を許すわけがない。聞いていたら証拠としては採用しない。」と明確な態度で証言した。村田弁護士は続けて

「私は警察だけでこのような証拠の捏造は出来ないと考えています。検察が捏造の事実を追求して来ないという保証がないと警察は出来ないし、自らの職を賭けて被告を有罪に追い込むのは道理が合わないと思うんです。どうしても有罪にして自らの手柄にして、その後、大きな権力を得た人が一番怪しいと思っています。その点、退官してヤメ検になった田中さんは候補ではありません。最初に証言してくれた藤澤検事はその後大出世して今では検察庁長官です。無敗の検事として最高権力者に上り詰めたと言えます。その点、田中さんはどうお考えですか。」と言うと田中は

「事件の後、誰が一番得したかというのは結果論だよ。大阪府警本部長だった吉田さんだって今では警視庁の大幹部だ。成功例と言えるからね。誰が支持をしたかという問題とは別問題さ。」とかかわりを否定した。そこで村田弁護士は裁判長の方に向かって

「では新たな証人を申請します。」というと被告弁護人は

「事前申請では聞いていません。認めるわけにはいきません。」と反対した。しかし村田弁護士は怯まずに大きな声で

「新たな証人は現役の警察官です。ようやく先ほど証言することを承諾していただきました。それに現役警察官ですから事前申請で身分を明かしてしまったら、警察幹部や検察幹部から大きな圧力がかかって、証言は差し止められたでしょう。裁判官、弱者が大きな権力に抗うには、すこし強引な手法を許していただかないと、公平な裁判は出来ないと思いますがいかがでしょう。」と問いかけると、裁判官は隣の裁判官と相談して

「では証人を認めます。入場させてください。」と宣言してくれた。後方の扉が開き、紺のスーツの男性がゆっくりと歩いて会場に入ってきた。被告側の4人はその姿を見て息をのんだ。今井刑事だったのだ。今井は傍聴席の間から証言席につくと座席に座った。

 村田弁護士は今井に近づき、

「証人は今井刑事ですね。」というと今井は

「大阪府警、刑事部長の今井です。かつて大阪北新地ホステス殺人事件で捜査に当たっていた主任刑事です。」と自己紹介すると早速村田は今井の前に出て

「今井さん、15年前、北山美香さんが殺された事件で目撃証言をした友人Aは腕や頭から血を流している内川誠二さんを見かけたと言っていますが、その日付が曖昧だったのではありませんか。」と問いかけた。すると今井は

「当初は目撃証言が出たことで喜んだんですが、裏を取ろうとすると証言に矛盾が出てきました。目撃したという日付が確定できなかったんです。」と言った。会場中の視線が今井に集中した。村田は

「矛盾すると感じたあなたはそのことを誰かに相談しましたか。」と畳みかけた。すると

「当時の刑事部長の杉田部長に報告しました。すると杉田部長は『送検するのは難しい。』と判断し、検察に送れないまま時間が過ぎました。そして事件が未解決のまま捜査本部は解散、専属捜査員は私と寺田刑事の2人だけになりました。その年の3月、人事異動で杉田部長が異動し、岩口部長が就任すると大きく変化がありました。本部長室に呼ばれるとそこには吉田本部長と岩口刑事部長、そして藤澤主任検事がいました。その部屋で岩口部長から内川誠二を逮捕するように言われました。しかし目撃証言が曖昧で、確証が持てない旨を説明しましたが、吉田本部長も藤澤検事も『大丈夫だから逮捕してきなさい。』と言って私の意見を聞きませんでした。あの時、僕は状況証拠だけなら内川さんは有罪かも知れないが、裁判では無罪になるかもしれないと感じていました。ただ裁判では藤澤検事の活躍で有罪に持ち込み、刑が確定したことで安堵しましたが、再審請求されたことを知り、この事件は冤罪を産んでしまったことに気が付きました。私も上司にもっと強く進言するべきだったと思いますが、3人のみなさんの強い思い入れに勝てませんでした。本部長室での会話は以上です。」と話してくれた。

 村田弁護士は畳みかけて

「吉田元本部長、岩口元刑事部長、藤沢元主任検事の証人喚問を請求します。」と大きな声で叫んだ。裁判官は間髪入れず

「認めます。証人3人は証言台に立ちなさい。」と宣告した。

 重い足取りで立ち上がった3人は証言台に立った。村田弁護士は

「では吉田元本部長からお聞きします。今井刑事の証言で本部長室で秘密の捜査会議があったことは間違いなさそうですね。この会議を招集したのは誰ですか。」と聞くと吉田本部長はきっぱりと

「藤澤さんです。藤澤さんが私の所に来て、内川さん逮捕を強く要請してきたんです。それでしかたなく、今井さんを部屋に呼びました。」と答えると藤澤は

「違うだろ、最初に逮捕を言い出したのはお宅の刑事部長だ。坂下さんが検察の私の部屋に来て、『本部長も承認しているから逮捕に踏み切ろうと思います。検察に送ったらよろしくお願いしますよ。』って言ってきたんだ。すると岩口元刑事部長も

「私は吉田本部長が『大阪府警の名誉挽回のため、容疑者逮捕に踏み込みなさい。』と言われるので藤澤さんにもお話ししたにすぎません。見込み逮捕に踏み切ったのはあくまでも本部長判断です。」と言い切った。

 村田弁護士は落ち着いた表情で

「裁判長、今ここでは刑事裁判ではありませんから誰が見込み逮捕に踏み切り判断をしたのかという事は問題にしません。しかしこの3人が内川さんを無実の罪で15年もの間、刑務所でくらすことを余儀なくさせ、彼の青春の日々を奪った張本人たちであることは、はっきりしたと思います。内川さんは国家賠償請求で15年分の賠償として数億円のお金を手にしましたが、果たしてそれでいいのでしょうか。彼に冤罪を着せたのは警察組織でしょうか。検察組織でしょうか。今回の事件の場合、組織の問題ではなく、個人が自らの利益、つまり人事的な評価のために、悪意を持って被告人を有罪に持ち込む証拠を捏造して裁判に勝ったわけです。検察官が職務上の当然の行為として、あるいは警察官が正当な行為として職務上行ったことならば、国民の税金から内川さんに賠償金を支払うべきですが、この3人の不法行為を国民の税金で賠償することは正しい道なのでしょうか。さらには内川さんの主張は国家賠償ですませてしまったら、今後の同様な事件でも検察官や警察官幹部は強引な操作や取り調べをしても個人としては何ら損害を被らないということを証明してしまうことになり、冤罪事件は決してなくならないという事をなんです。国民からも注目を浴びているこの裁判で、是非とも3人の被告に相応の賠償額を提示していただいて、日本の司法制度の改革に貢献していただきたい。」と述べて証人喚問を終わった。



12、判決


 最終弁論が終わって裁判所から出るときには多くのマスコミから内川が集中的に取材を受けた。

「内川さん、国家賠償を受けているのに民事訴訟をして被告から賠償金を受け取った場合には、その分は国家に返納するんですか。」という問いには

「当然そうするつもりです。2重に受け取るつもりはありません。僕が民事訴訟に踏み切ったのは検察・警察の幹部による不法行為があったからで、その不法行為は個人に責任が及ぶとならなければ、世の中は良くならないと思います。昔から不当な逮捕は行われてきましたが、警察や検察の個人を追求してこなかったから今でも不法逮捕が減らず、国民の人権が踏みにじられてきたわけです。是非、裁判官には公正な判決をお願いしたいです。」ときっぱりと述べた。


 翌週金曜日午後14時、判決が出ることになっていたが、前日の木曜日、意外な方向に情勢は動いていった。検察と警察が内川に支払った国家賠償の一部を吉田元本部長と岩口元刑事部長、大阪地検特捜部藤澤元主任検事に請求したのだ。定例の記者会見で警察庁と検察庁でそれぞれ発表されて、マスコミは大騒ぎになった。大方の予想では大阪地裁で行われている裁判の結果で個人の責任が追及されるかどうかが判断されると思われていたが、検察庁も警察庁も民事裁判の結果を待たずに自らの手で結論を出した。

 そのニュースを聞いた村田弁護士と三好弁護士は先制攻撃をされた形に

「自分たち、自らの力で自浄作用を発揮した形だけど、悪く言えばトカゲのしっぽ切りをしたという事だね。これ以上それぞれの上層部に責任追及が及ばないようにという事だろうね。」と村田が言うと三好は

「一部と言うのはどれくらいなのかな。3人に国家賠償の金額の半分を3人で分けて払わせたとしたら、一人が6分の1という事だね。半額は国に責任があるかもしれないけど、半分は個人の責任でという事だろうね。」と言った。国家賠償が3億円だったので一人が5000万円という事になる。個人で賠償できるぎりぎりの線というところで、警察庁も検察庁も合意したのだろう。

 そこに内川から電話が入った。内川は

「個人と国が責任を折半したという事でしょうかね。誰が50%という線を出したんでしょうね。おかしくないですか。明日の裁判に影響は出るんでしょうか。」と聞くと三好弁護士は

「裁判長も判決文を書いてしまっているでしょうね。書き直すことは難しいかもしれないけど、どうするんでしょうかね。」と言っている。


 翌日は判決1時間前の午後1時に村田弁護士の事務所に集合した。事務所は裁判所のある御堂筋の同じ官庁街の一角にあった。大阪の弁護士事務所の中では、何人もの弁護士を抱える大手事務所である。中の島から淀屋橋を渡った中心街だ。

 3人でしばらく休憩すると1時半に事務所を出て、徒歩で裁判所に向かった。歩いても5分くらいの位置だった。大阪地裁は敷地内に高等裁判所もあるし大阪地方検察庁も高等検察庁もある。中央入口から入ると重々しいドアがあるが、中は高い天井の廊下が来た者を圧倒する。今日の裁判は11号法廷で行われる。傍聴者も多いことが考えられるので大きな法廷が準備されたようだ。

 3人は法廷内に入り、原告側の席に着いて弁護士たちは資料をカバンから出して準備した。しばらくすると被告側の人たちも揃って入ってきた。しかし当事者の3人は来ていないようで、被告代理人の弁護士が2人来ている。

 14時ちょうどに奥の扉が開き、裁判官が入ってきた。まっ黒の法服を着ている。傍聴席には多くのマスコミが入ってメモ用紙を確認している。裁判官入場と共に法廷内全員が立ち上がって敬意を表している。裁判官が着席すると同時に事務官が

「着席」と言って裁判が始まった。今日は判決文の朗読なので早速裁判長が発言した。

「それでは本日は判決文の言い渡しですので早速始めたいと思います。」と言うと法廷内に緊張が走った。

「主文、原告側の主張する被告3人の不法行為を認め、被告3人にそれぞれ5000万円を原告内川氏に支払うことを命ずる。判決理由 昨日、検察庁と警察庁から国家賠償金の50%を個人請求する旨の発表がありました。しかし原告側は国家賠償を国民の税金から支出されることは拒否したいとしてきました。争点は3人の行為が組織人の行為として行われたものなのか、個人の利益のための個人の行為なのかという点でした。今回の事件で3人が行った証拠の捏造は自分たちの手柄を上げたいという個人的な欲望からの行為であり、国民のために働く公務員の行為とは言えない背信行為である。したがってその責任は自らが追わなくてはいけない。国民に責任を押し付けることは国家賠償の趣旨に反する。今後は検察や警察の権力の濫用が控えられ、国民のための司法制度に近づいてくれることを期待します。以上。」といって判決を終えた。


 被告席で3人の被告は顔面を蒼白させていた。前日に5000万円を請求され、今日も5000万円の支払いを命じられたのである。公務員としてそれぞれ高い地位にあり、高い給与を受けている身であっても、突然1億円の支払いは難しいものがあったのだ。

 裁判を終えた内川と村田弁護士と三好弁護士を取り囲んで取材陣がインタビューを始めた。取材陣が多かったので裁判所の事務官が机といすを運んで即席の会見場をロビーに設置した。3人が椅子に座って机に向かうと三好弁護士が場を仕切り始めた。

「では即席ではありますが臨時の記者会見を始めます。最初に弁護団の村田弁護士より裁判の感想などをお願いします。」とスタートした村田は

「弁護団の村田です。今日の判決は日本の基本的人権の発展の上で、歴史に残るものになるでしょう。過去に身体の自由、表現の自由、社会権、参政権、様々な人権を多くの血を流しながら権力者から獲得してきました。しかし官憲の国家権力は脈々と受け継がれ、強引な捜査手法で無実の罪を背負わされてきました。冤罪があばかれ、」検察・警察が捜査手法について検証すると約束しても、組織としては反省を報告するが、同じような事件は消えませんでした。それは個人を攻めなかったからです。人の人生を台無しにするような行為は、支払いきれないくらいの代償を支払わなければならないという今回のような事例を作ってこなかったから、検察・警察の捜査官たちは変わらなかったんです。今回、内川さんは国家賠償を返還して個人賠償を求めることで、社会を変えようとしました。今回、個人賠償を個人の捜査官たちが背負うことになったので、これからの捜査官たちは億単位の賠償を背負うとなれば法に準じた捜査に徹することになるでしょう。そうした意味で今日の判決が歴史的に大きいんです。」と力を込めて語った。三好弁護士はさらに

「では次に内川さんに聞きたいと思います。今のお気持ちはいかがですか。」と内川に話を振った。内川は記者会見にもかなり慣れて来て落ち着いて話し始めた。

「捜査官個人に賠償を求めるという事はかなり無理があると思っていました。過去に例がないからです。公務員の職務上の行為は所属公共団体が負うことになっているからです。しかしその壁に閉ざされていた個人賠償を可能にしてくれたのは世論の動きだったと思います。新聞、雑誌、テレビなどで私の事件を取り上げていただき、多くの視聴者から検察や警察の捜査手法に批判が集まり、個人を非難するメッセージをたくさん発してもらいました。そうすることで、世論が動き裁判所もその世論を無視することができなくなったんだと思います。国民の皆様のおかげです。有難うございました。今後今回のような理不尽な逮捕・送検・起訴がなくなることを望みます。」とゆっくりと話した。

 記者たちは一斉に手を上げた。三好弁護士は中の一人を選んで指名した。

「毎朝新聞、浅原です。内川さんにお聞きします。今回の民事裁判による個人賠償請求を思いつかれたのは何かきっかけがあったんですか。」と聞いてきた。内川は

「そうですね。特に何かあったわけではないんですが、再審の刑事裁判が終わり国家賠償があると聞いた時、国民の皆さんが納めた税金の一部を頂くことはなんか違うなと感じたんです。国民の皆さんの権利を守るために代理で司法権を行使するのが警察や検察の権力ですが、今回の場合は彼ら個人の不正ですから個人的な問題です。悪いのは彼らだと思うと、頂くお金の出所を変えるべきだと考えたんです。しかもこの手の冤罪事件が昔から変わらずに続いている事実を弁護士さんから聞いて、何とかしなくてはいけないと思ったわけです。」と答えた。記者たちは納得した顔でメモ帳にペンを走らせていた。(おわり)




民事裁判に打って出た主人公は世論に訴えて検事と警察幹部に個人的責任を追及する。同様の冤罪事件を生まないためには越えなければいけない山であった。法曹界の変化を期待します。

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