第三四話 泣きたくなる程静かな、雨の夜に。語る事は、尽きることなく。
「おや、よく来たねバージル」
「こんな夜中に王太子サマの寝室に死刑囚が侵入してるのに、その反応はどうかと思うぞ、王太子サマ」
「そうかな? 我が友が、私と晩酌をしに来ただけのことだろう。生憎、それで騒ぐような繊細な心は持ち合わせていなくてね。つまみになりそうな物は多少あるから、君にはお酒を用意してもらっても?」
「はいはい。酒な。……この部屋、けっこう良いやつ置いてなかったっけか?」
「唯一無二の親友が、人の気も知らずに死刑囚になぞなってしまったからね。ついつい寝酒の量が増え、侍従に取り上げられてしまったのだよ」
「……そりゃ、悪かったな。じゃあ、軽めの酒を、体が温まる程度だけにしておこうか。お前には、長生きしてもらわないと」
「ありがとう、バージル。……それで、用件は?」
「おいおい親友、用件がなかったら来ちゃいけないのか?」
「いつでも歓迎するけどね。薄情な我が友は、いつもは用がなければ私のところには来てくれないものだから。てっきり今日もそうかと」
「……まあ、そうなんだけどな。用件は、リアのことだ」
「聖女様がどうかしたかい? 最近は想い人と一緒に暮らすようになって、日々しあわせそうに過ごしていると聞いているが……」
「……その想い人が、いなくなった後の話だ。お前に、リアのことを任せたい」
「はあ……、まだ君は死ぬつもりなのか。君と聖女様であれば、史上初めての死傷者ゼロでの魔王討伐だって成し遂げられるだろうに」
「それでも……、万が一の話くらいはしておきたい」
「意外と心配性だね、君は。まあ、まずない事ではあるが、それでも備えておきたいというならば聞こうか」
「おう、聞いてくれ。まず、金の話だ。俺の財産の一切はリアにやって欲しい。田舎の家族には、産んで育ててもらった恩に十二分に足りるだけは過去に渡してある。遺る物は、全てリアに。あいつらが何を言おうと、聖女召喚に対する賠償だと突っぱねろ」
「……その辺りは、学者に聞いてみたら、意見が割れたよ。これまでに個人が聖女召喚を行った例などなく、前例は全て国による補償ないし魔王討伐への報酬だからね。今回だって我が国が主として支払うのに、重ねて君個人からの賠償が必要なのか、と」
「必要に決まってるだろ。国からだって俺からだっていくら払ったって足りる物ではないのだから」
「そう、だね。ま、君の希望があるなら、いっそ遺贈として扱っても良いのかな。理屈はなんとかつけて、ご家族には説明しよう。国からの見舞金も、あの方に?」
「元の伯爵位があればともかく、俺は死刑囚だ。そんな物はないだろ」
「聖女様が随分と努力なさっておられるし、君だって力を示してきた。この上君が魔王討伐において大きな手柄を立ててくれれば、元の魔導伯に戻すことはできるだろう。……君は魔王との相打ちでも目論んでいるのかもしれないけれど、もしそんなことがあれば、見舞金は出す」
「そうか。そうだな。俺は、誰よりも魔王の死に貢献してみせる。ついでに言えば、魔王に関しても、詳細な研究をしてきた。間違いなく後世の役立つような、この上ない研究を」
「バージルは、相変わらず自信家だね。そして君には、それが大言壮語ではないだけの実力がある。なのになぜ今、こんな話をしているのか……」
「備えるに越したことはないだろ」
「それはそうだ。まあ、実際、バージルは全ての淀みの発生を言い当ててきた。その研究成果には、国から対価が払われるだろう」
「できるだけ高く買ってくれ。そして、そうだな、見舞金も対価も、全部リアに。研究に関しては、聖女にして俺の弟子であるリアの貢献と協力も大きいことだし」
「わかったよ。なんとかしよう。……君たちが結婚でもしておいてくれたら、話は簡単なのだけれど……」
「それは無理だ。そんなのなくともなんとかしろ」
「ずいぶん気軽に言ってくれるね……。まあ、わかったよ」
「任せた。次に、リアの希望としては、魔王討伐後は都市部ではなく自然豊かで人が多くはない地に住みたいそうだ。守りのしっかりした屋敷と、田舎にもついて行く忠誠心の高い護衛を用意してやってくれ」
「うちの別荘のどれかであれば、設備としては足りるかな。聖女様のお気に召す物件があれば……、もし無ければ新しくご用意しよう。護衛についても、心配ないだろう。心当たりはいるし、新しい志望者だって多いだろうから。……あの方が受け入れてくださるのなら、いっそ私がついて行きたいくらいだ」
「次の玉座を捨てても、か? はははっ、お前もずいぶんとまあ、リアに惚れこんでいるな」
「笑うんじゃないよ、聖女様のご寵愛を一身に受けている男が」
「ああ、悪い悪い。ま、聖女サマだしな。お前がついて行ってくれれば安心だが、そうでなくとも誰かしらいるだろ」
「そうだな。私のことは聖女様次第だが、妹のマライアも聖女様の侍女になりたいと言っている。どうにかして、うちの王家から誰か1人はついて行かせるさ。聖女様が、どこへ行かれようとも。君の言葉は、その誰かにきちんと伝えよう」
「そりゃ良い。その誰かには、リアの心まで守って欲しいな。あいつは大衆の前では気を張っているが、本当は泣き虫で、気弱で、どこまでも優しすぎるやつなんだ。俺は『泣くな』と教えたが、その誰かは彼女の涙を受け止めて寄り添うべきだ」
「そうだね。初めてお会いした日から君と暮らすようになるまでは、随分と不安そうにしていらした。……もしも君がいなければ、きっとあの方は気を張る余裕もないのだろう」
「だろうな。ならば他にも支える誰かを、と考えても、安易には動くなよ。各国の思惑の乗った求婚者が殺到するだろうが、この国が窓口になって変なのは門前払いしろ」
「それは、当然だよ。けれど、家柄や能力よりは特に人格を重視して選別をしろ、ということかな?」
「そうだ。あいつはどれだけ愛を振りまいたって求めたって良い聖女の身ながら、たった1人を望んでいる」
「望まれているたった1人が言うと、説得力が違うね」
「茶化すな。浮気も心移りも絶対にしないできないとさ。そんなリアと同じレベルで誠実で、まじめなやつでなければいけない。それとあいつは追われるよりは追いたいタイプのようだから、強引に迫るようなのは論外だ」
「君がそれを言うのはあまりにひどい話だが、まあ、わかったよ」
「悪いな。それと、あいつはとんでもないお人好しだ。悪いやつに利用されないよう傷つけられないよう、時には叱ってでも指摘してやって欲しい」
「カータレット子爵令嬢の件は、私も驚いたよ。気乗りはしないが、聖女様のためを思えばこそ、時にはきちっと進言しなければいけない場面もあるだろうね」
「いっそはっきり馬鹿かと言ってやれ」
「バージル、自分でもできていない事を言うものではないよ」
「……ま、そうだな。とにかく、あいつは歴代の聖女の中でも飛びぬけたお人好しだと承知しておいてくれ。しかも、世間知らずだ。よくよく周囲を警戒してやれ。まったく、リアはどんな国に住んでいたのか、それともよほど過保護に育てられたのか……」
「聖女様はまだお若いからね。純粋なのだろう。世の中には思いもよらぬほどの邪悪が存在していると……、わかっていただきたいような、そのまま知らずに生きていただきたいような……」
「そんなのは、『知らずに生きて』に決まってるだろ。徹底的に排除しろよ。世界を救った聖女に悪意を向ける存在なぞ、リアには気取らせもしないうちに極刑に処せ」
「……君だって、あの方のことを随分過保護にお育てしているじゃないか」
「あ? 俺は育ててなんか……、いや、弟子は育てると言って良いのか。過保護なつもりはないが……」
「過保護も過保護だろう。ありもしないだろう自分が死んだらなんて仮定で、こうも私に釘を刺しにきて。だいたい、注文が多いよ。もう、君がなんとかかんとか生き残って一生あの方の面倒を見た方が確実だと思うけれど?」
「できるものならそうしているっ!! ……すまない、いきなり怒鳴ったりして。……俺じゃ、だめなんだ。俺にはできない。俺は、あいつの気持ちに応えてはやれない」
「そう、か。……ねえ、バージル、……我が国が誇る最強戦力。……君、まさかとは思うけれど……」
「……俺は、この世界で俺より強い生き物というものに、……心当たりは……、ない」
「……そうか。……荒唐無稽な話だと笑い飛ばしては……くれないのか……。……聖女様は、その事を……?」
「知らない。言っていない。悲しみも、苦しみも、嘆きも、……長くはない方が良いだろう。直前まで、なにも気取らせはしないつもりだ」
「ああ……。その気遣いを、長年の友である私には向けてくれないのだもの! 君はひどい男だね、バージル」
「恨むなら、自分の察しの良さを恨めよ。お前にだって、言うつもりはなかった。けれど同時に、お前なら冷静に受け止めてくれるだろうという確信と信頼もあったよ。お前は、どこまでも王子サマだ。……リアのことを、頼む。お前になら、任せられる」
「実に、重い期待だね。一国を背負うより、よほど重い。だが、君の友として……、応えてみせるよ」
「ありがとう。……すまない」
「ふふ、バージルがそうも素直でしおらしいと、なんだか気持ちが悪いね」
「そりゃ、悪かったな。……酒はもうそこまでにしておけよ。これ以上は出さないからな」
「バージル、君はなんてひどい事を言うんだ! とても飲まずにはいられない気持ちにさせておきながら! ……けれど、そうだね。私は、長生きをしなければいけない、か」
「そうだ。頼む。……悪いな、本当に。ほら、水だ。ああ、それとハーブティでも淹れようか?」
「……お願いしようかな。うんと熱く淹れて欲しい。そして、それが冷めきるまでは付き合ってくれ。もう少し話したいことがあるんだ、親友」
「はいはい。お付き合いしますよ、王子サマ」




