第三二話 神経が細すぎる
そんなこんなでカミラさんは私の侍女として一緒にお城に……と、思いきや。
師匠は不服そうだったし、マライア王女とそのお付きの人たちもあまり快くは思っていない様子だったし、なにより、本人に強く強くそれはもう『そこまで図々しい真似をするくらいなら、大人しく自害をします』と言い張る程に強く反発されてしまった。
結局、本人たちの意見を主軸に話し合い、カミラさん及び他3名の侍女は侍女見習いとして復帰する事になった。見習いかつ新入りからやり直したい、とか。
立場としてはメイドよりも下になるというか下という扱いで良いそうな。
やらかした自覚があり、かつ本当に私のお気に入りであるところのセラさんの下に付きたいというのが本人たちの希望だったためである。
師匠たちの反応を見るに世間の反発もあった可能性が高いし、まあこれで良いのだろう。
ただ、下町出身の庶民であるところのセラさんは、生粋の貴族のお嬢様方の上司となってしまい、ものすっごく居心地悪そうにしている。わかるー。
師匠も『わかる』みたいな顔をしていた。
そういえば、師匠も私もセラさんも、庶民からの成り上がり系と言える。
いや、師匠はいっそ不遜なんじゃないかというくらいに偉そうだし自信満々だし、セラさんは居心地悪そうにしつつも仕事上の指示と指導はテキパキビシッとこなしているけれど。私も見習わなくては。
カミラさんを連れ帰って、翌日の朝食後。今日は何もしないの日。
私と師匠は、私の書斎でそれぞれに本を読んでいるところだ。
ここにも例の如く使用者のスケールを間違えているとしか思えない長大な机があったため、師匠の椅子も用意してもらって、横並びで利用している。
図書室めいた蔵書数を誇る書斎とはいえ、図書室でもなければ他の利用者もいない。
そして私はこの国初心者であるため、時折師匠に質問を飛ばしながらの読書だ。
いや、『今日は何もしない日なんだから頭も休めろ』と言われているので、読んでいるのは学術書でもなんでもない娯楽小説なのだけれども。
具体的には、どことなく師匠っぽい魔法使いがメインヒーローの恋愛小説なのだけれども。
でも、娯楽小説ですら、この国初心者にはピンとこない慣用表現やら風習やらおそらく元ネタがありそうな言い回しがバンバン出てくるのだもの。質問しないではすんなりと読めない。
侍女なんかに訊いても良いのだろうけど、いっしょにいるにも質問をするにも師匠の方が緊張しないというか心地いい。
しかも師匠は知識が広く深くなんでもわかりやすく教えてくれるので、この人がいてくれて本当に良かった。
彼のおかげで、私の読書ライフは一段充実したと言える。
「そういえばリア、今回は、そんなに顔色が悪くなかったな。過去一淀みとの距離が開いてたからだろ?」
「いえ、どちらかというと、多少は慣れたというのと、師匠が後方かつ私の隣にいてくれたので、安心感があったのかと。……あと、その、本当は白状したくないんですが、実のところ、夜にはきっちり悪夢を見て泣きました……。普通にこわかったです……。今回は怪我人も多かったですし……」
ふいに逆に師匠から問いかけられ、私はぼそぼそとそう答えた。
もし、治癒が間に合っていなかったらどうなっていた事か。
私は、高速道路が苦手だ。
祖父はそこまで運転が荒い人ではなかったのだが、周囲の流れに乗ってそれなりに速度は出す。そのそれなりの速度というのが、一歩間違えれば確実に死ぬなという速度に思えて、どうにもこわかった。大きな車の横を通る時には特に、『あちらが少しでも動きを変えたら死ぬ』という恐怖を感じていた。
妙に緊張してしまって、変に興奮してしまって、嫌な想像をしてしまって、それが心に焼き付くような感覚になってしまうのだ。
夜眠るときに、『私は実はあの高速道路で事故に巻き込まれ死んでいて、今布団に入っていると思っているのは夢かなにかなんかじゃないのか』と、毎回考えていた記憶がある。
それと、同じように。
私は間に合ったのだと幾度自分で自分に言い聞かせようとも、実は間に合わなかった可能性の方こそが現実なのではないかと、思えてしまって。
案の定、そういう夢を見た。我ながら、神経が細すぎると思う。
「それ、は……。……いやでも、夜までは堪えられた、ということは、やはり前に出すぎた2度目が1番怖かったということだろ」
痛まし気に言葉を詰まらせた師匠は、やがて渋い表情でそう指摘してきた。
私は、渋々頷く。
「……まあ、否定はできません。いやでも、慣れるので。根性で慣れて見せるので。なので、後ろに下がってろ、なんて言わないでください。どう考えても師匠の傍が一番の安全地帯だと、頭でわかっているので。淀みの脅威だって、最も速く最も確実に片づくわけですし。心の方も、そのうち追い付くはずです」
「まあ、そう、そうなんだけどなぁ……」
「というか、なら、師匠が後ろに下がってくださいよ。そしたら私も下がります。いっそ、みんな下がったら良いじゃないですか。それで、師匠が遠距離からやっつけてください。淀みも、魔王も」
いまいち納得がいってなさそうな師匠に、私は開き直って言ってやった。
師匠は真顔で私を見つめ、首を捻る。
「さてはリアお前、俺は何でもできると思っているな……?」
「思ってますよ?」
私の返答を聞いた師匠は、深く長いため息を吐く。
「心がけは、する。だが、約束はできない。遠距離攻撃の手段を持っていないわけではないが、……淀み程度ならともかく、魔王は、どうあがいてもゼロ距離に、なる」
「あー、やっぱり距離が近い方が力を出せる感じ、です?」
「そう……、だな」
師匠は頷いたが、なにか含みがあるような嫌な間があった。
私は焦って、彼を問い詰める。
「えっ、まさか師匠、じばくとかだいばくはつとかするつもりじゃないでしょうね。自分の命と引き換えに魔王を殺すみたいなのは、やめてくださいよ?」
「そんなのはするつもりはない。する必要もない。俺の命はリアの物なのだから」
師匠は、実にきっぱりと首を横に振った。
それ自体は嘘はなさそうなのだが……。
「……命をもらい受けているのなら、もう師匠は私と結婚しているようなものと言い張っても良いのでは……? というか、命をくれているのなら結婚もしてくれても良いのでは……?」
なんとなくさっきの嫌な空気を冗談にしたくてそんなふざけた主張をしてみれば、師匠はそれを鼻で笑う。
「ふっ、随分斬新な夫婦観だな。お前の故郷ではそういうものなのか? 武を示すなりして『死にたくなければ自分と結婚しろ』と言うのが普通だと?」
「違いますね。うちの父ならやったかもしれませんが、一般的ではありません。ええと、とにかく、私は師匠のすぐそばにいます。いつだって。あなたをどう死なせるかの権利は私にあるのですから、勝手に命を散らさないように見張る権利だってあるはずでしょう?」
「……頑固だな。まあ、いつでも無理をやめて良いとは伝えておくが、無理をするなと命じまではしないさ。聖女は世界で一番偉大で、哀れで、報われるべき存在だ。リアは、好きなようにしたいように、思うがままに生きると良い」
脱力した様子で両手を上にあげ、師匠はとうとう降参してくれた。
私はそれに、にっこりと微笑み返す。
「ふふ、ありがとうございます」
「それにしたって、表でも少しくらい弱音を吐いたり、無理なことは無理だと断るべきだとは思うがな。全部抱え込んで笑顔で隠して、裏で泣いているようじゃあ……、お前の負担が大きすぎる」
負担が大きいのは、私のはずなのに。
私よりもよほどつらそうな表情で、私を聖女にしてしまったことを日々猛省しているらしい師匠はそう述べた。




