あなたの瑕疵で破棄したい
お読み頂き有難う御座います。
登場人物ほぼ全員が婚約破棄を願っているお話です。
婚約者がいる。
見目は麗しく、極上。
昔から、これからも手間暇をかけて作り込まれた芸術品。
だが、中身はこの上なく悍ましい。
外側だけは非の打ち所のない、婚約者が、いる。
ヨー侯爵三男であるクラボンは、苛ついていた。
全く打ち解けようとしない、婚約者マリーゼ・ボニー伯爵令嬢が気に食わないのだ。美しくはあるが、此方を下に見て馬鹿にしたような、薄気味悪い曇った爬虫類のような瞳が嫌いだった。
割り当てられた予算の中から出来るだけ無駄を削った贈り物を贈っても、儀礼的な礼のみ。
嫌々ながらエスコートをしようとすると、身を素早く躱される。
余程嫌われているのか、必ず彼女の背後に控えている執事や侍女すらも露骨に目を逸らしてくるのだ。
「おい、クラボン」
「何でしょう、父上」
「何故、お前の婚約者へ贈る来月の夜会の為のドレス、2着になっている。行きと帰りに着替えでもさせるのか」
「……それは、ええと」
倹約家の父親に注文書を突き付けられて糾弾され、クラボンは口を濁す。
彼には、婚約者を差し置いて最近気になっている御婦人がいる。彼女は『異世界の清浄な妖精』と評される儚い美貌を持っていた。
ヨー侯爵家と同じ派閥で最近爵位を得ながらも、急死したというホシガリッサ男爵。その未亡人のメニーである。
未亡人と言っても、未だうら若き16歳。夫は同郷の者だという。仲が良いと評判ではあったが、子は居ない。
どんな殿方の前でも常に涙を流し、悲しげに振る舞う美しさに、男達は群がった。
「わたし、あの方を愛していたのに、居なくなって、寂しくて……。
この先、どうしていいか」
目元と唇を赤く婀娜っぽくも安っぽい化粧で纏い、高位貴族の子息に片っ端から声をかけていた。
毎日のように夜会に現れた彼女を取り囲み、愛を競う贈り物合戦が繰り広げられていたのだ。
御婦人がたが、彼女の行いに眉を顰めていたのも知らずに。
「お前の瑕疵として我が家に泥を塗り、この婚約が万が一にも壊れたら、お前の空っぽ頭の中身を抜いて日干しにするからな」
「は、発注を誤ったようです。いやあ、申し訳ありません! 直ぐに訂正しますので!」
額と眉間をシワだらけにした父親の迫力に、クラボンは慌てて謝り倒す。
領地経営に粉骨砕身する父親の目には、僅かな不正を誤魔化せない。
そして、クラボンにとっては悪いことに父親の趣味は剥製制作だった。彼が幼い頃に剥製小屋で自ら大型の獲物を湯気を立てながら処理していた姿を思い出し、身を震わせる。
「くそっ、バレたか。しかし、ちょっと位良いじゃないか、ケチな父上……。
どうやって誤魔化すかな……。そうだ、マリーゼのドレスをホシガリッサ夫人に……」
しかし、怯えたのも束の間。クラボンは性懲りも無く企むのだが、直ぐに小細工は露呈する。
「御宅の御令息は病を得られたとか?
婚約者にドレスも贈れないような重篤だとは、とても心配です。お見舞いに伺いたいのですが」
夜会は刻々と近づいてくる。
予定外のことが起これば、矢のように手紙が確認の為当主宛に届けられるのだ。
コレは家同士の契約で、相手方が泣き寝入り等する筈もない。庶民同士の、気楽で責任もない恋人関係ではないのだ。僅かでも損をさせられるなら、即座に取り立てる。
同派閥内だろうと、同格ならば弱み等見せては直ぐに失脚させられる。益は直ぐに掠め取られる。
その事を全く分かっていないくだらない小手先だけで行動していた息子に、父親は失望していた。
「その場限りの嘘つきなお前を信用した私が、愚かだったな。
どう考えてもお前の付けた瑕疵だぞ。家名に傷を付けて、どう始末を付ける? 父の助言はそんなに嫌だったのか? バカ息子よ? 異物に手を出すな」
「も、申し訳……」
「バカ息子。お前、今からマリーゼ嬢へお詫びのドレスをどうやって仕立てる? 婚約者としての責務放棄した上で、ご令嬢を夜会へ放り込むのか?」
「あの、既成……痛っ! し、仕方ないではありませんか! 単なる勘違いだったのですって!」
しかし、クラボンは父親から物理的な制裁を受けても、小遣いを無くされても。
心を入れ替えはしなかった。
ボニー家に詫びる為に、馬車に無理矢理詰め込まれ運ばれても、クラボンは家のことも婚約者のことも全く気にしていなかった。
夜会で婚約者からの贈り物の衣装を纏わないことは、未婚の令嬢として恥だと。
そう、父親からエスコートの初歩の初歩を拳骨と共に叩き込まれても。
クラボンは、ホシガリッサ男爵未亡人のことばかり考えていた。
自分は、あんな無能な男爵よりも男として有能だ。彼女の愛に相応しい男だ。子供だって直ぐに……! と妄想を繰り広げながら。
「……お待たせしましたわ」
「マリーゼ! おほいじゃふぁいか……!」
「……あら、言葉の通じない方」
「は?」
デイドレスを纏い、裏庭に現れたマリーゼは美しかった。しかし、クラボンはボニー家の菓子を貪るのに忙しく、彼女に顔も向けない。
しかし、彼女は気にした様子もなく、侍女に暖かな日が当たる位置の椅子を引かせる。
応接室にすら上げて貰えない立場だと、クラボンは気付いていない。
とっくに見限られていたのだが、誰も進言する者はいなかった。
「なあ、何でドレスが届いてないって言ってくるんだ。父上に告げ口なんて卑しいぞ」
「父が心配しましたの。贈ると言われて届かなければ、詐欺か物損事故かと勘ぐってしまって」
「お前は贅沢者で、沢山ドレスを持ってるじゃないか。ケチな事言わず、哀れなレディに譲れよ」
「哀れなレディ……? 私にもその方にも侮辱ですわ。意に沿わぬ奉仕活動を、まさかこの私に強要ですか?」
ふふっ、とマリーゼが笑うと……目を覆うような刺激臭がした。家の何処かで模様替えでもしているのだろうか。
「……マリーゼ、此処は場所が悪くないか? 臭いし気分が悪いぞ。応接室に」
「我が家には上げませんよ、汚れますので」
「……気遣いのない女は可愛くないぞ」
「メニー・ホシガリッサ男爵未亡人は郷里の慣習を守る潔癖な方ですわよ」
「……は?」
思いを寄せるだけの純愛、だとクラボンは厚顔無恥にも信じていたが、後ろめたさも有るらしく挙動不審になり、更に菓子を掴む。マリーゼはテーブルに視線を落としたまま、口を開いた。
「あの方は、我々とは違うお生まれなのですから……。下劣な下心で言い寄ると、タダではすまないでしょう。お諦めになられては?」
「だっ……男爵夫人だぞ! バカにするな!」
「彼女の名誉を守っているおつもり? 滑稽な方」
「お前、冷たすぎる! 俺の彼女に捧げる純粋な愛が何だか分からんのだ!」
マリーゼは、後ろに控えていた屈強な侍従に合図を送る。その間、カッカと怒りに顔を染めるクラボンに視線を向ける事はついぞ無かった。
「侯爵の親心は無に帰しましたわね」
喚いて騒ぐ、下劣な男……。と、マリーゼは裏庭のテーブルを片付けさせた。
門から叩き出す頃になっても、大声は続く。
「肺活量は凄いのねえ……」
帰りの馬車は用意されておらず、クラボンは投げ捨てられるように道端に転がされた、と報告を受けた。
その足で、ホシガリッサ男爵未亡人の下に跪き、愛を囁くのだろうか。
「あの方は、遊び心に富んでいて……、愛情深いのに。生半可に得られる訳も無いでしょう」
「お嬢様、冷えますので」
緑の髪の執事が、丁寧にマリーゼの手を取り温かな屋内へと誘う。職務に忠実ながらも愛情の籠もった優しいその手は、婚約者の乱暴なエスコートとは雲泥の差だった。
クラボンから贈られるものも、面倒と書き殴られた方がマシな程嫌がらせに満ちていた。
歪んだ玩具指輪に、溶けた飴。割れた鏡に、枯れた花。挙句添えられているのは、クシャクシャか濡らしたのか読めない手紙……。マトモなものが贈られてきたことなど皆無だった。
その度苦言を父親経由で送ったというのに、全く懲りていない。
マリーゼを差し置いて贈ったというドレスを調べてみたが、この冬に風邪を引けとばかりの薄い布で拵えさせた露出激しい代物だった。勿論、今の流行りとは程遠い。
ホシガリッサ男爵未亡人は、ああ見えて一途で真面目で一筋縄では行かない。マリーゼは、少なくとも彼女の性格と生まれの事を知っていた。
態々無礼なクラボンに教えることは無かったけれど。
「メニー!」
「……? あら、ヨー侯爵令息、ですか? 偶然ですね」
男爵未亡人メニー・ホシガリッサはテラスのあるティールームでお茶を楽しんでいた。
そんな中、遠慮会釈もなく呼び捨てにするクラボンに戸惑いながらも、楚々と答え微笑む。
やはり、彼女は自分を特別に思っている!
クラボンは鼻息を荒くして、ドカッと音を立てて断りもなく隣の椅子に座った。
「メニー、聞いてくれ……! ああ、俺のあげたドレスは? 何で着てない?」
「……夜会用の御品でしたわね。昼間に纏うのは少し恥ずかしいです」
「奥ゆかしいな……」
ニヤニヤと下品に笑いながら、クラボンは彼女の手を取った。
すわ暴漢か、と店員がメニー男爵未亡人に助けに入ろうか目配せを送ったが、彼女は微笑んで僅かに首を横に振る。
「それで、何の御用でしたでしょう」
「聞いてくれ。俺は婚約者の瑕疵でアイツと婚約破棄することになった」
「……はい?」
「君を愛している。だから、手続きが終わり次第結婚しよう。その前に、マリーゼに君への無礼を謝らせて」
「愛……? マリーゼ……とは? 無礼?」
余程驚いたのか、メニーは訝しげに彼の話を鸚鵡返しで遮った。
「あなた、わたしを愛してらっしゃるの?」
「そうだ! あんな不能の男よりも君を大事にするよ!」
「……本当に?」
「本当だ!」
「わたしの秘密を知っても、愛せるのかしら……」
「君の秘密? 可愛いメニーの秘密なんてなんでもない!」
「じゃあ、わたしたち今から婚約者ね。わたしを傷付けても、余所の方に悪いことしても、破棄よ」
自信たっぷり大きく頷いたクラボンは、何時ものような悲しげに微笑む彼女の美しい顔を見て……固まった。
「わたしの母は、異世界から連れて来られました」
「は? いせかい?」
意味不明な言葉を口に乗せながらも、ニコリと嬉しそうに微笑んだメニー。その目鼻立ちは整っており麗しく、スッキリとしていた。
それなのに、何故か受ける印象は……薄っぺらい。
丸めた紙を無理矢理伸ばしたような、違和感がある。
このような、形容しがたい嫌悪感を唆るような顔をしていただろうか?
「そちらの世界のことも、聞かされたわ。
異世界から女性を拉致して、汚物の浄化槽として使い、挙句の果てに有無を言わせず適当な男と娶せる集団がいる。子供も女性が死んだ後に同じように使う」
「せ、世界? 何のことだ、流行りの芝居か? 怖い話が好きなのか? い、意外な好みで可愛いな……」
意味も分からない恐ろしげな話をしてくるメニーは、違和感があっても美しい。しかし、掴んだ手が氷のように冷たかった。
メニーの真剣かつ不気味な顔を見ていられなくて、彼女の頼んだテーブル上の茶のカップを、勝手に飲み干す。水分が流れていった筈なのに、何故か味もなく喉も潤わなかった。
クラボンは落ち着かないので、目についたメニーの髪を見た。何時も褒め称えていた透き通るような美しい頭髪は、複雑な形で結われていた。その髪が、苦悶の顔のように見え、慌てて目を顔に戻す。
何度見ても人形の様に完璧な完成された美しい女性、なのに。
それなのに、何故かおどろおどろしい気配に悪寒が止まらない。
「そちらの世界では、何でお困りじゃないんでしょう?」
「……? なあ、何の話……」
「わたしとあなた、見た目は似通った構造をしているでしょう?」
「ど、どういう……」
「でもねえ。
皮を剥いで、肉を裂いたら違う生き物なの。ひとは、それぞれ違うものなの」
ニタァ、と見開かれた真っ赤な目が此方を睨みつけた。さっきよりも……目の大きさが、僅かに違う? 恐ろしいのに、目が離せない。
何故かクラボンの記憶に、剥製小屋の扉の軋む音が蘇った。
「母は、子を産めないと散々虐待されたの。
食事を抜かれ、冷たい暗い所に放置。勿論、碌に眠ることも出来ず……、体の中身を暴かれ……死ぬ寸前でわたしを授かったんだって」
メニーのたおやかに組んでいた手の大きさが、何故かボコボコとうねり、左右極端に違うように見えた。
あまりの恐怖に慄いたのか、クラボンの全身に汗が噴き出し逃げ出そうとするも、足が全く動かせない。
「此方の女性は、交配で子を授かるのでしょ? それが『常識』だと考えると怖い怖い。
異世界の女性の妊娠出産のことを何も考えてない。
あっいやだ、わたしったら。
野蛮な誘拐犯に優しさを求めるなんて、お笑い草だったわ」
「め、メニー……?」
結上げられた髪が、まるで生き物のように揺らいでいた。編み上げられた髪の隙間から、落ち窪んだ目のような物さえ見える。
コレは現実だと、ようやくクラボンは悟った。作り話でも、芝居でもない。何時の間にか、給仕の店員も、人通りも消えている。
「おかあさまの世界では、意に沿わぬ交配……交雑されるような野蛮な手段で子を設けるなど、無かったって。
勿論、授かるまで罪人のような扱いを受けることもないんですよ」
「な、な……」
爛々と光ったメニーの目は、クルクルと色を変える。腐った油がテラテラと光っているようだった。不気味で見たくないのに、目が離せない。しかもキメ細やかな肌には鱗のような模様が光っているようにも見えた。
「愛しい伴侶との間なら、世界を作る愛されたこども。
憎しみを与えられた放出なら、世界を滅ぼす憎悪のこども。
わたし、どちらだと思います?」
紅を塗られた口から覗く舌は、泥のようにドス黒い。その奥には、ビッシリと……何かが蠢いている。
「やだ、わたしが怖いの? でも、あなた、わたしをおかあさまと同じように乱暴に扱おうとしたもの」
「そ、そんなことしない……」
「有無を言わせず、わたしを連れ去ろうとしたよね? 婚約者に酷いことばっかりしてるよね?
野蛮で下等で劣ったひとに、わたしが身を任せるって? バカにしてる?」
「ひ……」
「何故? 婚約者を傷付けて……答えろ……!」
「ば、ばけ……バケモノおおおお!」
ヨー侯爵家の三男が突発的な病を得て錯乱し、大通りで騒ぎを起こした。ボニー伯爵家との婚約は解消。幾ばくかの迷惑料をヨー侯爵家が送り、幾らかの公共事業は継続。ヨー侯爵もボニー伯爵も無駄なことは一切漏らさず、それで終わり。
世間としては、特に注目もされなかった。
マリーゼは特に同情もされず、当てこすりもなく何事もなかったかのように夜会に参加していた。
婚約破棄が何故か相次ぎ、お喋り雀が囀る話題には事欠かなかったからだ。マリーゼの婚約解消の話が最初の方だったせいか、すぐに立ち消えてしまった。
ホシガリッサ男爵未亡人は、いつの間にか姿を消し、代わりに現れた朗らかな顔をした男爵夫人が夫と共に人に囲まれている。
ボニー家の遠縁だと名乗る彼等は国境に住んでいたらしいが、最近移り住んできたようだ。
何時かのように人垣となって囲んでいたのは、前とは違い全て子供を持つ御婦人がただった。
「コレ、手品っていうんです。ほら、顔が即座にオバケになれるんですよ」
「まあ、可愛らしいお顔が可愛らしいオバケに!
面白い方ねえ」
「ウチの子が楽しめそうね」
「お子様でも楽しめるものも有りますよ」
「うふふっ、皆さんで楽しめますよ。あ、ボニー伯爵令嬢! ごきげんよう!」
ニコニコと、メニー、いやアンリリー・フェビ男爵夫人の嬉しそうに頭を振る度ゆるやかに編まれた緑色の髪が揺らぐ。マリーゼの後ろに控えている執事の髪と同じ色だ。
「相変わらず楽しいことがお好きなのね」
「少しはお役に立てたかしら?」
「ええ」
「それは良かった」
十数年前、マリーゼの父親は、領内の雪山に勝手に建てられた違法建築に住み着いている怪しい集団を討伐する。その際、何人かの子供を助けた。
彼らに父親は見つからず、母親に抱かれていたらしい。しかし、救出が間に合わず、女性達は誰も助からなかった。
そして救われた子供達は、ボニー伯爵領の比較的温暖な地域にある修道院にて養育される。
残念ながらその後病を得て助からなかった子供も何人かいたそうで、マリーゼは父と共に弔いの花を手向けにその度に訪ねた。
そしてそれから何年か経ち、救われた子供3人が訪ねてくる。
助けてくれたご恩を返したい、と。
その時に、嘗ての子供達はクラボンがマリーゼに冷たく当たる様を目の当たりにした。
彼等がポツポツと話してくれた話が、全て本当なのか、彼等の空想なのかは分からない。
ただ、執事の青年には自分はこちら流に愛して生きますと真剣に言われた事が、マリーゼには忘れられない。
「貴賎結婚て憧れるわよね……兄さん」
「さて、何のことやら」
「アンリリー、あんまり言うと拗れるよ」
呟かれた3人の科白に、マリーゼの口元が緩んだのは秘密だ。
マリーゼの父親は爵位を細々といっぱい持っているのです。逆にクラボンの父親は維持が大変なので、爵位をあまり持っていませんでした。