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ロストモラトリアム

作者: 湯猿千里

2000年代中頃、大小様々な企業の工場が立ち並ぶ田舎町。

高校生の兵頭安芸ひょうどうあきと幼馴染の宮武夕みやたけゆうの織りなす群像劇。


【原作曲】

ロストモラトリアム

ラストノスタルジア


【作詞者】

実稀(Octaviagrace)


この作品はオクタヴィアグレイスというバンドの楽曲を元にした二次創作です。


※本文中の『』内は原作からの引用

■ プロローグ


3月に入り、校庭の桜の枝に蕾が目立ってきた。

しかし蕾がほころぶには、まだもう少し時間がかかりそうだ。

今日は良く晴れてはいるものの、日陰では30分も経たないうちに身体が震えだすだろう。


――いつの間にかこの校舎の屋上は、わたしにとって特別な場所になっていたらしい。


何も変わらないようで少しずつ形を変えている田舎の街も、この場所からは一望できる。

周囲には高い建物もないので、そこそこ遠くまで見渡せた。

とは言っても近くには田んぼや畑、その遠くに高くはない山々が見えるだけだ。


小鳥のさえずり以外は何も聞こえない。

授業中は元より静かな場所のはずだが3年生が卒業した今、余計に静かなのだろう。

その静寂を噛みしめていると、大音量で授業の終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。


……屋外向けのスピーカーが近いお陰で軽く飛び上がりそうになる。


チャイムが鳴り終わり余韻がまだ、うゎんうゎん響いているが、

やっと生徒の声や椅子を戻す音などが聞こえてきた。


およそ1分後。鉄扉がある壁の横面にある窓が、ズルズルズルと音を立ててゆっくり開く。


その窓を手慣れた様子で乗り越えてくる彼は、コンビニのビニール袋を手首にかけていた。


「今日は早く起きれたようだねぇ?」


私は声をかけたが、彼は特に返事をしない。


看護師である母親が夜勤明けの日の昼食はコンビニのおにぎりか、中庭に売りに来るパン屋さんのパンと相場が決まっている。

ちなみに寝坊をした日はいつもパンになる。


彼は出てきた窓をまたズルズルと閉めた後、一瞬だけ物憂げな表情で空を仰いだ。

何も言わないままこちらへ歩いて来ると、鉄柵の土台となっているコンクリート部分に腰をおろす。

私とは横並びになっている形だ。


そして(おもむろ)に袋からおにぎりを取り出すと、包装を剥いて食べ始めた。


彼はもぐもぐと口を動かしながら、視線はまた空へと向いていた。

所々に見える薄い雲は綿飴のように溶けてゆき、気づくと視界の端には別の雲が割り込んでくる。


――わたしに勇気があれば、もっと早くこんな穏やかな時間を一緒に過ごせたのかな?


いつの間にか昼食を食べ終えた彼はビニール袋の口をキュッとひと縛りすると、そっと足元へ置いた。


彼は空を数秒だけ見上げた後、目を閉じながらゆっくりと俯き、一度だけ大きく呼吸をした。

息を吐き切ってからは呼吸の音は聴こえない。


学校の脇を走り去る軽トラックの音

近くの電線に留まる小鳥のさえずり

遠く聞こえる生徒が会話する声


――全てが穏やかで、わたしまで眠いような気になってくる。


私は体半分程だけ彼に近づき、彼と同じように瞼を閉じた。


いつしかだんだん現実と思考の境目が分からなくなってゆく。


そして全然脈絡の無い思い出が、脳裏をよぎる。


私はこんな瞬間がたまらなく好きだ。


――あぁ。あと一体どれくらい、こんな時間を過ごせるんだろう?



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



『ねえ、今わたしを思い出してる?』



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




■ 高校入学


僕は身支度を整え、朝食後の歯磨きをしていた。

あとは学ランを羽織って、昨夜準備をしたカバンを持って出れば大丈夫のはずだ。

それにしても中学から同じ学ランのままなので新鮮さはかなり薄い。

強いて言うならボタンだけ付け替えたという変化しかない。

袖のボタンは若干面倒だったものの--


「おにい!ユウちゃん来たよ!」


妹の春賀(はるか)の無駄に元気な声が後頭部に突き刺さった。


僕なりに新生活が始まる感慨(?)を探して味わおうとしていたのに、情緒も何もあったもんじゃない。

というか玄関のチャイムの音はさっき聞こえたから、そうかなとは思っていた。


しかし自分のペースが乱されることには慣れている。


僕は牛の鳴き声みたいに「んー」とだけ返事をして、口の中のものを洗面台に吐き出した。


ジャバジャバと水音にかき消されながらも、遠くから女たちのキャッキャした声が聞こえる。

その数秒後にはガチャンとドアの閉まる音が聞こえた。


洗われた歯ブラシがコトンと音を立てる。

僕は手と口をタオルで拭い、椅子に掛けておいた学ランに手をかけた。


「春賀も今日入学式だけど、準備は大丈夫なのかー?」


僕は学ランに袖を通しながら尋ねる。


「大丈夫、アタシはそういうの完璧だから!」


清々しいほどのドヤ顔をキメられた。

高めに結ばれたポニーテールも自慢げに揺れる。


確かに年齢の割に()()()()()()()しっかりしている。

受け答えもハキハキしているし、身長も高い方だろう。

知らない人に会うと、小6にして既に僕と同じくらいの歳に見られがちだった。


そしてつい最近まで僕も通っていた中学校は、この団地からはやたら近い。

春賀としては半分くらいが小学校からの顔見知りなので、余裕があって当然なのかもしれない。


――そうか、今日は自分が一番最初に家を出るのか。どうも変な気分だな……。


ボタンを閉め終わり、椅子の上のカバンを手にして「いってきまーす」と言いながら玄関へ向かう。

協調性が微塵も感じられない「いってらっしゃい」の輪唱を背に受け、新調した靴を履いて通学する感動に気づいた。

中学では学校指定の靴が存在したが、高校は派手でさえなければ自由なのだ。

自由が増えると訳もなく大人に近づいた気がする。

これも新しい生活を感じさせて、良い。



昭和を感じる鉄の扉を押し開けると、目の前に栗色の髪の毛が現れた。

久々のこの感覚に思わず「うおっ」と声が漏れる。


「なに?人をオバケみたいに…」


「ごめんって。いつもの感じでドア開けたら、近くに人が居たから驚いた」


少し不機嫌そうな表情を浮かべる少女は幼馴染の宮武夕(みやたけゆう)だ。

ぎりぎり縛れるかどうかくらいのショートボブで、瞳は髪と同じか それより少し明るい栗色をしている。


実際に(ゆう)は小学校5年の時にこの団地を出て行ってしまったので、一緒に学校へ行くなんてそれ以来だと思う。

(ゆう)の親父さんが転勤になっても拠点を確保出来るようにと、一軒家を建てたお陰で小学校の学区が変わってしまったのだ。


と言っても中学は一緒だったので、その2年弱が少しだけ疎遠になったくらいだ。

どちらかと言うと中学の時の方がコミュニケーションは少なかったかもしれない。

思春期によくあるアレだ。


少し仲良くしているだけで(はや)し立てる奴らがいるから面倒だった。

しかし周りに少しずつカップルが生まれてゆくにつれ、そういう奴らも何も言わなくなっていった。



話を戻すが、(ゆう)は何故か2周りは大きく見えるブレザーを着ている…。


「……ところで、ユウさん?その制服、少し大きすぎません?」


(ゆう)が階段を下り始めたのでカツンと音がした。


「いいの!わたしは成長期がまだ来てないの!」


その後ろ姿を見ながら、僕も階段を下り始めた。

2つの足音がコツンコツンと響く。


「そのうちアキよりも大きくなるから、多分!……ってか良いよね、男子は!学ランのままでさー!身長伸びたらその時に買い替えればいいんだもん。ってか何で女子がブレザーで男子が学ランな訳?そんなことってある??」


確かに。と思いながらタタンと地面にたどり着くと、僕は自転車置き場へと向かい、(ゆう)はその辺に停めてあった自転車のスタンドをカチャンと上げる。

一方的に喋る乙女の、疑問とも文句とも取れない発言は続いていた。


自転車のカギはガシャンと音を立て、僕はそれを引っ張り出して跨った。


「でも僕は助かったよ。何せネクタイなんて結んだことないからね……」



視線を横に向けると、南の山はいつもと変わらず佇んでいた。

稜線がとても美しい山だ。

くっきり見えるその姿は、心なしかいつもより荘厳に見えた。

まるで僕らの進学を讃えているような気さえする。


そういえば昔、一度だけ父方の祖父母がこの団地に来たことがある。

その時、祖母があの山を見て「富士」と呼んでいた気がするが、よく思い出せない。

もちろん静岡にある日本一の標高の富士山とは別物だ。

僕も幼稚園の頃だから、そもそも覚えられなかったとしても仕方がない。


そんな事をぼんやり思いながら、慣れない靴でペダルに力を込めた。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


道中は片側1車線の場所が多く道幅も十分ではないため、(ゆう)に続いて1列になって進む。

田んぼや畑ばっかりで目に映る景色はとても退屈だ。


通勤時間帯で車も多く、脇を通るたびに声が搔き消される。

たまに彼女が何か言うと「うーん!」とか「そうだねー!」とだけ返してやり過ごした。


……少しだけ後が怖い。全然聴こえなかった。


学校へは10分程度で着いた。早い。

さすが自転車。

人生初の自転車通学に少し感動さえ覚える。


初日とあって先生と先輩たちが配置されており、新入生を自転車置き場へ誘導してくれていた。


「そういえばアキってさ、自転車通学OKな距離なの?近いけど。」


「うーん……大丈夫じゃないかな、多分……」


確か直線距離で1km以上が条件だった気がするが、地図で見る限りは明らかに足りなかった。

ただ田畑を突っ切る訳にはいかないので、どう考えても道のりは1.5km以上になる。


いざとなればそう駄々をこねるつもりでいるが……

束の間の自転車通学にならないことを切に願う。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


早めに着いたのか、生徒玄関はそれほど込み合ってはいない。

出入口の横のガラス窓にはクラスの名簿が張り出されていた。


と言っても農業高校で定員も少ないため、どの学年も2クラスしかない。


僕は2組か。そしてすぐ近くに彼女の名前も見つけた。


「おっ、アキも同じクラスだねっ!」


兵頭と宮武。昔から同じクラスになれば、何かと近くに居る。

小中学校の出席番号は男女別で1からだったが、男女まとめて番号が振られていた。

高校とはそういうものなのか、定員の少なさ故なのかは分からない。

僕の2つ後が(ゆう)だった。


まだ会ってないが、僕のひとつ前の番号は中学で仲の良かった野中だ。


入口を通り靴箱を見ると上にはクラス、それぞれの区切りには番号が書いてある。

おそらく張り出されていた出席番号の場所を使えばいいのだろう。


野中も1つ後ろの奴も未だ来ていないようで、靴箱は空のままだ。


真新しい上履きはパタンと音を立て床に着き、それを履いて靴を入れ、教室に向かって歩き出した。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


見慣れない学校の景色は何となく、くすぐったい感じがして落ち着かない。

1-2……は、と。思ったよりも近い。階段を上ってすぐの教室だった。


教室の中には半分程度の生徒が居た。

旧知の友と集まっている者、一人で俯いて座っている者とそれぞれだ。


僕の番号の貼ってある机は、教室の右から4列目、一番後ろの席だった。

ユウは5列目の前から2番目なので少し距離はある。


特に荷物もないので特段やることもない。

どうしたものかと思っていると、まだ来ていない野中の席にユウが座る。


「野中君はどうせまだ来ないよね?」


確かに野中はいつも時間ギリギリにしか来ない。

でも入学式の日くらいは早く来るかもしれないじゃないか。


何とも言えず答えに困っていると、ユウの座る席に誰かが鞄を吊り下げた。


「おはよ。お前ら相変わらず仲いいなぁ……」


そう言うと飄々と野中は机の上に座った。


「おはよ。ゴメンゴメン、どくね!」

ユウが言い終わるのを制して

「あーいいよ、このままで。先生も居ないし、やることも無いし」

と、斜め上を眺めている野中が言葉を次いだ。


「ところでアキ……聴きたいことがある」


仰々しく野中はこちらを見据えて口を開いた。


「この後の予定を教えてくれ」


知らんがな、と思いながらレジュメに目を配ると


「うん、わたしもそれが気になってた!」


とユウが言う。


この脳筋どもめ。

よくよく考えればスポーツ推薦も狙えそうな奴らだ。

そして僕は決して賢いキャラではないのだけどな……。


口を開こうとした瞬間、先刻まで居なかったはずの声が聞こえた。


「はい、静かに!」


一瞬で、教室の空気が固まるのを感じた。


僕が気づいた時には、既に教卓の2歩ほど手前まで長身の女性が歩いて来ていた。

視界には入っているはずなのに、何故か意識に内に入らなかった。


……入学式で浮ついていたかな。


「この後、8:50から体育館にて入学式を開始します。各自トイレ等を済ませて、5分前には着席しているように。以上」


現在8:27。何ともビミョウな時間である。

それだけ言い残すと教師らしき女性は教室を後にした。


うん、何というか彼氏とか居なさそうな人だ。

何となくこの人が担任じゃないと良いなー、と思った。


「今のセンセイ、かっこよかったね!」


ユウは目をキラキラさせながら言った。


「あー……。俺はあの人とは、あまり関わらない方がいいかも……」


野中は霞んだ眼差しでつぶやいた。

……何かと価値観が合う奴ではある。


「とりあえずトイレに行って、体育館に向かっちゃうか」


トイレは上ってきた階段の向こう側にあった。

そして本来は体育館履きなるものが存在しているが、

入学式当日は上履きのまま入って良いとの事だった。


野中とゆったりとトイレを済ませ、廊下で待っていたのだが

ユウはちっとも出てこない。


女子のトイレは混雑しがちだと思っていたが……。

もしかして先に行ったのだろうか?


特にやることもないので野中と体育館へ向かうことにした。

多分ユウも体育館までに迷子になることはないだろう。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


体育館への渡り廊下にさしかかろうとした時、大きな声が響いた。


「おい、お前!!何だその頭の色は!!!」


触らぬ神に祟りなし、と思いながら素通りしようと決め込んだ瞬間、

目に入ってきたのは眉を吊り上げたユウの姿だった。


「"お前"じゃありません。1年2組の宮武夕です!」


……何やってんですか、ユウさん。


これまた違う意味で彼女も居なさそうな、ジャージを着た先生である。

短髪のモミアゲとアゴヒゲが繋がっていて、何となく清潔感に欠ける。


うっわ、もう帰りたい。本当に関わりたくない……。


これまで騒ぎになった事がなかったので気にしていなかったが、

ユウの髪色は所謂黒髪とは かけ離れた色味であった。


「ミヤタケ!校則で染髪は禁止されている!明日までに黒染めをしてこい!!」


ユウの顔がますます険しくなる。


「わたしは今まで髪の毛なんて染めたことがありません!黒染めなんてしたら、生まれて初めての毛染めになるんですが、それは校則違反ではないんですか?!」


ユウが本気で怒っている。


一度こうなると誰も止められる人は居ない。

教師もタコのように顔を赤くさせていた。


「先生、すみません!僕は小学校からコイツと一緒に居ますけど、昔からずっとこの色です!根元から黒い髪が生えてきているのを見たことがありません。ほら目も見てください。茶色いですけど、コンタクトすら怖くて入れられないヘタレなんですよ!」


咄嗟の精一杯の擁護をしたと思った瞬間、鋭い衝撃が僕を襲った。


「保育園から一緒じゃあ!!!」


え、何??

気づくとユウが僕の胸ぐらを掴んでいた。


なんかもう倒れそうだったが、ギリギリ踏ん張った。


ユウはその教師のポロシャツの胸ポケットにあるボールペンを引き抜くと、

真新しい生徒手帳のメモ帳部分に何か書きなぐり始めた。

きっと僕は卒業までペンを入れることは無いだろう。


それをビッ!と破って教師の目の前に突き出す。


「これがわたしの通った保育園から中学校です!今まで黒髪が生えてきたことがないことを確認してみてください!!」


そう言い放つと教師の胸ポケットにボールペンを刺し戻して、満足気に歩き出した。


「おー……カッケェなぁ」


野中が呟いた。


……何というかお前のそういうところ、本当に羨ましいよ。


教師はさっきよりも顔を真っ赤にして震えている。

僕は「すみません、失礼します」と頭を下げて、逃げるように体育館へと向かった。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


体育館へ入ると、保護者のほとんどが揃っているようであった。


反抗期に差し掛かっている春賀が父親を拒絶したため、こちらに来ているのは父親の予定だ。


姿こそ見えなかったが、この周辺には来ているはず。

……もっとも仕事の電話がかかってきていて、外に居るかもしれないが。


「携帯電話なんて不便なものを誰が作ったんだ」というのが父の口癖だった。

渡された以上、充電を切らせることなく休みでも持ち歩かねばならないらしい。

ちっとも便利じゃない、枷のようなものだとボヤいている。



僕には将来の夢も何もない。


良くて父のように工場に勤めて、それなりの昇進をして、もしかしたら結婚なんてのもするのかもしれない。それ以外に何もないこの街で生涯を終えてゆく。そんなビジョンしか見えなかった。


もちろん恥じることは無いし、それ以上に望むものが無かった。

ただ夢と呼ぶには、あまりにもキラキラさが足りなかった。


普通高校に通って、電車で1時間ほどの国立大学に通う。

そうすれば見えるビジョンを叶えることは難しくないのかもしれない。


でも、本当にそれでいいのだろうか?


僕は大人になるまでのステップが何一つ見えないまま、少しでも抗いたくて農業高校に入学した。


見えるレールから逸れることで、少しでも違う何かが見えることを期待して。



中学校でも感じた事ではあるが、上級生とはこれほど大人に見えるものなのか。

生徒会長の挨拶があったが、まるで大人のようだった。


とても2年後に自分が同じようになっているとは思えなかった。


おそらく2年とは長いようで、それほど猶予がないのではないか。

のんべんだらりと時間を過ごし、今と何も変わらない気持ちのまま

決断しなければならない時を迎えてしまうのではないか。

そんな不安に襲われる。


何も考えていなさそうな野中も、

自分が知っていると思っているユウでさえも、

自分を置き去りにして未来へ進んでいくのではないかと感じる。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


校長先生の話や顔も知らない市長の祝辞なんてものは

どこか他人事のようで少しも頭に入らないまま入学式を終えて

気づくと教室に戻ってホームルームを迎えていた。


朝のキツイ印象の教師が色々と説明をしているのを見ると、

どうやら1年間過ごさねばならない間柄になるようだ。


「注意事項は極力、その都度お知らせするようにします。……何か質問がある生徒はいますか?」


無いようですので以上、解散。

と言い残すと彼女は真っ先に教室を後にした。


手元にはB4用紙と、その半分サイズの用紙がギッチリと。

重たく束になっているので頭が痛くなりそうだ。


「昼前に帰れるなんてラッキーだなぁ。アキ、とっとと帰ろうぜ」


飄々と野中が言う。予定はレジュメに書いてあったはずだが。

……お前、一度もこれに目を通さないまま学校来てるよな?


それを言っても仕方ないと思った瞬間、


「アキー、意外と早く終わったね!帰ろ、帰ろっ!」


どうやら脳筋どもは行動パターンが一緒らしい。

……とにかく今は帰ることを優先しよう。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


野中の家は駅前通り近くなので、学校を出てからは反対方向だ。


ユウも両親は予定を把握しているだろうと信じて、途中まで一緒に帰って別れる。

帰りの自転車での会話もよく聞こえなかったので、もちろん適当に相槌を返した。


例の重たい束には、夜にでも目を通すことにしよう。


昼は外食する予定だった。


昼食を家族そろって取るなんて、いつ以来だろう?

もしかしたら春賀の卒園式以来とか、そのくらいぶりかもしれない。


父親は休日出勤、呼び出しが当たり前。

母親は市にある中央病院に看護師として勤めているので、土日も関係なくローテーションで勤務している。


僕も中学時代はバレー部でそこそこ頑張っていたので、休日も練習に行くことがほとんどだった。



僕らは年に何度か夕食に来る和食店へと向かった。

特に母親の誕生日には大体ここに来る。


久しぶりの明るいうちからの家族団欒。


僕はいつまで子供のままでいられるのだろう?

いつから大人として生きていかねばならないのだろう?


きっと世間的には、就職が切欠になるとは思う。

でも僕にはなりたいものもなければ、目指すものもない。

多分このまま高校に通っても、もし大学に通っても

そこで見つかるものは何も無いのではないか?


世間一般では目出度い日だと言うのに、何考えてるんだろうな。

曖昧な暗い気持ちに、僕はそっと蓋をした。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


入学式には葉桜だった木々は2~3日の内にすっかり花弁が無くなった。

アスファルトの端には、雨が流しそびれた茶色い花弁が僅かに残っている。


やっと今日から通常授業が始まる。

それにしても教科書の重さが尋常ではない。

なのに置き本をしてはいけないという決まりが分からない。


移動教室は何とか周りを見て動くとしても、

授業以外に僕にはとても悩ましい問題があった。


部活だ。


この学校には男子のバレー部が存在しない。


部活には入っていた方が良いと聞いているが、

僕は中学から始めたバレーボール以外に出来ることがない。

運動は正直あまり得意ではないのだ。

早くも深く考えずに進学したツケが回ってきた。


同じクラスには中学の時の部長だった田中が居るので、どうするのか尋ねてみた。


「最悪女子バレーのマネージャーって手もあるよな……」


そうか、その手があったか!こやつ天才か?


「でも俺はまたサッカーに戻ろうかなぁ。補欠でも何でも、自分がプレーしないのに休日に試合とか行くのよりはマシだもんなぁ」


そうだった、田中は小学校時代にサッカーやっていたんだ。

昔取った杵柄とは良く言ったものだ。何とかなるかもしれない。


ちなみに野中はずっとサッカーを続けている。


ユウは小学校から続けているバスケ部だろう。

この高校は県ベスト4の常連校であり、

それが目的の一つであるには違いなかった。


入部届の提出期限は来週末の17時まで。

それまでは各部活を見学して決めることができるらしい。


……来週になったら見学を始めよう。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


月曜日


今日は朝から雨が降っている。

運動部の半分くらいは部活が出来ないだろう。


体育館からはシューズが床に擦れる音や、掛け声が聞こえる。


ユウは既に先週から練習に参加していた。

中学で一緒だった先輩や、違う学校だった同級生と再会し

もう完全に打ち解けて全開で練習しているらしい。


……バスケは男子もあるのにな。


そう言えばバスケは小学校の時、ユウの勧めもあって始めたものの

いまいちルールが理解できずに、すぐに辞めた。


トラベリングとかオーバードリブルは分かったのだが、

練習試合でファウルを取られまくって嫌になった。


何故ボールを持った相手に体当たりされた僕がファウルを取られた。

尻もちまでついて痛い思いをしたってのに。

サッカーだったら、こちらがフリーキックをもらえる場面ではないか?

思い返しても納得がいかないままだ。



折角なので文化部を見て回ることにした。

文化部なら平常運転をしているに違いない。

僕は校舎内を見て回ることにした。


文化部は女子ばかり少数の部が多い。

……これはなかなか部活決めが難航しそうだ。


階段を上り、諦めかけながら歩いている僕の前に視聴覚室があらわれた。


そういえば映像研究部があったはず。


しかし視聴覚室は暗い。

廊下との間の窓にはカーテンが掛けられている。

この階は廊下の蛍光灯も点いておらず、雨天が余計に暗さに拍車をかけていた。


もしかしたら暗い中で映画でも見ているのかもしれないと思い

教室の引き戸に指をかけたが、扉はビクともしない。


何も音が聞こえないので誰も居ないのだろう。

……まさかこの部員集め期間に活動をしていないとは。


そのまま廊下の行き止まりまで行ってみると、

とても使われているとは思えない部屋の入口に「囲碁・将棋部」と貼ってある。


囲碁のルールは知らないが、将棋の駒の動かし方くらいは分かる。


それにしても全く違うゲームを一緒くたにするのは、

囲碁にも将棋にも失礼なのではないか という疑問が脳裏をよぎった。


どうせこの階には人は居ないと思い込んだまま、暗い部屋の扉に指をかけてみる。


……()いた。


普通の扉よりかなり動きが重いが、その扉は20cmほど開いたのだ。


念のため「失礼しまーす」と呟きながら更に開けた僕は、息をのんだ。

この暗い中に人が居る。

しかも二人。


「あー……もしかして入部希望者?」


ちらっと一瞬だけこちらに視線を向けたその人は興味なさそうに尋ねてきた。

眼鏡をかけており、髪は男子にしては長めで、額の真ん中近くで分かれている。

……その髪型、校則大丈夫なのか?


座っている膝の上には厚い漫画雑誌が開かれていた。

……多分、今日発売のジャンプだろう。


「ええ、見学期間ですので一通り見て回ってます」と無難に答える。


ペラリとページを捲りながら、その先輩はまた口を開く。


「まぁ、見ての通りだよ。マンガが好きなら あるものは勝手に読んでくれて構わない。ジャンプとサンデーなら毎週買ってくるから、俺らが読んだあとならタダで読める。この部屋には私物も多いから、持って帰る時には一応ひと声かけて。あと部じゃなくて同好会ね。去年まではギリギリ5人居たんだけど、今年からは俺とコイツの2人だけ」


コイツと言われた小太りでマッシュルームカットの人は、僕を気に留める様子もなく単行本を読み続けていた。


「君が頑張ってもう2人連れてくれば、一応は部として扱われるようになるよ。でも来年は俺ら居なくなっちゃうから、また2人連れてこないとだけどね」


眼鏡の先輩もページを進めながら説明をしてくれる。

何だかんだ悪い人ではなさそうだ。


僕も説明を聞きながら部屋を見渡したが、お世辞にも綺麗とは言い難い部屋だ。

暗くて見づらいが、教室の半分ほどの部屋にはモノが沢山ある。


本棚にはいつのものか分からないほど古そうな本や、漫画の単行本がギッシリ。

その手前には無造作に平積みされたジャンプがいくつも塔を作っている。

あとは汚い段ボール箱がいくつか。


そして入った時から気にはなっているが、ずっと雑巾みたいな臭いがする……。


「もし入部するなら片方だけでもルールは覚えてもらうよ?こんな雰囲気だけど、大会だけはしっかり出てもらうから。ここが無法地帯なのも、一応実績は残しているから……暗黙の了解なのかもしれないね」


軽く笑いながらそう言うと、またジャンプのページを捲っていた。


よく見ると向こうの壁にはおびただしい数の盾やトロフィーがあり

近くの段ボールにも無造作に盾や賞状が突っ込まれている。


「俺らは君が入部しようがしまいが、邪魔さえしなければどっちでもいいから」


ぶっきらぼうな振る舞いに、軽く愛想笑いを返して教室を後にした。

何だか無駄に濃い時間を過ごした気がする。


夢も希望も何かの才能も無い僕だが、青春と呼ばれる時間をあの空間で過ごすべきではないように思えた。


……でも、ジャンプがタダで読めるのは少し魅力だな。


今日はもういいや。雨も降っているし暗くなる前に帰ろう。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


火曜日


バレー部に行ってみるか……。


体育館に行ってみたが「今日は使用日じゃないから外を走っている」と、バスケ部の知らない先輩が教えてくれた。

バレー部は、月・木・金(多分)との事だ。


……外を走っている人に片っ端から声をかけるのも面倒だから帰ろう。

金曜日は早く帰らねばならないので、木曜が実質 最初で最後のチャンスとなる。


吹奏楽部が大きな音を鳴らしている近くを通り抜け、帰路に就いた。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


木曜日


体育館へ向かう。少し早かったかな?

と思ったが、既に女バスは半分くらい揃っている感じがする。

僕はホームルームが終わり、トイレに寄ってそのままここへ来た。

……掃除当番が無かったとしても、どうやってこんなに早く来られるのだろう?


不思議に思いつつ奥の方に目をやると、バレーのネットを張ろうとしている人が居る。

……先輩だったら最初の印象は大事だよな。


僕は駆け寄って挨拶をした。


「お疲れさまです!1-2の兵頭です。ネット、手伝います!」

「あ、お疲れさまです。……先輩たちは まだ来てないですよー」


ん、同級生だったのか。しかし見たことのない顔だ。

ということは1組かなと思いながらメインロープを張る。


「あ、ごめんなさい。1-1の大西です」

少し怪訝そうな顔でポールに紐を結んでいた。

「えーと、マネージャーに成れるか聞きに来たんですけど。……もしかして大西さんもマネージャー?」

ポールの中ほどをくるくると回す僕。

「あっ、そうです。先輩には居ないですけど、マネージャーは1年生であと2人いますよ」

心なしか表情から不可思議さが消えたような気がする。


大西さんは雰囲気が真面目だ。

次はモップ掛けをするらしい。

一緒になって練習前の準備をしているうちに色々教えてくれた。



そうこうしているうちに先輩たちも続々とやってくる。

何回も挨拶を繰り返す。これまた色んな意見が聞けた。


どうやらもう人手は足りているらしいこと。

可能性があるとしたら球出しくらいだということ。


男子のスパイクを受けるのは良い練習になるとの事で

実際、偶に他校の男子とも練習試合を組んだことがあるようだった。


部長とも話せたが、何とかその方向性で行けそうな気もする。


とりあえず今日は練習の様子を見学するようにと言われた。


大西さんは相変わらず真面目に球拾いをしている。

あとの2人のマネージャーは仲が良いようで、ずっとお喋りを続けていた。


この女性社会に飛び込むことは正直恐ろしいのだが……もうひとつ懸念点がある。


さっきからドッカンドッカン凄い音でサーブやスパイクを打ってる人が居るのだ。

頭一つ抜けて背の高い彼女は、頭の真後ろで長い髪を一つに束ねている。

そして球を打つ度に、その先端がムチのように跳ね上がった。


……中学の時 県大会でもこんな球を打つ奴、数えられるほどしか見たことないぞ。


中学と高校の差はここまであるのか……

彼女が練習で何割くらいの力で打っているのかは知らないが、

僕がコントロール無視の全力で打っても、敵うかどうか怪しい。


ひとつ確信できたのは、もし球出し要員として所属するのならば

かなり本気で特訓をしないとマズそうだということだ。

皆様、速い球を見慣れていらっしゃる……。


さて、もう明日までだというのに入る部活を決められていない。


僕がまともに見学したのは2つだけだ。

今から行ったこともない部活に入部申請するのは気まず過ぎる。


マンガ読み放題で、気が楽な灰色の学園生活を送るか

苛烈な女性社会で、彼女らに献身するかの二択である。


とりあえず部長には、入部届にバレー部と書いても大丈夫か確認はした。


部長はサッパリした性格のようで全く気にしないようだったが、

女子だらけの中に入るのは大変だと思うということを気にしていた。

もちろん練習台になってくれるのは大歓迎とのことだった。


翌朝、僕は入部届に「バレー部」と記入して提出した。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


結果的には部長が心配した通りになる。


僕は5月の連休明けから部活に行っていない。


早々に4月の内に数人の補欠の先輩や、大西さん以外のマネージャーから小さな嫌がらせを受け始めたのだ。


練習が厳しくなったことによる逆恨み

球出し以外の時も球拾いをしていたことによる逆恨み


女って本当に怖いと思った。特に理屈()()()()時が。


誰がやったか分からないような嫌がらせでも、見てると段々分かってくる。


初めは上履きの中に小石が入っている程度の可愛いものだったが、

最終的には5月の連休の練習後、洗い場で頭の上から"余ったスポドリ"をぶっ掛けられた。

そう、あの粉で作るタイプの。


冷たくて思わず「ヒュエェ!」と変な声が漏れるとこだった。

いや漏れていたかもしれない。


……あのマネージャー達だった。

自分たちが球拾いもしないで喋っていたことを、先輩から叱られたのが理由のようだ。

一部の先輩から僕がチヤホヤされてるのも気に食わないらしい。全く実感ないけど。


……首のあたりがベトベトして何とも気持ちが悪い。


そこまで暑い季節とは言えない夕方、まだ水道水は冷たい。

手で首の周りを拭っては、手を洗ってを繰り返して誤魔化すことにした。


そして本来の目的である水拭きしたモップを洗って絞り終えて戻ると、数人の先輩が部長に詰め寄っていた。


……こっちもか。


僕は何とも、悪い気分になった。


部長が解放されてひとりになったところを見計らって、

しばらく休ませてほしい旨を伝えるだけ伝えて体育館を出た。


背中で小さく「ごめんね」とだけ聞こえた。


それから僕は一度も部活に行っていない。

大西さんに被害が出てないことを祈るばかりだ。


と言っても既に彼女の顔すら、もうよく覚えてはいないのだけど。




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


■ 高校1年、初冬


――シラタマが、死んだ。


シラタマとは ユウの飼っていた猫の名だ。

元はと言えば僕が勝手に拾ってきた猫だが、泣く泣くユウの家に迎えてもらったという経緯がある。


「あの時のアキにはビックリしたよね(笑)私が引っ越して10日も経たないうちに泣きながら電話してきてさー」

「……うるさいよ、ユウ」


何度こんなやりとりがあったか思い出せない。

両家では鉄板ネタになってしまったお話だ。


その日も小学校が終わった後、春賀より先に家に帰ったのだが、団地の外の電柱のところに段ボールが置いてあるの見つけた。


今思えば”道端のものをとりあえず蹴るクソガキ”の時期を過ぎていて、本当に良かったと思う。


気まぐれにその箱を開けてみると、

中には衰弱した小さな白い姿があった。

当時の僕でも両手に収まる大きさだったので、

生まれてから相当すぐに捨てられたのだろう。


目は開いていなかったけど、息はしていた。

すごく小さいのに一生懸命生きようとしてるように見えた。


僕はどうして良いか分からず、何も声すら出なかったけど

急いで段ボールを抱えて家に入った。


まだ5月で少し寒かったから、タオルを入れたり

水や牛乳を飲ませようとしてみたりと、必死で何をしたのかよく覚えていない。


帰ってきた春賀には教えたが、団地で動物を飼えないルールは知っていたので親には内緒だと口止めはした。


しかし子供だけでよく命の危機を乗り越えたと思う。


数日後、夕飯を食べていると僕の部屋から物音が聞こえてしまった。


不審に思う両親を必死に誤魔化そうとする僕。


終いには「ニャー……」と、か細い鳴き声が聞こえてきた。もう誤魔化せない。


目の前では春賀が目をキラキラさせながら

「ねこちゃんもお腹が空いたのかなぁ?!」なんて僕に言ったのがトドメになって、一瞬にしてお茶の間は大混乱になった。


元の場所に戻してこいと言われ、渋々言うとおりにしてみたものの

箱から離れるとまた、か細い鳴き声が聞こえるものだから耐えられたものじゃない。


僕は玄関横にあるガスやらの鉄扉の中で内緒で飼うことにした。

夜はまだまだ寒くて、この子は死んでしまうと思ったから。

食べ物なんかは、給食の残りを持ち帰ればどうにかなるかと思っていた。


しかし2日後にはバレた。


僕が帰ると母親は顔を真っ赤にして怒った。


夜勤明けの母親と、ガスの検針がドンピシャだったらしい。

やっと寝始めた母親は検針員のおばさんにチャイムですぐさま起こされる羽目になったのだ。


そんな母親の足元で、子猫は不思議そうな顔をしている。

よく見ると汚れていた目の周りは心なしかキレイで、脇腹とかにもゴミひとつついていない。



夜、父親が帰ってきてからは家族会議である。


そしてしこたま怒られた。同じ事を何回も言われたような気がする。

覚えているのは、命を預かることの責任は重いということだけだ。


結果として僕は泣きながら、ダメ元でユウに電話をかけた。

最初は自分でも何を言っているのか分からなかった気がする。


引き渡しが伸びてしまっていたユウの新居は、ゴールデンウィーク直前にやっと完成したばかりの新築だ。まだ1ヶ月も経っていない。

少なくとも両親のどちらかは嫌がって当然だろう。



翌日、学校が終わってからユウとおばさんが当時僕はシロと呼んでいた その子猫に会いに来た。


シロは全身真っ白だが、心なしか右耳の後ろと尻尾の付け根の左側がグレーっぽい。


シロも2人にすぐ懐いた。

ユウに至ってはその場で「シラタマ」と名付けてしまった。目をキラキラさせながらじゃれていた。


おばさんも飼うことに賛成のようで、その場で連れて帰ることを決めてしまった。


おじさんは多数決で負ける。

夢の新居に新しい家族(猫)が増えるという青天の霹靂は悪夢のように感じたかもしれない。


ユウの話によると、突然のことに一瞬黙って目を瞑ったらしいが、すぐに快諾したらしい。

器の大きな男は格好いい。


もちろん命を預かることの責任の重さについては、粛々と諭されたようだ。


最終的に一番シラタマにデレていたのはおじさんらしいけど。


僕も年に何度かはユウの家へ、シラタマに会いにお邪魔していた。

頻繁に行きたかったのだが、中学の時からユウは部活で忙しく家に居ないことが多かった。


晩年のシラタマは濃いグレーの丸が毛並みに幾つか現れていて、僕が行くと「おう、お前か」と言わんばかりの顔をする"いぶし銀"の佇まいだった。


6歳になる前に亡くなってしまった訳だが、僕が拾った時点で腎臓に病気があり、獣医からは1〜2年を生きるのも難しいかもしれない と言われていたらしいので、頑張って生きてくれたのだと思う。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


僕は久々にユウと一緒に帰った。


庭にシラタマのお墓を作るというので穴掘り要員である。

というのは半分冗談で、僕も弔ってやりたい気持ちが強かった。


しかし、これがまた思っていたのと違ったのだ。


動物のお墓なんて言うと、こんもり土が盛ってあって、その上に木か石が乗ってるようなものを想像するだろう。


--実際は、その何倍も大変な代物だった。


ユウの手には「SHIRATAMA / 2001-2006」と、綺麗に彫られた石のプレートがあった。

そして足元には10個ほどのコンクリートブロック。


「ユウ、それは……?」


ホームセンターで、普段表札として売ってるものを墓石代わりに使うらしい。

上手いことを考えたものだ。洋風?洋風なのか?


コンクリートブロック、これはこんな田舎では狐などの野生動物が掘り返してしまうため、亡骸の上に敷き詰めることで掘り返しを防ぐらしい。


……それは、なかなか深い穴が必要だ。


ユウがシャベルを渡してくれる。本格的な奴なので何とか掘れそうだ。ちゃんと足もかけられる。


そしてシラタマの亡骸とご対面。


……どうしよう、思ったのと違う。


悲しさや寂しさよりもそっちが先に来た。

いやもっと、こう、丸まってるのを想像していた。

どのように絶命したのか分からないが、四肢が全て置物のようにピンと伸びている。


脚を曲げてみようとしたけども、ちょっと無理そうだ。


……どうやら、広くて深い穴が必要だ。


何も敷設されていないはずの庭の南西の隅に、僕は1時間ちょっと墓穴を掘り続けた。

もうすぐ冬になるというのに、身体が熱くてワイシャツ姿で袖まで捲っている。


途中大きめの石が出てきては挫けそうになりながらも、弔いの一心で掘り進めた。

ようやく深さ60cmほどの穴が掘れた。底の方でも亡骸が収まる十分な広さがある。


このとき僕は絶対に人殺しなんてしないと固く誓った。

猫一匹埋めるのにこれだけ大変なのに、人間なんてとてもじゃないが冗談じゃない。


ドラマでは簡単に埋めてるけど、あんなの嘘だぜ。



何とか暗くなる前に掘り終われて良かった。

安置したシラタマの亡骸にまた2人で手を合わせた。


「土…かけるよ」


ユウは小さく「…うん」とだけ答えた。

その時ユウの顔を見ていないが、きっと涙ぐんでいたと思う。


掘った土を戻していくと、あっという間に白い体は見えなくなっていった。

時折り隙間を埋めるように、上から優しく手で押し付けては、また土をかけた。


コンクリートブロックは見えない方が良いとの意見が一致したので、深めのところに敷き詰めた。

その上からまた土をかけてゆく。


最初より少し高くなったその場所が完成した時は、かなり暗くなりはじめていた。


それから小高いその場所の、生垣に近い方に、ユウが石のプレートが上を向くようにボスンと置いた。


--あ、そういう感じなんだ?


僅かに手前が下がっているように感じる。

よく西洋映画の中で、芝生や草原に平べったい石のお墓を見るが、あんなイメージなのだろう。


空は山際に僅かな茜色を残すだけとなり、もうプレートの文字を読み取ることすら出来なかった。

たまに首筋を引っ掻く風が冷たい。


今はやり遂げたという達成感と、改めてシラタマが居なくなった喪失感に包まれている。

僕とユウは最後にもう一度、手作りのお墓に向かって手を合わせた。


客観的に見れば、庭の2〜3cmばかり高くなっているところに表札がめり込んでる滑稽な光景なのかもしれない。


でも僕は誰にも、それを笑われたくなかった。

それはきっと、ユウも同じ気持ちだったと思う。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


■ 高校2年、初夏


僕が帰宅部(バレー部の幽霊部員)ということが周知されるには十分な時間が経過していた。


2年生になり、僕は食品関係の学科を選択した。

流通に乗せる為の設計だとか何とか説明があった気がしたが、興味が湧かなかったので曖昧な記憶である。


もし父親と同じように工場で働くことになるとしたら、何か役に立つのではないかという算段もあった。


僕らの町は多くの人が何かしらの企業に入って工場で働いている。

それで成り立っているような町なのだ。

やりたい事も無いまま外へ飛び出さなければ、お約束の将来が待っていた。


もちろん、正社員になりたければ大学を出ていた方がいいし、アルバイトでも良ければ中卒でも構わない。


歳をくっても工場でアルバイトを続けている人の悲惨さは、酔っぱらった父親から稀に聞かされることがあった。

……もっとも幸か不幸かを決めるのは本人だとは思うけど。




野中だけは違うクラスになってしまった。

本人曰く「俺は…農家になりたいなァ」と、果樹や野菜の研究をする学科を選択した。


1年で既にレギュラーの地位を不動のものとしていた野中だが、自分の実力なんてとてもメシを食えるようなレベルじゃないと言っていた。「県内だけでも自分より上手い奴が掃いて捨てるほど居る」らしい。

周りから見ればボールが足に吸い付いてるようで、ちょっとした魔法みたいに見えるのに。


ちなみに農家になりたい理由が、じっと座って勉強が必要な仕事はしたくないとのことだが、そっちの学科は勉強がとても難しそうだぞ。頑張れ野中!



ユウと田中は変わらず同じクラスのままだ。


最近、田中はサッカー部でレギュラー入りをしている。

丸3年間のブランクがあるのにも関わらず。

たった2年ほど前はバレー部の部長だったのに。


ユウも3年生が引退してからはレギュラーを不動のものとしていた。

練習試合の途中でベンチに下がった時は、誰よりも声を出していたのが印象に残っている。


どうして僕の周りの連中は才能に恵まれたやつばかりなのだろう?

何も持っていない自分が惨めに思う時すらある。




そして()()()()()()()故のことが身に降りかかることになった。


「兵頭、お前部活も何もやってないよな?今年は学園祭の実行委員をやってくれ。というか既に決定事項だ、やれ」


昨年から引き続きの担任が僕に言い放つ。

咄嗟に抵抗しようとしたものの、すっかり見透かされていて


「ちなみに生徒会には申請済みだ。もし代わりの奴を見つけられたのなら、本人の同意の上で交代可能だが、私は面倒だから自分でやってくれ。もっともクラスで部活も何もやっていない奴は、お前以外には居ないがな。それともう一人の実行委員は白石だ。彼女は去年もやっていたらしいから、分からない事があったら聞くと良い。以上だ」


……ぐうの音も出ないとはこの事か。

一瞬僕が何も言葉を継げないことを確認すると、

彼女は(きびす)を返してカツカツと歩き去った。


その日の放課後、珍しくクラスメイトから声をかけられた。


「あの、兵頭くん……!今日、ちょっと残れるかな?学祭のことで話し合いしたいんだけど……」


白石だ。昨年は違うクラスだったし、まともに話すのはこれが初めてだ。

「あぁ、大丈夫だよ」と答えるものの、何をどれくらい決めなければならないのだろう?


諦めが半分以上の心境で自分の席に戻って、鞄を机の横にかける。

白石は僕の前の浜田の席に座った。

……そういえば2年になってから席替えしてないな。


白石は鞄からクリアファイルを取り出すと、中の用紙を手渡してきた。


「これが前回の会議の次第のコピー。……私の書き込みも多いけど」

目を通すと、それほど内容は多くはないものの、頭が痛くなりそうだ。


「え、次の会議って明後日?!」

申し訳なさそうに白石がうなづく。


以下、要約


・各クラス2名の実行委員の決定、顔合わせ

・スローガン案の提出

・クラス出し物(第三希望まで)


ほうほう、実行委員の代わりを見つけるには明日と明後日しかないと。

それは諦めたとしても、スローガンは勝手に決めたとして

出し物だけはクラスの総意を確かめなければならないだろう。


「いや、これ全然時間ないね。もっと早く……」

うつむいた白石の、長いまつ毛の向こうに涙が滲んでいるのが分かった。

……この次第も1か月くらい前の日付が書いてある。


あー、もしかして。


確認してみたところ、やっぱりこうだ。


①クラスの女子を中心に実行委員が出来る人を探す白石

②次の会議が間近になっても見つからず、担任に相談

③2秒くらい考えた担任⇒「よし、私に任せろ。大丈夫だ、心配するな」

④「兵頭、お前実行委員やれ」


おうおうおう、世の中は不条理に満ちているなぁ。

もしかして囲碁・将棋部が正解ルートだったのか?


……いや、あの担任だと「お前、囲碁・将棋部だよな?」からの

同じルートしか見えない。もう、それ以外が見えない。


きっと歯向かうと「せいぜい来年も()()聖域が在り続ける事を祈っているが良い」とか言われるに違いない。


「ごめんね、兵頭くん。無理やり実行委員にさせちゃって……」

それについては白石は何も悪くないし、担任にも反論できない。

ただ問題は少し時間が足りないということだ。


とりあえず明後日の放課後までに

スローガンの候補とクラスの出し物を決めねばならない。


担任に翌日の帰りのホームルームで時間を取ってもらうように相談をしたが、

長引くと部活熱心な生徒から不要な反感を買う恐れがあると言われた。


次いで「よし、私に任せろ」と相変わらずサバサバした感じの姉御肌だ。

そして各自スローガンの原案と、クラス出し物の候補を考えてくるようにとも言われた。


翌日の昼休み明け、担任が受け持つ政治経済の授業は実習となった。

学科の特色上、この授業はクラスの全員が受けることになっている。


「今日は民主主義政治の基本を実習してもらう。皆で話し合い、擦り合わせ、多数決の原理に従って集団の意思決定を行う。今回、ちょうど学園祭という良いお題があるからやってみろ。以前、実行委員を決める際、白石以外に立候補する者は居なかった。そして各クラスに2名必要との事で、私が勝手に兵頭を指名した。この2人がクラスを代表して総意を生徒会に伝えることになる。ここまでで異議のあるものは居るか?」


沈黙は異議なしとして話を進め、「じゃあ白石、兵頭。あとは任せた」と言い残し、担任はPCに向かって何か作業を始めた。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


つつがなく総意をまとめることが出来た僕らは、

翌日の打ち合わせで無事意見を提出した。


ちなみにクラス出し物は白石さん原案の「サラダバー」だ。

ただし野菜を収穫するのはお客さん自身だ。

それは主に僕のせいで。



例年はお化け屋敷だったり、フランクフルト等の軽食など

普通の高校と変わらない出し物も、そう珍しくはないらしい。


白石さん曰く、学園祭で口に出来るものは主に炭水化物とタンパク質。

それらに脂や塩分や糖が加わったものばかりで、

他のものを食べたいということだった。


また、農業高校らしさを出すためにも自分たちで育てた野菜を食べてもらうという原案だった。


確かに毎年、学校で育てた野菜を販売してはいる。

しかしその場では食べられないので、帰ってから調理してもらうしかない。


クラスで話し合っているうちに、

種や苗から育てれば初期投資額は少なく済むこと。

夏休み中は部活の生徒が積極的に水やりを担当すること。

業務用のドレッシングを何種類か買ってきて色んな味を楽しめること。

等々、具体的なビジョンが固まってきた。


そして話を進めると問題点も浮き彫りになってくる。

10月の学園祭当日から逆算して育てる訳だが、

僕らがそれだけ頑張ったという、証が無いのが悔しい。

変な話、買ってきたものを出してもお客さんからしたら分からないからだ。


じゃあ育てた記録も展示するかとか意見も出たが、

どんどん手間が増えてきて企画が倒れそうになった。


育てる、展示物も作る、買い出しもある、当日の早朝から収穫する、見栄えする提供方法、と

はっきり言って、面倒くさくて忙しそうだ。

――やばい、かなり面倒になってきた。


「……いっそお客さんが自分で収穫してくれればいいのに」



僕はうっかり言ってしまった。

一瞬クラスが凍り付いた気がした。


と思うのも束の間、どっとクラスが盛り上がった。

「いいじゃん、それ!お客さんに収穫してもらおうよ!」と、

あれよあれよと前代未聞の企画に変貌していった。


畑でお客さんに収穫してもらう訳にもいかないので、

学校にある大量に余っているプランターを使って、育てたままを提供する。

当日は家庭科室を借りることで、切ったり洗ったりする問題も解決できる。

また、夏休み中に台風など来た場合、避難先として家庭科室を利用させてもらえたら都合が良い。


クラスの企画として承認された後、家庭科の先生にも許可を得ることができた。

どうも火を使うか否かで、厳しさが変わるらしい。


いつでも大人の基準というものは、よく分からない。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


僕らが学園祭の準備を進めているうちに、運動部はインターハイ予選の時期になった。


田中と野中の所属するサッカー部は、2回戦で敗退したので、平日に終わってしまい応援に行く事すら出来なかった。


女子バスケ部は、準決勝までコマを進め、土曜日の試合となったので応援に行ってみることにした。


改めてユウの応援に来たと思うと、少し気恥ずかしく感じた。

2階席の窓側通路から、何故か一緒に来ることになった野中とアリーナを見下ろしていた。

ちなみに試合に出られたのに活躍が出来なかった田中は自宅で傷心中だ。


右と左に2コートあり、それぞれ勝ち残った4チームが試合をする。

勝敗が決した後は、決勝戦と3位決定戦が行われる運びだ。


我が校はベスト4常連校とはいえ、多くの父兄とクラスの半分くらいは応援に来ていた。

去年は見に来なかったが、自分の知らない所でこんな景色が広がっているとは思いもしなかった。


今年、ユウは2年生で唯一のスタメンに入っている。

先生方からすると、この10年でも最高のメンバーとも称されてるらしい。


ぼんやり眺めているうちに、試合開始のホイッスルが鳴った。


笛の音が聴こえてから、最初にボールを着く音が聴こえるまでの時間は、やけに長く感じる。

実際は2秒もかかってないのだろうが、永遠にも近い時の刻みを感じるのは僕だけだろうか?


ユウは身長こそ高くないものの、素早いドリブルやムード作りに定評があるらしい。

今日も誰より声を出しているし、敵を掻き回してる感じがする。


損な役回りもをこなしているからだろうか?

先輩にもそれ以外にも妬まれることなくレギュラーを勝ち取っているのは。


不器用な僕とは全然違う。

才能があって努力もするやつには、ひっくり返っても太刀打ちできやしない。

そもそも僕は肝心なところを面倒くさがって、正面から向き合えていないのかもしれない。


そう思うと遠くから見下ろしているのに、目に映るユウがとても眩しく見えた。


何というか隣に居ても恥ずかしくないような人間になりたい、と思った。


そんな事を考えているうちに、第一クォーターが終わるまで、あと僅かだ。

点差は11点。我が校がリードしている。


試合中の人間とそれを観ている人間では、時間の感覚が全然違う。


この試合も僕がウジウジ考えている間に、勝敗が決まってしまうのだろう。

何もしていない自分がとても歯痒く感じる。


3年生のエースが一瞬で3人を抜き去り、レイアップを決めた。


と思った刹那、ボールはリングを2周半回り外へ溢れた。


ちょうどゴール下には、ユウと相手校のポイントガードが潜り込んでいた。


相手より10センチは身長の低いユウの方が、先に跳んだ。


指先からボールまであと数センチ。




次の瞬間、僕が見たのは「糸が切れた人形」の様にコートへと崩れ落ちるユウの姿だった。



--ユウ!



僕は声を出したのかどうかも、よく覚えていない。


急いで階段を駆け降りて、アリーナへと走り出していた。


僕がアリーナの扉を開いた時には既にタイムがかかっていて、顧問の先生が「動かすな!」と叫んでいた。


周りの人も囁いているが、確かに落ち方が変だった…。

まるで跳んだ直後には意識が無かったかのような。


顧問の先生は素早く駆け寄って、首を軽く持ち上げて軌道確保をしていた。

首に指を当て、脈や呼吸があることを確認し「救急車を呼んでください!」と周りに呼びかけている。


僕には、ただ見ていることしか出来なかった。


その後の事はよく覚えていない。


ユウが救急車に運び込まれるまで、とてつもなく長い時間がかかったように感じた。

最後まで僕は試合を観ていたのだろうか?

野中とは何を喋って、どんな風に別れた?


結果としては、その試合で我が校は1点差で勝利を得た。


しかし決勝では大差で敗れてしまい、全国大会へは行けなかった。


僕は、その結果だけを知っている。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


7月の期末テストが終わり、あとは夏休みを待つのみの時期になった。


最後のテストが終わり、午後はすっかり自由の身だ。


さて、今日の昼ごはんは何を食べようか?



振り返りにはなるが、ユウは試合の後の月曜日、普通に学校に来た。

まるで土曜日には何事も無かったかのように。


しかしユウはそれ以来、部活には出ていない。

詳しい検査結果が分かるまで、医師から止められているそうだ。

というか落ちた時に足を捻挫していたので、最低1週間は安静らしい。


幸か不幸か2週間も経たないうちにテスト期間に入った為、あまり違和感がないまま今日(こんにち)に至る。


「だぁーーー!やっと終わったぁ!たまには体動かしたい!」

と、脳筋1号が呼吸をするようにサラッと言い放った。


「医者からは運動をしないように言われているんでしょ?」


だってさぁ!とか何とかユウは騒ぎ始めたが、聞き流すことにした。


「そういえばユウ、昼ご飯ウチで食べてく?」

と僕が言うと「えっ、いいの?!食べる食べる!」と即答した。


「何が食べたい?」と尋ねると

「ヤキソバ!アキ特製の肉が入ってないやつ!笑」


……シバくか。


豚肉が冷凍のしかない時、電子レンジに取り残したまま完成させることがある僕をイジってきたのだ。

無言で頬をつねろうとする僕の手を、ユウは猫のようにパスパスと弾いた。


「大丈夫だって~。もし肉だけ残っても、わたしが食べてあげるから!」


……よし、決めた。

今日、僕はこのVサインをユウの鼻の穴に突っ込んでやる!


とはいえ、何かあったら後悔してもしきれないので

僕は腕を振るわせながら降ろすことにした。

もし検査結果が何事も無かったら、その時はこの2本指が火を噴くだろう。


心の中で捨て台詞を吐いたが、我ながら何とも情けない有様だ。


自転車を押して歩きながら、ユウと他愛のない話をして家に向かった。




こんな何事も無いような日々が一生続くのだろうか?


きっとそんな事はないだろう。

しかし、変化をしつつも変わり映えの無いものかもしれない。


視界にある山の向こうには、

夏本番を告げる入道雲が立ち上っていた。

昨晩遅くに雨が降ったせいか、草刈された後の匂いが立ち込めている。



そんな感傷的な心のナレーションをぶち壊すように現実は突きつけられる。


「おにい!遅いよぉ~!お腹へったあ!!」


玄関の前で待っていた春賀が駄々っ子のように騒ぐ。

すかさず僕はコイツの両頬っぺたをつねる。八つ当たりである。


「いららららら!……あぇ?ユウひゃんらぁ!いらっひゃい!」


昔からコイツらは仲が良いから、放っておいて飯を作ろう。


ちなみに春賀が鍵を持っていないのは、昔から大事なものに限って無くすからだ。

大体のことはしっかりしているのに、肝心なものを無くす。


小学校に上がってからは合鍵を与えられたが、

すぐさま無くして玄関の鍵を交換する羽目になった。


春賀が5年生の夏、僕も部活が忙しくなってきた頃で、

春賀には新しい合鍵与えられ、常に紐で首から吊るしていたのだが

プールの授業の時に無くした。


もうこの時に両親は玄関の鍵を交換する事さえ止めた。

それ以来、春賀には合鍵が与えられていない。


ちなみに家族旅行の際、乗り物券や入場券などは母がまとめて持つのが我が家の暗黙のルールとなっている。



熱した油の匂い、野菜を炒める音、窓から入る温い風。


どれも、ありふれた日常にあるもの。


いつかそれを、かけがえの無いものだったと思う日が来るのだろうか?


今はテストが終わった安堵感しかない。

が、周囲の雰囲気とは裏腹に、たまに冷静にそんな事を考えてしまう。


みんなが楽しそうにしている時に、急に漠然とした不安が寄り添ってくるのだ。

考えてみても仕方ないとは、分かっているけれども。



今日は麺がフライパンに焦げつかず、上手に出来た方だと思う。


そう思って食卓に置いた瞬間にハッとした。


――しまった!焼そばに肉が入っていない!


引っ込めようと思ったが時すでに遅し、

皿を置く音に引き寄せられた()()()()()()()の視界に捉えられていた。



解凍された豚肉だけが、電子レンジの中で寂しそうに佇んでいた。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


大爆笑の食後にも話をしたのだが、今年は花火大会に行くことになった。

もう中学以来行っていない。

とは言っても対岸の人が少ないところから眺めるのが僕のお約束で、

人込みの出店には小学生以来行っていない。


住んでる人しか通らない小道を抜けると10分ほどで川の対岸に着く。

出店などは無い代わりに、前に居る大人の頭で花火が見えないなんてこともない。


小学生の頃は数人で自転車に乗って必ず来てたものだ。

途中の自販機でジュースを買って。

そして毎年誰か1人は必ず、炭酸が噴き出してベトベトになってた気がする。


今年急に行く事になった理由は田中だった。

白石さんとお近づきになりたいと僕にすがってきたのだ。

決して僕とユウだけでは行かなかっただろう。


田中の要望はこうだ。

とりあえず最低限のメンツは田中と僕と白石さん。女子の人数合わせにユウ。

出来れば女子は浴衣が良い。


学祭実行委員としての接点はあるが、いきなりそんな話をして快諾を得るほど、僕に人徳やらがあるとは思っていない。


田中には期待するなよ?とだけ言って、半ばヤケクソで白石さんに声をかけてみた。



……マジか。行くんだ?

そして浴衣も、着るんだ?


コミュ強のユウさんは早速白石さんと

どんな浴衣を着るのかとか、おしゃべりを始めていた。


僕は釈然としない感じで、田中に「OKだった」と報告をした。

舞い上がった田中は甚平を着ると、はしゃいでいた。

うん、僕は普通にTシャツで行くぞ。



それにしても高校2年生の夏というのは、こんな物語みたいな出来事があるものなんだな。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


夏休みに入り、入道雲は毎日飽きもせずに空を埋めている。


プランターのサラダほうれん草がやっと芽を出した。

こんな細長い葉っぱが本当にほうれん草になるのか?


……もしかしてこれ、実はほうれん草じゃない?


今のところは台風もなく平和である。


そして花火大会の2日前、田中は

県外に住んでる母方の祖父が倒れたとの事で不参加が決まった。


どうしたものかと思っているうちに当日を迎え、白石さんは一緒に住むおばあさんが高熱を出したとのことで不参加になった。


昼前にユウにメールを送ってみたところ、


「みんな行けないのは残念だけど、せっかく新しい浴衣も買ったのにもったいない」


との事で、ユウは今さら行くのをやめる気は無いらしい。


……そうか。


行くんだ?そして浴衣も、着るんだ?



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



――17:48。もう時計を見るのは何度目だろう。


6時くらいにユウが来る予定だ。

ウチまではおばさんが車で送ってくれるらしい。


気にしないと直前に予定を思い出したり、時間が過ぎてても気づかないので

必要以上に時間を気にしてしまう(さが)ゆえだとは分かっているけど。


そうだ次に捨てるジャンプを束ねておこう!


ビニール紐とハサミを手に、

ジャンプを読み返しているうちに玄関のチャイムが鳴る。


一瞬忘れていたので軽く口から心臓が飛び出そうになった。


何と自分の間が悪いことかと思いながら玄関を開けると、

そこには今まで見たことが無い美少女が!!


……なんて事は無く、ただただ浴衣を着た姿のユウが居た。


所詮、高2の幻想はここまでなのだと現実に引き戻されつつ、

ガスの元栓やら出掛ける準備をして玄関扉に鍵をかけた。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


――どうしよう、何となく気まずい。


シーーワ シワシワシーワーー

ジーーーーージーーージーージーーーーー

ミンミンミンミンミーーーーーーーーーーーン


コッ、コッ、コッ、コッ、コッ


と、セミの合唱とユウの雪駄の音しか耳には届かず、

頬を汗が滑り落ちてゆく。


何か気の利いた事でも言うところじゃないのか?

今さら何を?多分、玄関を開けた時に言わないと意味は無かった。


――キ!……アキってば!!


いつの間にかユウが呼んでいる声も聴こえていなかった。


「あっ、ゴメン。何?」


「ちょっと歩くの早いよー。履物に慣れてないせいか、足の親指と人差し指の間が痛くなってきた」


ビーサン慣れっこ勢の僕としては、ちょっとよく分からないです。

いや、まだ中学の横の神社過ぎたばかりなんだけど。


ゴメンまだ時間もあるし、ゆっくり行こう。

と、言ってペースを落として歩き始めた。


あれからまた何も気の利いたことも何も言えず、

歩いているとまたユウが言葉を発した。


「……ねぇ。下駄が、壊れちゃった」


「ちょっと見せて?」


見てみると、鼻緒の付け根が切れてしまっている。

こんなにすぐブチ切れるもんかね?


時代劇なんかでは、袖を「ビッ!」と破いてあっさり直しているもんだが

現実ではそう上手くはいくものではないだろう。


ユウの左手は僕の左肩に、片足立ちをしており

雪駄の裏側を見るとゴムの靴底には穴が見当たらない。


思っていたのは、V字の又に紐を引っかけて、

靴底で結び目を作れば復活すると目論んでいたが現代は違うらしい。


ゴム底の時点で違うでしょーが!とも思いつつ、

ヤバイ、暑い。何も思考がまとまらない。

そしていつもより近いユウから、石鹸みたいな匂いが止まらない。


何はともあれ、とりあえず近くの神社まで行こう!


って思った事と全く同じことを口にしながら、ユウをおんぶすることにした。


同級生に見られたらどうしよう、とか

どうでも良いことを思いながら今、自分に出来ることをするしかないと思った。


シーーワ シワシワシーワーー

ジーーーーージーーージーージーーーーー

ミンミンミンミンミーーーーーーーーーーーン


先ほどまでとは違い、今度は蝉の合唱と僕の歩く音しか聞こえない。

サンダルとアスファルトの擦れる音が、

さっきよりも大きく感じて情けなさを煽ってくる。


クッソ、ユウは何も言わないし

セミは馬鹿みたいに叫び続けている。


時間の流れがハチミツのように固く感じる。

蝉の「シーーワシワシワシーワー」が腹立たしい。


ひ弱な僕にとっては想像以上に重たかった。

……決してユウが重たいという訳ではなく。


ユウを背負っている重みと、ユウの体温によって

今までの3倍は汗をかいている気がする。

――何かめっちゃキモいな、自分。


言い知れぬ後悔が押し寄せてきている。

もっと何か、何か解決策があったのではないか?


今まで全く気にしたことのない、いい匂いで頭がクラクラする。



シーーワ シワシワシーワーー

ジーーーーージーーージーージーーーーー

ミンミンミンミンミーーーーーーーーーーーン



近くにある神社まで、普通に歩いたら3分くらいのはずだが、

とてつもなく長く感じた時の中で、やっと辿り着いた。


初めて立ち寄ったボロボロの境内で、縁側みたいなその場所で、

やっとユウを降ろすことができた。

全身が軽くなった弾みで、少しよろけた。


「アキ、ごめんね。せっかくの花火大会なのに、間に合わなく……」


ユウが言い終わる前に、薄紅色にユウの顔が照らされ、

ドーーンという音が背中を撫でた。


今まで影の無かった場所に影ができる。

振り返ると、竹藪で欠けた花火が見えた。


また前を見ると、少し潤んだ瞳のユウの顔がある。


……あれ、こんな顔だったっけ?ユウの顔……?


何というか、とても女の子らしいと思った。


――今度は僕、何も声に出していないよな?


自分の事なのに何処か他人事のように、僕がいたたましい。

何か言いたそうなユウの顔を直視することが出来ず、

ここまでの疲れもあり、僕はユウの隣にドカッと腰を降ろした。


ドンドンと花火の音が腹に響く。

恥ずかしさもあってか、何か言わなきゃと思う。


「もう今日はここで花火見ようぜ」

「……半分しか見えないけどね(笑)」


照れ隠しを更に隠すように、ぶわっと風が吹きつけた。


いつもなら吹かなくても良いくらい温い風なのに、

汗をかいた今では救いのような風だった。


その瞬間、ハッとした。


ついた手の、小指の外側どうしが触れている。

今さら手を引っ込めるのも、逆に恥ずかしく思って

あえて僕は動かずにいた。


後から考えれば、本当にどうでもいいような意地を張るあたり

僕は父親に気質がよく似ていると思う。



花火が終わった後、春賀のサンダルをユウに貸すために家に戻った。


疲れてその後の事はよく覚えていない。

その他にも覚えていない事は多々あるのだろうけど。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



僕にとっては、世の中の動きは早すぎる。


いつのまにやら高校生活の折り返しは過ぎていて、

学園祭が終われば、幾ばくも経たずに中間テストが待っている。


人参のように少し時間のかかるもの以外の野菜は、

学祭の当日から逆算して種まきや植え付けを行うので、

夏休み終盤からは僕と白石さんは怒涛の追い込みが続いているような感じだった。


学校が始まってしまえば、水やり等は人任せにできるので

夏休み中ほどの気苦労は無くなっていた。



あれからユウは部活に行けない不満を、

毎週水曜日あたりにウチに来ては発散していた。


主な目的は最新の「ONE PIECE」を読むことである。


女の人って何で複数の事を同時に出来るんだろう?


マンガを読みながら色々と喋るものだから、

こちらも()()()で適当に話をしていると、急に

「いま感動的なトコロだから話しかけないで!」とか言い始める。


知らんよ、そんなの。


僕には女ゴコロなんてものは永久に理解できないと思ってしまう。


何せ母親の事さえ、全然分からない。


皆が揃った休日、昼食に何を食べるかなんて時なんて、

和食も違うなら洋食も違う。

ラーメンも中華も食べたくないのであれば、一体何なら食べたいんだ?


過去に

「カロリーメイトでも買って帰ろうぜ!」

と言ったら、家庭の空気が重苦しく最悪なことになったことを記憶している。


せっかちで気の短い父親が慎重になってるあたり、

ここいらには繊細な大人の事情が隠されているのだろう。


いつからか僕にとってユウは、女子の権化になっていた気がする。

それと同時に目の前の事を分かち合える親友の様にも。



そして「実質帰宅部」の僕らを気にする様相など無いまま時間は流れ、

実感を得ることもなく学園祭当日を迎えた。



一年生の時は時間を持て余して、

野中と一緒に屋上で昼寝をしようとした程だったのに。


ところが今年はどうだ。

僕が気づいた時には1;45に差し掛かろうとしていた。


運動部の男子もプランターの出し入れで疲弊し、

先ほど仲良し4人組の女子が追加のドレッシングと紙皿等の買い出しに出かけた。


おかしいな、セルフで収穫させるけど余計に労力がかかるな?


確かに早朝の収穫を必要とせずに、

いつもより遅い時間に登校して準備は整った。


整った、はずなのに。

何でこんなに目の回る展開になっているのだ?


後から聞けば、類い稀なる成果を上げた催しだったらしいが

もう一度やれるかと問われれば、正直二度とやりたくないほどだ。


始まってから、10時くらいに数分途切れたものの、

そこからは行列がずっと続いている。


僕が再び時計を見た時には3;28を指していた。



……何も見ないまま、もう学園祭も終わりじゃん



一般公開終了まで1時間を切っていた。

特に見たいものも無いけど、少し休みたいな。


僕と白石さんはクラスメイトに指示を出しながら、

人手が足りない時は僕がプランターの出し入れをしていた。


気づけばユウも頑張ってくれている。

午前中は居ることに気づかなかったけど、かなり貢献してくれていると思う。




時計を見ると、午後4;18。



17時からはキャンプファイヤーが始まる。

オクラホマミクサー?が流れてフォークダンスをするらしい。


体育の時間に、ご丁寧に練習もした。


クラスは男子と女子の比率が2:1くらいなので、

よく男子同士で練習させれれていた。


それなのに「想い合っているいる男女がフォークダンスをすると恋が成就する」なんて、根も葉も無い伝承があるもので、それが学園祭に熱を加えていることも否めなかった。


いや、女子の方が希望高くね?


僕のようなスレた意見は大衆の熱に揉み消され、

"綺麗な場面だけを集めたダイジェスト”なんかが持て囃されるのだ。


恋が成就したその後なんて、全然語り継がれたりなんかしない。



もう、全部 面倒くさくなっちゃったな。



屋上にでも行って終わるまで待とうかとも思ったけど、

疲れてそのまま家庭科室の外に腰を降ろしてしまった。


キャンプファイヤーには火が灯されていて、

生徒は集まるようにスピーカーで呼びかけられている。


――このまま終わるまで、ここに居ようかな。


いつかのような心地よい風が頬をなぞった。



ふと右側を見ると、相も変わらずモミアゲとアゴヒゲの繋がった

体育教師の持田がこちらを見て立っていた。


その斜め後ろに何故かニヤニヤしたユウも立っていた。


「おい、兵頭!全生徒集合するように言われていただろう!」


そう言うや否や、ユウが走ってきて、

僕の手を取り、「早く行こう!」と走り出した。


よく考えたら花火大会以来、ちゃんと言葉も交わしていなかった気がする。


微妙に全体の輪から外れながら、僕とユウはフォークダンスを踊った。


これって誰得なんだろうな?とか思いながらも、

今はクラス企画を達成した余韻に浸っていたかった。


自分が思う以上に、気にもかけていない誰かが

頑張ってくれたから、何とか形になったのだとも思える。


いつの間にか、6時は暗くなる季節になっていた。

ユウの検査結果の詳細も知らないまま、夜は少し肌寒くなっている。


何も気に留めず楽しい時間がある。


ちなみにユウは明日の午前中、大学病院に検査結果を聞きに行った後、

午後はウチに来て最新話のONE PIECEを読みに来るらしい。


その時には、良い知らせが聞けると良いんだが……。


この日の僕は風呂に入ったかの記憶も無いほどに、

慌ただしい気持ちのまま眠ってしまった。


父親と春賀が来ていた事とか、夕食の最中に聞いた気がする。

母親は宿直だったので居なかったけど。

中学2年になった春賀も、そろそろ立派に食事を作れるようになってきた。

僕も色々と教えた甲斐があったというものだ。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


僕が目を覚ましたのは午前10時になる、少し前だった。


学祭振替休日の月曜日は、父親も春賀も居ない。

こんな静かな休日なんて、今まで感じたことがない。


静か過ぎて何となく少しソワソワと落ち着かない心持ちだ。


トイレに行こうと起き上がると、家の電話が鳴った。


別に普段誰も居ないのだから無視しても良かったのだが、

気の迷いか電話を取ってみた。


「はい、兵頭――」


「アキ!?……お母さんだけど、もう知ってる?!」


僕には何のことだか分からない。

いやいや一体、何のことだか?という雰囲気だったと思う中、

僕の耳に信じられない言葉が告げられた。





「ユウちゃんが……、亡くなったこと」





◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇





どれだけ悪い冗談なのだ と思ったが、

母親がこのタイミングで(たち)の悪い冗談を言う意味は無い。

というか人としてそんな冗談が許されるはずがない。


いつもなら、もう帰ってきているこの時間。


今でも病院に居るという、この時間。


余程の理由が無い限りは、あり得ないこの瞬間。


僕は全てが事実であると、理解させられた。


世界がぐるぐるぐるぐると回る。



とは言え、最近までそのベッドにもたれかかってジャンプを読んでいたユウが。

たかが花火を見に行くだけだったはずなのに、大汗をかきながら一緒にそれを見たユウが。

昨日、僕がくだらないと思っていたフォークダンスを、その手を取り踊ったユウが。

そして今日、午後にまたジャンプを読みに来るはずのユウが。


もう既にこの世に居ないなんて馬鹿げた話など、そんな訳があるはずないと思った。



「……アキ、落ち着いて。正直、私もユウちゃんだって気づいた時には、落ち着いて居られたか分からないけど」



母親が伝えた内容は、こうだ。


ウチの傍で僕とユウが分かれた後、

ユウは家へと続く田舎道で、トレーラーに轢かれた。

近くのタバコ屋の婆ちゃんがその瞬間を目撃していて、

そのまま救急に電話をしたらしい。

それはもうすごい剣幕だったそうだ。


歩道と車道の間には高さ10センチちょっとのブロックが設けられているが、

ユウは自転車に乗ったまま突然、車道側に倒れこんだそうだ。



それは()()()()を見ていた僕には想像に難くないことだった。



それから母親が言っていたことは事実として知っているが、

聴いていた時の記憶が全く、無い。



――僕は思い返していた。ユウと別れたときのことを。


『また明日』

『じゃあね』


と僕は照れ臭く、肩の高さに手を振った。



そのとき陽はすっかり沈み、山際は仄かに茜色だった。

かすかに見えるユウの表情は、笑顔だったように見えた。

それはハッキリと思い出せる。その後の、ユウの後ろ姿も。




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


■ 高校2年、11月――


いよいよ肌寒さを感じ、木々が枯れ葉を散らしている。


結局、僕はユウの通夜にも葬儀にも顔を出さなかった。


そうしたら現実が変わる訳でも無いというのに。

駄々っ子のように、目を背けるように、ただただ受け入れることを拒んだ。


あの時、通夜から帰ってきた春賀は最近では見たことがないような、

大粒の涙をボロボロこぼしていたのを記憶している。


僕は何も言わずに、ただ春賀の傍にいた。


薄情だとなんだと言われたような気もする。

ユウのおばさんからも、落ち着いたら線香をあげに来てほしいとも言われている。


それでも僕は、今でも――



頭では理解しているのに、心が全然伴っていないというか……。

何処か上の空のまま、僕は日常生活に身を置いていた。


田中は見る限り平常運転で、僕を慰めてくれたり、

部活の新人戦で惨敗したことを結構引きづったりもしていた。

抑揚が激しい奴だが、思いやりに溢れたやつでもあると思う。


野中はいつも傍に居てくれたような気もする。

田中と同じサッカー部で、ずっとエースを張っているのだから

頑張っていないはずはないのだけど、何処か常に余裕があるようにも思える。


友達が多い方だとは思わないけど、僕はきっと恵まれているのだろう。

こんなに気の良い奴らが傍に居る。


それでも、昔から気の許せた一人の女の子が居なくなった今、

彼らと真正面から向き合えていないとも感じる。


どうしようも無く、情けないと思った。


そんな情けない自分を隠すように、

昼休みに屋上へ行っては一人の時間を過ごした。


1年生の頃から度々、屋上で昼食を食べている。

鍵がないと鉄扉は開かないものの、

明り取りの窓は普通のサッシなので

そこから自由に出入りは出来るのだ。


意外と知られていないので、簡単に一人の時間は作れる。


とは言っても窓の手前の端は、階段が一段下がったあたりにあるので

少し身長や手足の長さが無いと難しいのかもしれない。


僕はいつも一回跳んで鍵を開けてから、手を伸ばして窓を開け

横跳びしながら体を持ち上げ、そのまま屋上へと出る。

何となく窓の外の地面は近くて、毎回少し変な気分になる。


この日も僕は一人、屋上でコンビニのおにぎりの包みを破いた。

縦に細い線状の部分を引いて真ん中を開け、

左右にビニールを外してから海苔を折りたたむ。


子供の頃は上手く出来ずに海苔を破いていた記憶しかないのだけど、

いつの間にやら、これも進化を遂げているのだろうか?

それとも僕が、ただ慣れただけなのだろうか?


いずれにせよ、これを考えた人は天才だと思う。


なんて事を考えながら、おにぎりを齧る。

心境とは裏腹に、焼き海苔がパリッと小気味よく音を立てる。


そういえば毎回海苔を破く光景を、ユウに笑われたっけ。

頭に来たけど、ユウははじめから海苔に包まれているタイプのおにぎりしか食べないので

馬鹿にし返すチャンスが見当たらないんだった。


「わたしは絶対やぶくから、そのタイプは買わない!」

と自慢できないことを言いきっていた。


軽く笑いながら、僕はいつの間にか声を出してしまった。


「たった一言でも、言葉を交わせたらな……」


今でもユウが居ないことを受け入れられていない僕は、

誰の目にも情けないことは明らかだ。


それを本人に、笑い飛ばして欲しかった。


春賀さえも事実を受け入れた上で、自分の足で歩んでいる。

母親も多くの死を見ているにも関わらず、とてつもなく心をかき乱され、

それでも自分にとっての当たり前の日常をこなしている。


感傷的になっている僕が馬鹿らしいほど、

傷ついた人は沢山いるはずだけど皆、事実を受け止めて先に進んでいる。


いつかは成る、大人。

それって何だろうな?


僕は永久に大人に成れる気がしない。

それは今までも。情けない今は、尚更。


いつの間にやら食べ終わったおにぎり。

ゴミの入ったビニール袋は、風に吹かれてカサカサ音を立てた。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


■ 高校2年、冬


僕も人から見たらいわゆる「通常運転」になっていると思う。

普通に学校に行って、普通に会話して笑って、普通に過ごしている。


それでも雨が降らなければ、昼には屋上でひとりで過ごす。


こないだ、いつかユウと一緒に行った文房具屋に顔を出した。

一緒に行ったのは小学生の頃「ねりけし」が流行ってた時だと思う。

どれだけ大きく出来るか競い合っていたけど、

アレって結局どうしたんだろう?思い出せない。


愛用しているシャーペンの芯が詰まってしまったので、

仕方なく買いに来たのだが、店主も高齢のため年内で店を閉めるらしい。

息子さんは居るが跡は継がないようだ。


困ったな、意外とコレは売っている所が少ないのだ。

サイドノックのシャーペンで、一世を風靡したらしいが

僕が気に入った時には、かなり人気は下火になっていた。



誰も気に留めないこの回想シーンは、

相も変わらず昼下がりの屋上で行われている。


ある時は、屋上に上がると空に雲が多くて

その向こうにユウが隠されているんじゃないかと思ったこともあった。

天空の城ラピュタみたいに、自然の姿に。


別に神様も何も信じている訳じゃないのに、

誰がそんな事をするんだと自分を鼻で笑ってしまった。


――あぁ、本当に情けない。



吹く風に鼻の頭を冷たくさせられてから初めて気づいたが、

僕はきっとユウに恋をしていたのだ。


それがいつからなのか見当もつかない。


ただ今は、ユウと過ごしたこの街並みが、

飽きるほど見てきたこの街並みが変わっていくことが、少し哀しい。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


私は気づいた時には、何度か来たことのある学校の屋上に居た。


――あれ、どうしてこんなところに?


空は晴れ渡っており、雲はまばらな秋の空だ。


そうだ、私は大学病院に行って検査結果を聞かなきゃなのに。

そしたらアキの家に行ってワンピ読まなきゃなのに。

どうして誰も居ない学校に居るのだろう?


窓に手をかけようとしたけど、窓に触れない。

意識はあるのに、自分自身がよく見えなかった。


――わたし、アキにバイバイした後……


どんなに思い出そうとしても、自転車に乗って自宅へ向かった先の記憶が無いこと。

この現状を見て事実を理解するのに、そう時間は掛からなかった。


「えっ、嘘?わたし……!」


泣き崩れる少女の下のコンクリートには、涙が黒く滲むことは無かった。

誰にも聴こえることのない声は晴天を(つんざ)いた。



――みんな。みんなどうしているのだろう?お母さん!お父さん!


どういう訳か、空も飛べなければ、壁もすり抜けられない。

私はただただ泣き続けることしか出来なかった。




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


夜が深まると意識は無くなり、朝には意識を取り戻す。

眠っているのとは何か違う。


私はずっと泣いていたけど、2日目の夕方にはもう泣くのをやめた。

もちろん飽きたという訳ではない。

段々と、この与えられた不思議な時間には、何か意味があるように思えてきたからだ。


そんな私の朝は早い。


朝練で起きる時間よりも早く、学校の屋上で意識を取り戻す。

夜中に雨でも降ったのだろうか?街は朝靄(あさもや)に包まれており、ポツポツと家の灯りが見える。


静かだった街並みも、時間が来れば急に賑やかになってくる。


玄関ドアを開け閉めする音

「いってきまーす!」と家族にかける声

車やバイクののエンジン音


そうこうしているうちに、教員が車で登校してくる音が聞こえた。

誰も居ない学校に、パタンとドアを閉める音が響いた。


――うわ、ウチの担任じゃん。


私は車の種類とかよく分からないけど、Wみたいなマークのついてる赤い車。たぶん外車だ。

いつもピカピカで誰の車だろう?と思っていたけど、なるほど。今ならとてもしっくり来る。


いつもこんなに早く来てたんだ……。


今まで気にもしなかったこと、気になっても深掘りしなかったこと、この状態になってから初めて知ることの連続だった。


気づけば体育館からシューズが床に擦れる音が聞こえる。


――あーあ、わたしもやりたかったな。バスケ。


もうボールを触ることはおろか、今のところ屋上から出られそうもない。



――超〜頑張ったら凄いオバケになって、何処にでも行けたり、物を操ったり出来るようにならないかな?

……何を頑張ればいいのか、見当もつかないけど。


そうしたら「トイレの花子さん」と並んで、「屋上のユウちゃん」なんて怪談が出来るかもしれない。

……さすがにそれはパスだ。


徐々にざわめきが大きくなる校内を眺めつつ、我ながらくだらない事を考えてしまったとか思っていると、突然轟音が鳴り響いた。


――ッ!!?


音が左の耳から入って、そのまま右の耳から出て行ったかと錯覚するほどだ。


泣き明かしていた昨日までは全然気にしていなかったが、チャイムや校内放送を流すスピーカーがかなり近くにあった。


予鈴だ。体育館の鉄の引き戸を閉める音が聞こえる。



――今度からチャイムが鳴る時は、なるべくスピーカーから離れていよう。




そして何回目かの昼に、アキが現れた。



随分久しぶりに感じるその姿を見た瞬間、また涙が溢れそうになる。


そう思うのも束の間、焦燥しきったその顔を見て、少しだけ面白く、胸から首にかけて搾られるような苦しさを感じた。



――きっと、わたしのせい。だよね?



下唇をギュッと噛んだ。そのような気がするだけかもしれないけど、生きていたならそういう動きをしたのだと思う。


それでも試しに声をかけてみた。


「おーい、ユウちゃんはここだよー?」

「大丈夫?ゴハン食べれてる?」

「今週のワンピどうなったー?」


……。



「えーと、あとぉ……」


とりあえず思いつく言葉をひたすら投げ続けてみたけど。けど、やっぱり……

両方の頬を熱い涙が、つーっと走った。

その涙が地面を濡らすことはない。


変だな、言いたい事とかいっぱいあったはずなのに。


わたしの浴衣すがたを見て一言くらい何かほめろよ、って文句も言いたかった気がするのに。


部活も行けないから、メイクも少し勉強したし、初めて香水もつけたりしてたのに。


……あぁ、ちがう。


言いたかった事じゃないんだ。



わたし、ずっとアキに認められたかったんだ。


幼馴染の友達じゃなくて、

ひとりの女の子として、認めてほしかったんだ。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


実は私の病気については、地元の中央病院ですぐに分かっていた。


脳腫瘍だ。


と言っても、その時点では疑いが強いというだけで確定ではなかった。

たまたま生まれつき異物が入っているだけの可能性もあるが、何かの拍子にそれが圧迫して意識を失ってしまったりする。


結局、この異物なり腫瘍をどうにかしない限り

突然意識を失ったりする危険を共にしなければならない。


しかし取り除くにしても、とても場所が悪かった。


脳幹という、脳と体を繋ぐ部位?

小脳の内側にあるとかで、簡単に言うとすごく真ん中に近い場所らしいのだ。


これが悪性だった場合は、とんでもないリスクを払わないと生き延びることすら難しい。


髪の毛を剃って頭蓋骨を切り開いて取り除くなんて手術を受けるのも嫌だけど、

もしかしたら二度と運動が出来なくなるかもしれないし、今までの記憶の一部や全部が無くなってしまうかもしれない。それが一番嫌だった。


抗がん剤治療は、かなり重たい薬を使う必要があるが、それでも治る確率はかなり低いそうだ。

死ぬほど苦しくて、全身の毛という毛が抜け落ちてしまうというのに、割に合わない。


そして更に厳しい現実として、その外科手術を成功させられる医師は日本に数えるほどしか居ないという事実があった。


地元の医師と相談して、大学病院で経過観察をして決めたら良いと勧められた。


この病院の機械では細かい写真も撮れないし、血液検査でガンの進行具合も検討がつけられない。

(血液を送って、結果を送り返してもらうことは可能だが)

もし手術をしなければならなくなった時、少しでも早く受けられるようにしておいた方が良いと。


今日明日に突然生きられなくなる病気ではないので、落ち着いて考えていけば良いと言われた。


運良く良性腫瘍だったり、良性腫瘍でも急激に大きくなるタイプでなければ、放射線治療を繰り返して徐々に小さくしていけると。

ほぼ普通の生活は続けながら、そのまま学校も卒業が可能だと。


私はその可能性に賭けた。

だって今までの思い出がなくなってしまうのも嫌だったし、みんなと一緒に卒業出来ないのも嫌だった。


きっと私は大丈夫。


そう信じていた。


結局、私がその結果を知ることはなかったのだけど……。


アキには「頭に何か入ってる」ってところまでは伝えた。

だからだろうね、ガラにもなく浴衣のわたしをおんぶしてくれたのは。


「片足でケンケンしてくからいいよ」って断ったのに、「いいから、早く」って。


「人に見られたら恥ずかしいから、早く!」って。


いつもクールぶってるのか知らないけど、めずらしくアキが焦ってるな、って思ったら

少し意地悪な気持ちと、からかってやりたい気持ちと、優しくされた嬉しさで何も言えなくなっちゃった。


頭の中のソレ感謝するとしたら、その一点かもしれない。


何も無かったら「よーし現役運動部ー、片足でがんばれー」とか言われて終わってたと思う。

まぁ、肩くらいは貸してくれたかもしれないけど。



大学病院の見立てでは、ソレはほぼ確実に腫瘍だった。

あとは悪性かどうか、3ヶ月程度経ってどのくらい大きさに変化があるか、という事だった。


まずは3ヶ月、高校生活を全うする。


部活に行けないのは残念だったけど、それ以外の事ではひとつも後悔したくなかった。


だから、花火も道半ばで終わったものの浴衣を着て見に行ったし

毎週のようにアキの部屋にも行ったし

フォークダンスも、ずっとアキと踊った。


これまでの自分からしたら、信じられない進歩だと思う。

傷つくのが怖くて、ただただ隣に居られれば良いやって思ってた。

そしてチャンスを見つけたら先に進もうって。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


しばらく経ち、返事もしない男と過ごす時間にも慣れてきた。

最初の頃は、今までにないくらい顔を近くで見て「うわ、意外とまつ毛長っ!」とか、

「小鼻のところに大きいニキビ跡あるなー」とか、少し楽しんでみたりもしたけど、流石に飽きた。


今は、ただただ隣に並んでいる瞬間が、とても大切な時間に思える。


最初の頃より顔つきはマシになったけど、随分と痩せた気がする。

元々余計な肉など付いていないと思うが、頬のあたりとか、ある意味大人っぽくなったとも捉えられる。


もうみんなは3年生になってて、退屈すぎるGWも終わって、板についてきた屋上生活の間にも意外と色んな事があった。


一番すごかったのが、アキと茉由ちゃん(白石さん)が付き合ったことだ。……たった2週間で別れたけど!


これまた退屈な春休みが明けた後、しばらく経った時だった。


いつものようにアキがおにぎりを食べていると、窓がぎこちなく開いた。

しばらくの静寂が訪れ、「やっ!」という声が聞こえた次の瞬間、窓枠に両手をついた茉由ちゃんが現れた。


無事に窓を乗り越えて来られたものの、思いのほか地面が近いから「わわっ」と、前のめりにつまづいた感じになっている。


アキも色んな意味で焦っただろう。

普段誰も来ないところに、急に女の子が現れたんだから。しかも知ってる人が。


たまに野中くんが来たり、喋ったことのない男子が来ることはあったけど、この屋上生活では初めての女子だった。


そして私は人の告白を目の前で見ていたので、ドキドキしてしまった。


2人が立っている丁度真ん中あたりの柵のところに腰掛け、2人の顔を交互に見ていた。


とても真剣な表情の茉由ちゃんは、綺麗だった。

もともと顔が良い子が、照れつつも必死になっている姿は、同じ女子が見ても可愛かった。


――もし、わたしが告白していたら、アキにそんな風に思ってもらえたかな?


なのにアキってば、「自分なんかと付き合っても何も期待に添えない」とか、「白石さんが思うような人間じゃない」とかグダグダ言ってて、もどかしかった。


こーんな可愛い子が好きだって言ってんだから、付き合っちゃえよ!


……そりゃ、わたしだって少しは悔しい想いはある。


でも私は誰にも触れられなければ、声すら届きやしない。


結局、押し負けするような形で2人は付き合うことになった。


それからしばらくは屋上の柵のところに、茉由ちゃんとアキとわたしが3人で並ぶ形でになった。

……側から見れば2人きりなのだけども。


アキは相変わらず暗い顔で、たまにぼーっと空を見つめていた。


隣に美少女が居るってのに、何やってんだ。

色々文句を言ってやったり、頭をはたいたりしてみても

わたしの声は無視された状態で、わたしの手は空を切る。


今、茉由ちゃんが苦しい想いをしてるのって元を正せばわたしの所為だよね……。


とは言え、わたしとて望んでこの状況になっている訳ではない。


困ったな。


ねぇ、アキ。わたしの事なんて忘れちゃっていいから。お願いだから歩き出してよ……。


2人を見ているのがあまりに辛くて、本心かどうかも分からない言葉を投げたりもした。


結局、喋らないアキに耐えきれなくなった茉由ちゃんは、自分から告白したのに、自分から別れを告げた。


「まだ、心の中にユウちゃんが居るんだね……」


実体の無い胸がズキっと痛んだ気がした。


「こりゃまるで、とんだ悪女ですなー!」

なんて、独りでふざけようかとしたけど、出来なかった。



茉由ちゃんが立ち去った後、空を見上げて立ち尽くすアキの頬に右手を当てた。


もちろん触れられやしないけど。


そうやって、わたしを探しているの?


泣きたいのに、涙が出ないの?




『わたしならもうずっと君の隣にいたよ』




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


それでも多分、アキにとっては進歩があったのだろう。


わたしは此処から動けないけど、GW中にアキがお線香をあげにウチに来てくれた。気がする!


当然シラタマのお墓にもお線香をあげてくれたはず。

だってアキは優しいから。


泣きながら電話をしてきた時も、そう。

たまに会いに来てはシラタマと遊んでくれた時も、そう。

お墓の穴を、何も言わずに掘り続けてくれた時も、そう。


目に映ることに全力で向き合ってくれる姿が、好きになった理由かもしれない。


だから目の前の茉由ちゃんに、向き合えていないアキを見ているのが嫌だったのかも、と気づいた。



それも全てわたしが原因かと思うと、とても苦しい。



もうそれなりの時間を過ごしているけれど、

それでも朝が来たら実は私は生きていて、病気も含めて全てが元通りになっていたら……と何度思ったことか分からない。


これが、とてもとても長い夢であって欲しかった。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


地獄のような夏休みが過ぎた。


変わらず雨の日以外、アキは屋上で昼休みを過ごした。流石に夏場は日陰のある方に移動しているけど。


以前ほど、やつれた顔をしていないので、ひとまず良かったと思う。




わたしの屋上生活も二度目の季節を迎えた。


そろそろ地縛霊中級者の仲間入りができたのかもしれない。そんな事を思ったって誰もつっこんでくれやしない。


退屈な時間を過ごしてるわたしが言えた義理ではないのだが、よくもアキは一年以上もこんな生活を続けられるものだ。


本当にわたしが言えた義理ではないが……。


もしかしたら、家族や友達の前ではわたしの知ってる姿で居るのかもしれない。

そんな頑張っているガス抜きに、ここに来て回復してるのかもしれない。


そう考えると、わたしが居るとも知らずに足を運んでくれるアキに対してありがたく思えた。


もしここに来ている間、一瞬でもわたしの事を考えてくれていたのなら……それはとても幸せなことかもしれない。


それでも、アキは前に進まなきゃいけない。

いずれ学校は卒業してしまうし、いつまでも此処に来続ける訳にはいかない。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


残酷なほど時間は淡々と進み続けた。


最近は前よりも時間の流れが軽くなったように感じる。それと同時に、何となくアキがいま何を考えているのか分かるような気がしていた。


ヤバいな、わたし。霊として着実にレベルアップしてる気がする!



もうすぐ、また冬が来る。



以前と比べると、アキは感情の起伏が出てきたように感じる。



本日の灰色の空は、今にも雨を降らしそうで、少し風が強くなってきた気がする。


いつもと違い、アキは居眠りをせずに空を見つめて立ち上がった。

その顔は少し切なくて、何か決意をしたように見える。


明かり取りの窓へ歩き出した瞬間、信じられない事が起きた。




――行かないでッ!!!




……あ、れ?今わたしが叫んだ?


一瞬アキが足を止めたように感じたけど、自分で驚いたから、そう感じただけかもしれない。

わたしの声なんて、聴こえるはずがないのだから……。



この日、わたしは久々に泣き明かした。



何となく、アキがもう此処には来ないような気がして。


前に進んでほしいと思っていたはずなのに。それなのに、引き止めようとしてしまって。


ボロボロと溢れる涙が止まらなかった。


雨がぽつりぽつりとコンクリートを黒く染めてゆく。

まるで、わたしの涙の代わりのように。



時間感覚が狂ったわたしは、それから3日泣き続けた。

昔話は大げさだなぁ、と思っていたけど当事者にならないと分からないこともあるみたい。



――その時雨は、3日間降り続けた。




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


▪️エピローグ


桜の蕾が膨らみ、枝の端々が仄かなピンクに見える頃――


誰もいない学校の屋上に、一回りは大きく見える制服を着た少女の姿があった。


髪は栗色をしていて、瞳はそれと同じか、もう少し明るい位の色味をしている。



清々しいほど晴れ渡った青空。綿菓子のような雲が重なり合っては溶けていった。


その少女は、自分がいつか見ていた少年のように

分厚い雲の向こう側を見つめていた。


まるで決して見つかる筈がないものを、見つけようとしているかのように……。




――その学校の終業式当日になり、朝一の予鈴のチャイムが鳴り響いた。


一年間の終わりであると同時に、次年度への期待が高まる空気に満ちている。


校舎の屋上に、栗色の髪をした少女はもう居ない。








最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


初めて小説を書いてみましたが、当分やらなくていいやと思っています。


Octaviagraceの曲が好きで、聴いているうちに歌詞が頭に入ってきて「これはとんでもなくサイコなヒロインの曲では?」と思いました。


でも曲調は明るいし、どうしようもない絶望の物語だとは思えなかったので、一体どういうことなのかと疑問を抱きました。


これはどういう話なのか尋ねてみたい、から

いっそ正解を小説で読んでみたいという気持ちに変わりました。

(Janne Da Arcのyasuは自分の曲を元に小説を書いていたので)


しかしオクタヴィアの曲を聴くのに満足した私は、自分で作曲することを辞めてしまっていたので、

「だったら自分が書いてやろう」と重い腰を上げてみた訳です。


いやー、しんどかった!

私生活の変化もあり、思う様に進まなかったですが、とりあえず終わって良かった!


是非ぜひ皆様、Octaviagraceの曲をいっぱい聴いてください!

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