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完璧なのに何故か婚約できない王女、初恋の精霊王に嫁ぎます!

作者: 天木奏音

美しい常春の国、ギスレン。

この国の末っ子第三王女リディアーヌは、生まれたときに桜の精霊から祝福を授かり、愛らしい桜色の髪を持ち周囲の人々に大層愛されて育ちました。


王女の生誕を祝して新たに作られた王城の庭園には年中色とりどりの花が咲き乱れ、さながら理想郷のようだと評されました。


リディアーヌ姫もこの庭園が大層お気に入りで、鑑賞するだけでなく庭師の元で学びを得て、自ら手入れをするほどでした。そんな彼女の愛情を受け取った多くの花々の精霊が、桜に続けと言わんばかりに彼女に祝福を授け、気付けばリディアーヌ姫は国中の花々の祝福を得ていました。


当然縁談は国内外から殺到。公爵家の嫡男や隣国の王子様など、数多くの魅力的なお相手から申し入れがあり、貴族学園を卒業したらすぐにでも輿入れするのだと、誰もが思っておりました。


それが、どうしたことでしょう。


卒業を来月に控え成人目前だというのに、彼女に春が訪れる気配はまるでありませんでした。


◇◇◇


「最初の婚約が流れたのは、10歳の頃だったわ…」


婚約者の最有力候補と目されていたのは、5歳年上の公爵家の嫡男だった。

彼はまだ15歳ながらも大人顔負けの知力と胆力で、王城に仕える上級文官の父の補佐を務める優秀な若者だとその名を馳せており、リディアーヌの父である国王陛下と公爵の間では婚約はほぼ内定だと思われていた。


初顔合わせの直前、彼が流行り病に罹患したため予定していた日程が急遽変更となった。


その間に彼は献身的に看病してくれた年若い侍女と恋に落ち、しがない男爵家の出身だと思われていた彼女の本当の父親が隣国の公爵家の出だということが判明。これで障害はなくなったと言わんばかりに当人同士の愛は燃え上がり、二人はとんとん拍子で婚約が成立した。


公爵は国王陛下夫妻に平身低頭謝罪したそうだが、ギスレンより国土も広く強大な武力を有する隣国の筆頭公爵家と縁を持つことはギスレンにとっても好ましいことだったので、また正式な婚約を交わす前だったこともあり、公爵家へのお咎めはなかった。


「愛する二人の仲を引き裂くつもりはないし、顔合わせすらしていないお相手との婚約が流れたくらいでは、私もなんとも思わないわ。だけど…次も上手くいかなかった」


次に有力候補とされたのは、西方のとある国の第一王子というこの上ない身分のお相手だった。当時リディアーヌは13歳で王子が16歳と、年齢の釣り合いもちょうどよかった。

第一王子ではあるものの、伯爵家出身で正妃よりも身分の低い側妃を生母に持ち、あちらの国内での立場が些か不安定なため、我が国に婿として迎え入れようと話を進めていた。


が、初顔合わせの数日前に第二王子である王太子殿下とその生母による国費の横領と他国への情報流出が発覚。


瞬く間に関係者全員が処分された結果、めでたく第一王子が次の王太子に定められた。


ではそこに嫁ぎましょうかと改めて縁談を調えようとしたところ、幼少期から彼を想い続けていたという大国の王女から待ったが掛かった。王女は彼との婚約を長年望んでいたものの、跡継ぎでもなく後ろ盾も心許ない他国の王子とは婚約させられないと家族中から反対されていた。それが一転し、彼が王太子の座に就いたことで「であれば是非婚約を」という流れに変わった。


「長年密かに想い合いながらも、気持ちを封印していた二人が見事結ばれるのだもの。そこに割って入れば馬に蹴られてしまうわ」


リディアーヌ自身も、そこに割り込んでまでという強い想いはなかったので、二人を祝福し身を引いた。王子とは手紙でのやり取りはあったものの、まだ顔も合わせていなかったのでそこまで傷つくこともなかった。


「ここまでなら、こういうことが続くのも珍しくないわよねと、まだ自分を納得させることが出来たわ…問題はこの後よ」


今度は絶対に断られない相手にしよう!とギスレン王家が一丸となって話し合った末に、次は王家の忠臣たる騎士団の若手有望株に白羽の矢を立てた。


侯爵家出身のその青年は実直な人柄で知られていて、武骨で口下手なせいか婚約者もおらず、三男坊のため侯爵も息子の婚約を急いでいなかったため、リディアーヌと婚約するのに適任だと思われた。当時リディアーヌが15歳で相手が19歳だったので、すぐに婚約を結んでリディアーヌの卒業後に輿入れを、と考えれば丁度良い相手だったのだ。侯爵家に打診したところ「結婚は難しいと思っていた三男が花の祝福持ちの第三王女と婚約!?もちろん喜んで!」と両親は大層乗り気で、本人もまんざらではなかったらしい。


それがひっくり返ったのは、思いがけない事件が発端だった。


「彼の愛馬が精霊同士の揉め事に巻き込まれて、荒れ狂うスズランの精に瀕死の重傷を負わされた愛馬を抱きしめて涙を流しながら口付けたら、愛馬の呪いが解けて美しい女の子の姿に戻るだなんて、誰が想像できるっていうの…!?」

「その上愛馬が実は失われた公国から逃げ延びた最後の王女で、呪いで馬の姿に変えられていたんですよね…」

「二人はすぐに相思相愛となって、女っ気が全くなかった彼は愛馬に…いえ、彼女にメロメロ。侯爵は「元馬と結婚…!?いやそもそもが公女だったなら、いいのか…?」と混乱しきり…」

「混乱していたのなら、付け入る隙はあったのではないでしょうか」

「ギスレン王家の威光で押していけば婚約できる可能性はあったかもしれないけど、そんなことをしたら本当の意味で馬に蹴られてしまうわ…いや今は公女だけど…私まで混乱してきたわ…」


当時もあんまりな出来事に開いた口がふさがらなかったが、全てを失った公女が元の姿を取り戻し愛する人と出会えたなら、それは素敵なことだと思った。


「それに私は、愛し合う二人の間に割って入りたくはないの」


しかし、リディアーヌの婚約破棄ならぬ婚約打診取り下げは、この3人だけじゃない。

顔合わせの日程相談にすら辿り着けなかった縁談まで入れると、上手くいかなかった回数は今や片手じゃ足りない程。そろそろ両手の数も超えそうだ。


毎度毎度、相手との顔合わせにすら辿り着けない。自分には何の落ち度もないのに婚約が結べないだなんて、呪われているとしか思えなかったが、そういうわけでもないらしい。


「姫様に祝福をくださった桜の精霊女王は、呪いはないと断言されたんですよね?」

「そうなのよ。それどころか、"高潔で優美たれ”という祝福がよく効いているそうよ…本来なら私の魅力にあてられた男性が沢山寄ってきて、モテてモテて仕方がないはずなのに…ですって」

「確かに姫様は大変お美しく、王族という立場に驕ることもなく清廉な御方でいらっしゃいます」

「ありがとう、ココ。そう言ってくれる素敵な殿方と早く出会いたいものだわ…」

「あとはもう出会うだけですよ!こんなに頑張っていらっしゃるのですから、今まで婚約者候補に挙がった殿方など目じゃないくらい素敵な方がこの先に待っているに決まってます!!!」

「ココ…!」


長く私に仕えていて、苦楽を共にしてきた侍女のココとひしっと抱き合う。

ココが丁寧に淹れてくれたハーブティーを飲みながら、窓辺に飾った大切なバラの鉢植えを眺め心を緩ませ、今までとこれからのことに想いを馳せた。


この国の貴族は早ければ10歳で、遅くとも18歳の学園卒業と成人までに婚約者を決める。婚約が早ければ成人後すぐに結婚し、遅ければ数年の婚約期間を設け、何事もなければ20歳頃までに結婚する。王族のリディアーヌは学園に入学する15歳までに婚約者を決める予定でいたし、兄や姉たちも皆それまでにお相手を決めて成人後すぐに結婚しているので、自分もそうなるのだと13歳頃までは信じていた。


「だけど、私も来月には18歳。ついに成人してしまうわ。さすがに生誕祭ではお相手を公表したかったのだけど、このままでは難しいでしょうね」

「陛下が必死になってお相手を探していますもの…まだ諦めてはいけません!」

「でもお母様は「18歳までに決まらなくては行き遅れだなんて考え方はもう古い。何も気にすることはないのよ」とさりげなく慰めてくださったわ。きっと、今挙がっている候補の方では望み薄なのでしょう…」


ただ結婚出来ればいいというわけじゃない。精霊の祝福持ちの第三王女とあっては、滅多な相手に嫁ぐわけにはいかない。生誕時の祝福があるだけでも稀な存在なのに、リディアーヌはあらゆる方面で努力し自分の価値を高めてきた。それもこれも、兄姉と同じように国益となるような婚姻を結ぶためだったが、どうしてもうまくいかない。


議会では「リディアーヌ王女殿下の婚約者が決まらないのは何か裏があるのでは」「リディアーヌ様が気に入らない相手だったので花々の精霊の力を使って婚約が成立しないよう画策しているのでは」という荒唐無稽な意見まで出ている。そんな発言をした貴族は既に両親に叔父叔母、兄姉によって酷い目に遭わされているので怒りはしないが、さすがに落ち込む。


そもそも精霊の力が使役できる人間などいやしない。

精霊は人の良き隣人として、人の目には見えない秘密の住処から時折姿を現し、ほんのひとさじの幸福を授けてくれる存在なのだ。祝福の意味をはき違えた愚かな貴族はイチから学び直すべきだと強く思う。


「きっと、目に見えない運命が働いているのでしょう。世界一素敵で姫様を誰よりも大切にしてくれて、背が高くて顔も声もいい完璧な殿方が、そろそろやってくるはずです」

「ふふ、そうだったら素敵ね。でも、私はどんな方であっても、互いに尊重し合える関係を築けたらそれで十分よ。その上でお父様とお母様のように、遠慮なく言い合える夫婦になれたら嬉しいけれど、王族の身であまり結婚に夢を見ても…ね。高望みはしないわ」


10歳で婚約を意識し始めてから、長い時間が経った。その間にすっかり夢を見ることをやめてしまった。何度も浮上してはまとまらない婚約話に疲れていたし、そのことについて考えるぐらいなら庭園のお世話をしている方がよほど有意義で楽しいとまで思うようになっていた。


「何を仰いますか。姫様ならどれだけ望んでも高望みにはならないでしょう!」

「それは侍女の欲目と言うものよ、ココ。でもそうね…しいて言えば、嫁ぎ先には大きな庭園があって、そこで好きな植物を育てられたらいいわね。もっと望んでもいいなら、私と共に植物を慈しんで育ててくれる方だと尚よいけど…身分の釣り合いが取れる殿方では、そんなお相手には出会えないでしょう」

「姫様、それは…」

「大丈夫よ、ココ。きっとお父様は最大限、私の意を汲んでくださるわ」


ココの気遣わし気な視線からそっと目を外したところで、何故かお母様の侍女が慌てた様子で私の部屋にやってきた。


「失礼します、リディアーヌ様。国王陛下ご夫妻がお話があるそうなので、お支度が整い次第謁見の間へお願いいたします」

「あら…どうしたのかしら」


実の両親と言えども、相手は国王陛下夫妻だ。普段はどんなに急ぎでも朝に約束をしてその日の夕方にようやく時間を取っていただけるぐらいなのだが、もう晩餐も終えて就寝時間も近い。こんな時間に自室を出るなんて、夜会の時ぐらいだ。


「どうしてもリディアーヌ様に直接、急いで伝えなくてはいけないことがおありのようでして…」

「姫様、お召し替えをいたしましょう」

「えぇ、わかったわ。すぐに向かいますと伝えて頂戴」


侍女たちの鮮やかな手つきで、自室でくつろぐ用の簡易的なドレスから国王陛下に謁見するのに相応しい装いに着替える。


急ぎの話となると、物凄く良いことか物凄く悪いことのどちらかに違いない。


◇◇◇


「あ~、リディ。お前に新しい婚約の話が来ているのだが、ちょっとこう、今までと毛色が違ったお相手でね…」


案の定婚約話だったけど、お父様の様子がなんだかおかしい。


「毛色が違うということは…物凄く年上の方とか、遠く離れた異国の方とか、そういったことでしょうか?」

「…ある意味両方だろうか…」

「ある意味?…って、お父様、なんだか顔色が優れませんわ。一体どんなお相手なのですか?」


お父様の様子からして、余程大変かつ断れないようなお相手なのだろう。この顔色の悪さはそうに違いない。


「…嫌なら断っても構わないし、お父様は一国の王である前に君のお父様だ。可愛い娘の君を決して不幸にはしないからね…!」

「お父様、それは…」

「いいえ、国王陛下。あなたは父親である前に一国の王なのです。時に非情な決断を迫られることもございましょう」


私が口を開くよりもお母様が諫める方が早かった。その通りだ。


「お父様…いえ、陛下。国益になるのなら、どのようなお相手であっても私に婚約を命ずるべきなのです。私は大丈夫ですから、詳細を教えていただいても?」

「うぅっ、なんて立派な子に育って…!こんなにも美しく聡明な娘に何故今まで婚約者が出来なかったのだ!?おかげでリディは…リディはぁぁぁぁぁぁ」


いくら人払いをしてあっても、国王陛下が玉座に突っ伏してわんわん泣いているこの状況はあまりよろしくない。しかし、普段なら真っ先にお父様を嗜めるはずのお母様が、呆れ顔をしながらもそっと寄り添って慰める姿勢を見せている。お父様の動揺はともかくとして、お母様のこの反応はちょっと怖い。一体どんなお相手だと言うのか。


「あなた、まずはリディアーヌに話をなさいな。縁談を受けるも断るも、何も知らなくては判断できないでしょう?」

「あ、あぁ…リディ、まずはこの手紙を読みなさい」


侍女を介して父から渡されたのは、美しい桜の透かし模様が入った優美な封筒だった。

開封済みのその封筒の中に収められた手紙には、このように記されていた。


【ギスレン国王陛下


貴国の第三王女を我が花嫁としてもらい受けよう。


近いうちに迎えに参るので、輿入れの準備を急ぎ調えよ。


闇の精霊王 ノワール】


◇◇◇


「ある意味姫様の予想通りでしたね…物凄く年の離れた異国の方」

「ココ…そもそも精霊界って、異国扱いでいいのかしら?」


めそめそしっぱなしのお父様をお母様に任せて一旦部屋に戻った私は、改めて手紙を確認する。


「そもそも、闇の精霊とはどのような存在なのでしょう。姫様はご存じですか?」

「一応知ってはいるけど、お伽噺の中にしか存在しないと思っていたわ。全ての自然物には精霊が宿っているけれど、人間界に直接干渉してくるのは植物や宝石のような人間が好んで愛でるものの精霊だけですもの…」

「たしか、大陸の北の方には天体の精霊もいると聞いたことがあります」

「あちらの方には植物の精霊はあまりいないそうよ。気候の影響かしらね」


精霊は人とは異なる理で生まれる謎に満ちた存在だ。そもそも、人に解き明かせるような存在ではないと私は考えている。


国ごとに精霊との関わり方は違うけれど、ここギスレンは温暖な気候のため植物の精霊が多く訪れる。稀に人型を取り直接かかわりを持とうとする精霊もいるけれど、ほとんどの精霊は人前には現れない。


ちなみに私は、桜の精を始めとするいくつかの植物から祝福を授かっているため、精霊たちと人型でお話をさせていただける機会が時々ある。


「地水火風の四大元素の精霊は、力が強すぎて悪影響を及ぼしかねないので、人間と直接関わり合うことはしないのだと教えられたわ」

「では、光と闇の精霊は、より強い力を持っているのでしょうか?」

「幻の最高位精霊…と書物には記されていたわ」

「大変じゃないですか!」

「そうなのよ!大変よ!!いや待って、そもそもこの手紙は本当に闇の精霊からなの?何者かが名を騙っているのではなくて…!?」


闇の精霊王の肩書に吞まれかけていたけど、冷静に考えたらあり得ないのではないかと思い至る。普通の婚約すらまとまらない私にそんなお相手から婚約の申し込みが来るなんて、俄かに信じがたい。


「偽物だとしたら、陛下が気付くのではないでしょうか?何の根拠もなく姫様に話はしないでしょう」

「お父様は、妻子の事になると冷静さを欠くことが多々あるもの。気が動転して大した裏取りもせず、慌てて私を呼び出した可能性もあるわ」

「…では、どうなさいますか?」

「そうね…桜の精霊女王にお願いして、闇の精霊について教えを請いましょう。まずはどのような存在かを知ることから始めるわ」

『そうだな、それが男女交際の基本だ』

「………え?」


背後から男性の声が聞こえきたので振り返ると、そこには宵闇を思わせるような装いの美貌の男性が立っていた。


『やぁ、ディアナ。我が花嫁。遅くなったけど、迎えに来たよ』



◇◇◇


ディアナは私が身分を偽って行動する際に使う名前で、最近では城下に視察と称してお忍びでお買い物に行く時に使っている。今となっては家族やココぐらいしか知らないこの名前を、目の前の男性はごく当たり前のように呼び掛けた。


「ひ、ひひ、姫様!こちらの方は…!?」

「し、知らないわ。私をディアナと呼んで親し気に話し掛けてくる異性なんて、ココにも心当たりがないでしょう!?」

「無くはないですけど、その人物が今ここにいるはずがありません!そうですよね!?」

「そうよ…ここにはもういないわ…!」


呼び名だけでなく、疑問は山ほどある。どうやってこの部屋に入って来たのか、そもそも何者なのか。どう考えても不審者なのに、この人を見ていると穏やかで温かい春闇に包まれているような感覚になり、言葉が出なくなる。


何故私は心地良さを感じるのだろう。


『なかなか準備に時間が掛かってなぁ。成人までに間に合わないかと冷や冷やしたが、ようやくここまで来れた』


謎の青年は真っすぐに私を見つめて、愛おしくてたまらないという気持ちが伝わってくるような柔らかい微笑みを浮かべてこちらに近付いてくる。


『久しいな、ディアナ。ずっと会いたかった』

「あ…あなたは?どこかでお会いしたことがございましたか…?」

『ん?俺のことがわからんのか?』

「わ、わからないもなにも、あなたのような美しい男性にお会いした記憶はございません…会ったことがあれば、忘れないでしょう」


こんな美しい男性は見たことがない。一度会えば絶対に忘れないだろう。


『あぁ、そうだった。お前と過ごすときは擬態していたのをすっかり忘れていた…ほら、この姿ならわかるだろう』


男性の体が黒い靄にかき消され、靄が晴れた時にそこに居たのは、最後に別れたときから随分成長していたけど、当時の面影を残した懐かしい顔だ。


もう二度と会えないと思っていた人物が、そこに立っていた。


「…ノワ、なの?庭師見習いの?」

『もう見習いではなく、立派な庭師になったぞ。その上で王の称号も手に入れたので、お前を迎えることが叶ったのだ』

「迎えるって…そもそもノワの故郷はどこなの?ご家族はもう大丈夫なの?」

『俺の故郷は、精霊界にある闇の一族の治める領地だ』

「……精霊界?」

『そうだ。俺がギスレン王に手紙を出した、今代の闇の精霊王ノワールだ。ディアナには今までと変わらずノワと呼んで欲しい』


◇◇◇


桜の精の祝福があるといっても、リディアーヌは深窓の姫君。最初から草花を上手に育てられたわけではない。しかし自分でも美しい花を咲かせてみたかったので、ココたち侍女に協力してもらい、第三王女の身分を隠し王城に行儀見習いに来た下級貴族の娘ディアナとして、王城の庭を手入れする庭師たちに教えを請うことにした。


王城の庭園の手入れをしていたのは、老齢の庭師ヨブとその弟子である黒髪の少年ノワだった。


今思えば、お忍びだということを理解した上で協力してくれてたのだろう。

二人は私にイチから丁寧に植物のことを教えてくれた。


はじめこそノワは『そんな傷一つない綺麗な手のオジョウサマに庭仕事が出来るのか?』と懐疑的だったけど、週に二度決まった時間に必ず訪れるディアナの姿勢を好ましく思ったのか、次第に兄弟子として接してくれるようになった。


『ヨブ爺は、精霊界でも高名な庭師だからな。あの頃は光の精霊王女の婚約式の飾花の依頼や、代替わりしたダイヤモンドの王の依頼で王城中の花を入れ替えたりと、かなり忙しい時期だった。そんな中、何を教えても楽しそうに聞いて実践してくれるディアナとのやり取りは癒しの時間だと言って、どんなに忙しくても必ず教えに来ていたんだ』

「ヨブお爺さんも精霊だったの…!?」

『あぁ、爺さんは俺の曽祖父だ。俺たちのように、人間に紛れて生活している光と闇の精霊は珍しくないぞ?光は目くらましが、闇は紛れ込むことが得意だからな』


衝撃の事実が次々に判明し、もはや何に驚いたらいいのかわからない。


「お爺さんは、もう年なので引退したいとおっしゃって二年前に故郷に帰られたのだけど…」

『爺さんは今、俺の専属庭師を務めてるよ。もう年だと言って人間界には滅多に顔を出さなくなったが、俺たちの結婚式の装花は全て自分が育てた花を使うんだと、専用の庭園にせっせと準備している。早くお前にも見せてやりたいな』

「え、えぇっと、ちょっと待って…!まだ混乱していて…」

「姫様…私も混乱しています。まさかこんな身近に最高位精霊が居ただなんて…」

『ココも久しいな!俺が不在にしていた間のディアナの話を沢山聞かせてくれ』


正体を偽っていたのは私だけではなかった上に、なんなら相手は種族まで偽っていたとは…。

ようやく理解が追いついてきたところで、色々なことが気になりだした。


「王城に精霊が忍び込んでいるだなんて…防犯面に問題はないのかしら」

『お前の両親は気付いていないようだが、先代王は承知の上で我々を雇い入れていたぞ?』

「お祖父さまが!?」

『人間の中には時々感覚が鋭い者が居て、俺たちのように人間に紛れて生活している精霊を見つけ出してしまうんだ。ディアナは生まれつき桜の精の祝福があるから、他の精霊の気配を感じ取るのは

難しいのかもしれんな』


精霊は人間のよき隣人で、人の目には見えない秘密の住処から時折姿を現し、ほんのひとさじの幸福を授けてくれる存在。自分のように人型の精霊と交流を持てる人間は滅多にいないと教えられていたリディアーヌにとって、あまりにも衝撃的な事実だ。


「ノワは、ご家族から呼び戻されて国に帰らなきゃいけなくなって、見習いをやめたわよね?あれからどうしていたの?」

『呼び戻されたのは事実だ。闇の精霊王の代替わりの時期が迫り、継承権を持つ王族は皆その座を賭けた選定の儀に出ねばならなかったのだ』

「…本当は帰りたくないって、ずっとこの庭園の世話をして過ごしたいって言っていたよね」

『もちろんそうだった。だが、義務を果たさねば今得られている自由さえ失ってしまう。戻らざるを得なかったのだ』


ディアナが6歳の頃に出会ったノワは当時12歳で、そこから三年間欠かすことなく、週に二度庭園で共に過ごした。


ノワの15歳の誕生日に彼の口から国に帰ることを知らされ、悲しみをこらえてお別れ会の準備をしていたのに、次に庭園を訪れたときにはノワはもう帰国した後だった。ヨブお爺さんから渡された餞別の薔薇は大事に育てて増やし、今でもこの部屋に飾っている。


二人の教えがあったからこそ、リディアーヌは沢山の植物の祝福を得られたのだ。


『ディアナが俺の求婚のバラを大事に育ててくれたお陰で、こうして迎えに来ることが出来た。与えられた植物を育てることは、求婚に応じることと同義だからな』

「…あれって、求婚のバラだったの?聞いてないわ!」

『言ってないからな…言って断られたら、二度と会えないだろう』


複雑な表情のノワが、誤魔化すように全力で私を抱き締めた。黙っていたのも突然抱き締めるのも、ずるいではないか。


もし最初から求婚の薔薇だと知っていたら、私はどうしただろうか。

そう考えたけど、知っても知らなくても変わらなかったように思う。

大好きだった兄弟子との最後の繫がりが失われないよう、ヨブお爺さんの力を借りて大事に大事に育てた。いつかまた会える日が来たら、こんなに立派なバラが育てられるようになったのだと披露して褒めてもらいたかった。


ノワは私の初恋だった。

本格的な婚約者探しを始める前に抱いた身分違いの淡い想いは、胸の奥にずっと封印していた。

どうせもう会えないだろうし、もし会えたとしてもその頃には自分も誰かと婚約していると思っていた。


『お前がただのディアナで、俺が庭師見習いのノワだった頃が、俺の人生で最も幸福な時間だった』

「…何か、あちらで辛いことがあったの?」

『辛いと言うか、そうだなぁ。俺は元々王位に就けるような立場ではなかったんだ』


ノワの母は一族の中でも身分が低く、王位からは程遠くいずれ臣下に下る末端の王族としてノワは生まれるはずだった。しかしノワは、一族の中でも滅多に現れない原初の精霊王の先祖返りで、絶大な力をもって生まれてきた。ノワの存在は精霊界に大きな衝撃を与え、まだ幼いうちに彼を手中に収めようと多くの精霊が動いた。


自分の存在が無益な争いを生むことを厭った彼は、誰にも言わずに精霊界を出奔。当時一線を退いた王族として人間界で余生を満喫していた曽祖父のヨブを頼り、当時の闇の精霊王を説得。当面を人間界で生きていく許可を得て、こちらに馴染むために庭師の技術を身に付けた。


あちこちの国を旅し、ギスレンで出会った先代国王陛下と意気投合したヨブお爺さんは、しばらく王城の専属庭師を勤めることになり、そこでノワは私と出会った。


『お忍びの孫娘に庭仕事を教えてやってくれと先代王に頼まれたときは、俺も師匠も驚いた。花の精霊の中でも高位な桜の祝福を持つ深窓の姫君が庭いじりに興味を持つなんて、沢山の国を見て回ったがそんな王族は他にいなかったぞ?』

「だ、だって…!窓から見える庭園がいつも温かくて優しくて、あんな素敵な植物を自分の手で育てられたら、素敵なことだと思ったのよ…!」

『ディアナのそういうところが、俺たちは好ましく思ったんだ』


ノワはずっと私を抱き締めたままなので、きっと心臓の音は丸聞こえだ。彼の顔が見たいのに自分は見られたくなくて、されるがままになっている。


「さ、さっきからずっと聞きたかったのだけど、ノワは…私のことが、好きなの?」

『あぁ、お前が好きだ』

「いっ…いつから?花嫁にするって、本当に?そ、そもそも精霊界って人間が住んでも大丈夫なの?あと、人間と精霊の寿命の差って――」


畳みかける私の口元にそっと触れたノワは、抱き締める腕の力を緩め、私の顔を覗き込んだ。

真っすぐに見つめられて息が止まりそうだ。


『ディアナを好きだとはっきり自覚したのは、ここで過ごした最後の日だ。別れを告げたら必死に涙をこらえて、決して俺に気を遣わせないよう笑顔で「お別れ会をしよう」と言ってくれたお前に、このまま二度と会えなくなるのは嫌だと思った…だから、何も言わずに去ったんだ』

「どうして何も言ってくれなかったの…急にいなくなって、悲しかったわ」

『もう一度顔を見てしまえば、離れがたくなるからなぁ。次に会うのはお前を迎えに来る時だと決めたんだ。二度と離れなくても済むように力を手にして、周囲に文句など言わせず、環境を整えてから正式に求婚しようと思っていたんだ』


そう言ったノワは、跪いて私の手を取った。


『リディアーヌ=シャロン・フォン・ギスレン第三王女殿下。俺、闇の精霊王ノワールはお前を花嫁として迎え入れるため、準備を重ねてきた。一族の頂点に立ち、同じ最高位の光の一族と同盟を結び、精霊界で人間が暮らしやすいよう環境を整えた。ただ、家族と離れるのは心細いだろう?なので人間界にも城は用意してあるから、あちらとこちらを行き来しながら暮らそうか』

「そ、そんなことが出来るの…?」

『できるさ、俺が王だからな。そして人間と精霊では寿命も歳の取り方も違うが、まずは二人で普通の人間と同じように人生を謳歌しよう。一度目の人生を終えたら、次は闇の精霊として二度目の人生を始めてくれないか?精霊化の秘術の用意も出来ている。そこからは俺の妃として精霊界で暮らしてくれると有難いが、無理強いはしない。いつだってお前の意向を最優先しよう』

「また情報量が多い…!人間が精霊になれるの!?と、というか一族の王が女性ににうつつを抜かしてどうするの!?」

『一族よりもお前の方が大切なのだ。必要最低限の仕事さえこなせば問題ないし、愛する者との日々を邪魔する精霊などいない』

「精霊ってそうなのね…」

『愛に生き、己の愛を全うするのが精霊の生き方だ』


人間と精霊は、異なる理から生まれる存在なのだ。精霊の考え方や在り方に慣れるには時間が掛かりそうなので、いきなり精霊界で暮らすより行き来して徐々に学んだ方がよいだろう。


――ごく自然にそう考えた自分に、我ながら驚いた。


『俺たちは違う種族だから、わからないことや理解が難しいことがあれば、話し合おう。俺は人間界での暮らしも長かったし、ディアナを迎えるためにたくさん勉強もした。不自由はさせないと誓うから、どうか俺と結婚してくれないか…?』

「はい、よろしくお願いします」


だから自分の心に正直に応えたら、ノワは物凄くびっくりしていた。


『い、いいのか?本当に?やっぱやめたはナシだぞ!?』

「ふふ、さっきまでカッコよかったのに」

『だってこんな…すんなり頷いてくれるなんて思ってなかった……どうやって口説くか、ずっと考えていたのに』

「だって、嬉しかったもの。私ってばまだ初恋を忘れていなかったのだなって、あなたが迎えに来てくれてわかったの」


そう応えるとノワは、今まで見た中で一番の笑顔で私を再度強く抱き締めた。


「私のこと、たくさん考えてくれてありがとう。お互いに尊重し合える夫婦になりたいから、あなただけが歩み寄るのではなくて、私もたくさん勉強するわ。精霊のこと…ノワのことを、教えてね」

『もちろんだ…愛してるよ、ディアナ』


そうしてノワは私に口付けた。

心臓が爆発しそうで、まともに彼の顔を見れず目を背けてしまう。

だけど、ずっとこうしたかった。

誰かを愛して、その人に愛されて、これから先を共に生きていくのだと実感を得たかった。


「ココも見てるのに…」

『お前の忠臣は流石だな、こちらを見ないようさっきから背を向けているようだぞ』

「わぁ、姫様!外の桜が満開になってます!!きっと姫様をお祝いしているのですね」


はしゃいだココに促されノワと二人で外を見ると、月明かりに照らされてほんのり輝く美しい桜が咲き誇っていた。


『桜の一族も粋なことをするなぁ。これほどに美しいとは…』

「まぁ…!女王にお礼を言わなくちゃ!」

『俺にも挨拶させてくれ。桜の精霊女王とはまだ会ったことがないが、闇と桜は相性もいい。良い関係を築けるだろう。これから先長い付き合いになるだろうしな』


祝福をくれた精霊たちには、なかなか婚約者が決まらないことで随分心配させてしまったので、良い報せが出来て嬉しい。


まさか初恋の相手と再会して想いを交わせるだなんて、思ってもみなかった。きっと今日この時のために今まで婚約者が出来なかったんじゃないかと、都合よく考えてしまう。



『あぁ、その通りだ。ディアナがあの求婚のバラを受け取った以上、俺以外の相手とは決して結ばれないようになっているからな!』

「………………………えぇっ!?」



その夜「私の苦悩はなんだったのよー!」という第三王女の叫びと全力でビンタする音がギスレン王宮に響き渡ったのでした。

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