婚約破棄された悪役令嬢は即死しました。私が死んだせいで婚約者が破滅したようですが知りません。
「エレノワール・ガーラント! この場を借りて貴様を断罪する!」
「…………」
ルーザス王国。王都にある貴族学校にて。
背中にぶつけられた怒鳴り声にその令嬢――エレノワール・ガーラントは眉をひそめて振り返った。
今は学園の卒業パーティーの真っ最中。会場には学園から巣立っていく卒業生、それを見送る在校生が大勢いて、何事かとエレノワールのほうに視線を向けてくる。
後ろから声をかけてきたのはエレノワールの婚約者であるクズリック・ルーザスだった。
名前の通りルーザス王国の王族であり、おまけに王太子……つまり、いずれは国王になる予定の人物である。
クズリックの周囲には側近の部下が並んでおり、一緒になってエレノワールのことを睨みつけている。
さらに……一人の少女がクズリックの腕に抱きつくようにして密着していた。
「あらあら……皆様おそろいで。おまけに『真実の愛』の恋人までお連れして、私に何の用かしら?」
エレノワールが嫌味を込めて言うと、クズリックに抱きついた少女がビクリと怯えたように震えて、さらに強くクズリックにしがみつく。
まるで小動物のような姿は男の庇護欲を誘うもので、クズリックが夢中になっているのが良くわかる愛らしさである。
彼女の名前はミーア・サルティス。
サルティス男爵家の令嬢であり、学園では何かと話題に上ることが多い『真実の愛』の恋人だった。
ミーアは一年ほど前からクズリックと親しく付き合うようになり、学園の敷地内で人目もはばからずに腕を組んだり、抱き合ったりしている。
婚約者がいるはずの王太子と下級貴族の令嬢との熱愛に呆れるものも多いが、身分を越えた愛を応援しているものも多い。
ミーアを支持している者達は陰でエレノワールのことを『真実の愛を邪魔する悪役令嬢』などと呼んでおり、ミーアに対して執拗に嫌がらせをしているという噂まで流れていた。
「婚約者のエスコートをすっぽかしておいて、そちらの令嬢とは随分と親しげですこと。まったくもって嘆かわしいですわ」
「あ、あの……私は、その……」
「エレノワール! ミーアを睨みつけるんじゃない! 彼女が怖がっているだろうが!」
クズリックが噛みつくように言って、ミーアの肩を抱いた。
「心配いらない。あの悪役令嬢を今から断罪してやる! ミーアのことは俺が守ってあげるからな!」
「クズリック様……嬉しいです……」
「ミーア……」
クズリックとミーアが見つめあい、まるでキスでもするのではないかと言わんばかりに甘いオーラが漂う。
一部の生徒から「キャアッ!」と黄色い歓声が上がるが、エレノワールからしてみればくだらない茶番である。
扇を口に当てて「コホン」と咳払いをして、周囲の視線を自分に集める。
「話を戻しますが……先ほど、殿下は私を断罪するとおっしゃいましたよね? それはいったい、如何なる罪を裁くというのでしょう」
「チッ……」
ミーアとの蜜月の時間を邪魔されたクズリックが舌打ちをして、エレノワールに視線を戻す。
「もちろん、私の親愛なる友人であるミーアをいじめたことについてだ! お前が彼女に何をしたのかはわかっているぞ!」
クズリックが背後の側近に目配せをする。
側近の一人でメガネをかけたクセ毛の青年……宰相の息子である人物が前に進み出てきた。
「ここからは私が説明させていただきます。エレノワール嬢、あなたがいくつかの犯罪行為に手を染めたことについて裏が取れています」
「…………」
「ミーアの教科書やアクセサリーを盗んだ窃盗行為。彼女の制服を破いたことへの器物破損。暴言を浴びせて王太子殿下に近づくなと恫喝した脅迫。バケツの水をかけたり、ボールをぶつけた暴行」
宰相の息子は一度、言葉を止めて、キラリとメガネを光らせる。
「そして……ミーアに暴漢を送りつけて襲わせようとした殺人未遂! いかに公爵令嬢で王太子の婚約者であるとはいえ、これだけの罪状を積み重ねて無事に済むとは思わないことです!」
「貴様の犯罪行為によってミーアがどれだけ傷ついたと思っている!? 仮にも公爵家の令嬢として恥ずかしくはないのか!?」
宰相の息子とクズリックがそろって怒声を発すると、周りにいる生徒からもざわざわと非難の声が上がる。
「まさかエレノワール様がそんなことをするだなんて……」
「いや、彼女だったらやるよ。あんなキツイ顔をしてるんだから」
「まさに悪役令嬢だな……あんな人が次期王妃だなんて、国の破滅じゃないか」
「人格のゆがみが顔に出ているわよね。お高くとまっちゃって、好き勝手にできるのも今日までよ」
「…………」
周囲の雑音を耳に入れながら、エレノワールは怒りで顔がゆがみそうになるのを必死に堪える。
(顔は関係ないでしょうが……キツイ顔つきで悪かったわね! 父親譲りで悪うございました!)
エレノワールは大輪の薔薇のような美貌の持ち主であったが、目つきは鋭く、高い鼻が相手を馬鹿にしているような印象を与える高慢そうな顔立ちをしていた。
遠くから眺めるだけならば眼福なのだが、お近づきになるのは恐ろしい……それがエレノワールという人間が周囲から受けている評価である。
「……恐れながら、私はやってはおりませんわ。無罪です」
エレノワールはどうにか平静を装いながら、静かに反論する。
「仮にも公爵令嬢である私がそのようなケチな犯罪をするものですか。ミーア嬢の勘違いか……さもなければ、自作自演でしょう」
「そんな……酷いです、エレノワールさん! 私はただ謝って欲しかっただけなのに、自作自演だなんて……」
「エレノワール! いい加減にしろ!」
ミーアが両手で顔を覆って泣き出した。
クズリックが我慢ならないとばかりに吠えて、とうとう、その言葉を口にしてしまう。
「もういい……貴様とは婚約破棄だ!」
「…………!」
「貴様のような毒婦を王妃にするわけにはいかない! 貴様との婚約を破棄して、国外追放を命じる! 二度とミーアの前に姿を現すことは許さん。どこへなりと消えてしまえ!」
「なっ……お待ちください!」
感情のままに突きつけられた罰に、たまらずエレノワールが声を上げてクズリックに詰め寄った。
「証拠もなしに私を犯罪者にするだなんて横暴ですわ! それに……国王陛下が決めた婚姻を勝手に翻すだなんて……撤回してください!」
「ええい、触るな!」
「あっ……!」
すがり付いてくるエレノワールをクズリックが突き飛ばす。
エレノワールが勢いよく倒れて、ドレスのスカートがブワリと床に広がった。
「お前の弁明に聞く価値などない! 性根の腐った悪役令嬢が!」
「…………」
「ミーアを執拗に苛めた罪は許しがたい。本来であれば処刑台に送ってやるところだが、命を奪うことなく国外追放で許してやるのは温情と思え!」
「…………」
「さあ、さっさと消えうせろ! これ以上、私の視界を汚すんじゃない!」
「さあ、早く! 何をグズグズして……………………へ?」
クズリックがなおも罵倒を続けるものの、エレノワールからはいっこうに反応が返ってこなかった。
釈明の言葉も、謝罪の言葉もなく、床に倒れたまま顔を上げることもしない。
さすがに不審に思ったクズリックが困惑すると……周囲にいた生徒の中から、一人の青年が進み出てきた。
「失礼を。大丈夫ですか、ガーラント公爵令嬢?」
銀髪の青年が床に膝を突き、エレノワールに声をかける。
男は卒業式の来賓として招かれていた宮廷医師だった。
医師は倒れているエレノワールの呼吸や脈を確認し……やがて沈痛な表情で口を開く。
「死んでいます……ガーラント公爵令嬢は亡くなられました」
「は……?」
医師の言葉を受けて、クズリックがあんぐりと口を開いて間抜け顔になる。
クズリックに付き従っている側近も、周囲で様子を窺っている生徒達も愕然として言葉を失う。
やがて医師の言葉の意味を理解したのか……クズリックが焦ったように叫んだ。
「ば、馬鹿な! 私はほんの少し突き飛ばしただけだ! あんなことで死ぬわけがないだろうが!?」
「……死因は脳挫傷と思われます。倒れたときに強く頭を打ってしまったのでしょう。打ち所が悪かったとしか言いようがありません」
「そ、そんな……」
クズリックが顔を青ざめさせる。
確かに、床に倒れているエレノワールの肌からは生気が抜けて青白いものとなっていた。
「こ、殺すつもりでは……そうだ、これは不幸な事故で……わ、私は悪くない。私のせいでは……」
「キャアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
「ッ……!?」
エレノワールが本当に死んでいるのだと知り、周囲で様子を見ていた女子生徒の一人が叫び声をあげる。
混乱は周りに伝播していき、やがて会場中が悲鳴の声で包まれた。
「し、死んだ……ガーラント公爵令嬢が……!」
「王太子殿下がやったんだ、俺は見ていたぞ!」
「嘘でしょう!? これって問題になるんじゃ……!」
「よく考えたら、裁判もなしに人を裁いたりしてもいいのか? 平民ならまだしも、相手は公爵令嬢だぞ!?」
「お、俺は関係ないからな! 見ていただけ……そう、止める暇がなかったんだ!」
卒業式の会場はパニックに包まれて、巻き込まれるのを恐れた生徒が会場から逃げ出そうとする。
クズリックと側近達は予想外の事態に肩を震わしながら、恐慌を起こしている生徒達を見つめることしかできなかった。
『王太子がエレノワール・ガーラント公爵令嬢を殺害した』
この知らせはすぐに王宮に届けられることになり、クズリックの父親である国王の耳にも入るのだった。
○ ○ ○
「さて……国王陛下、此度の事態についてどのように責任を取るつもりですか?」
ルーザス王国、王宮にて。
低い男の声が玉座の間の空気を震わせる。
静かに、けれどまぎれもない憤怒の声を発したのはロード・ガーラント公爵。エレノワールの父親である男性だった。
ガーラント公爵は腕を組んで仁王立ちになり、玉座に座っている国王をまっすぐに睨みつける。
「……すまなかった、ガーラント公爵」
国王がうなだれながら謝罪をする。
卒業式の最中に起こった凶行。王太子によってエレノワールが断罪され、殺害されてからすでに一週間が経過していた。
エレノワールの遺体はガーラント公爵に引き取られており、すでに葬儀も行われている。
加害者である王太子クズリックは王宮の一室に幽閉されていた。側近である臣下も同様に謹慎を命じられている。
葬儀が終わり、王宮に抗議に訪れたガーラント公爵に国王はただただ頭を下げることしかできなかった。
「謝罪が聞きたいのではありません。これからどうするつもりなのかと聞いているのです」
ガーラント公爵が頭を下げる国王を冷たい瞳で見下ろし、忌々しげに言う。
「まさかとは思いますが……謹慎程度で済ませるつもりではありませんね? 私は手塩にかけて育てた我が子を失ったのですよ?」
「う、ぐ……む、息子には罰を与えるつもりだ。公爵家には十分な賠償もする。だから、どうか廃嫡だけは許してもらえないだろうか……?」
国王が弱々しく頼み込む。
国王にとってクズリックは唯一の息子であり、愛する王妃の忘れ形見。溺愛している後継者だった。
クズリック以外に子供はいない。どうにか息子の将来だけは守らなければと懇願する。
「フン……」
しかし、鼻を鳴らすガーラント公爵の瞳は冷たいままである。
国王にとっては目に入れても痛くない、愛する子供なのかもしれないが、公爵にとっては娘を奪った仇なのだから当然だろう。
「心配せずとも、クズリック殿下以外にも王位継承権を持つ人間はいるでしょう? 我がガーラント公爵家も王家の血を引いていますし、他の高位貴族の中にも候補はいます。別に殿下を廃嫡したところで後継者には困らないと思いますが?」
国王の子供はクズリックしかいないが、王位継承権を持った人間がいないわけではない。
ガーラント公爵自身も先々代の国王の孫にあたっており、亡くなったエレノワールともう一人の娘が生まれながらに王位継承権を有していた。
「そんな……どうにかならないだろうか? あれは不幸な事故だった。息子もエレノワールを殺すつもりはなかったはずなのだ……」
「だから許せと? 娘の名誉を汚され、命まで奪われたことを水に流せとおっしゃるのかな?」
「それは……」
「心配せずとも、私はクズリック殿下を廃嫡させるつもりはありませんよ。その程度で済ませるつもりは毛ほどもありません」
「は、廃嫡で済まさないだと!? ま、まさか……!」
「ええ、お察しの通りです」
ガーラント公爵が冷笑して、踵で床を踏み鳴らす。
「我がガーラント公爵家はクズリック殿下の処刑を要求いたします。公爵家の娘を身勝手に殺害したのだから当然でしょう」
「そんな……いくらなんでも処刑は厳し過ぎる! 横暴ではないか!」
国王が玉座から立ち上がって抗議する。
娘を死なせてしまったのは申し訳なく思っているが、だからといって愛する息子の命を奪われたら堪らない。
しかし、ガーラント公爵は冷たい表情をピクリとも動かすことなく、淡々とした口調で言葉を返す。
「横暴なのは殿下がなされたことを言うのです。証拠もなしに一人の令嬢を罪人呼ばわりして婚約破棄。おまけに国外追放を命じるとは何事ですか? おまけに追いすがる娘を突き飛ばして死なせるなど……とてもではありませんが、国王になられる御方がなさることとは思えません」
「それは……そうかもしれないが、だからといって処刑だなんて……」
「まさか二代にもわたって婚約者を貶めて、ゴミのように捨てるだなんて……蛙の子は蛙とでも言いますか、本当に似たもの親子ですなあ。呆れて言葉もありませんよ」
「う……ぐ……」
ガーラント公爵の嫌味に国王が押し黙る。
実のところ、国王もまた王太子であった頃に婚約破棄をした経験があった。
当時、国王はガーラント公爵家と並んで力を有しているアルバン公爵家の令嬢と婚約を結んでいた。
しかし、とある下級貴族の令嬢を見初めてただならぬ関係になり、アルバン家の令嬢に婚約破棄を突きつけたのだ。
おまけに、自分の婚約破棄を正当化するために、相手の令嬢に生徒会の活動資金を横領しているという冤罪まで被せて。
「あの時は王家の力が今よりも強かったので冤罪を押し通せたようですが……今度はそうもいきませんぞ。クズリック殿下が殺害されたのは私とエリーゼの娘……つまり、ガーラント公爵家とアルバン公爵家の両方の血を継いだ娘なのですから」
冤罪を被せられたアルバン家の令嬢は、その後、ガーラント家の跡継ぎ……つまりロード・ガーラントと結婚することになった。
これにより、国内でも有数の権力を有していた二つの公爵家が結びつくことになったのである。
公爵家の力が増したことで相対的に王家の権力が減衰することになり、他の貴族家からの支持も失っていた。今の王家にはかつての勢いはない。
国王が強権を使ってクズリックの罪をなかったことにするなど不可能だろう。
「頼む、ガーラント公爵……クズリックは愚かな子供だが、アリスが遺してくれたたった一人の子供なのだ……あの子がいなくなってしまったら、予はいったいどうすれば……」
「私も娘を失い、同じ気持ちになっています。陛下、貴方が私の立場だったのなら軽い罰で済ませるなど許せますかな?」
「う……」
国王が苦虫を噛み潰したように表情を歪める。
苦渋に満ちた顔が、公爵の問いに対する答えを如実に語っていた。
かつて婚約破棄してアリスという名前の下級貴族の令嬢を選んだように、この国王は理よりも感情で動く人間だ。
理屈ではなく、情からクズリックのことを助けようとしている。
(そこまで息子が大切ならば、どうしてもっと厳しく育てなかったのだろうな……)
国王は息子を溺愛しており、甘やかして育てていた。それが今回の暴走とエレノワールの死につながっている。
そんなに息子を愛しているのであれば、国王はなおさら厳しく育てるべきだったのだ。
王として国を背負えるように、他国や王家に叛意を有した国内の有力者に負けることなく立ち向かうことができるように。
厳しく、立派に育てるべきだったのだ。
(しかし……この男はそれを怠った。息子を愛するあまり、まともな躾をしなかった。そのくせ、エレノワールを息子の婚約者にと求めてきた。感情で動く愚者のくせに、優秀な王妃によって国を支えようという強かさを持っているのだからタチが悪い)
エレノワールがクズリックの婚約者に選ばれたのは、国王の強い要望によってである。
国王も息子に国を背負えるほどの資質がないことに気がついていた。
そのため、王となったクズリックを支えるため、そして……ガーラント公爵家とアルバン公爵家、二つの有力貴族の後ろ盾を得るためにエレノワールを求めた。
特にアルバン公爵家とはかつての婚約破棄事件によって絶縁状態にあるため、関係修復を願っていたという理由もある。
もちろん、二つの公爵家はエレノワールを嫁がせることに反対だったが……いくつもの条件を王家に付けて、ようやく頷いたのだった。
「そういえば、娘を嫁がせる条件としてありましたね……『ガーラント公爵家、およびエレノワール・ガーラントの過失ではない理由で婚約が破棄された場合、王家は相応の責任を取ること。また、婚約破棄の原因がクズリック・ルーザスにある場合、有力貴族の話し合いの上で厳罰を与えること』でしたか?」
「ッ……!」
「予想通りと言いますか、予想以上に酷い事態が生じてしまいました。もしも、クズリック殿下が婚約破棄した理由がかつての貴方がしたような冤罪であったのならば、まさしく厳罰を与える理由としては十分でしょう」
「それ、は……」
「この一週間、娘の墓前で泣き崩れていたわけではありません。部下に命じて、娘が犯したという罪について調べています。じきに調査結果が出ることでしょう」
「ガーラント公爵……待ってくれ、公爵……!」
「もしもかつて妻が被せられたような冤罪であったのなら……私が持つあらゆる権力と人脈を使って貴方の息子を処刑台に送ります。どうか、お覚悟をして下さい」
言い捨てて、ガーラント公爵が謁見の間から出て行った。
「ああ……」
残された国王は崩れ落ちるようにして床に両手をつき、ハラハラと涙を流すのであった。
○ ○ ○
「クソッ……どうして僕がこんな目に遭わなくちゃいけないんだ……!」
暗い牢屋に閉じ込められて、王太子クズリックが苛立ちの言葉を吐き捨てる。
卒業式でエレノワールを断罪して婚約破棄したクズリックであったが、彼女を突き飛ばしてうっかり殺してしまった。
正式な処分が決まるまで自室で謹慎していたのだが……今朝になって、部屋から牢屋に移されることになった。
王家に仕えているはずの騎士に両腕を掴まれて引きずられていき、牢屋の中へと放り込まれたのだ。
貴族用の牢屋は平民が入るものと比べると綺麗で、ベッドやテーブルなども備え付けられている。
それでも王宮で生まれ育って国王の寵愛を一身に受けていたクズリックにとっては、地獄のように不便で汚らしい場所に感じられた。
「僕にこんな屈辱を与えて……これも全部全部、エレノワールのせいだ!」
怒鳴り、壁を殴りつけるクズリックにはエレノワールを死なせてしまったことへの罪悪感はなかった。
むしろ、愛するミーアを虐げた女が死んだことは天罰だとすら思っている。
「私がこんな目に遭って、ミーアは無事でいるだろうか……?」
「他人の心配とは余裕ですね、王太子殿下」
「ッ……!?」
暗い牢屋の中に女性の声が響いてきた。
カツカツと足音が鳴って、鉄格子の前に一人の女性が現れる。
「お前はまさか……エレノワール!?」
クズリックが思わず声を上ずらせた。
そこには死んだはずの……殺したはずの婚約者が立っていた。
「まさか……生きていたというのか!? 死んだというのは、あの医者の誤診だったのか!?」
「無様にわめかないでいただけますか? 貴方の声はとても耳に障りますわ」
「貴様……この無礼者! 誰に向かって口をきいている!?」
クズリックが鉄格子を殴りつける。
「貴様が生きているというのなら、私が牢屋に入れられる筋合いなどない! さっさとここから出せ!」
「出られるわけがないでしょう? 色に狂って婚約者を殺害した愚かな男を解放するだなんて、そんな恐ろしいこと出来るわけがありませんもの」
「ふざけるな! お前が生きているのだから罪は無効だ! 僕は無実だ!」
「無実ね……それは姉が言いたかったことだと思いますけどね」
「姉……!?」
女性の言葉にクズリックが怪訝な目をして、改めて目の前の女性を見やる。
よくよく見てみると、そこにいたのはエレノワールではなかった。
目鼻などの顔立ちはエレノワールとよく似ているものの、エレノワールよりもやや幼く、地味で飾りけのない印象を受ける。
何よりも、エレノワールが腰まで届く長い金髪であったのに対して、目の前にいる女性は銀色の髪を耳の下で揃えていた。
「お前は…………誰だ?」
「婚約者の家族構成も把握していないんですね。ガーラント公爵家にはもう一人娘がいることを御存じないのですか?」
「お前はまさか……エレノワールの妹か!?」
クズリックが驚きの声を上げた。
そういえば、ガーラント公爵家にはエレノワールの他にもう一人娘がいたはずだ。
身体が弱くて田舎で静養しており、社交界には一度も顔を見せたことのない箱入り娘だと言われていたが……。
「エレノア・ガーラントと申します。短い付き合いでしょうが、どうぞよろしくお願いいたします」
「エレノア、ガーラント……」
クズリックはわずかに顔を歪めて、目の前の女性……エレノアから顔を背けた。
エレノワールのことは憎んでいる。死んで当然の女だと思っている。
だが……それでも、自分が殺してしまった女性の身内とまともに顔を合わせるのは、さすがに気分が良いことではなかった。
「……エレノワールの妹が僕に何の用だ? 恨み言でも言いにきたのか?」
クズリックはエレノアと目を合わせないように、ぶっきらぼうな口調で言った。
「言っておくが……お前の姉の死は自業自得。神が下した裁きとすらいえるだろう。エレノワールはミーアのことを虐げていた。僕と親しくしている彼女に嫉妬をして、教科書を盗んだり、水を被せたり、暴漢に襲わせたりしたのだ……あんな女が王妃になっていたら国が滅んでいたことだろう。死んで当然の女だ」
「そのことですが……姉が犯したという罪ですが、どうやら冤罪だったようですよ?」
「は……冤罪……?」
エレノアが何気ない口調で放った言葉に、クズリックが思わず顔を上げる。
鉄格子越しに見つめてくるエレノアの瞳と目が合った。彼女の瞳は姉を失ったばかりであるというのに、酷く愉快そうで、まるで虫を潰して遊んでいる無邪気な子供のような目をしている。
「あれからお父様が学園の調査を行いました。教員の協力を得て、良識のある生徒の助けを借りて……姉が犯したという罪について再調査を行いました。その結果、姉が無実であることが明らかになりました」
「そんな馬鹿な! ありえない!」
クズリックが鉄格子を掴み、怒声を発した。
「ミーアが嘘をついていたとでもいうのか!? 心優しい彼女がそんなことをするわけがない! それに……エレノワールが嫌がらせをしたと証言している生徒だって、確かにいたはずだ!」
「生徒の証言ですが……どれも曖昧で確実性に欠けるものでした。ミーア嬢の教科書が盗まれた教室から姉と同じ金髪の女性が出ていくのを見た。バケツの水をかぶって泣いているミーア嬢を目撃したけれど、姉が水を被せたところは見ていない。暴言を吐いたという証言は部分的に事実だったようですけど、あくまでも「婚約者のいる男に近づくな」という常識の範囲内でのもの。罪に問われるほど悪いことではありませんね」
「暴漢に襲わせた件はどうなったのだ!? 逃げる男達が確かにエレノワールの名前を出していたぞ!?」
ミーアが暴漢に襲われそうになったのを助けたのは、クズリックと側近の少年達だ。
クズリックは逃げる暴漢が「エレノワール様に報告するぞ!」と叫んでいるのをハッキリと耳にしていた。
「それこそ茶番でしょう。雇い主の名前を出しながら逃げるような馬鹿な人間を、姉が雇うわけがありません。そもそも、ガーラント公爵家がその気になれば男爵令嬢を葬ることくらい簡単にできます。学園にいられなくして退学に追いやることも、暗殺者を使って八つ裂きにすることだって簡単ですわ。暴漢に襲わせるだなんて中途半端なことをする理由がありません」
「そんな……!」
「ついでに教えておきますけど……貴方の『運命の恋人』であるミーア・サルティスですけど、彼女はこの世に存在しない人間でしたわ」
「は……存在しない……?」
クズリックがキョトンとした顔をする。
どういうことなのか意味が分からないとばかりに、瞬きを繰り返す。
「姉が殺された騒動の後、当事者である貴方達は謹慎を命じられました。もちろん、ミーア・サルティスもまた男爵家の屋敷に返されて、正式な処分が決まるまで屋敷から出ないように言われていたはずです。しかし……サルティス男爵家に後から問い合わせたところ、ミーアなどという娘は知らないという返答が戻ってきました」
固まっているクズリックに向けて、エレノアが意地悪そうな口調で説明する。
「調査をしたところ、本当にサルティス男爵家のミーアという女は存在しませんでした。戸籍だってなくて、学園に提出された書類も全て偽造だったようです」
「そんな……嘘だ。だったら、彼女はいったい……?」
「さあ? 騎士団が調査をしているようですけど、おそらく他国の密偵ではないかという話です。王太子をたぶらかして婚約破棄させて、国を乱すことが目的だったのではないかというのが騎士団の見解ですわ」
王家はかつて国王が起こした婚約破棄により、有力貴族であるアルバン公爵家と絶縁状態にある。
アルバン公爵家の娘が嫁いだガーラント公爵家とも険悪で、クズリックとエレノワールの婚約は仲違いしている王家と二つの公爵家を結びつける役割があった。
「王家と有力貴族が対立している状況は他国にとって都合が良いですからね。姉が王家に嫁いで、国が一つにまとまるのを防ぎたかったのではないですか? 殿下はまんまとハニートラップに引っかかった間抜けということになりますわね」
「そ、そんな……それじゃあ、僕はいったい何のためにエレノワールを……」
クズリックがその場に崩れ落ちて、膝をつく。
愕然とした顔には色濃い後悔が浮かんでおり、唇が小刻みに震えている。
どうやら、今さらになってエレノワールと婚約破棄して、結果として殺してしまったことを悔やんでいるのだろう。
「今さら後悔しても遅いですよ……」
エレノアが目を細めてクズリックを見下ろし、鉄格子の隙間から紙の束を投げ入れた。
「これは……」
「姉が犯したという罪についての調査結果です。ちゃんと無罪でしたから、自分の目で確認してください」
「…………」
「それでは私はこれで失礼します。ちゃんと資料は確認しておいてください。読まずに破ったりしたら許しません」
目をそらすことは許さない……そう言わんばかりの冷たい口調で、エレノアが言い捨てた。
もう話は終わったとドレスを翻してクズリックに背中を向けて、ヒールの踵でカツカツと床を叩いて牢屋から去ろうとする。
「そうだ……言い忘れるところでした」
しかし、ふと足を止めて首だけで振り返り、鉄格子の奥に座り込んだままのクズリックを見やる。
「殿下の処刑は一週間後です。処刑方法は斬首になりましたので、どうぞお覚悟ください」
「へ……しょけい……?」
「他国の間者に踊らされた挙句に公爵令嬢を無実の罪で断罪。さらに暴力を振るって殺害したのだから当然でしょう? 有力貴族が集められた会議では、満場一致でクズリック殿下の死罪が決まったそうですよ」
「…………」
「残りわずかな人生……悔いの残らないようにしてください。それでは、さようなら」
投げ落とされた爆弾に呆然としているクズリックへと、エレノアは見蕩れるような美しい笑顔を浮かべた。
再び足音が響き、エレノアが暗闇の中へと消えていく。
状況をようやく理解したクズリックの悲鳴が響きわたるのは、それから数分後のことであった。
〇 〇 〇
その日は皮肉なほどに晴れた日だった。
学園の卒業式で起こった大事件。王太子が婚約者を断罪し、殺してから二十日ほどが経過した。
すでに婚約者であったはずの公爵令嬢の汚名は晴らされており、彼女が冤罪だったことも公表されている。
本日はいよいよ、事件の加害者である王太子クズリックの処刑が行われる日だった。
広場に設置された処刑台の周囲には大勢の民衆が集まっている。
王族が……おまけに次期国王になるはずだった男が処刑されると聞いて、王都中の人々が集結していた。
現在の王家は民衆からの評判が良くない。
アルバン公爵家とガーラント公爵家、二つの有力貴族と仲違いしたことによって経済を滞らせ、治安の悪化を起こしてしまったからである。
王家は公爵家との付き合いが無くなったことによる損失を増税によって賄っており、人々から恨みを買っていた。
そんな王家の人間が処刑されると聞いて、民衆は嬉々として広場に集まり、処刑が始まるのを胸を躍らせて待っている。
「「「「「ワアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」」」」」
処刑執行の時間となり、兵士に引きずられるようにして王太子クズリックが現れた。
途端に民衆から喝采の声が上がり、一部の者達が石を投げつけてくる。
「グッ……」
鎧を着ている兵士はともかく、生身のクズリックは堪ったものではない。
生気を失い、痩せ衰えた男は投石を喰らって頭から血を流し、苦痛に表情を歪めた。
処刑台の上まで連れてこられた王太子は拘束具に四肢をつながれて、身動きが取れなくなる。
後は処刑人の斧によって首を落とされるだけだった。
「いやだ……死にたくない……だれか、助けてくれ……」
クズリックが弱々しくうめいた。
かつては声高にエレノワールを断罪して、国外追放まで突きつけたクズリックであったが……今の彼からはその時の強気な面影はすっかり消えている。
処刑を待つまでの一週間でクズリックはエレノアから渡された資料を読んでおり、エレノワールが本当に無罪であったことを確信させられていた。
『真実の愛』で結ばれているはずの恋人――ミーアに騙されていたことも自覚しており、自分が犯してしまった過ちと向き合うことになってしまった。
「助けてくれ……死にたくない……死にたくない……」
だが、罪に向き合ったからといって、大人しく罰を受け入れられるというわけではない。
クズリックは一縷の望みをかけて、誰か助けてくれないかと周囲に視線を巡らせる。
自分を助けてくれるとしたら国王である父親だろうが、見回した範囲内に国王の姿はない。この場にいないのか、それとも見えない位置にいるのか。
拘束された状態ではろくに首も回らず、視界も狭い。だが……限られた視界の中で大勢の民衆が叫んでいるのが見えてしまう。
「殺せ! 殺しちまえ!」
「無能な王族に死を!」
「そいつのせいで税金が上がったんだ! ぶっ殺せ!」
「婚約者殺しのクズ王子め! さっさと首をはねられろ!」
「…………!」
自分の死を願っている者達の姿を目の当たりにして、クズリックは全身が凍りつくような恐怖に襲われた。
(どうして、僕がこんなに憎まれているんだ……僕は正しい道を歩いているんじゃなかったのか!?)
正しい人間だと思っていた。正道を進んでいるはずだった。
父親からは王になるべき人間だと深い愛情を与えられ、周りの家臣からもそのように扱われていたはず。
側近から間違いを指摘されたことはない。自分が正しくないと口にする人間もまれにいたが、彼らはすぐにクズリックの周囲から消えていた。
例外があるとすれば、クズリックが殺してしまった婚約者だけである。
『王太子殿下、あなたは王になられる御方なのです。その自覚を持ってください』
『また勉強を放り出したと世話役が嘆いていましたよ。いずれ王となる殿下に必要な勉強なのです。もっと真面目に取り組んでくださいませ』
『王族が間違いを犯せば、民にそのシワ寄せがいってしまいます。王族は民をまとめ上げ、導くためにあるのです。そのことをお忘れなきように』
誰もがクズリックのすることを肯定している中で、エレノワールだけが彼に苦言を呈していた。
クズリックはそんな婚約者の口うるさいところが嫌いで、強い劣等感を感じていて……それが最終的に婚約破棄につながったのだ。
(だけど……考えてもみれば、アイツは間違ったことは言っていなかった……)
エレノワールはお高くとまった高慢な女性だったが、誇り高く、勤勉な女性だった。
クズリックの失敗の尻ぬぐいをしていたのも、いつも彼女である。
(それなのに……僕はどうして、彼女を排除してしまったんだ……ミーアに、あんな毒婦に騙されて、支えてくれた婚約者を殺してしまうだなんて……!)
クズリックは人生で初めてかもしれない後悔をした。
自分のこれまでの過ちを認めて、心からの反省をする。
だが……心を入れ替えるのが遅すぎた。クズリックはまさに処刑されそうになっており、もはや命を差し出す以外に罪滅ぼしの手段はないのだから。
「助けてくれ……僕は間違っていた。お願いだ、やり直す機会をくれ……!」
クズリックは涙を流して懇願した。
「ちゃんと勉強もする。民や臣下を思いやる。人々から愛される立派な国王になってみせる……だから、どうか命だけは……!」
「……ようやく反省されたのですね。遅すぎますよ」
「…………!」
頭上から声が降ってきた。
婚約者とそっくりの声……『彼女』の声である。
「エレノア嬢!」
クズリックはエレノワールの妹の名前を呼んだ。婚約者とよく似ていて、少しだけ地味な彼女の名前を。
処刑台に拘束されたクズリックの位置からではエレノアの姿は見えない。しかし、近くに処刑人以外の誰かがいる気配は感じられた。
「お願いだ! 助けてくれ!」
クズリックはこれが最後のチャンスだとばかりに叫んだ。
「僕は反省した! これから罪を償う。彼女を殺めてしまったことを全力で償う! だから……どうか処刑を止めてくれ!」
「…………」
「本当に反省しているんだ……このまま愚者として死にたくない。お願いだ、償う機会をくれ……!」
「本当に……遅すぎますわね」
エレノアが深々と溜息をつく気配がした。
「何といいますか……最後まで後味が悪い方ですね。どうせクズなのですから、クズのまま死んでくれたら良いものを。改心などしてくれたせいで、他に選択肢があったのではないかと思ってしまうではありませんか」
「なに、を……」
「貴方と婚約を結んでいたのは国王陛下のたっての願いであり、国を安定させる上でそれが一番だと思ったからです。いつまでも昔の恨みを引きずっていたら前には進めませんし、私の子が次代の王になるのであればそれで良いと思っていました」
クズリックを無視して、エレノアは淡々とした口調で言葉を投げかけてくる。
「貴方が王太子としての自覚を持って行動してくれたのであれば、多少能力が足りなかったところで支えてあげようと思えたのです。それなのに……私が気に入らないからとないがしろにして、民のための勉学まで投げ捨てて……貴方が国王になっていたら、国が滅茶苦茶になっていたかもしれない。だから、私達は貴方を排除しなければならなかったのです」
「お前は、まさか……」
「好きでないのはお互いさま。性根のねじ曲がった悪役令嬢で悪うございました」
「ッ……!」
性根のねじ曲がった悪役令嬢。
それはかつて、婚約破棄の際にクズリックが口にした言葉である。
「お前、貴様は……エレノワールなのか!?」
「…………」
「返事をしろ! 生きていたのか!? おい、何とか言わないか!?」
「それでは、さようなら……」
エレノア……エレノワールらしき女性がクズリックから離れていき、処刑台から降りていく。
彼女の代わりに処刑人が進み出てきて、黒く重厚感のある斧を振り上げる。
「やめろ! やめろ! あの女は生きている。僕は無実だ!」
「…………」
「やめてくれ……僕は誰も殺していないんだ。処刑されるような理由はないんだ!」
「「「「「オオオオオオオオオオオオッ!」」」」」
王太子の声を民衆の声が塗りつぶす。
処刑を見守っている彼らには、王太子が無様に命乞いをしているように見えたことだろう。
「僕は嵌められたんだ……あの女、殺されたふりをして僕を……」
「ムンッ……!」
「殺そうと……」
処刑人が容赦なく斧を振り下ろす。
真っ赤な血と共にクズリックの首が宙を舞い、民衆からひときわ大きな歓声が上がった。
〇 〇 〇
「こうして、横暴で身勝手な王太子は命を落とし、英邁な公爵令嬢が王太子になりました……めでたし、めでたし」
「あまりめでたい終わり方ではありませんわ。お嬢様」
「そうね……彼には、元・婚約者様には悪いことをしてしまったわ。自業自得だけれど」
王都にあるガーラント公爵家の屋敷にて、一人の女性がティーカップを傾けていた。
テーブルに置かれたカップとポットからは芳醇な紅茶の匂いが上がっており、皿の上には焼き菓子が並べられている。
女性の後ろにはメイド服姿の女が背筋を伸ばして立っていた。
屋敷の一室で優雅にアフタヌーンティーを楽しんでいるのは、ガーラント公爵家の令嬢であるエレノワール・ガーラント。かつて王太子クズリックの婚約者であった女性である。
王太子に婚約破棄され、突き飛ばされて殺害されたエレノワールであったが……こうして、傷一つなく生きていた。
現在では『エレノア・ガーラント』という名前を名乗っており、エレノワールの妹ということになっている。
エレノアは先日、クズリックに代わって新しい王太子に任じられた。
息子が処刑されてからというもの、国王はずっと部屋に閉じこもっており、政務にも手をつけていなかった。
エレノアは王太子として国王の仕事を代行しており、父親であるガーラント公爵が後ろ盾となってサポートをしている。
遠くないうちにエレノアが新たな王となると思われており、貴族らもそのつもりで彼女に仕えていた。
全ては長い長い計画によるもの。
ガーラント公爵家とアルバン公爵家による王家の乗っ取りの結果である。
今から二十年ほど前のこと。
国王……ゲスール・ルーザスはとある下級貴族の令嬢と恋に落ち、自分の婚約者だったアルバン公爵家の令嬢に冤罪を被せて婚約破棄をした。
その後、アルバン家の令嬢はガーラント公爵家の嫡男と婚姻したことにより、王家は二つの公爵家と対立関係になってしまった。
婚約者に冤罪を被せた国王は良識ある貴族からの支持を失い、王家の権威は見違えるほどに減衰している。
そんな状況を打開するために、二つの公爵家の血を引く娘……エレノワールとクズリックの婚約が提案されることになった。
娘を差し出すことに公爵家は渋ったものの……王家と公爵家の対立関係が続いているのは、彼らにとっても都合が悪い。
国が割れているような状況が続けば、他国が余計な横槍を入れてくるかもしれない。
そこで……二つの公爵家はいくつかの保険を用意したうえで王家の提案を受け入れた。
最初に、王家の過失によってエレノワールが婚約破棄された場合への備え。
王家から公爵家に多額の慰謝料を支払わせ、王太子クズリックへの処分を王家ではなく有力貴族による合議で決めることを明文で誓わせた。
さらに王宮や貴族学校に公爵家の息がかかった文官や教員を送り込み、いざという時にエレノワールを助けることができるようにした。
同じように冤罪が被せられた場合、公爵家が独自に調査できるような体制も整えた。
万全の準備をした上で王家との婚姻を結んだ公爵家であったが……彼らの警戒は予想以上に的中することになる。
王太子クズリックは彼らが想定していた以上の愚者だったのだ。
国王の『真実の愛』の恋人が命と引き換えに産み落とした王太子は、両親の悪い部分をごっそりと引き継いでいた。
理屈や道理よりも感情を重んじており、自分に苦言を口にする人間を追い払い、都合の良いおべっかを使う者ばかりをそばに置いた。
自分よりも優れているエレノワールを冷遇するようになり、彼女をないがしろにするようになったのだ。
国王にクズリックの再教育を求めたが、結果は変わらない。
愛する妻の忘れ形見であるクズリックのことを国王は溺愛しており、息子に厳しい処置をすることができなかったのである。
国王はエレノワールと息子が婚約を結んだ時点で「これで安泰だ」と安心しきっており、息子の無能を放置し続けたのだ。
そんな王太子に二つの公爵家は……否、多くの貴族が失望した。
国王はかつて婚約者を冷遇して、公爵家を敵に回してしまったことを忘れていた。エレノワールと婚約を結んだことで解決したものだと片付けていたのである。
多くの貴族の頭にかつての婚約破棄騒動が浮かんだ。
同じ悪夢が繰り返されるのではないか……そんなふうに考えたのである。
(今の王家には国を任せておけない……いっそのこと、王位を奪い取ってしまおうか)
二つの公爵家はそんなふうに考えるようになった。
クズリックを廃して、二つの公爵家の血を継ぐ人間……エレノワールを女王として立てて、王家を乗っ取ってしまえば良い。
決断した彼らの行動は早かった。
婚約した際に結んでいた契約を利用してクズリックを排除するべく、行動をはじめた。
水面下で味方を増やし、王家に与する人間を切り崩し……そして、クズリックを追い落とす最後の矢であるミーア・サルティスを放ったのである。
ミーアは隣国からの諜報員ではないかと思われているが……実際には、ガーラント公爵が用意したハニートラップ要員だった。
彼女は優れた魅力と演技力によってクズリックに取り入り、エレノワールと婚約破棄するように仕向けたのである。
「……ミーアは本当によくやってくれたわ。あの何をしでかすかわからない愚かなクズリックを手玉に取り、見事こちらの思い通りに動かしてくれたんだからね。本当に大したものだわ」
「お褒めいただき恐縮です、お嬢様」
エレノワールの言葉に、傍で控えるメイドが頭を下げる。
能面のような無表情なメイドであったが、彼女の顔をよくよく見るとミーア・サルティスと瓜二つだった。
似ているのも当然。彼女こそがクズリックを誘惑し、陥れた張本人なのだから。
彼女の名前はメア。ガーラント公爵家に仕えるメイドにして、諜報員。
ミーアという女性に扮したメアはクズリックを虜にして、学園の卒業パーティーで婚約破棄をするように仕向けた。
メアの思い通りに行動したクズリックはエレノワールと婚約破棄をして、彼女を突き飛ばして転ばせた。
事前に口に特殊な薬品を含んでいたエレノワールは、薬の効果によって仮死状態となり、まるでクズリックに殺害されたように見せかけられたのだ。
もちろん、エレノワールを診察した宮廷医師もガーラント公爵家の息がかかった者である。
エレノワールはクズリックに殺害されたことによって表舞台から去り、あらかじめ用意していた架空の妹……『エレノア・ガーラント』として舞い戻ったのだ。
「全て上手くいった。愚かな男を王にすることなく、私が新たな王太子になることができた。無能な国王は息子が死んだことで心を病んで部屋に閉じこもり、来年には私が王冠を頭に載せることになるでしょう」
「全てはお嬢様の……公爵家の思い通りということですね?」
「ええ……クズリック殿下は少しだけ可哀そうだけど、仕方がないわね」
エレノワールは遠い目をして、表情を曇らせる。
クズリックは処刑された。側近の少年達と一緒に。
彼らが死罪になるほどの罪を犯したかというと、そうではないだろう。
エレノワールをないがしろにして、遊びまわってはいたものの、処刑されるほどの悪人ではなかったはず。
それでも……彼の存在を許すわけにはいかなかった。
理や秩序よりも感情を優先させる人間が王になれば、国が乱れてしまう。
ただでさえ無能な現・国王によって王家の威信が崩れているのだ。クズリックが王となり、さらにもう一代愚かな治世を行うなどあってはならない。
ルーザス王国の未来のために、クズリックには消えてもらうしかなかったのだ。
「面白い話をしていますね」
「あら、来ましたのね。ヴェルン様」
「やあ、エレン。しばらくぶり。なかなか顔を見に来れずに済まなかったね」
別の使用人に案内されて、一人の青年が庭園に足を踏み入れてきた。
二十代ほどの年齢の銀髪の貴公子。
かつて学園の卒業式にて、エレノワールの死亡を診断した宮廷医師である。
男の名前はヴェルン・ミラー。
ガーラント公爵家と古くから親交があるミラー侯爵家の人間であり、エレノワールにとっては幼馴染の間柄だった。
エレノワールは子供の頃からヴェルンによく懐いていた。
もしも、王家の横やりが入ってクズリックと婚約させられなければ……エレノワールはヴェルンと婚約していたことだろう。
「今日、宮廷医師をやめてきた。これで私も自由だよ」
「ヴェルン様がわざわざ医師にならずとも良かったのに……手間をおかけいたしましたわ」
「君の身体を診察して、抱きかかえて運ぶ役割を他の人間に譲るわけにはいかないさ」
「まあ……またそんなことを」
エレノワールは顔を朱に染めて、目を伏せた。
ヴェルンがエレノワールを見つめる視線には深い慈愛の色がある。
ただ顔を見にきただけではないのだろう。
「……今日は何の用事ですの?」
「もちろん、君に求婚に来たんだよ。エレン」
ヴェルンがはっきりと口にして、エレノワールに手を差し出した。
「君は王太子となり、いずれは国王となり……あの愚王親子によって乱れた国を立て直さなければいけない。そんな君を隣で支える権利を、僕に与えて欲しい」
「ヴェルン様……」
「ずっとずっと、君を愛していた。今も変わらない」
「……はい、喜んで」
エレノワールはヴェルンの手を取り、柔らかく微笑んだ。
「ふう……」
初々しい二人の姿を見やり、メイドのメアがさりげなくその場を立ち去るのであった。
おしまい
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