六室目 天沢五郎様 おかゆ君と新たな挑戦
「五郎くん、少しの間、目を閉じて貰ってもいい? その後に、この新緑色のボールを十五分程被って貰うわね。私たちは出て行くから、ゆったりとした気持ちで時間を過ごして欲しいの。森林の……木々の良い香りとマイナスイオンが発生しているから、心地良いと思うわ」
「あ、はい……。よろしくお願いします……」
そうしてベットへ仰向けに寝たまま、目を閉じた天沢様は少し緊張されているご様子でした。指先から出されていた新緑色のコントロールボールを被せると、私たちはすぐさま部屋を出たのでした。
悩み相談へ来られた一般の方にコントロールボールを使用する際は、硬度を上げた開閉口のあるプラスチック容器のような物に変え、中に小さな枕を敷いて行うのですが、天沢様は私たちの能力をご存知ですので、柔らかいままの頭にフィットさせる仕様にしました。こちらの方が寝心地が良いのでございます。
部屋を出て私は、
「ありがとうございます、桜々さん」
「どう致しまして! 多分、今朝のような思い詰める事はなくなると思うし、頭もスッキリとなるはずだけど……、元凶がいるうちは、まだ会社に戻してはダメね」
「そうですね……」
「ニャアーん」
「おや、夏丸。おかえりなさい……今回は、随分と時間が掛かりましたね。何か分かりましたか?」
「ああ、大凡な……」
「また、いつもの日向ぼっこ作戦ですか?」
「猫が近くで寝てても人間は構わず喋るからな。お陰で収穫はタンマリだ」
夏丸が言うには、天沢様の上司は假谷虎ノ介と言うらしく、現在は部長職で、元常務の娘婿となるらしいのです。昔から陰湿な嫌がらせや優秀な同僚を蹴落とす、更には婚約者の座をも力づくで奪い取ったのだとか、悪い噂は様々でございました……。
今回、配置換えをされる前の総務部で部下へパワハラをしているという噂があったそうでございます。そんな噂があるにも関わらず、配置換えでは何故か営業部への昇進配属が決まり、周りは騒ついていたそうでございます。幹部の方々はこの会社を潰したいのでございましょうか? 甚だ疑問に思うところでございます。
会社ではいつも強面で、いかにも悪そうな雰囲気であったそうなのですが、退社後の顔はまた違い、草臥れた顔をしたおっさんに変化していて面白かったぞという夏丸の個人的な感想付きでご報告頂きましたが……。
「さて……じゃあ、まずは假谷さんという方の身辺調査ですね……」
「それは終わってるぞ?」
「おお! さすが、夏丸!! 仕事が早いですね。そこまで調べ上げるとは……大変だったでしょう?」
「いや、簡単だったぞ? 假谷の家には飼猫がいたからな。ちょっとお願いして、コソッと入れて貰ってたんだ」
「コ、コソッと!? 侵入したんですか!?」
「おう! おかゆっていう白い雄猫がいてな。可愛い奴なんだ!」
「お、おかゆ……んフッ」
「最初は白猫だからそう名付けられたのかと思ってたら、白米が好きらしくてな! なんか白米だけではくれなくなったらしく、おかゆにしてくれるんだと。それをバクバク食べていたら、そう名付けられたらしいぞ。俺にもコッソリ分けてくれたんだけど、美味かったぞ!」
「アハハハ! 何とも素敵なネーミングですね。白米だけですと量も食べさせたらいけませんし、栄養も偏りますからね。きっとササミやその他に必要な栄養素を入れて、出されているのでしょう」
「あー、おかゆの奴はカリカリのキャットフードや缶詰とかが全て苦手らしいからな。何でも野良時代の子猫の頃、毒餌に当たった事があるらしくて、今でも苦手なんだと」
「ほぉ、野良でしたか……。誰かがキャットフードに缶詰を混ぜたものへ毒を入れて置いたのでしょうね。いや、しかし、子猫の頃の事を憶えているなんて、おかゆ君は凄いですねぇ」
「苦しかった時の事は鮮明に覚えていて、忘れたくとも忘れられないんだと……。あ、あとな、苦しむおかゆを救い出し、病院へ連れて行ったのも、おかゆのご飯を手作りしているのも、何と假谷のヤツがしてんだ」
「「ハイッ!?」」
同じく驚いていた桜々さんも、
「そんな……そんな、とても手の掛かるような事を、その、假谷さんがしているというの? 奥様じゃなくて??」
「いいや、假谷本人だ。子どもも大学とかいう所に行ってて家にはいないらしいし、奥様という女性かな。そいつはどデカいソファーから殆ど動かなかったぞ。前にテレビで見た大仏が寝てんのかって思うくらいに動かなかったな……」
「ンフッ……涅槃像の事ですかね……ンフフッ」
私は思わず漏れた笑いを堪えながら、小さくツッコむのでありました。
「それに比べて假谷は、おかゆの世話を甲斐甲斐しくしていたんだ。一緒に遊んだり、ブラッシングしたり、トイレの砂を換えたり、おかゆの為に料理をしている所や冷蔵庫に保存しているのも見たからな。おかゆも凄く假谷を慕っていて……それは意外なところだったな」
「ふむ……。少し違う観点から調べた方が良さそうでありますね……」
「どうやってだ?」
「何か……まだ違う何かが隠されているように思うのです」
「どういう意味だ?」
「陥れられているのかもしれません……その假谷さんという方も」
「それは……心当たりがあるのか?」
「……ありません。ですから、そうなれば……奥の手といきましょうか。もうすぐコウが帰って来ますから、お手伝いをお願いしてみましょう」
何を意味するのか分かった桜々さんは、
「まさか、分析を?」
「左様です。それが一番詳しく分かる方法ですからね。……それに、これ以上は人の噂というものに、信用を置かない方が良さそうでもありますし……」
「そう……ね」
「では、そろそろ十五分経ちますから。桜々さん、この後は……」
「承知……効果継続療法も施してみるわ」
「ありがとうございます。では、私はコウが戻り次第、假谷の家へ向かいたいと思います。夏丸には……」
「俺も連れて行け」
「いえ、夏丸はユキと……」
「……多分、役に立つ……かもしれん」
「……左様ですか。では、ご一緒に参りましょうか。よろしくお願いします」
「おう!」
その後、天沢様の効果継続療法もうまくいきまして、顔の血色もかなり良くなり、魂が洗われたような穏やかな顔をされていましたので、ホッとした次第であります。暫くして、コウも学校から帰ってきたので、お願いをしましたところ……、
「ヤダッ! 人の記憶を分析するのは……もうやりたくないッッ」
「ですが……」
「父さん! 俺、前も分析をしたけど、かなり苦痛だったっての分かってる?! 緩和の方法もないのにッッ! 分かってて、それを言うッ??」
「ごめんよ、コウ。それは重々承知しているつもりなんだ。でも……」
「分かってるなら、分析させないでよ! もー、また酷い頭痛と吐き気が起こるじゃん!!」
コウは相手の脳を捉えて、相手の昔の記憶を自分の頭へと映像化させ、自分の脳をテレビ画面のようにして見る事も出来るのでございます。ですので、私や周りの人はコウが受け取った映像を見る事は出来ません。それにコウの脳を刺激し過ぎた副作用として、かなり酷い頭痛と吐き気を引き起こす事となり、回復に一日掛かるのでございます。
「……そうだ、桜々さん! その頭痛や吐き気を緩和する方法はないのでございましょうか? 例えば、コントロールボールで苦痛を取り除くなど……」
「やった……事はないわね……。そもそも能力者には効かないし……」
「そうでしたァアアー……天沢様と混同して失念しておりました。……ごめんね、コウ。詳しく状況を知りたいが為に、コウに嫌な事を押し付けようとしてしまって……。父として反省です。……コウに無理はさせられませんから、別の方法を……」
すると桜々さんの答えを聞いて、考え込んでいたコウが、
「……いや、父さん! 方法はあるかも……」
「何がです?」
「能力者相手には効かない能力でも、自分の能力を自分に使う事は出来るんだ!」
「それはどういう……」
「自分自身に向けての能力は使えるんだよ! 例えば、活性化した脳が疲れる事で頭痛や吐き気が起こるのなら、活性化前の状態の記憶に戻すか、活性化させてしまった脳の記憶を消去してバグらせて防ぐって感じに!」
「なる……ほど……。一理……あるかもしれませんね。……ですが、それは本当に出来るのですか? 己の脳配置も理解していないと……。それにコウ自身が能力を使った記憶を無くすという事ですよね? 後の影響は……」
「それは違う事をしてトレーニング済みなんだ。以前の分析頭痛でさ、造影剤を使ったMRIを受けに、病院へ行った事あったでしょ?」
「ありましたね」
「その時に、画像を見せて貰った自分の脳を記憶していてさ。それを使いながら、血流をスムーズにさせる記憶をバグ的に起こさせて、酸素濃度を高めて持続力を長く、そして強くしてみる、とかのトレーニングをしてたんだよね。その時は副作用になる頭痛や吐き気もなかったんだよ」
「おお、そうなんですか! じゃあ、そのまた応用として……」
すかさず心配に思っていた桜々さんが、
「でも! 記憶を失くすだけなら良いけど、危険そうで心配だわ……。活性化した脳を抑えるなんて……やった事はないんでしょう?」
「そりゃ、ないよ。日常生活で脳がかなり活性化するなんて、絶対に起こらないし」
「なら、時間を掛けて取り組んだ方がッ……」
「母さん! 時間を掛けても出来るか、出来ないかは、やってみないと分からないんだよ。だけど、出来る能力を使わずに、自分可愛さに使わないなんて違うと思うんだ……」
「コウ……」
「さっきみたいに緩和方法がないなら拒否はするけれど、今は可能性があるかもっていう道が開けたんだ! そこを通らずして、前には進めないじゃないか! 困っている人がいて、詳しい状況把握も困難になった今、分析は確実な情報源なんだ。ここで諦めてしまったら、押上家の長男としての名が廃るよ」
いやはや、果敢に挑戦する勇ましい我が子であります。常に可能性を考えて、動ける人などなかなか居るものではありません。我が子ながら尊敬の念が絶えません。
能力者は己の能力を全て熟知して使っている訳ではございません。暗中模索しながら、己の能力を少しずつ理解解析し、出来る事を常に考えなければならないのです。そして、今日はその新たな技術獲得の一筋の可能性を見い出し、幸雅は解析法と自分の思いをイキイキと喋ってくれております。本当に頼もしい限りであります。
が、桜々さんは心配のあまり黙ってしまいました。母として、新しい事に挑むということ、ましてや危険が伴うかもしれぬ可能性があるならば尚の事でございます。心配する気持ちはとても理解できるのですが、それでは己の能力の使用最大値を知る事は……難しいのでございます。
父として……この判断が正しいのか、私も思い悩むところではありますが、コウの果敢に挑む気持ちも無碍にしたくない私は、
「じゃあ、コウ……。負担を掛けて申し訳ないのですが、よろしくお願いしますね」
「承知ッ!」
そうして夜になり、私はコウと夏丸と一緒に假谷さんの家へと出掛けたのでございました。
お読み頂き、ありがとうございます!