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十五室目 鐵湖大郎くん 泥かぶりの算数博士

 本日は雲の厚い少し薄暗く感じる朝を迎えました。

 午前中からお天気が崩れる様な事をお天気キャスターの蘭ちゃんが言っていましたから、間違いなのでしょう。早々に掃除を切り上げ、雨が降ってもいいように準備しなければなりません。私は部屋へ戻り、すぐさまジムの出入り口前に吸収シートを置き、雨の浸入を防ぐ対策をしておりました。すると、また耳障りな声がッッ。


「お父ッッ……じゃなかった、時士さん! 手伝いますッ」


「んお? ……あぁ、そこへシートを広げていけ……」


「ハ、ハイッ」


 男二人で黙々と作業を進めていきました。会話は必要ありませんッ。使えるヤツはこき使わないといけませんからね……徹底的にッッ! 敷き終えて、次は何をさせようかと思っていましたら、幸雅と幸慈が学校へ行くために降りて来たのでございました。もうそんな時間となりましたか! 嗚呼、朝ご飯を共にする事が出来ず、残念です。すると幸慈が、


「父さん、おはよう! 朝ご飯の時にいなかったからどうしたのかと思ったよー」


「ごめんね、ユキ! 早くシートを敷きたくてね」


「そうだったんだね! 朝ご飯、父さん来るのを待ってたのにぃ……。家を出るのが遅くなっちゃったから、お手伝い出来なくてごめんなさい! じゃあ、行ってきまーす」


 すると幸雅も、


「俺もギリだからごめん! 行ってくるわ。んじゃッ」


「そうだったのですか! こっちの事は気にせず、父さんこそ二人に朝ご飯を待たせてしまってごめんよー。二人とも気を付けるんですよー! いってらっしゃーい」


 私は二人が並んだ凸凹姿を微笑ましく見送り、また作業を再開しましたが、フッと幸慈が傘を持っていない姿を思い出したのでございます。慌てて、折り畳み傘を手に持ち、追いかけていますと、トボトボと下を向いて歩くキャップ帽子を被った男の子の姿が目に入ったのでございました。


 すると、私の頭の中に映像が流れてきたのでございました。


「おい、お前ッ!! ちゃんと風呂に入ったのかよー! 臭ぇぞ、コイツゥー」


「きったねぇー! バイ菌まん、バイ菌まんッ!!」


 手拍子をして、周りの子たちが囃し立てていますね。映像が切り替わり、担任の……先生でしょうか。


(くろがね)くん! お母さんにお手紙をちゃぁんとッ、渡して下さいねッッ!! ……全くもう。いつまで給食費を滞納するつもりなのかしら……こっちの身にも……ブツブツブツ……」


 また映像は切り替わり、先ほどとは違う子たちが、


「お前の母ちゃん、父ちゃんに捨てられちまったんだってなぁー。んで、今は何人もの男を取っ替え引っ替えしてて最悪な母ちゃんだから近づくなってうちの母さんが言ってたぞッッ! だからお前とは遊ばないんだよ、どっかに行けよッッ!!」


「あーうちの母さんも言ってたぞ! 屑の子は屑だから友だちになるなってさ!! オラッ、向こう行けッッ」

 

 私が男の子へ近付いた事により、救済波長を感じ取ったようで、男の子のこれから待ち受ける状況を予知したようでございました。まだ心からの救済はないようでございましたが、気になります……。すると前方より大きな声で、

 

「父さぁああーん! 傘ッ、忘れたァアアー!!」


 幸慈が慌てて走って戻ってきていたのでございました。


「ユキ! 良かった……。傘を持っていなかったから……」


「ハァハァ……ッ母さんから持って行けって言われてたのにッ、コロッと忘れてたー。ありがとう、父さん! ……あれ? コタ??」

 

 トボトボと歩いていた男の子に気付き、声を掛けたのでございました。どうやら、幸慈の知り合いのようでございました。

 

「あ、ユキ……おはよう……」


「おはよう! コタも家を出るのが遅くなったの? 僕と一緒だね。コタ、一緒に行こうよ。父さん、ありがとう。じゃあ、またいってきまーす」


「はいはい、二人とも気を付けてね! 急ぎ過ぎて、道路に飛び出さないようにね。周り見てよー」


「分かってるぅー! コタ、走って行こー」


「う、うん……」

 

 そうして二人して走っていったのでございました。男の子の元気のない様子を見るからに、何かを抱えているようでございました。幸慈に話を聞いた方が良さそうですね……。


 お天気は蘭ちゃんが言っていた通り、午前中から降り始め、午後には酷い土砂降りとなっていたのでした。夕方になり、幸慈が慌てた様子で帰ってきたのでございました。

 

「父さん、母さんッッ! コタが泥んこになってしまってたから、お風呂入らせてあげてもいーいー?」

 

 驚くような発言をし、幸慈もずぶ濡れの姿で入って来たのでございました。しかし、朝の〝コタ〟と呼ばれていた男の子の姿はありません。すかさず私は、

 

「ユキ……その子はどこに?」


「玄関前から入ろうとしないんだよ! 入って良いよって言ってんのにさぁー」


「その子は偉いですね。家を汚してしまうと考えて、入らなかったのでしょう。……ユキ。そのずぶ濡れの服は洗濯機に入れて、濡れた床をちゃんと拭きなさいね」


「えぇーッ!! ……はぁーい……」


「桜々さん、濡れたランドセルと教科書を……」


「分かっているわ! ……その子をお願いね」

 

 桜々さんは何かを感じ取ったようでしたので、私は無言で頷き、タオルを持って玄関へ行きドアを開けると、そこには泥と雨でずぶ濡れになった男の子がひとり立っていたのでございました。土砂降りで帰って来たにしては、泥を被り過ぎているその姿に胸が痛むのでした。きっと、あの映像の後に……突き飛ばされたのでしょう。

 

「こんにちは、初めまして。幸慈の父です」


 声を掛けると、ビクッと小さく反応し、強張るような引き攣った顔をしていたのでございました。


「あ、突然声を掛けてごめんね。ビックリしたかな……」


 すると、フルフルと頭を振っただけでございました。


「もし良かったら、うちに上がってお風呂に入って温まっていきませんか? そのままでは風邪を引いてしまいますから……」


 そう促すと、

「ひ、人に迷惑を掛けるなって……言われているから……」


 そう言いながらも小刻みに寒さで震えている様子が見て取れたのでございました。ですので、


「迷惑? 迷惑でしたら、最初から声は掛けませんよ? ですので、全く迷惑は掛けていません! ……そこでずっと寒さで震えるより、早く温かなお風呂に入って体を温める方がいいと思いますよ? 子どもは遠慮しない! お入りなさい」


 すると、私の後ろから覗くように幸慈が、

「ホラー! だから大丈夫だって言ったろ? 早く早くぅーお風呂沸いたってさー」


 そうして、玄関先である程度の泥をタオルで落としてあげ、お風呂へと直行させたのでございました。二人でしっかり温まるよう伝え、そこからまだ下ろしていなかったストック用の下着と服を出してきたのでございました。お風呂場では二人の楽しそうな(はしゃ)ぐ声も聞こえ、少し安堵したのでございました。


「着替えと下着はここに置いておきますから、二人でしっかり洗い流して温まるんですよー!」


「分かったぁー!!」


 私はそう声を掛けて、二人は二十分の入浴を楽しみ、出て来たのでございました。すかさず男の子は、


「ありがとうございました……。服も下着も……貸して貰って……すみませんでした」


 しっかりとまずお礼を述べたのでございました。普通は〝ごめんなさい〟の言葉が出るところ、僅か十歳かそこらの子が〝すみませんでした〟と言えるのでしょうか。他所様の玄関を汚さないように、そしてまた真っ先にお礼が言えるなど親の言う事をきちんと守り、とてもしっかりした子のように感じました。私は怖がらせないように笑顔を作り、


「どう致しまして。少し大きいようですが、その服も下着も差し上げますから、良かったらそのまま使って下さいね」


「えっ……でも、ユキのじゃ……」


 すかさず幸慈が、

「それはね、予備って言って困った時用のものなんだ! だから、僕のものじゃないよー。コタ、気に入ったなら、使ってよ! コタが使ってくれたら僕も嬉しいし」


「いいの……?」


「うん! もちろんだよー」


 幸慈の笑顔の力は本当に凄いですね。男の子も納得してくれたようでした。


「あ、そう言えばお名前を聞いていなかったね。聞いてもいいかな?」


「鐵……鐵湖大郎(くろがねこたろう)です。ユキとは三年生の時にサッカーしてて仲良くなって……それで話をしたりして……」


「それからずっと仲良しなんだよね! コタはねぇ、算数がめちゃくちゃ出来る算数博士なんだよー。いつも百点!」


「おおー! それは凄い事ですねぇ」


 私が言うと、視線を落とした湖大郎くんは、


「百点以外はダメだから……」


 その言葉に驚いた幸慈は、

「えっ!? 何でだよ、コタ! 百点以外はダメなの??」


「母さんが……」


 そう言って黙り込んでしまったのでした。何かたくさんの事情が複雑に絡み合い、湖大郎くんを悩ませているようでございました。ですので、私は、


「お母さんの笑顔を見たいから、百点じゃないとダメなんだ……という事なんですね? 百点を取るためにきっとたくさんの復習をしているのでしょうね。湖大郎くんは努力家の頑張り屋さんで凄いですねぇ」


 すると少し嬉しそうな顔をして、

「……そんな事ないです。たまたま……なんで……」


「謙虚な心もまた伸び代がある証でございますね。算数博士さん、これからも頑張って下さいね」


「あ、う……ハイッ……」


 そう言って少しだけ緊張の和らいだ笑顔を見せてくれたのでした。


 洗濯した服と下着は乾かして、明日にでも渡すよう伝え、倭久に車を出してもらい、湖大郎くんと幸慈も一緒に乗り込み、雨もまだ酷いので送って行って貰うようにしました。

 二人がお風呂に入っている間、桜々さんは湖大郎くんのお母さんに何回も連絡をするも繋がらず、事情を伝えるよう倭久にお願いをしておりました。それが最悪の引き金を引いたとは思いもよりませんでした。

お読み頂き、ありがとうございます!

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