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十二室目 天沢五郎様 それぞれの幸せとユキの悩み

 本日は晴朗(せいろう)なり。天沢様がご退去の日でございます。

 仕事がお休みの日曜日に、お引っ越しとなったのでございました。引越業者さんには頼まず、作業には間宮さん、そして假谷さんご夫妻がワゴン車二台を持ってきて、手伝いに来られたのでございました。天沢様と間宮さんは結婚を前提に、一つ屋根の下で新たな暮らしを始められるそうでございます。新しいお住まいは、假谷家近くのアパートに決めたとのこと。それは何故かと申しますと、假谷さんの奥様と間宮さんはなんと再従姉妹同士で、仲がとても良いからなのだそうです。


 あれは、落ち着いた頃に開かれた假谷家での猫飼い親睦会と称したおかゆ君と夏丸の久々対面での事でした。そこには、社長ご夫妻、元常務ご夫妻、假谷さんと奥様、天沢様と間宮さん、そして私たち家族が一堂に会したのでございました。初めは何故、社長夫妻と元常務夫妻が……と不思議に思っていたのでございますが、従兄弟同士で仲が良いとのこと、そして社長の娘さんが間宮さんである事が明かされたのでございました。非常(ひっじょう)に驚きまして、私たち家族は唖然となってしまったのでございました。假谷さんも自分の奥様と間宮さんが再従姉妹だとは、数日前までは知らなかったのだそうです。「自分に任せて欲しい……」とドス黒……もとい、禍々しい雰囲気で発言していた事がストンと腑に落ちた気がしたのでございました。


 娘を社会勉強させる為、そして假谷さんのあらぬ噂を確かめさせる為、母方の姓を名乗り、社長が密かに会社へと潜り込ませていたのだそうです。間宮さんも最初こそは、その調査が終わればすぐに辞める予定だったそうなのですが、ミスをしてしまい、辞めるに辞めれなくなっていた時に天沢様の優しい寄り添いによって、辞める事を考え直し、会社で働き続けたいと社長に願い出たのだそうです。

 

 それから天沢様と間宮さんのご結婚が決まりましたのは、假谷さんのお陰なのだそうです。いや、奥様ですかね。假谷さんは大見え切って、任せて下さい! と私に言ったもののどうしていいのか分からずに、おかゆ君にひとり言の相談をしていたそうなのです。すると、それをソファーに寝転びながら、地獄耳で……否、聞き耳を立てていた奥様が、


「天沢くんと葉子ちゃんをうちに呼びなさいッッ!!」


 と怒号のような声で叫び、密かに四人での食事会を假谷家で開いたのだそうです。そこでも相変わらず、假谷さんは何をどう切り出していいのか分からず、グズグズと煮え切れずにいたところ、奥様がスパッとした仕切りと先導をし、話がトントンと進んでいったとの事でございました。


 また天沢様も、間宮さんとなら穏やかで笑いの絶えない家庭を築けていけそうだと思っていたとのこと。天沢様からのプロポーズの言葉も出て、ご婚約まで辿り着けた……との事でございました。

 それから、まさか社長令嬢であったとは知らなかったと、かなり驚かれもしたのだそうです。結婚のお許しを頂きに伺ったのが人生で一番緊張しましたと、素敵な顔で笑っていらっしゃいました。結ばれるご縁とは本当に引き寄せられるものなのだと嬉しく思った次第です。


 また更に猫飼い親睦会後には、假谷さんと奥様とのご関係にも多少の変化があったようでございます。假谷さんの悪い噂話を以前から奥様はお知りになっており、元常務夫妻にご相談なされていたのだそうです。愛する人の苦痛を取り除いてあげたいと必死にお願いをされていたから、社長に頼んでたんだよ、と猫飼い親睦会にて元常務夫妻は笑ってお話を明かされ、奥様は驚いて赤くなり、假谷さんは開いた口が塞がらぬまま、呆然と立ち尽くしていたのでございました。


 その後におかゆ君経由で聞いた夏丸の話では、家では気兼ねなく休めるようにと、假谷さんが帰宅したら自分も(せわ)しなく動くのではなく、一緒に寛ぐように体現していたとの事をお二人でお話なさっていたとの事でした。夏丸も「寝転んだ大仏なんて言って悪かったよなぁ」と反省していたのでありました。子どもが巣立っていった後、お二人ともどう接すればいいのか、どう言葉を掛けたらいいのか……分からなかったのでございましょう。ただ、互いを思い遣る少し判り辛い優しさは、確かにずっと存在していたのでございます。今ではご夫婦で行動を共になさり、ハイキングや旅行、そして一緒にお料理などをして楽しんでいらっしゃるのだそうです。おかゆ君曰く、まだまだ鈍いところもあるけれど、奥様に叱られ、その後に笑って誤魔化す假谷さんの笑顔が奥様の許しを得ているようだとも。もう休憩中に写真を見る事もなくなったのだそうです。……ンフッ、奥様はどアップスマイル写真をどこに仕舞われたのでしょうか。気になるところであります。


「ちょっと、虎ちゃん! その段ボールよりこっちのラックを先に入れていかないと」


「えっ……でもさぁ」


「でもじゃないの! 重い段ボールを奥に入れるより、ラックの方を奥に入れた方が取り出す時に楽でしょう?」


「あー、そうだね。じゃあ、佳乃子(かのこ)さん、ラックを先にちょうだい!」


 おや、名前呼びに変化しておりますか! 嬉しい驚きでございました。天沢様の引越のお荷物も少なかった為、早々に積み終わり、四人は改めて、見送りに来た私たち家族と向かい合ったのでございました。もちろん、夏丸も連れて。すると、天沢様が、


「大変お世話になり、ありがとうございました。あの時、救い出して頂かなかったら、どうなっていた事か……。健康に、そして今、とても幸せに過ごせていられるのは、皆さんが良くして下さったお陰です。感謝しても仕切れないくらいの……ッ、恩が……ッ」


 泣き崩れそうになった天沢様の手を私は両手で掴み、


「この出会いは、天沢様の日頃の行いが導いてくれたものだと、私はそう思っております。どうか、これからは間宮さん……いえ、素敵な婚約者さまとご一緒に小さな幸せを積み重ねていって下さい。ご無理だけはなさらないよう……」


「……はいッ、……はい。これからも、そして結婚してからも……二人でしっかり積み上げていきたいと思います。本当に救って頂いて……ありがとうございました」


 そう言って、間宮さんとご一緒に深々と頭を下げられたのでした。すると空生と倭久が、


「ご退去の記念に、ジムのロゴマークが入ったTシャツをお二人にプレゼントさせて下さい。受け取って頂けたら嬉しいです」


「ペアルックを着て、またお二人でトレーニングにいらしてくださいね! お待ちしています」


 Tシャツを空生から間宮さんが受け取り、


「ありがとうございます。倭久さん、空生さん! 結婚式までしっかり体を締めたいので、空生さん、またご指導をよろしくお願いします」


「分かりました! ビシバシの厳しめトレーニングメニューを考えておきますね!」


「はい! ついていきますッッ」


 そう言って二人で笑い合っていたのでございました。あぁーん、空生の笑顔が素敵ッッ!!


 すると假谷さんが、


「私もッ! 私もたまにお邪魔してもいいですか? 佳乃子も一緒に少しトレーニングが出来たら……」


 すると、スッとスパルタな表情になった空生が假谷さんのお腹を指差し、


「まずは、そのお腹を引っ込ませるように致しましょう! 佳乃子さんは普通のトレーニングで問題ありませんが、假谷さんにはかなり厳しいトレーニングメニューが必要となります! じっくり考えますねッ!!」


 間宮さんの時とは違い、スパルタの空生に驚いた假谷さんは、


「えぇーッ! な、なんでぇ……」


「是非ッッ! 空生さんッ、是非ともよろしくお願いしますッ!!」


 被せるように返事をした佳乃子さんに、全員が良い顔をした笑顔となったのでございました。最後に假谷さんと佳乃子さんは夏丸を愛おしそうに撫でてくれ、おかゆ君が〝ニャロン〟や〝ニャール〟という市販の猫用オヤツを口にしてくれるようになったと嬉しそうにご報告頂いて、それぞれのワゴン車に乗って、YADOCALIを後にしたのでございました。

 空が晴れ渡り、爽やかで長閑な景色がこれから待ち受ける幸せを示しているようでございました。


 お見送りも終わり、それぞれが自宅へ戻ろうとした時、私は幸慈を呼び、二人で少し散歩に出掛けたのでありました。気持ちの良い陽射しを浴び歩きながら、私は、


「ユキ……。何か思い悩んでいる事があるのなら、吐き出してごらん……」


「えっ……」


「最近、ずっと何かを考えていたのではないですか?」


「……」


「ユキ?」


「……僕は……押上家の出来損ないだから……」


「出来損ない?」


「今回も……何も出来なかったもん……。能力だってまだ……」


「だけど、ユキは今、毎日、厳しいトレーニングをこなしているではないですか」


「なんで……知ってるの……?」


「大事な家族の事ですから……」


 すると、幸慈の目から大粒の涙が溢れてきたので、私は久しぶりに抱き寄せたのでございました。


「ユキ……。それでいいんですよ……それでいいんです。焦らなくていいんだ……。いっぱいトレーニングして、いろんなものを身に付けて、そして能力が発現した時にはきっとユキの力になる! それだけで十分なんです……。出来損ないなんかじゃない! 自分を貶める様な事も考えてはいけない。ユキが父さんの大事な息子として生まれて来てくれた事が何よりも素晴らしい事なんだ。自分を大事に扱って、側に居てくれるだけで十分なんです。 ……前に話したでしょう? 父さんの子どもの頃の話を……」


「うん……ウッ……ウッ……お父さんッ……お父さんッッ」


 そう泣き叫びながら、さらにギュッと強く抱きつき、涙を流す幸慈でございました。昔の苦い記憶を思い出し、辛い痛みが今も尚、胸に刺さったままではありますが……、幸慈の温かさでその痛みは和らいでいくのでございました。

お読み頂き、ありがとうございます!

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