九室目 天沢五郎様 黒幕と奥様の想い
唐突な名前に驚いていた假谷さんでしたが、ようやく我に返り、
「あ、えっ……と。天沢とは……どういった……」
「私はマンションYADOCALIの管理人をしておりまして、天沢様は現在、我がマンションにお住まいになられている住人の方なのです」
「引っ越した事は聞いていましたが……。え、でも何故、私との関係を知って……会社名もお伝えしていませんでしたよね?!」
「天沢様が倒れられた時に、私たち家族が病院へ運び込みまして。ご両親や兄弟に頼れないとのご事情でしたので、YADOCALIへと引っ越しをしてもらい、お世話を勝手出たのでございます。天沢様から上司に当たる方のお名前を聞いておりましたので、もしや……と思って、お聞きした次第です」
「あ、そうなんですか……。……天沢は元気になっていますか?」
「はい……やっとお元気になられてきまして。それで……」
「良かったぁああー。体調が悪くなるまで頑張らせてしまったと、上司として気付かずに、気に掛けてやる事も出来なかったもので、元気になったと聞いて安心しました」
「まだ完全に戻られてはいらっしゃいません」
「あ、無理はさせずに……」
「天沢様が体調を崩された原因は何かお知りに?」
「えっと……無理がたたったのだと……」
「日頃からの陰湿な嫌がらせと、自分の仕事の邪魔されたり、更には重要な取引先のイベントの失態を被せさせられたのでございます……」
「重要な取引先? ……あ、あれか! ……でもそれは代用品で何とかなったはずですが……」
「そうなのですか?」
「はい。私も緊急事態の報告を受けたので、すぐさま動きまして、代用品を用意して届けましたけど……。先方にも頭を下げ、これなら、とお許しは頂いたはずですが……」
「何か……擦り合わない何かがあるようでございますね。では、日頃の陰湿な嫌がらせとかは?」
「例えば、どんな事でしょうか?」
「会議時間や出張日を勝手に書き換えられていたと……」
「いや、そんなはずはありません。梶山がきちんと連絡を回したり、ホワイトボードの連絡板に書いてくれたりしていたんですが……」
「それは確認をされたのですか?」
「あ、はい。間違いなく書かれていました……よ?」
「では、取引先の電話を繋がないよう指示したり、領収書が破られてゴミ箱へと捨てられていたり、営業で回っていた所へ有りもしない噂を流したりなど聞いた事は?」
「そんな事……電話は受けた人間が回すようにしていますし、領収書がゴミ箱へ入っていた状況は分かりかねますが、営業で回っていた所へ有りもしない天沢の噂が流れているなども……初めて聞きましたが……」
「ふぅー……やはりそうだったのですね」
「えっ……と……」
「それら全て假谷さんから受けていたと、天沢様は思い込んでいらっしゃるようです」
「ええっ?! 今、初めて聞いた事ばかりでしたし、体調が悪くなったのも日頃の不摂生がたたったのだと、俺は聞いていて……」
「それはどなたからですか?」
「補佐をしてくれている梶山という俺の同期で、同僚ですが……」
「なるほど……やはり、そこにいましたか」
「えっ? えっ??」
「假谷さん、貴方ご自身の噂は聞いた事、ありますか?」
「いや、人の噂は当てにならないので、極力そうしたものは遠ざけて聞かないようにしていましたし、……昔から俺の噂なんて手に取るように分かると言うか……」
「それが間違いでございますね。上司ならば、必要ないと思う事でも噂話や周りの人の思いなど、耳にだけでも入れておくべきでございました」
「いや、でも俺の事なんて分かりきって……」
「では、假谷さんは昔から陰湿な嫌がらせをしたり、優秀な同僚を蹴落としたり、更には婚約者の座をも力づくで奪い取ってご結婚なされた方なのですね?」
「なッ! そんな訳ないじゃないですかッッ!!」
「はい、私も假谷さんはそのような方ではないとお見受けしております。ですから、私もこのお話をしたのでございます」
「あ……、そうだったのですね。……すみません、大声を出してしまって……。でも、何故そんな噂が……」
「これはあくまでも私の推測ですが、……梶山さんという方はどういった方なのですか?」
「そりゃ、同期の中でも一番仕事が出来て、明るくて、人がよく集まっているのを見ますから、とても出来た人間だと。社交的だし、結果もどんどん出しているから幹部クラスの人たちの人望も厚いですし……。まさか……梶山が!?」
「分かりません。ですが、その可能性は高いのかと……」
「いや、そんな……彼はとても懐の大きい誰もが慕う人間で……」
「それはあくまでも表向き姿なのかもしれません。私も推測ですし、会社の人間ではないので、詳しく調べられませんから……」
「……」
「……假谷さん?」
「あ、いや……。梶山は私が最も信頼する人でした。だから、私に何か情報が入る時は彼からの言葉しか聞いた事がありませんでした。そうすれば他の人に聞く必要がありませんし、こんな顔なので他の人を怯えさせてしまったりもするもんで……」
「……他に、話を聞けそうな人はいますか?」
「……一人」
「それは?」
「天沢の一つ下の女性で、話をした事は数回しかないのですが……。周りとは仲良く楽しそうに話をしたりする姿も見ますし、俺にもみんなと同じように怖がらず、普通に話をしてくれる子です。仕事中はいつも穏やかな感じで口数は少ない方ですが、たまに発言する事は若いのにとてもしっかりした子だなという印象を持っている子です」
「では、まずはその方に聞いて貰えますか? 天沢様の事、そして自分の噂など……」
「分かりました……」
「話を聞きにくい事かと思いますが、どうも私には天沢様に誤解があるように思うのです。そして……阻害する何かがある事も……」
「……はい。俺の事はどうでも良いのですが、天沢がそういった事をされ、苦しんでいたなんて知らず、気付きもせず……。天沢は大事な部下です。必ず事の真相を明らかにしますッ」
「ありがとうございます。……やはり假谷さんに思い切って、お話をして良かったです。どうぞよろしくお願い致します……」
そうして、私は假谷さんと別れ、自宅へと戻りました。すかさず桜々さんが、
「おかえりなさい! ……どうだったの?」
「やはり、コウの分析報告書に書いてあった通りの人柄で、假谷さんは天沢様の件も自分の噂も全く知りませんでした。そして、梶山の事を信頼していたとも……」
「信頼していた人が……というのは、なかなか假谷さんも苦しいわね……」
「そうですね……。あのような良い人がまた心を傷付けられる事になるのが私も心苦しいのですが……」
「それでは明らかに出来ないもの。いつかは通らなければならない道だったのよ……」
「はい……」
「ニャアーん」
「あ、夏丸、ご苦労様です! どうでしたかッ!?」
「お前の推測通り……。ヤツは今もゾッコンらしいぞ……」
「やはり……」
話の見えない桜々さんは、
「誰の事? ゾッコン??」
「奥様ですよ」
「奥様!? ん、え? ソファーから寝たままで動かなくて、おかゆ君を飼う事も反対してお世話も任せっきりの……」
すかさず夏丸が、
「それはな、假谷が家に居る時だけだ。家を空けた途端、掃除やらアイロンやらストックできる栄養のある料理を作ったりとか、とにかく忙しなく動いてるらしいぞ」
「左様でしたか。以前、お会いした時の假谷さんの靴がきちんと磨かれたような綺麗さがありましたし、服装も女性ならではの配慮が行き届いているように感じましたのでね。もしやと思い……」
「あとな、休憩中は写真を眺めたりもしてるんだと」
「写真?」
「假谷のどアップスマイル写真だ」
「「ンフッッ!!」」
桜々さんも私も同時に吹き出しそうになったのでございました。笑いを堪えながら私は、
「ンフフッ……今流行りのツンデレというものでしょうかね。普段はそうした態度を出すのが恥ずかしいのか、抑えているからソファーから動かないのでしょう」
「それにおかゆがな、假谷がいない時に自分の世話も遊びも付き合ってくれるんだと言ってたんだ。電気代が高いからって、暑い日でも冷房が入ってないもんでヒンヤリした所を探し回っていると、捕まえられて涼しい部屋に放り込まれるんだと」
「ほう? 家計を考えて……。猫もてっきり嫌いなのかと思いましたが……」
「ああ、なんか嫌味? のような事は言われるんだと。『アンタばっかり可愛がられて羨ましいじゃないッッ』とか、よく言われるらしい」
「プッ! アハハハハ。それは嫌味というか、嫉妬なのでしょう! 可愛らしい方なんですね」
「だよな! だからといって、おかゆに嫌がらせするどころか……前に、假谷がいない時に気持ち悪くなって、毛玉を吐いたんだと。吐いたからスッキリしたのに、いきなりタオルに包まれて、病院に駆け込んだり、猫草を慌てて買ってきてくれたりとかしたらしいんだ。それに假谷が帰って来るまでは甲斐甲斐しくお世話をしてくれたとも。でも帰って来た假谷はそれに全く気付いてなかったらしくてな……」
「それはとても素敵な縁の下の力持ち……でございますね。夏丸に家庭の内情を探って貰うよう頼んで、やはり良かったです。夫に気付かれないよう、家庭では休まるよう必死に家庭を守られているのでしょう……。本当に可愛らしい方です。假谷さんもやはり……もう少し周りを見るべきですね……」
夏丸からの嬉しい報告に、私は少し心が救われるような気がしたのでございました。どアップスマイル写真……ククッ。本当に愛していらっしゃるのでしょう。素敵な奥様でございます。
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