第五話 平和的世界征服
「それではヴァルター様。この小娘の処遇は如何致しますか」
徹がこの世界に生き世界を征服すると決めた直後、リディアは出会ってからほぼ変わらない機械のようなその無表情でそう言った。
リディアの視線の先にいるのは、未だに目に涙を溜め辛そうにしている獣人の少女だった。
「処遇?」
「殺しますか?」
徹は、その言葉に表情を固くする。
いきなり何を言っているんだと思うものの、これは自分のせいだと思いなおした。
徹が『ミレナリズム』内で何度も達成した世界征服。
ランキング一位にまで上り詰めた徹のそのプレイ方針は、積極的な侵略戦争だった。
徹にとって内政とは、戦争をする準備であり、他国――対戦相手のプレイヤーがゆっくりと自国を発展させている間に、とっとと軍備を増強し攻め入る。
それで得た資源などで更に軍を強化、そして間髪入れずにまた別の国に戦争を仕掛ける――。
つまり、そうした徹の物騒なプレイを見てきた彼女たちが物騒な考えを持つのは仕方のないことということだ。
「……リディア。そしてヴィルヘルミーネも、聞いて欲しい」
「はっ」
「おう」
「今回の世界征服……出来れば人を傷付けたくない」
「……?」
「どういうことだ?」
徹の頭に浮かぶのは、先程騎士と対峙した瞬間。
少女を守ろうと騎士に魔術を放とうとした徹は、自分が騎士を傷付けると気付いた刹那、動きを止めてしまった。
それは、これまでごく普通の一般人として育って来た徹の善性によるものだ。
人を傷付けるのは悪いこと。人を殺すのはやってはいけないこと。
そうしたごくごく普通の感性を持っている徹が、ゲームと同じように現実の世界を暴力で支配しろと言われても難しい。その後に残るのは罪悪感と後悔だけだ。
「では、どのように世界征服を?」
「そうだな、なるべく平和的にいこう」
「平和的……ですか」
リディアは不思議そうな顔で徹の顔を覗き込む。それはヴィルヘルミーネも同じだった。
「どうやってやるかは……まだ決めてないんだが、今回俺はなるべく人を傷付けたくないというか……出来るだけ穏便に世界を征服したいな。平和と世界征服……矛盾した言葉に思えるが、それでも俺に付いてきてくれるか?」
平和的世界征服。
自分で言っていて笑いそうになるほど滑稽な並びだ。
だが、どちらも徹の願望だ。
『ミレナリズム』一位のプレイヤーである徹は世界を征服したいと叫んでいるし、普通のサラリーマンとして育って来た徹は人を傷付けるなど全くごめんだと言っている。
だから、それを並行してやってしまおう。
自分でも難しいとは思うが、徹には頼りになる九魔将がいる。
だったら何とかなるだろうと、徹は本心からそう思っていた。
「御意のままに、ヴァルター様」
「武器に意志なんか無いぜ、陛下。陛下がそう言うならオレはそれに従う」
「……ありがとう。そういう訳だから、この娘を殺すとかそういうのはナシで」
「はっ」
「了解だ」
「あのぉ……」
共通の認識を得ることが出来た徹たちに、恐る恐るといった様子で声がかかる。
獣人の少女だった。まだ目は少し赤らんでいるものの、顔色は大分とよくなった。
「もう平気か?」
「は、はい! 助けてもらっただけにも関わらず、ハンカチまでありがとうございます!」
「……気にするな」
ハンカチを彼女に貸し与えたリディアはそっけなくそう返すが、彼女の瞳には分かりづらいが安堵の色があった。
「……それで、君は何故騎士たちに襲われていたんだ?その他にも少し聞きたいことがあるんだがいいだろうか」
「もちろん! 貴方たちは命の恩人ですから!」
「そうか。それでは君の名前はなんと言うんだ?」
「はい! 私はリーシャと言います、ヴァルターさん!」
「「…………」」
その瞬間、その場の空気が三度ほど下がったと徹は錯覚した。
「小娘」
「ひゃ、ひゃい!?」
ヴィルヘルミーネがそれだけで人を殺せると思えるほど鋭い目でリーシャを睨む。リディアもいつもより冷たい目でリーシャを見ていた。
「貴様、畏れ多くも陛下の名をその下賤な口で呼び、あまつさえ『さん』呼びだと……? 死にてぇのか?」
「ヴァルター様をその名で呼んでいいのは認められし者だけだ。決してお前のようなものが許されることではない」
「はいちょっとストップストップ!」
再び涙を流しそうになったリーシャを庇うように立ち、徹はヴィルヘルミーネとリディアを彼女から引き剥がした。
「お前ら、さっきの俺の言葉聞いてた?平和的に、穏便にいこうって言ったよな?」
「だがな陛下。陛下のようなこの世で最も尊きお方があんな小娘に舐められた態度を取られちゃあ……な?」
「ヴァルター様が征服なさる地は、最早ヴァルター様のもののようなもの。つまりあの娘もヴァルター様の民です。そうだと言うのにあの態度……少々躾が必要かと」
(こ、こいつら、本気で言ってやがる……)
ヴィルヘルミーネとリディア両者の瞳が真剣なものであると知り、徹は軽く戦慄する。
しかし、この場でリーシャに悪印象を持たれるのは徹にとって非常に都合が悪かった。
「いいか? 俺たちはこの世界についてまだ何も知らないんだ。そのために必要なのは友好的な情報提供者だ。そこのリーシャは俺たちに命を助けられ、こちらに恩を持っている――つまり今の俺たちにとって一番都合がいい人間なんだ。だからここは抑えろ。いいな?」
「……はっ」
「チッ、陛下が仰るなら従うけどよ……」
(すっげぇ不満そうじゃん)
ヴィルヘルミーネとリディアは、この世界に来て初めて徹に不満そうな顔を見せた。
だが、今それを気にしている余裕はない。
圧倒的強者の殺気にあてられ体を生まれたての小鹿ばりに震えさせるリーシャのフォローが先だ。
「ごめんな、フィース。あのお姉ちゃんたちに悪気があった訳じゃないんだよ」
「…………と、とてもそうは思えないけど、分かったわ」
「助かるよ。それと、俺の事はヴァルターでいいよ」
「なっ!」
「ちょ!」
徹の言葉に、後ろの二人が驚く反応を見せるが徹は敢えて無視をする。
「わ、分かったわ。ヴァルターさ――」
「「……」」
「――ま」
「……はぁ」
様付けというのは少し距離を遠く感じるが、そこは妥協しないと配下の二人の怒りはストップ高らしい。
「それでは、フィース。君は何故騎士たちに襲われていたんだ?」
「それより先に、貴方たちを私の村へ招待してもいいかしら?」
「村?」
「ええ、少し日も傾いてきたし……命の恩人である貴方たちをこんな森の中で放っておくわけにもいかないもの」
「ふむ……」
その言葉に少し悩む徹だが、特にデメリットもないだろうと考え頷くことにする。
徹にはこの世界の情報が足りない。
村に行き現地の人々の営みを見れば少しは理解できるだろうと考えての事だった。
「分かった。では案内してもらえるか?」
「もちろん! さぁこっちよ!」
▼▼▼▼
森を抜けると、そこは一面の平原だった。
歩を進めるとサクサクと小気味の良い音が鳴り、森の中とは違った爽やかな風が全身を優しく包む。
究極のインドア派である徹にとって、この牧歌的な風景はどこか懐かしさを覚えるものだった。
「はぁ~しかしさっきの野郎どもは貧弱が過ぎたな」
自然の雄大さを感じている徹の耳に、気だるげそうな声が届く。
「お前にとってさっきの騎士の強さはどんなもんだった?」
「ん~……雑魚だな。恐らく千人がかりで来られても勝てる自信があるぜ」
「そうか……」
『ミレナリズム』でのヴィルヘルミーネのレベルは、徹の分身キャラであるヴァルター同様100だ。
そんな彼女が雑魚だと言うのだから、先程の騎士はどれだけ高く見積もってもレベル50が精々だろう。徹は20程だと推測しているが。
「恐らく私でも無傷で勝てるかと」
表情の読めない顔でリディアが断言する。
リディアのレベルは93だが、戦闘に特化した職業はあまり取っていない。それにも関わらず無傷で勝てるとなると、やはり徹の推測はあっていそうだった。
「そうか。リーシャが言うにはさっきの騎士はここらへんだと強い方らしい。そうなると、俺らは結構この世界だと馬鹿みたいに強いのかもな?」
「当たり前だろ! 俺たちは陛下に育てられた泣く子も黙る九魔将だからな!」
ヴィルヘルミーネは豪快に笑う。
楽観的だと思われても仕方のない会話だが、先程のヴィルヘルミーネの圧勝劇をみるとそう思っても仕方のないことだった。
「そういえばヴァルター様」
「どうした?」
「|いつものお話し方はなされないのですか?《・・・・・・・・・・・・・・・・・・・》」
「…………は?」
徹はリディアの言葉の真意が掴めなかった。
いつもの話し方とはなんだろうか。徹のヴィルヘルミーネやリディアに接する態度は徹の素だ。
「いやいや、陛下いつもはもっと威厳のある喋り方だろ?」
「な、何を言って……」
「『フハハハハハ。我が名は魔王ヴァルター・クルズ・オイゲン! 畏れよ! そして知れ! この世界を統べるのは我が魔帝国グリントリンゲンだ!』」
「んぐッ!?」
ヴィルヘルミーネの芝居のかかったその言葉に、徹は心当たりがあった。いや、しかなかった。
何故ならそれは、徹がいつも『ミレナリズム』をプレイする際に行っていたロールプレイの一環だったからだ。
「お、お前たち……何故それを……?」
「何故って……なぁ?」
「私たちはいつもヴァルター様のお言葉を聞いていましたので」
「なん……だと……?」
つまりそれはアレか?自分がいつも部屋に一人だからとむちゃくちゃにかっこつけて喋っていた声が聞かれていたということか?
徹は今すぐにでも枕に顔を埋め大声を出したい気持ちに支配された。
「忘れてくれ……」
「なんでだよ?オレはあの陛下好きだぜ?」
「私も自信満々で尊大なヴァルター様をお慕いしておりますよ」
「ぐ、ぐぅ……」
顔を赤らめる徹を、期待の籠った瞳で見つめるヴィルヘルミーネとリディア。
実際の人間を前にあの口調で喋るとか進行形で黒歴史を作りそうだが、王として配下の期待を裏切る訳にもいかなかった。
「わかった……。なら、しばらくは魔王口調でいく」
「おぉ!」
「流石はヴァルター様」
徹は顔の熱を逃すように咳払いをして、腹に力を入れる。
「それで……お前たち以外の九魔将はどこにいるのか知っているのか?」
「いえ。私たちが気付いた時にはその場に全員いたのですが、ヴァルター様のお姿が見えないという事で、少人数の組に分け御身の捜索を始めました」
「ふむ。つまり九魔将も全員この世界にいるということか」
「ああ。陛下もそれは分かってるんじゃないか?」
「……ん?」
その瞬間、徹の意識で何かと繋がっているような、そんな奇妙な感覚を覚えた。
自分と何かが細い糸のようなもので繋がっている感覚。その糸のようなものは九つある。もしかしてこれは、九魔将との従属関係を示しているのだろうか。
「……なるほど、この感覚か」
「おう。オレたちも意識の中で「あ、陛下と繋がってんな」って思えるんだ。だから陛下もこの世界にいるって分かったんだぜ」
「ふ~ん……」
やはりここは異世界だと言うべきか、自分が今まで暮らして来た現実世界の常識が通じないことは多々あるらしい。
早く他の九魔将とも会いたいなと思っていると、徹たちを先導していたリーシャが足を止めていることに気が付いた。
「どうした? リーシャよ」
「あ、あれ……」
リーシャは青ざめた顔で視界の先を指さした。
彼女の雰囲気からただならぬものを感じた徹は険しい顔でその方向を見る。
「黒い、煙……?」
そこには、立ち上る黒い煙が見えた。その根元には、恐らくだが、木でできた建物がボツボツと建ってあった。
そして、リーシャは震える声でそう言った。
「あれ、私の村だわ……」