第四話 異世界転移
「げほっ、げほっ! えぐっ……!」
「全く……大丈夫か? ハンカチは必要か?」
「あ、ありがとうございます。っ!? げほっ!」
血の海が広がる戦場から場所を移した徹たち一行だが、少女にとってあまりに衝撃的な光景だったようで、彼女はあれから五分が経った今でも涙目になってえずいていた。
この世界の事について聞きたいことが色々あるのだが、今の状況では厳しいだろう。
徹は少女が落ち着くまで待っていた。
「ここは……『ミレナリズム』の中なんだろうか?」
徹の頭に浮かぶのはそんな疑問。
ここが現実世界でないことは理解した。
騎士やら魔術やらがいる世界だ。そうでなければおかしいだろう。
そんな徹の独り言だったが、意外にもそれに返事をする者がいた。
「多分違うと思うぜ。なんとなくだが、いつもと違う感じがする」
ヴィルヘルミーネだ。
彼女はヴァルターとなり180cmを越える身長になった徹よりも背が高く、徹が若干仰ぐ形となる。
「違う感じ?」
「ああ。だけど言語化はできないな。悪いな陛下!」
ヴィルヘルミーネは何がおかしいのかケラケラ笑う。だが、そこに不快感はなかった。
その笑みがあまりにも無邪気で、徹が思い描いていたヴィルヘルミーネ像そのままだったからだ。
(ゲームのキャラと会話する昔からの夢がまさかこんな形で叶うとはな)
徹は未だ、ヴィルヘルミーネやリディアと生きている人間として会話することに慣れていなかった。
確かに徹はゲームのキャラに話しかけるような性格ではあったが、実際面と向かうとなるとまた話が違う。
憧れていたテレビのスターと実際に会って話すような、そんな奇妙な感覚だった。
「そうか。ヴィルヘルミーネがそう言うなら信じよう」
そして、徹はなんの疑いもなくヴィルヘルミーネの言葉を信じた。
ヴィルヘルミーネは徹が最も信頼する継承ユニットだ。
なら、彼女がここが『ミレナリズム』ではないと言うならそうなのだろう。
「……へへ」
唐突に、ヴィルヘルミーネが顔を赤らめて笑った。
その笑みがあまりに可愛らしくて、徹はしばらくヴィルヘルミーネの顔に見惚れてしまった。
「…………どうした?」
「いや、陛下と面と向かって話せるのは嬉しいけど、やっぱ照れるなって」
「~~ッ!?」
(やばい!ヴィルヘルミーネ、可愛すぎんか!?)
恥ずかしそうな顔で、黒い手袋に隠れた指でぽりぽりと赤くなった頬を掻くヴィルヘルミーネに、徹は目を奪われる。
ヴィルヘルミーネの見た目は、『ミレナリズム』の売りの一つで奥深いキャラデザインを駆使して、徹が考えあげたものだ。
それはつまり、徹の好みドストライクということで、彼女が笑顔になったり顔を赤らめたりするだけで、女性経験のない徹の胸の動悸が激しくなるのも道理だった。
「陛下……貴方に触れてみても、いいか?」
「え!?」
唐突な頼みに、徹は思わず狼狽える。
(触る!? ヴィルヘルミーネが、俺に!? )
「ど、どうして……だ?」
「だって折角、こうして陛下と会えたんだ。陛下と触れてみたい。陛下の体温を感じたい。貴方がここにいるということをもっと実感したい。……ダメか?」
ずいっと、ヴィルヘルミーネは徹に顔を近づけながら嘆願する。その顔は徹はカスタマイズした、言わば徹特攻の美貌だった。その吊り上がった両目は、餌をお預けされた犬のように垂れており、そのギャップがとてつもない破壊力を生み出している。
更に、なんだか女性特有の良い匂いまで漂ってくる。先ほど数人の騎士を殺したにもかかわらず。
「い、いや……いい、ぞ?」
(これ断れない童貞いるの?)
「ほ、ほんとか!? じゃあ失礼して……」
「っ」
許可を得たヴィルヘルミーネは、手袋を外すと、即座に徹の両手を彼女の両手で包み込む。
少しごつごつとしている手だが、そのすべすべとした触感はやはり彼女が女性であることを示していた。
ヴィルヘルミーネはハムスターを触るような慎重さで、徹の手を確かめるようににぎにぎと触る。
(……やば。なんか心臓の感覚なくなってきたな。これが……恋!?)
「陛下……これが、陛下……」
うわ言を呟きながら徹の両手を楽しむヴィルヘルミーネ。
顔が真っ赤になり、目の焦点が合わなくなってきた徹。
そんな両者の異常に気付いたリディアが駆け寄ってくる。
「おい、ヴィルヘルミーネ、離れろ。陛下が苦しそうだ」
「陛下……陛下……」
「聞け」
無理矢理引きはがされるヴィルヘルミーネと徹。
残念そうな顔をするヴィルヘルミーネを見て、徹は正気を取り戻した。
「わ、悪かったな、リディア」
「いえ、ヴァルター様の従者として当然のことをしたまでです。ですが、後ほど私にも貴方様を触らせてくださいね」
「お……? お、おう……」
これまで無表情を貫いてきたリディアが小さく微笑んだ。
まるで氷の令嬢が時折見せるデレのようなその破壊力に、徹は思わず頷く。
「おい、ズルいぞリディア。オレだってもっと――」
「なにがズルいんだ。元はと言えば貴様が先に――」
「…………」
この世界について様々な疑問があるが、その中でもヴィルヘルミーネやリディアのような継承ユニットに人格があることも、その一つだった。
『ミレナリズム』においてユニットは喋らない。プレイヤーの命令通りに動き移動し戦うだけの駒のような存在だ。
にも関わらず、ヴィルヘルミーネとリディアはそれぞれに与えられた性格を持ちその通りに喋り動いている。
「……? どうかしましたか、ヴァルター様。こちらをじっと見つめられて」
「……ん? ああ、いや、すまん。お前たちのその性格はどこから来たのかと思ってな」
少し冷たい印象を受ける喋り方だが、徹の前だと忠実なメイドのように振舞うリディア。
自らを徹の武器と称し、徹にも他人にもあまり変わらないフランクな喋り方をするヴィルヘルミーネ。
彼女たちの性格は、徹のイメージにすとんと嵌まるようなものだった。
その嵌まりようが綺麗すぎて逆に奇妙にも思える程に。
「あぁ、これは陛下の望みをそのまま形にしてるんだよ」
「俺の望み……?」
徹は首を傾げるが、リディアはうんうんと頷いている。
「どれくらい前だったかなァ……。陛下がご友人とお話しされてる時にオレたちについての話題があがったんだよ」
「ん……?…………あ、ああ!」
ヴィルヘルミーネの言葉に、徹の懐かしき良い思い出がよみがえった。
あれは、まだ『ミレナリズム』が賑わっていた五、六年前のことだ。
▼▼▼▼
『ヴァルターって継承ユニットにもちゃんと名前つけてるよな』
『そりゃつけるだろ。思い入れのある奴ばっかりだからな』
『……まぁ、自分の名前をヴァルター・クルズ・オイゲンってする奴だもんな……』
『どういう意味だコラ』
『なんでもないなんでもない。ちなみに、誰が一番お気に入りなんだ?』
『ん?あー……全員好きだけど、強いて言うならヴィルヘルミーネかなぁ』
『ああ、あの魔族と竜人族のハーフのユニットか』
『ヴィルヘルミーネは男勝りなところがあるんだ』
『……は? 急に何の話だ?』
『一人称は俺で、ヴァルターに忠実だが男友達のようにフランクに接する。自分のことをヴァルターの武器だと思っているが、戦闘に悦びを見い出す、戦闘狂な一面もあるんだ』
『……おーい』
『だが、かといって人格破綻者という訳ではなく、九魔将の中では姉のように振舞って、料理とかも作ってあげるんだ……』
『…………もしかしてお前、継承ユニット全員にそんな妄想全開なキャラ付けしてんの?』
『もちろん。リディアはな、ヴァルターに対しては敬語で礼儀正しく接するが、それ以外に対してはドライに接するんだ』
『聞いてないけど』
『でもそれは彼女がヴァルターしか見てないって訳じゃなくて、そのドライさが彼女の素なんだよ。だから仲間をなんとも思ってないって訳じゃないんだ』
『もうわかったから止めろ』
『リディアは自分がヴァルターの従者であるということに誇りを持っているとともに、責務も持っている。きっと、九魔将の中では一番ヴァルターの盾になることに躊躇いを感じないだろうな』
『止めろって人に言われたら止めような』
『他の奴も聞く?』
『俺の言葉届いてる?』
▼▼▼▼
「という陛下の言葉を聞いていたオレたちはな、段々とその通りの人格を形成していったわけだ」
「…………」
徹はあまりの羞恥に顔を手で覆った。
暴走して自分の妄想を大っぴらにするという、その日の夜あまりの恥ずかしさに枕に顔を埋めて叫ぶほどの黒歴史を思い起こされ、あまつさえそれを最愛のユニットたちに聞かれていたと言う事実を突きつけられ、全身の体温が急激に上がっていく感覚を覚えた。
だが、これで徹が彼女たちの性格をすんなり受け入れられた理由に合点がいった。
そもそも、彼女たちは徹の妄想通りに動いているという訳だった。
「さて、それではヴァルター様。そろそろご命令を頂けますか?」
「……え?」
徹が熱くなった顔をパタパタと扇いでいると、いつの間にか、リディアは真面目な顔で徹に跪いていた。
隣に立っていたはずのヴィルヘルミーネも同じ格好だった。その笑みは先ほどまでの愉快そうなそれではなく、得物を狙う肉食獣のような顔つきだった。
「命令……?」
「ああ。オレたちは陛下の忠実なる配下、九魔将の二人。陛下の命であればなんであれ壊す、殺す、暴虐の限りを尽くす。それがオレたちの役目だ」
「なにを言って――」
「だって陛下、するだろ? 世界征服」
「――!!」
徹は全身を雷に撃たれたような、そんな強い衝撃を受けた。
内心では、無意識のうちに徹は元の世界に帰るつもりでいたのかもしれない。
だって、この世界は意味不明だ。ゲームの中に入っただとか、異世界に転移しただとか、普通であれば笑ってしまう程荒唐無稽な話だ。そんな夢みたいな世界からはさっさと抜け出したいと心の底では思っていた。
しかし、リディアとヴィルヘルミーネ。彼女たちの真剣な目を見ると、その思いは霧散した。
現実世界に帰ったところで、待っているのは楽しくもない仕事と孤独だ。
そんな世界になんの未練があると言うのか。戻った後に、そのことを後悔しないだろうか。
徹はこの世界に来る直前のことを思い出す。
――九魔将たちをもっと活躍させたい。
――もっと俺に世界を征服させてくれ。
――俺は、魔王ヴァルター・クルズ・オイゲンなんだ。
この世界であれば、それが叶うのではないだろうか。
一ノ瀬徹として現実世界で生きる選択を捨ててでも、この世界には魅力がある。
九魔将と共に魔王ヴァルター・クルズ・オイゲンとして世界を征服する、魅力が。
「……そうだな」
そう考えれば、決意は早かった。
確かにこの世界については不明なことだらけだ。
先ほど戦った騎士たちは明らかに徹たちより弱かったが、それがこの世界に徹たち以上の実力を持つ者がいないことにはならない。
それにこの世界にどんな国がどれくらいあるかなども分からない。『ミレナリズム』では大抵六人プレイが多かったが、この世界には百を越える国々が存在するのかもしれない。
だが、それは徹にとってはどうでもいいことだ。
徹はただ、自分の愛する九魔将と共に世界を征服したいだけだ。
世界征服を達成した後なんかどうでもいい。その過程を、九魔将たちと共に笑って楽しめればいいのだ。一ノ瀬徹という人間の楽しみは、それだけで事足りるのだから。
「ヴィルヘルミーネ、リディア」
「おう」
「はっ」
「いつもとは勝手が違うかもしれないが、俺はこの世界も征服してみたい。お前たちと一緒に。付いてきてくれるか?」
「おう! また陛下のために戦えるんだ! これ以上の事は無いぜ!」
「私はヴァルター様の忠実な僕。ですので……御意のままに、我が主」
世界征服。
『ミレナリズム』では何回も、何千回もやったことだが、その世界にいる人間として行うのは、当たり前だが初めてだ。
しかし、徹の心中には不安という感情は無かった。
一ノ瀬徹という人間から解き放たれた彼の心は、ただひたすらにこれからの期待感や高揚感で溢れていた。