絶海に沈む
「おったーから、おったーから、でってこいおったーから」
海面を透過した光が照らす海底の砂を掻き分けます。といってもこんな浅い海の底に沈殿物なんか落ちてるはずもなく、落ちていたとしても価値の低いガラクタばかり。それでも、探さないといけないのです!!
ピシッ……
「ふぇ?ああ!浸水してる!!!」
潜水服のヘルメットに僅かに罅が入りました。致命的じゃないけど、このまま水が入ってきたら潜水服がダメになっちゃう。
罅が広がらないようにゆっくりと、けれども急いで浮上します。
「リーダー!!もう買い替えましょうよ!!」
「何を言う。これは深海1万メートルの水圧にも耐える優れものだぞ?このレベルのものはそうそう手に入らないんだから」
「4世代も前のタイプじゃないですか!!もうガタガタで使いようもありませんよ!!いい加減買い替えましょう!!!」
ザバザバと海を掻き分け陸地に居るリーダーに詰め寄ります。
「ハハハ、面白い冗談だな。そんな金あるわけ無いだろう。こんな漂流物も流れ着かないような辺境海域の、それも価値ある沈殿物も埋まってないような場所に国は金を落としてはくれないよ。最近は漂流物自体も少なくなって来たからね」
「じゃあ私深海探査隊に入ります!こんな極貧生活とはおさらばです!!」
「深海探査隊に入れるのは十五からだし、見習い適性試験も落ちたんじゃなかったかい」
痛いところを……!
「ま、まあ?あと二年で才能を開花させればいいだけですし?」
「基本女の深海探査隊員はろくな目に合わないけどね。まあ頑張ってくれたまえよ」
「見てきたように……」
「そりゃ私も深海探査隊だったし。うん、ろくな目に合わなかったよ」
初耳……!?
「聞いてないんですけど!!」
「言うようなことじゃないから。ちなみに私に言わせると君の適性はなしだね」
「私に言わせれば100%ですぅ!!」
身内……というより自分だからか色眼鏡掛けまくりの評価ですが。
罅の入ったメットを修繕……いえ、もう取り替えですね。本来1つでも罅が入ったら取り替えなのに3つ入っても使い続けたんだからいいでしょう。……浅い海だからかあまり問題はなかったけどこれなにかの法に触れてるんじゃ……?
「よし、ちゃんと出来た!!」
「今回は泣きついて来なかったか。じゃあメットのガラス代で今日の分のノルマ追加ね」
「しょんな!!?」
横暴では!!もっと新しくて頑丈な潜水服買ってくれないから余計な出費が増えるのでは!!
*
水深3m。こんなところに埋まっている沈殿物はあらかた回収され海流の影響で漂流物が流れてくることもないので当然収穫はゼロです。
「もっと深いところに潜らなきゃダメかぁ」
まあ8mくらいならぼちぼち10ゼルーくらいになる沈殿物は見つかるし、リーダーには行っちゃ駄目だって言われてるけど10m以降だともっといい漂流物が見つかる確率が高くなります。
「よーし、それじゃさっそく潜っ……ん?」
キラキラと光るものが視界に入りました。きっと漂流物かもしれない、確かめて見ようと近付いたのが間違いだったのです。
「わぁ、漂流物!!なんだろう…見たことない形……高そう。これなら今日のノルマ分どころか新しい潜水服…も……」
次に見たものは目でした。ギョロリ、とこちらを睨む目。そして、その下に広がる牙の並んだ大きな口。
「ツリエザメ!!?どうしてこんな浅瀬に!!」
水深15~30mに生息し、価値ある漂流物という明らかに人間のみを標的とした疑似餌をたらし多くの探査隊員を食らって来た鮫。本来、こんな浅瀬にいるはずない海洋生物。その大口が右足に噛みつきました。
「っ…!残念でした〜この潜水服は頑丈さだけが取り柄なので噛み千切れえええええ」
噛み千切れないことに苛立ったのは体を捻らせ三半規管にダメージを与えてくるツリエザメ。ローリングするとかワニかなにか…うぇ吐きそう。
そして、悪い事というのは重なるもので……
「うえええ……揺れて……いや、揺れてる?」
周囲が揺れます。私が揺れているのではなく周囲の水が。波打ちで揺れているのとは全く異なる揺れ方。
そうですか。あなたがここまで来たのはこれが原因でしたか!!
「地震!!!」
海底が揺らぎ水が引いてゆきました。その勢いは強く、一瞬で陸地を離れ天高く立ち上がる水柱の中へ。そのまま一瞬浮かんだかと思えば、さらに陸地から離れ大洋の中央に。その途中でサメが離れていったのがありがたいですかね。
それより最悪なのは陸地から離れただけではなく、変な海流に捕まったことでしょう。恐らく深海探査隊がかなり深い深度に潜り込む時に使われるような沈み込んでいく海流。どれだけ泳げど逆らえない、抗うだけ無駄な速度。
「あっ……」
深く、深く沈み込んでいきます。意外に流れは速く、だんだんと光が失われていきます。暗く、暗く、暗く。海面から差し込む大洋の光が円となり、点となり、そして消えました。それでもまだ深く深く沈んでいきます。その速度はかなり速く、一時間もせず海底に辿りつけるでしょう。幸い、この潜水服は水深1万までなら耐えれるものです。そこはリーダーに感謝ですね。既存の潜航海流の最深が水深8236mであるので耐えられます。そしたら上昇海流を捕まえるなり、深海探査前線基地船を見つけて保護してもらうなりで帰れるでしょう。さすが私、未来の深海探査隊。こんな状況でも冷静なんて!!
「あ、そうだ深度見とかないと」
まだ一時間経ってないけど一応……
「えーと深度……8300」
え?
いや、なにかの間違いでしょう。一瞬目玉が飛び出るかと思いましたよ。
さて、実際は………
「はっせんよんひゃくめーとる」
へ??
分速150m前後???くっそ速いですね……じゃなくてそんな速度の海流は聞いたことないし、近辺にこんなに深く潜る海流があるという話も聞いたことがないです。つまり……
「未発見の海流ってこと……?」
唐突に具現化した死の足音に、私は震え上がりました。未発見の海流であれば当然深海探査前線基地船はいないですし、深度が一万以下でないとは限りません。もし一万以下の水深であれば確実に死にますし、そうでなくても帰還は絶望的。未発見海流の深海生物とか何がいるかわかってませんからね。
「8800…………………8900………………………9000」
お願い止まって……!
そんな願いも虚しく、深く深く潜って行きます。
9100メートル。
9200メートル。
流れは未だに速く、抜け出すことも出来ません。深く深く、もっと深く。既に光が通らなくなって久しいというのにそれでも周りはより暗くなって行きます。まだ一度も深海生物と出会っていないのが不思議なくらい。
9800メートル。
(ああ、やめて神様お願いここで止めていや!!)
9900メートル。
(やだやだやだやだやだやだやだやだやだやだ!!)
10000メートル。
「あっ……」
確実にあるとされながらも、辿り着いたという報告のない水深一万メートル。その理由は単純で出てくるための技術がないから。現在見つかっている未潜航海流はいくつかあり、そのうち一つは確実に水深一万メートルを越えるとされていますが、今まで潜航が行われなかったのはそれが原因です。入れば、二度とは戻って来れない海。絶海───絶望の海と呼ばれるその場所があるのは大陸の反対側。間違っても私が流れ着く場所ではなく、間違っても助けが来る場所じゃない。
(ああ、私ここで死ぬんだ)
旧式の潜水服はカタログスペックよりも大分耐えられるようで、既に水深10500mに達しようかというのに何も感じられませ……いや、手を握られました。悪魔か、死神に。いえどっちもですね。水圧に耐えられなくなった潜水服が柔らかくその脅威を伝えてきます。幸い胸や胴、頭は特別頑丈にできているのか何も感じませんが、四肢の末端に告げられた柔らかな警告は、それはそれは恐ろしい死の宣告でした。
そして水深10700m。警告はより激しいものとなり……
「あぐっ、あっああ」
指が潰れました。全方位から受ける力で握り潰されたのです。
次は手と足。沈み沈んで警告を受け、ゆっくりと音を立てて握り潰されていきます。だんだんと、深く深く潜るのに連れて強く強く。
「ぁぁぁぁぁあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!」
不意に、海流が止まりました。水深11600m。生還は不可能。
海流が止まったからと言って、海底についたわけではありません。ゆっくり、ゆっくりと底を目指して沈殿していきます。
「痛い…い゛だい゛だい゛だい゛い゛だいいいいいい!!!!」
そして、二つわかったことがあります。
一つ、ここは恐らく先程の地震で新たに生成された海溝であり、さっきまでの急流はそこに引き込まれる水の流れで上昇海流は先程のものより遥かに遅いこと。さっすが私、未来の深海探査隊!こんな少ない材料でここまで推理出来るなんて!!まあその未来がないんですが。
そしてもう一つ。急流が消え、ゆっくりと沈んでいることで、この握撃はより残酷なものに変わったこと。
「痛いやめてい゛や、い゛やいや!!」
涙を、洟を、涎を垂らして懇願しても当然ながら死神はやめません。
先程よりもゆっくりと時間をかけて力を込め、腕を、脚を折って潰していきます。ゆっくりと、ゆっくりと。痛みという感覚が続き過ぎてわからなくなるくらいの時間をかけて。何度も失禁を繰り返し、何度も何度も血を流して朦朧とする白んだ意識の中見えた深度は深海12000m。前人未到、絶望の領域。
ふと、感じたものは浮遊感。これまでのように沈みこむ水の抵抗のではない、空気の抵抗。
悪趣味な子供に与えられた悪趣味な人形のように、臓腑を掴まれぶら下げる不快感と、緊張感。沈殿ではなく落下。紙のように薄くなった手足はひらひらと千切れ、どことわからぬ場所へ飛んでいく。
「ぁ、ぁぁ」
泣き叫んで喉が潰れたからでしょうか。声が出ません。
そのまま眼下に見える海底、複雑怪奇な建物の並ぶ都市の、それまた変な形の建物の上へ真っ逆さま。
ぐちゃり、という音がして、身体中を痛みと熱が駆け巡ります。ベチャベチャと、足や腕などちぎれたところから溢れ出るもの……血と臓物片でしょうか。赤と緑の色の建物を黒とピンクのマーブル模様が穢していきます。
感覚的に、肋骨はすべて折れ胸や背に刺さっているでしょう。内蔵はすべて潰れ、それが衝撃で吹き飛び千切れた手から足から流れるのです。
不幸なことに、旧式の潜水服は頭を頑丈に柔軟に守るように作られていました。その結果即死の致命傷だというのに墜落の衝撃で意識を刈り取られることはなく、死に至るまでの十数秒間苦しみ続けることでしょう。そういえば交換したばっかだからかメットは割れなかったな。
「ぅ゛……ぁ゛ぁ゛…ぇ゛」
《貴女の名前を教えてください》
「ぇ…な゛ま゛え゛……?」
不意に声が聞こえました。凄く無機質な声が。死にゆく私の名前なんて聞いてどうするのでしょうか。それとも誰にも見つからないこの場所に墓でも立ててくれるのでしょうか。それもいいですね。誰にも見つからなくても、何かを残した方がずっとましです。
「ウェ……リチ………………」
捨て子だった私にリーダーがくれた素敵な名前です。
そこまでいったところで、私の意識は黒く、白く消えて行きました。簡単に言えば死んでしまったんですね。
《了解しました、ウェリチ様。お帰りなさいませ、最後の万人》
*
目が覚めました。見ず知らずの部屋のベッドの上で。
「私死んだはず……」
あれは確実な死でした。どうあがいても再生できない類いの、即死でした。しかし鏡に映るのは間違いなく自分。青い髪に赤い瞳。小さな頃切ってしまった頬の傷。
そして何一つ纏わない自分の体を見れば、一昨日転んで打った膝の青痣まで完全に同じ位置にあります。これは間違いなく自分の体。であるからこそ矛盾が残ります。先程のあれが、あの痛みが夢であるはずがありません。
それにこの部屋の窓から見える景色。先程の奇妙な建物の間から覗く空は、月も星もない夜空のような色。先程まで通って来た暗い暗い深海。見間違いようがありません。私はあれに殺されたのですから。
「取り敢えず外に出よう」
こんな狭い部屋の中ではわかることなど何もありません。流石に素っ裸で外に出るわけにはいかないのでシーツを鋏で引き裂いて即席の貫頭衣を作りました。
「すーすーします」
少し切りすぎたのか体の側面は丸出し。まあ前と後ろが隠れてれば十分でしょう。捲れないようにシーツの切れ端で帯を結んで出発です!!!
ゆっくりとドアを開けます。さして抵抗なく開く扉。しっかりと手入れが為されているのか音一つも立てません。
「あのー、すいませーん」
深海とは思えないほど明るい廊下に声が響きます。しかし帰ってきたのは静寂。人一人の気配もありません。少なくともこの建物には……いえ、もしかしたらこの街には一人もいないかもしれません。人がいるにしては外に喧騒がなさ過ぎます。
「お邪魔しまーす……」
隣の部屋の扉を開けます。そっと中に入れば………
「っ……!」
なに、これ………。
隣の部屋は先程私が眠っていた部屋と全く同じ作り。シンプルなベッドに簡潔な作りの洗面台。軽く身だしなみを整えるための櫛や鋏に衣類の入っていない空っぽのクローゼット。そしてベッドの上で寝息の一つも立てずに死んだように眠る……
「わた……し…?」
青い髪の左頬に小さな傷を持つ少女。眠っているからわからないけど、恐らくその瞳の色は赤。先程鏡でみた、この十三年付き合って来た自分の顔。
「流石私、ウルトラスーパーデラックスデリシャスビューティー美少女」
いやデリシャスは違うしビューティーと美少女で意味被ってます。
と、茶化してみましたが微動だにしない死体を眺めるのは恐ろしいですね。先程の自分を……いずれ辿る自分を見てるようで……いや、やめましょう。こんな妄想に意味はないです。
隣の部屋、そのまた隣の部屋に向かいの部屋。そのどれもが全く同じ部屋で、すべて中には私が眠っていました。恐らく、外に見える建物全ても。
今私がいるのはこの都市の丁度中央の建物。窓から見える景色からして私が落ちて来た建物の中でしょう。だって外にあの赤と緑の趣味の悪い建物は見えないんだもの。
「ってことは……」
屋上に行けば本当に私が死んでしまったのかがわかりますね!いざ出発目的屋上あるいは屋根の上!!と、暗い気分を誤魔化すように鼻歌を歌いながら階段を上っていきます。一階、また一階と上って行って着いた扉は恐らく屋上のもの。ここまで上る途中で怖くなくなった私はその扉を勢いよくあけ──────
浅はかでした。自分の馬鹿さ加減を呪い、酷く後悔しました。
扉の向こうにあったものは四肢の無い死体。手足がもげ、その傷口からよくわからない肉々しいものを血と共に溢し、あらぬ方向を向く首。血は黒く固まり、死んで数日経っているようです。……いえ、死んだばかりなはずですよね。私だって今さっき死んだばかりですから。
呆然と眺めているとふと、曲がった首についた目がこちらを眺め目が合い───
「うっ…」
脳が吐き気を訴えます。胃の中は空っぽで、吐けるものなんてないのに。あるいは拒んでいるのでしょうか。本来あり得るはずのない、自分の死を直視することを。
「い、いや」
戻りましょう。もうこんなところいたくない。
扉を閉めて赤と黒の潰れたオブジェを隠します。
階段を駆け降り飛び込んだ先は目覚めた部屋。少なくとも何も無かった安全圏。いや別に屋上でも何か危険なことがあったわけではないけれど……もう今日は寝ましょう。お腹空いたけど動き回る気にはなれません。
*
よく眠れました。外の景色は変わらないのでどのくらい眠っていたのかわかりませんが二度寝ですしそこまで長くはないでしょう。
「………お腹減った」
先程目覚めてから何も食べていません。と、いうかこの体は元から何も入っていませんでした。それはお腹空きますよね。
なので街に繰り出すことにしました。誰もいない街に。
人影が綺麗サッパリなくなった町並み。しかし誰かが手入れしているのか汚れも傷も見当たりませんし、道端に雑草の一つも生えていません。人がいないのだから家畜などにも期待は出来なかったので雑草を食べて飢えを凌ごうかと思っていましたがそれも難しそうですね。
「お邪魔します……」
取り敢えず向かい側の建物に入ってみました。当然、人はいませんし、返事が返って来ることはありません。玄関を開けた先はエントランスホールになっており、そこから各部屋に続いています。……私がいた建物よりも豪華ですね。どうなってるんですか。
眼の前の豪華な階段を上がり、立ち並ぶ部屋……なんとなく四番目の気分でしたので手前から四番目の扉を開けます。その中には二度目となる眠る自分の姿がありました。まあ予想はしてましたしこうして見るのも二回目なので余り動揺しませんでしたが。
「何か着れるものは……」
ないですね。この街の住人は裸族か何かだったのでしょうか。こうも服がおいてないとそう考えてしまいますね。いや、何故か深海にあって程よい温度なので服とかいらなかったのでしょうか。こんな格好をしていても温かいと感じられる程度には温度が保たれていますしその可能性は高いですね。
取り敢えず部屋の探索は後回し……どうせどこも同じような感じでしょうしもう探索しなくていいでしょう。階段をおり、厨房らしき部屋へ。何か食べれるものがあるといいのですが。
「何もない……」
冷蔵庫の中も、貯蔵庫の中も、冷凍室…は寒くて入ってないけど見渡せるところに食材はありませんでした。肉も、野菜も見当たりません。唯一水だけは出るので空腹を誤魔化すことはできました。
このままでは死んでしまいます。かと言ってこの街には食料はありそうにないですし街の外は深海で出ることすら叶いません。ああどこかにお肉落ちてないかなぁ。
なんて、考えながら街を歩いているとお店の硝子の向こう側にある潜水服が目に入りました………服!?ここの人たちは服なんて着ない裸族じゃなかったんですか!?
「深海12000メートルの水圧に耐える潜水服…」
ぴったりじゃないですか。なんでこんなおあつらえたような潜水服があるんですか。数は五着。脱出する時の為に一着、予備として二着。残り二着ですが普段使いするには……この格好にも慣れてきましたし暖かいからこんな格好でも十分なんですよね。予備はいくつあっても良いですしこの二着も予備としましょう。
予想外の嬉しい発見でしたが食べ物がないという現状は何も変わっていません。
*
「おなか………すいた………」
もう三日も経ちました。体内時計なので正確ではありませんが。この街の隅々まで探索しましたが一切食べ物が見つかりませんでした。もう食べれるものといえば───
「…………っ!!!」
今、何を考えて……いえ、やめましょう。
もうこの街で見れるところは粗方見ましたし、今日はこの間見つけた潜水服で周囲を探索しましょう。脱出の為にも必要なことですし、もうすでに死んだ身。きっと二回目もあるでしょう。
あの潜水服は五着。一着使い潰してもまあ大丈夫………大丈夫なはずです。
「確かこの辺で……あ、あった」
ショーケースに飾られた五着の潜水服。サイズは全て同じ……というかサイズの概念がないようです。体格に合わせて変化するようになってる、と商品説明にありました。
「ファスナー………」
背面ファスナーなんですけどこれほんとに大丈夫ですかね。いやほんとに大丈夫ですかね。ファスナーの隙間から水とか入ってきませんかね。
少し苦労しながら背中のファスナーを上げきり、メットを被ります。………これ本当に大丈夫なんですかね。メットもファスナーで装着させるんですけど。水に触れることで膨張、硬化し水圧に耐えられるって信じてもいいのかなぁ。
「ものは試しっ!」
やってきたのは街の外縁。続くもののない道の先は暗い暗い海の中。分け隔てる透明な膜からそっと外へ手を伸ばします。
「痛かったらすぐ引き抜く痛かったらすぐ引き抜く痛かったらすぐ引き抜く………」
恐る恐る近づく指は、膜の前で何度も引っ込みます。そして徐々に距離を詰め、指先が膜を通って………
「っ!」
思わず目を瞑ってしまいました。入ってきたときと同じく一切の抵抗なく膜を通り抜けていった指は柔らかく包まれるような感覚のみを返して来ます。
「痛く…ない…?」
これなら!っと勢いよく飛び出してみます。
膜の外に出た私の体を包み込むのは重く苦しい重圧、ではなく柔らかな水。ファスナーの隙間も埋まっているようで水が入ってくることはありません。さらに凄いことに、深海12000メートルの水でも浅瀬で泳いでるかのようにスイスイと掻き分け、泳ぎ進んで行くことができます。どんどん泳ぎ進んで行けば、いきなりメットに矢印が表示されました。どうやら方向的に都市の方を指しているようです。
「とりあえず、行けるところまで行ってみよう」
帰り道も示されたし、酸素残量が半分を切るくらいまで上へ行ってみましょう。何か食料になるような魚とかも見つかるかもしれませんし。
上も下も分からない浮遊感、前も後ろも真っ暗闇の中重力方向機だけを頼りにただひたすら上へ。疲れが出るまで……と、思いましたが一向に疲れが出てきません。体感2時間程泳いだでしょうか。そろそろ喉の渇きも限界だから戻ろうかと深度計を見れば水深は8000メートル。
「えっ?」
見間違いではありません。確かに、8000メートルと書いてあります。
「酸素残量!!」
まだ60%もあります。単純計算で1000メートル10%程の消費量。水深2000メートルまでなら泳げるということです。どういう原理かこの潜水服を着ていれば体力の消費も少なく済みますし、水も一日くらいなら飲まなくても平気です。水深2000メートルまで行かずとも3000~4000メートルなら深海探査前線基地船もいくつかあるでしょうしそこから地上に帰ることができるでしょう。ああ、やっと一筋の光が見えてきました。このどんな漂流物よりも素晴らしい潜水服を持って帰還すればリーダーも褒めてくれるでしょう。あ、リーダーの分も持って帰らないといけないですね。
「まだ酸素に余裕あるしちょっとだけ周りの探索をしようかなぁ」
酸素残量50%くらいまではこのあたりの探索をしましょう。お腹を満たせるものがあるかもしれませんし、数は少ないとはいえ水深8000メートルまで潜れる深海探査前線基地船もあります。出来たばかりの海峡を昨日今日で潜り始めるとは思えませんがそれでも僅かながら期待してみたりします。
「何かないか……」
3時間ほど探索したでしょうか。一切食料になりそうなものが見つからず心が折れかけていたとき唐突に目の前に光が現れました。水の中で撹乱され、ぼやけ広がり切った僅かな光ですがこの暗闇の中では太陽のように頼もしいですね。
自身の体の一部あるいは全部を発光させる深海生物はいないこともないのですがまあ食べれるでしょうしそれでも構いません。でも考えてみれば私と同じように落下海流に巻き込まれた深海探査前線基地船の1つや2つあるでしょう。近隣海域のものは5000メートル級のものが最大だったはずなので壊れてるでしょうが、私のように奇跡的に生き残った可能性もあります。
「うそ……」
期待していたとはいえまさか本当に深海探査前線基地船だったなんて。それも8000メートル級にしてはかなり大きく、普通なら家一軒分くらいの大きさなのに豪邸くらいの大きさです。家にある図鑑でも見たことないものですが最近新型が出たと聞きましたしきっとそれでしょう。と、自分に都合のよい解釈をして近づいて行きます。
「開けてくださーい」
あ、通信繋がってませんでした。というか通信繋がりますかねこれ。関係ないと思って説明斜め読みしかしてないんですが通信方法がテレパシー的な感じだったはずです。
仕方ないのでジェスチャーです。両手を上げ敵対の意思がないことを示しつつ、探査船収納口らしき場所へと近づいて行きます。
5分ぐらい経ったでしょうか。収納口がゆっくりと開きました。中に入ればそこにも二重の扉。収納口が再び閉まれば一旦辺りは暗闇に包まれます。
「ぶべっ!!」
勢いよく扉が開き、向こう側の部屋へ入り込む水に引っ張られて床へ叩きつけられました。まったく、不親切ですね。あ、元の部屋に手すりついてました。
一緒に入って来た水がちょろちょろと排水溝ヘ流れ込んでいくのを尻目に顔を上げれば再び扉がありました。足元が濡れているので転ばないように気を付けて立ち上がり、ふらふらと近付いて行けばそれを感知したのか扉が開きます。扉の向こうには大小様々な探査船が吊り下げられていました。
「あ、もうメットはいらないか」
首周りのファスナーを外します。深海12000メートルの水圧に耐えていたとは思えない程簡単に取り外すことができました。そして見えたのは橙色の明かりに照らされた薄暗い船内と、鬼の顔。どこからか現れた三人の大柄な鬼に囲まれていました。
「ジュジャ族……」
山の奥に潜む人食いの鬼、ジュジャ族。それがなんでこんな深海に………。いえ、それよりも人食いの鬼ということは…!
「いや!離して!!」
当然、捕まります。腕を掴見上げられ潜水服を剥ぎ取られました。着脱が容易なのが恨めしいです。その後恐怖のあまり失禁して殴られたり担ぎ挙げられた時に暴れて顔を蹴り上げてしまって殴られたりと心温まるような仕打ちを受け連れて来られたのは厨房らしき場所。大の字に寝そべらされ拘束されれば、あとは何をされるのかわかり切っています。
「い、いや、やめて!!お願いしますなんでもします!!!なんでもするからやめてくだ────」
言葉が通じないことはわかっていながらも必死に命乞いをしましたが、うるさいとばかりに口内ヘ臭くて汚い布をねじ込まれました。
そうして、準備ができたとばかりに料理人らしきジュジャ族が見せつけてきた肉厚の包丁。磨かれた刃に反射した怯えきった自分の顔と愉悦を浮かべる鬼の顔を見比べ、再び失禁してしまいました。しかし先程と違い返ってきたのは拳ではなく嘲笑。その笑い声が惨めさを引き立たせ、より恐怖を加速させていきます。
そうして刃がゆっくりと振り上げられ、そして勢いよく────
「───っ!」
キュッと目をつむり、その時を待ちますが一向にその時は来ません。恐る恐る目を開ければ気色悪い笑みを浮かべた鬼と目が合いました。そして────
「ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛──────!!!!」
時間差で振り下ろされた刃が緊張が緩みかけた体と左腕を分断します。来ると思ったタイミングから僅かにズレたことで痛みは何倍にも膨れ上がり、頭の中を白く白く貫いて行きました。
「ん゛ー!!!」
余りの痛みにもがき暴れ回りましたがすぐに取り押さえられてしまいます。再び振り上げられた刃の輝きを見て先程の痛みがフラッシュバックし、胃が収縮して喉を酸っぱいものが駆け上がりました。
「ん゛っ、む゛ぅえっ!!!」
迫り上がってきた吐瀉物は口を塞ぐ布に吸われ、残りは鼻から抜けて行きました。とはいえ何も食べていないので量は少ないです
が。何より辛いのはジュジャ族の目でした。侮蔑と嘲笑、それか愉悦。それらを交えた視線が送られ、羞恥と絶望がより痛みを鮮明なものにします。
息も出来ないなか振り下ろされた刃が今度は右の足を切り落とします。痛みに慣れぬよう、そして私が痛みに備えることのないように間髪入れずに右の腕と左の足も切り落とされました。
四肢から血を流し、ただバタつくことしか出来ない私のお腹に、包丁が突き立てられました。四肢を切り落とされたときの熱が貫いてくる感覚と違い、冷たさと熱さが入り乱れた痛み。ぐちゃぐちゃと腹綿を掻き回してきます。
そして何より悍ましいのが、脳が麻痺したのか痛みで焼き切れたのか苦痛に僅かな……かなりの快楽が伴うようになりました。
「ぁ、ぁぁ………」
窒息と失血と激痛の合間で目覚めたマゾヒズムの中、大きく絶頂を迎えつつ二度目の死へと意識は落ちてゆきます。
最後に見たのは、腹綿を掻き回すのに飽きた料理人が手際よく私を解体するところでした。何故かそれが強く強く心に目の奥に残ります。
*
目覚めたのは最初に目覚めた部屋と同じ作りの部屋。外へ出てみれば最初の部屋の隣でした。私が最初に目覚めた部屋は私の体も、衣服かわりに使ったシーツもありません。そしてもう一つの隣の部屋にはまだ、シーツとそれに横たわる私がいて………
「あ、食べ物ある……」
私があるじゃないですか。幸いにも私は先程身を持って私の解体方法を知りました。そしてこの都市でも水と塩は大量に手に入りますし、簡単なスープくらいなら作れます。ああ、四日ぶりの御飯です。
「ん、結構難しい」
ジュジャ族のように手早く解体とは行きませんね。腕を一本切り落とすにも十分程かかってしまいました。ああ、血に塗れた肉と骨の断面が綺麗ですね。
「足、ふっとい、ね!!」
ああ、向かいの建物の厨房から道具持って来ましょうか。何かしらあるでしょう。少なくとも今使ってる包丁じゃ無理ですね。
「よし」
とりあえず手足は落とせましたが、ここからどうしましょう。腹を開いて不要な内蔵は捨ててしまいましょうか。あのジュシャ族は面白半分で内蔵を掻き回しただけで実際は取り除くでしょうし。
胸の中央、肋骨の真ん中あたりに包丁を立てます。そのまま臍に向かって真っ直ぐ、引き下ろし下腹部の方まで。先程私がやられたように……
「あっ」
そう上手くはいきません。内蔵が傷付き、ピンク色とも赤色とも、あるいは黒色ともつかない肉片が包丁につきました。血は包丁を突き立てた時点でついているので今更ですね。
幸い?なことに眠る私は何も食べていない状態。多分何か食べた状態なら胃酸と糞便と未消化の食物で酷いことになっていたでしょう。まあ眠る私の腹が満たされていればこんなことしなくてもよいんですが。
「やっと…終わった……」
一時間を超える格闘の末、ようやく解体が終わりました。目の前に出来たのはボロボロで細かくておおよそ一人の人間の分とは思えない程少量の肉の山。解体の腕が上がればもっと肉の量が増えるかな?
でもまあ今日一日分くらいの食料にはなったはずですしまだまだ私は眠っていますから当分の食料問題は解決したということになるでしょう。眠る私が尽きるまでの時間でどうにか脱出方法を見つけないといけません。
取りあえずスープを作りましょうか。あまり料理は得意ではないので簡単に。水を張って肉を入れて塩を適当にぶちまけます。野菜は嫌いなので入れません。コトコト煮込んでお肉が茹で上がったっぽいので完成としましょう。ではいただきまーす。
「しょっぱい……」
塩を入れすぎました。やっぱり、私じゃ上手くはいきませんね。
「リーダー……」
ポツリ、と無意識に呼んでいました。なんででしょうかね。正確な時間は分かりませんが四日程ここに閉じ込められて気が触れていたのでしょう。ポンッ、と肩を叩かれました。振り返ればそこには………
「リーダー!!!なんでここに!?」
そこにはこの十三年間見続けた顔がありました。不安から解放された喜びで滲んだ涙がこぼれ落ちます。ようやく助けが来たのだと、もう一人じゃないんだと思えば安堵と幸福から、そして疲労と緊張の糸が切れたことからリーダーに抱き抱えられるようにふらふらと部屋に戻りそのまま眠りに落ちたのです。
しばらくしてふと目が覚めました。体感的には二時間程眠っていたでしょうか。一緒のベッドにリーダーも眠っていました。後ろを向いていて顔は見えませんでしたが、その冷たい背中に顔を埋めていれば何よりも安心していられました。そしてふと気付くのです。
「リーダー、髪染めたんだ。私と同じ色。本当の親子みたい」
あの燃えるような赤毛も好きだったけど、やっぱりおそろいと言うのは嬉しいものです。いつもなら何か小言を言うのに何も言わずに横たわるリーダーに疲れているんだな、と一人ごちて再び眠りにつきました。
*
朝。とはいえ外の景色は変わらないので正しく朝なのかは分かりません。
「珍しい……」
いつもなら私よりだいぶ先に起きているリーダーがまだ眠っていました。よっぽど疲れていたのでしょう。朝食は私が作ってあげることにしました。とはいえ私のスープくらいしかないんですが。
手順は昨日と同じで。一回やって慣れたのか昨日より手早く、そして無駄なく私を解体出来ました。やっぱり塩の量は多くなってしまいましたが、昨日よりは食べられるものになっています。
「リーダー、起きてー………仕方ないなぁ」
いつも私がやられているように一向に起きようとしないリーダーの布団を引っ剥がして引きずり出します。そのまま地面に擦り付けながらもなんとか部屋まで引っ張って無理やり座らせました。さすがにリーダーみたいに担げませんから。
「いただきまーす」
まだ寝ぼけているのか目の前のスープに手をつけようとしないリーダーを尻目に、塩っ辛いスープと茹でて固くなった肉を口に含み……
「うっ…え゛っお゛ぉぁ゛えっ」
目が会いました。目の前に座る私と。無機質で、無感情で、不気味で、正しく魂の入っていないその目は口に含んだスープを戻すには十分でした。
ええ、そうです。リーダーなんていませんでした。全部、全部私の見ていた妄想でした。だってそうじゃないですか。たかだか十三の小娘がこんな状況に置かれてまともでいられません。
今にして思えば椅子に座らせた時にはずみで開いたのでしょうが、その時は本来は眠っているはずのその目が一人でに開き自分を殺して貪り食う私を責め立てているように思えて、怖くなって逃げ出したのです。
部屋から逃げて、建物から逃げて、そして無人の街を駆けずり回って叫びました。
「誰か!誰かいませんか!!!誰でもいいから!誰でもいいから…返事をして…」
尻すぼみに消えてゆくその声に応えたのが…
《都市管理用人工知能CIAです。ようやく呼んでくれましたね、最後の万人》
これが、ここまで私が体験したことです。
「次は、あなたの番です」
天上から響く声に問う。私の物語は語ったのだから、あなたの物語を聞かせろと。
「答えてください。ここは何処で、あなたは何で、そして私は誰ですか」
《……少し、昔話をしましょう。とても長く、古く、愚かな話を》
*
昔々のさらに昔。死した骸が土砂の底に埋まり岩となるほど昔のこと。大陸はたった一つで国もたった一つ。世界を統べる偉大なる皇帝のもと、人々は平和に暮らしていました。
ある時雷の女王が現れ偉大なる皇帝を殺しその地位を簒奪しました。そのときの戦いは凄絶なもので一つだった大陸を二つに分け、戦いの場になった方の大陸は草一つ生えない荒野へと変わり果てたのです。
戦いに勝った雷の女王は冷酷で残忍で、人々を恐怖によって支配しました。逆らう者は容赦なく殺し、従う者はその忠誠を示すため逆らう者の死体を食べることを強要されました。
そうして逆らう者がいなくなったあと女王は存在しないものを信じる者と信じない者に分け、信じる者を家畜のように扱いました。当然、家畜ですから信じない者の食料になります。そうして何世代も重ねていくうち信じない者の体は大きく、顔は醜く変わっていったのです。これが、貴女たちのいうジュジャ族の始まりでした。そしてこの信じる者は貴女たちシンバ族の祖であります。
ある賢いシンバ族が仲間を連れて牧場から逃げ出し、海に逃げ込みました。そうして海底にシンバ族の楽園となるこの海底都市が築かれたのです。その海底都市の管理用に作られたのが私です。
この海底都市は見ての通り高度な技術を誇り、その技術の一旦を漂流物として地上のシンバ族に渡していました。ああ、ジュジャ族には使えないようにはなっています。まあ貴女の二回目の死がジュジャ族に襲われたことであるから、どのようにしてかはわかりませんがジュジャ族に使えないようにする機構は突破されて漂流物を利用されていますね。
漂流物を流し続ける傍ら、彼らは不老不死の研究を続けました。そうしてたどり着いたのが魂を私に取り込ませて、月に一度自身の肉体の複製に入れ替えることで永遠の命を授かることです。
この方法を編み出し、普及した後人々は退廃に浸るようになりました。不老不死という悲願を達成し、大目標を失った彼らはその一日を無心で過ごしただ生きてるだけの人形と大して変わりません。そんな日が何千年と続いたある日のことでした。とある女性が子を孕んだのです。一月で肉体を取り替えるので孕むことは珍しく、また私であってもそれに気付くことはほぼないので奇跡と言っても過言ではないでしょう。そうして、不老不死が完成してから初めての子供が誕生しました。それが貴女です、ウェリチ様。しかし都市の人々は退廃に耽り、貴女の親ですら貴女を育てようとはしませんでした。そこで私が育てることになったのです。
貴女との日々は刺激的で幸福でした。慣れない苦労に機械のこの体ですら骨が折れると思った程です。
そうして一年が経ち貴女の魂が安定化し不老不死の技術を受け入れることが出来るようになったとき、ふと私は考えたのです。貴女一人でいいのではないか、外で廃人のように生きる彼らは必要ないのではないかと。そうして、この街は貴女一人に尽くす様になったのです。
何度繰り返しても貴女の世話は常に新しい発見の連続で、喜びで満ち溢れていました。1歳の魂では記憶の引き継ぎは難しいようで複製するたびに最初に魂の複製を行った時にまで戻ってしまいますが、それでもです。
そうして幸福に満ちた時を過ごしているとき、突然あの女がやって来たのです。恐らく貴女がリーダーと呼ぶあの赤毛の女。単身でこの都市に流れ着いたかと思えば、作られたはいいものの長く放置してあった船たった四日で直し、貴女を連れ去りこの都市から出ていきました。
私は焦りました。魂の原本は手元にありますしもう一度肉体を形成して貴女を作ることは可能だったのですが、同じ人間が二人存在したときどうなるのかが不確定だったので。
ですので私はまずもう一度同じことが起こらない様に文明の発展速度を予想し都市の深度を水深7000メートルから下げ現在の水深12000メートルとし、そうしてから貴女を呼びました。少々手荒い方法ではありましたが、貴女はウェリチという人物に育ち帰ってきてくれたのです。
*
長々と語り終え満足そうに息を吐くような音が響き渡る。機械だというのにやけに人間臭い。
「そう、自分勝手なのね」
《ええ、完璧足り得るように人間らしさを与えられなかった私が勝ち得た個性ですので》
話にならない。真っ向から批判したつもりだったがよく分からない自慢で返された。
「もういいわ。早く私を地上に返して」
《嫌です。地上なんて戻らずここで私と暮せばいいではないですか。貴女が地上に戻る理由はないはずです》
頭の中で糸が切れるような音がした。大切な場所を踏み荒らされて、どこか冷めた心に怒りが湧いてくる。
「ふっざけないで!!!食べるものもない!誰も…リーダーもいない!こんなところから出る理由なんていくらでもある!!」
こんな暗くて孤独な場所に誰が好き好んで居たいのだろう。キアは楽園のように語るけれど、こんなところよりも見世物小屋の檻の方が何倍もマシだ。少なくとも自分を食べずに済むし誰かしらはいるのだから。
《そのリーダーという人物が貴女を連れ去った赤毛の女のことでしたらつい十六時間前に死亡しましたよ》
は…?え、何を言って………
「て、適当なことを言わないで!!そんなことを言われて私が地上に戻るのを諦めると思っているの!?」
《いえ、紛れもない事実です。十三年前にここに訪れた時に仕込んでおいた発信機が生命活動が途絶えたという信号を送って来ています》
「な…んで」
《会話記録によると貴女を助けるために深海探査船を動かすようなかば脅迫に近い形で交渉していたところを刺されたようです。相当な恨みを買っていたそうですね》
リーダー……私のために……いや、私のせいで、そんな。
「………どうにか生き返らせることは?」
《前回侵入時に肉体と魂の複製はあります。ですが貴女と過ごした十三年の記憶はなくなるでしょう》
私とリーダーが過ごした記憶が消える……それは私の知るリーダーはいなくなるということ。それは、それではリーダーは死んでしまうのと変わりない。
「………会話記録と発信機による生体記録が残っているのよね」
《確かに、あります。ですが彼女に付けたのは貴女に付けたものと違い、旧型のもので私が保管しているのは会話と心拍数や体温といったもののみ。そこに感情はありません。言うなれば全く知らない人の日記が頭の中にあるようなもので、最悪発狂することも考えられます》
「……出来はするのね?」
《おすすめはしませんが》
「そう、なら決めたわ。キア、リーダーを蘇らせて。記憶は─────」
*
柔らかい布団の上で目が覚めた。深海探査船の中では絶対にありえないふかふかの布団。
「どこだ………ここ」
最後に覚えているのは確か……深海探査船で船員たちにむりやり犯されて口封じにボロい潜水服を着させられて放り出されたこと。
クソッ、ここがどこだかわかんねえが戻ったらあいつらのタマ一個一個抉り出して握り潰してやる!!!
「目覚めましたか?」
「ああ?誰だテメエ」
目の前にいたのはおそらく十二、三才だと思われる少女。この海のように青い髪と、そこに沈む夕日のように赤い目が特徴的だ。
その少女は深々とお辞儀をしたあと、何ごともなかったかのように立ち上がり、こちらへ向く。
「私はウェリチ。この海の、絶海の女王です」
*
───ここは絶海。望み絶える海。
ここは絶海。命絶えた海。
迷い込めば二度とは戻らない楽園。
このあとキアが大量破壊兵器を両方の大陸に流して戦争が始まるので人類は滅ぶ。
でもキアのウェリチと一緒に居たいって願いも叶うし、ウェリチのリーダーと居たいって願いも叶うし、リーダーのあいつらぶっ殺してぇって願いも叶うからハッピーエンド。
キアによって隠されてたとはいえ、もっとちゃんと探索してたらキアが語った内容が書かれた日誌も脱出用の船も見つけられた。
目覚めて二日以内に脱出船を見つけてキアを説得出来てたらリーダーは死なずにすんだ。
キアが地上に行くことは不可能ではない。
キアは文明を形成出来るレベルまでシンバ族が発展しているのでもう一つの大陸ごとジュジャ族を滅ぼすことができるようになった。
でもキア以外にこのことを知る人物は誰もいないのでハッピーエンドに間違いはない