アブラハム的な神
このエピソードはあんまり異世界と関係ないですね。
神の冒涜を理由に私は三日後に処刑という罰を言い渡された私は心の底から悔いと恐怖が生まれた。
しかし意外と立ち直りは早いものなのかもしれない。牢屋の中まで歩かされるまでの十分ほどの間で私は素直に死を受け入れ、逆に死後の世界なるものの検証を出来る機会と思い始めた。
牢屋の中は意外と広く、看守に聞くと、
「運が良かったな、部屋にはだれもいなくて」
と人数の理由で一人部屋が当たったらしい。たしかに運が良かったのかもしれない。
次の日、同居人が一人増えた。
「あなたが神を冒涜したと噂の方ですね!僕はソクラテスと申します。」
私も典型的な犯罪者のイメージからは遠いと思うが彼ほど犯罪者として似合わない人はいないかもしれない。二十代ほどの若い青年はソクラテスという奇妙な名前を名乗った。彼に対する好奇心や時間つぶしなどの理由を持ち私は口を開いた。
「私は神の定義について少々疑問を挙げただけで冒涜などの意思はありませんでした。」
「なるほど、それは失礼しました。もしよろしければ続けてください。」
「私は全知全能全善なる存在自体の矛盾を提示しました。。。例えば神は自分が持てない石を作れるのでしょうか?」
神とは全ての知識を知り、どのような事でも出き、全ての行動が善といった三つの性質を最低限に想定されている。今私が出した例題は全能による矛盾である。もし持てない石を作れるのであれば持てない物が存在するので全能ではない。しかし、もしそういった石が作れないのであればそれもまた全能ではない証拠ではないのだろうか。
「なるほど、しかしそれは単なる論理的不可能でしょう。つまりあなたは全能とは論理的不可能な行為も起こせる性質と解釈しているのですね。」
「全能ならば文字通り全ての行動を起こせるのではないのでしょうか。」
「例を出せば金ではない金を作るなど言った行為は物理的不可能ではなく論理的不可能でしょう。論理的不可能な行動による不可能さは単なるトートロジーであり論点先取でしょう。」
なるほど。確かに私が提示した全能への矛盾はたんなる論理的不可能な想定をした故の矛盾であり無意味な証明なのかもしれない。
「なるほど確かにそうかもしれません。では全能というものは論理的不可能な行為以外は全て出来るという性質なのですね。」
彼は軽く微笑んだ。肯定をしないところもしかしたら違う解釈をしているのだろうか。私は続けた。
「ではこれはどうでしょう。神を全知全能全善と想定し、この世に起こる様々な悪はどう説明できるのでしょうか。もし神が全知全能ならば悪を知りそれを対処する術を持つなお無視する神は全善とは言いにくいのでは?」
「あなたが言う悪は例えば人殺しなどの出来事ですか。」
「はい、例えば。」
「なるほど。ではあなたは自由意志のような物を持っていると思いますか?」
「そうですね、私は自分の意志で今この言葉を話していると思います。」
「では自由意志は人間に必要な物でしょうか?つまり、全ての人間が事前に決定された行動を永遠に続ける世の中はどう思いますか?」
意志が無い人類というものは変えようもない筋書きを無知に従う操り人形みたいなものなのか。たしかに意志というものは人間に必要な性質なのかもしれない。
「たしかに人間は意志がなければ人の何かを失うような気がします。」
「私も自由意志というものは素晴らしいものだと思います。しかしそもそも殺人など私達が悪と識別するものは人の意志から起こる出来事ではないのでしょうか。」
「つまりソクラテスさんは悪の存在なしに自由意志の存在は起こりえないと言いたいわけですね。」
「はい、大体あっていると思います。」
「しかし全能の神ならば殺人といった行為を起こす人物だけの意志を変えることはできるはずでしょう。」
「しかしそれこそ自由意志そのものが失われます。もし神なる超自然的存在が悪に関する意志のみを変えていたらそれこそ人は本当に自由に意志を持っているのでしょうか。」
なるほど。もし私が思うほど自由意志というものが大事なのならばこれもまた論理的不可能による矛盾なのかもしれない。
「ソクラテスさんに感服しました。最後にもう一つ提示させていただきます。」
少しずるい気がするがこればかりは反論の余地がないだろう。
「私はなにかの存在を主張するとき、証拠がないものの存在を認めるか認めないかとすれば認めないと思います。たとえば私が今この部屋にあらゆる感覚で観測不可能な牛がいると主張した場合、あなたがその牛の存在の矛盾を証明することは不可能でしょう。神の存在も似たような物ではないでしょうか。存在の証拠も信憑性を問える聖書だけではその存在を認めないほうが合理的かと思います。」
「証明の責任は神の存在を主張する側にあるということですか。」
今初めて私は彼が真剣に考える姿を見ることができた。この状況でどうあがいても物的証拠は出せないから唯一の証明方法は理論による物であろう。神の存在など証明できるはずがない。十秒ほどの時がたち彼は議論を続けた。
「神、人、石ころなどは性質が異なりますね。物Aに対し性質の集合Sがあるとします。つまりどんなものAでも性質がいろいろあると思います。例えば木の性質は水分を含む、生きている、茶色いなど。僕が思うにはSとAは同型です。つまり、何事でもその性質だけを言うだけで充分に識別できると思います。」
ソクラテスが言うには一つ一つの物に対しユニークな性質の集合があるという。
「では神が持ちうる性質の集合はなにでしょうか。それは良きもの全てだと思います。つまり、神なる存在の性質を分析するとその性質一つ一つが良いものではないでしょうか。」
「性質の良い悪いなどの例をお願いしていいでしょうか。」
「たとえば慈悲、知恵、勇敢、などが良い性質の例だと思います。悪い性質の例は怠惰、傲慢、など。他には良くも悪くもない性質もありますね。固い、水分を含む、などは決して良くも悪くもない性質だと思います。」
「なるほど。」
「ではそれを踏ませた上で良い性質全てを持つ存在を想像してください。」
具体的にそう当てはまる存在が浮かび上がらないが多分そういうものだろう。私は彼に小さくうなずいた。
「ではその存在は現実世界に存在しますか?」
「いいえ、たしかに理論上は存在する可能性があることはありますがだから現実に存在する理由が見当たりません。」
「その存在は現実世界に望ましい存在だとは思いませんか?」
「全てにおいて良い存在なのでたしかに望ましいですね。」
「ではその存在にとって”現実世界に存在する”という性質は良い性質だと僕は思います。」
「たしかに望ましい存在なので存在すれば良いことです。」
「しかし私は良い性質全てを持つ存在を想像してくださいと頼みましたね。もし”実際に存在する”といった性質が良い性質ならば神なる全ての良い性質を持つ物は実際に存在するはずです。」
私はショックのあまり口が開かなかった。こんなに簡単に神の存在を証明できるのだろうか。そんな私の心境を悟ったのか、
「残念ながらこの証明にはいろいろ不満点があります。」
「私には不満点があるようにはみえないのですが。」
「こういう間接的な証明は何度も考え直さないとうまく頭に入らないのではないと思いますよ。」
「残念ながら私の余命は二日。哀れみと解釈していただいても結構ですが教えていただきたい。どういった不満点があるのでしょうか?」
「余命に関しては大丈夫でしょう。先ほどの議論を使えば異端などといった疑惑も覆すことは簡単でしょう。」
すると彼は最後に一礼し、
「有意義な時間をありがとうございます。達者で!」
と言い目の前から消えた。
彼に会うまでに私ならばこれを神秘的な出来事と捉えていたかもしれない。しかし彼が私の批判的思考を思い出さしてくれた。私は神がいないという偏執を無くし、これからは何事に対しても先入観を持たずに論理的に考えたいと思う。
人生や生に対し新たなモチベーションをもらった私は看守を呼んだ。
「もう一度聖職者の方々に会わせていただけませんか。」
数学、論理、哲学など日本語になると難しそうな熟語ばかりですね。。。
1)神の3性質: omnipotent, omniscient, omnibenevolent の omnibenevolentの訳し方がわからなかったので中国語での全善を使いました。
2) 集合とはsetのことです。この作中ではリストみたいな物です
この作品の中の”神の不在の証明”の議論はかなり初歩的な物ですが意外とよく見かけるものです。
1)全能の矛盾は簡単なトートロジーです。ようは矛盾を想定し矛盾を結論しているだけです
2)全知全能全善の矛盾はかなり有名でproblem of evilと言われます。ちなみに作中のソクラテスが出した反論は自然の悪(病気、災害など)に通用しません。自然は意志など関係ない悪なので。
3)ソクラテスが出す神の証明は初歩のontological argumentと言われてます。のちにleibniz や godelなど有名な数学者がもうちょっと洗練されたバージョンをプロポーズしています。もちろんどのバージョンにもいろいろ面白い反論があります。ただこういった論理的証明は大体実用性がないです。神らしき存在の証明ができても具体的なイメージができないのでその神がどの宗教の神かまでの道のりは難しいです。