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1918.11.11

作者: 多歩間 結


丁度百年前に人類初の世界大戦が終わったことをご存知だろうか?



 「大セルビア万歳!」


 「Sopherl!(ゾフィー!) Sopherl!(ゾフィー!) Stirb nicht!(死んではいけない、) am Leben(子供たちは) für unsere(どうするんだ!) Kinder!」――フランツ・フェルディナント大公最期の言葉


 一九一四年、サラエボで放たれた二発の弾丸はオーストリア=ハンガリー帝国皇位継承者フランツ・フェルディナント大公と妻ゾフィー・ホテクら二人の……いやゾフィーの中にあった小さな命を含む三人の命を奪った。

 それだけではない、様々な民族間の対立と列強国の思惑が入り乱れるバルカン半島という欧州の火薬庫をも直撃したのだ。


 オーストリア=ハンガリー帝国は貴賤結婚や反伝統などの要素で嫌われ者であった大公夫妻の死には当初無関心だったものの、暗殺にセルビア当局の関与が疑われ、欧州列強の間で外交交渉が白熱した。

 いわゆる「七月危機」である。


 七月二十三日、オーストリア=ハンガリー帝国は暗殺事件だけでなくかつてのバルカン戦争時の恨みもあってセルビア王国に最後通牒を突き付ける。

 既に同盟国ドイツから白紙手形を受けて自信を深めたオーストリア=ハンガリー帝国はセルビアの背後にいるロシア帝国を全く恐れていなかった。


 二十五日、セルビアは軍の総動員を開始するも一部を除いて最後通牒の要求のほとんどを受諾。

 しかし、オーストリア=ハンガリーは最も重要な要項が拒絶されたとして国交を断絶。


 二十八日、オーストリア=ハンガリーはセルビアへ宣戦布告。


 二十九日、ロシア帝国、オーストリア=ハンガリーへの圧力及び同盟国セルビア支援として部分動員開始。翌日にはドイツを警戒して総動員へ変更。

 ロシア皇帝ニコライ二世はドイツ皇帝ヴィルヘルム二世にドイツとの戦争を意図していないと釈明する。ヴィルヘルム二世、ニコライ二世へ動員解除を要求。

 ロシア動員解除せず。


 八月一日、ドイツ帝国はロシア帝国へ宣戦布告。対露仏同盟を想定した戦争計画「シュリーフェン・プラン」始動。


 二日、ドイツ帝国軍ルクセンブルク攻撃。


 三日、ドイツ帝国、フランス共和国に宣戦布告。翌日にはベルギー王国が中立を理由にドイツ軍の通行を拒否。

 ドイツ、ベルギーへ宣戦布告。フランス軍、対独戦争計画「プラン十七」を準備。

 更に大陸のパワーバランスが崩れることを嫌う大英帝国がドイツのベルギー中立侵犯を理由に参戦。


 ここに欧州大戦、通称「大戦争(グレートウォー)」が勃発した。そして戦争は中東やアジアに加えてアフリカにも拡大、世界戦争となっていく。


 十月二十九日、英国地中海艦隊の追撃からオスマン帝国へ逃げ込み、そのままオスマン帝国に買い上げられたドイツ地中海艦隊(巡洋戦艦ゲーベン、軽巡洋艦ブレスラウの二隻。オスマン帝国海軍編入時にヤウズ・スルタン・セリム及びミディッリに改名)がロシア帝国のセヴァストポリ要塞を砲撃。

 これはドイツからの密命と親独派のオスマン帝国陸相エンヴェル・パシャの工作によるものであり、オスマン帝国政府は驚愕したが、十一月に英仏露はオスマン帝国へ宣戦布告した。


 大日本帝国、八月七日に英国から極東で活動するドイツ仮装巡洋艦を攻撃するよう要請される。が、日本の中国進出を警戒する英国の態度は二転三転、最終的に十五日にドイツへ最後通牒を行い、二十三日に宣戦布告。ドイツ租借地である青島やドイツ領南洋諸島を攻撃した。

 この折、首相大隈重信は議会承認も軍部への相談も行わず参戦を強行。政府と軍部の間に禍根を残す大きな亀裂が走る。


 こうして欧州を中心にアジア太平洋地域やアフリカ大陸で英仏露をはじめとする協商連合と独墺土を主とする中央同盟の二つの陣営が争うこととなったのである。


 一九一五年には五月二十三日にイタリア王国が「未回収のイタリア」獲得を目的に協商連合として参戦。オーストリア=ハンガリー軍相手にアルプス山脈とイゾンツォ川にて激戦が繰り返される。


 十月十四日、ブルガリア王国が中央同盟側で参戦。ドイツ、オーストリア=ハンガリー両国相手に善戦し

ていたセルビアを側面から食い破り、セルビアを一時亡国とした。

 

一九一六年、八月二十七日にルーマニア王国が協商連合側に参戦……したが、呆気なく中央同盟軍に敗北した。


 そして一九一七年にドイツ海軍の無制限潜水艦作戦への反発やツィンメルマン電報事件、英国への貸付回収への不安などを受けて遂にアメリカ合衆国が四月六日にドイツへ宣戦布告。

 オーストリア=ハンガリーにも十二月に宣戦布告した。


 「戦争は三週間、出征すれば息をつく間も無く終わる。大した犠牲を出すこともない。クリスマスまでには家に帰って来る。新しい兵士達は母親に向かって叫んだ。『クリスマスにまた!』」――シュテファン・ツヴァイク著「昨日の世界」


 若者達は無邪気に新品の軍服に身を包み、戦地へ向かった。戦争を経験してこそ一人前の大人なのだと語り合いながら。クリスマスまでには終わる筈の戦争が四年も続くとは夢にも思わずに。


 『BRITONS(英国は) wants(君を) YOU(必要としている)


 『I WANT(私、アンクル・サムは) YOU FOR(君を米軍に) U.S.ARMY(必要としている)


 「全ての戦争を終わらせる戦争」とされた大戦争は、ただただ血を飲み火を吐き続けた。


 ――ベルギー、リエージュ要塞。


 「第三師団は撤退せよ、ベルギーが国として存在し続ける為にはここで国王陛下の軍を壊滅させるわけにはいかん」

 「ルマン閣下は如何なさいますか?」

 「私はロンチン堡塁に移動し、最後まで指揮を執る」


 ――ドイツ帝国、軍総司令部。


 「今、危機的状況にある東部戦線を救える者など一人しかいない」

 「参謀総長閣下、それは一体誰です?」

 「彼だ、ルーデンドルフを呼べ」


 この大戦は多くの英雄を生んだ。


 第八軍司令官ヒンデンブルク発、総司令部宛。『タンネンベルク村付近ニテ勝利ス』


 ――フランス、マルヌ。


 「右翼は押され、中央は崩壊しつつある。撤退は不可能。状況は最高、これより反撃する」


 また、英雄のみならず多くの奇跡が起こった。


 「Merry Christmas!」

 「Frohe Weihnachten!」


 ――ベルギー、イーペル。

 哀しき科学者は祖国への愛と自己の証明の為に罪を犯した。


 「私はユダヤの生まれだが、肉体も精神も魂もドイツ人だ。私の愛国心をここで証明してみせる。塩素ガス散布開始!」


 ――オスマン帝国、ガリポリ半島。


 「私は諸君らに戦えと命じるつもりはない、むしろ死ねと命じる。我々が死ぬまでの間に稼いだ時間が味方を我々の陣地に就かせる時間となるのだ」


 ――フランス、ヴェルダン要塞。


 「On Ne Passe(奴らを通すな!) Pas!」


 いくつもの英雄譚が誕生し、数え切れぬ悲劇があった。


 ――北海、ユトランド沖。


 「大洋艦隊(ホーホゼーフロッテ)出撃! 北海をドイツの海とし飢餓封鎖を解くのだ!」


 「英国大艦隊(グランド・フリート)出撃、世界最強の英国海軍の実力を思い知らせてやれ」


 歴史から消える事の無い戦いが行われた。


 ――フランス、ソンム。


 「鉄の怪物だ! シャイセ! 機関銃が効かない!」


 「おい見ろ、この貯水車(タンク)を前にドイツ軍は尻まくって逃げ出したぞ!」


 戦争は技術を進歩させ、技術は戦争を発展させる。


 ――地中海、アンチキセラ海峡。駆逐艦「松」。


 「榊、避雷! ……か、艦首が吹き飛んでめくれ上がった上甲板で艦橋が潰れてるぞ……」


 ――ベルギー、パッシェンデール。


 「貴官のカナダ軍団はパッシェンデール村を奪取出来るかね?」

 「はい、ヘイグ閣下。ですが一万六千に及ぶ犠牲が予想されます」

 「何だ、たったそれだけか」


 人々から忘れられた数々の犠牲があった。


 ――ロシア、ペテログラード。


 「全ての権力を評議会(ソビエト)へ!」


 「死につつあるロシアの大地を守れ!共産主義者(ボルシェビキ)を排除せよ!」


 大戦の最中に起きた世界を揺るがす革命は、全てを一変させた。多くの国の将来さえ。


 「ロシアが倒れた⁉︎ なら彼の国に輸出した武器弾薬の支払いはどうなる⁉︎」

 「大戦景気どころか良好だった日露関係も無に帰しました。これでは明治三十七八年戦役以前に逆戻り……最早強引にでも大陸進出を急がねばなりません」



 そして、一九一八年。


 「春季攻勢は失敗した……八月八日は、この大戦におけるドイツ陸軍暗黒の日であろう……」


 ミヒャエル作戦を始めとする皇帝攻勢(カイザーシュラハト)と呼ばれたドイツ軍最後の猛攻は連合軍に防がれ、逆に百日攻勢という大反撃でドイツは窮地に陥った。


 九月二十九日、ブルガリア王国がサロニカ休戦協定締結にて戦線離脱。


 十月三十日にオスマン帝国はムドロス休戦協定を締結し降伏。その後結ばれた理不尽なセーブル条約をきっかけにトルコ革命及び救国戦争が勃発。


 十一月三日にはオーストリア=ハンガリー帝国がヴィラ・ジュスティ休戦協定により崩壊。

 後に帝国の支配者だった欧州最高の名門ハプスブルク家が追放されオーストリア共和国とハンガリー王国が成立する。

 また同日にドイツのキール軍港にて水兵の反乱が発生。

 これ自体は直ぐに沈静化し、ドイツ政府は反議会政治派だった前帝国宰相の後任を自由主義者であるマクシミリアン大公とするなど「上からの革命」を進めるも、「キールの反乱」以降は兵士や労働者の蜂起が続き七日にはバイエルンで革命に発展。やがてドイツ中に革命の波が広がった。

 十一月革命、通称ドイツ革命である。

 事態改善と戦争終結(米国が退位を交渉開始条件の一つとしていた)の為、政府は皇帝に退位を迫ったが、ヴィルヘルム二世はこれを拒否。


 九日、マクシミリアンは独断で皇帝の退位を発表、軍部も皇帝に現実を伝えた。ヴィルヘルム二世は激怒したがやがて意気消沈し、翌朝にオランダへ亡命した。


 十一月十一日午前十一時十一分。

 フランス、コンピエーニュの森で午前五時に締結された休戦協定が発効された。停戦自体は朝方に兵士達にも知られていたが、砲兵は弾薬の持ち帰りを嫌って砲撃を続け、軍も戦闘再開を睨んで優位な位置の確保を目指して攻撃の手を緩めなかった。

 最後の犠牲者は停戦発効の約一分前に射殺されたものだとされる。十一時十一分ぴったりになると両軍の兵士達は塹壕を飛び出してお互いに抱き締めあい、戦争が終わったことを涙を流して喜び合ったという。


 しかし、人々は本当に協商連合が勝利しドイツが敗北したのか実感がなかった。

 ドイツ軍は未だフランス領に踏み止まっていたし、ドイツ国内は食料事情こそ悲惨(第二次大戦戦直後の日本より酷かったという)だったもののそれ以外は一見ほとんど無傷の様に見えた。

 事実、「全ての戦争を終わらせる戦争」は何も終わらせてなどいなかった。戦後処理はどれも苛烈或いは理不尽なものばかりで、特に中東地域に関しては非常に粗雑なものであり、この時の歪みは今尚続く紛争や混乱の原因となっている。



 そして――。


 病院の中で一人の男がしきりに涙を拭っていた。医者が慌てて止めに入る。


 「君、まだ毒ガスの影響が残っているんだ。そんなに目を擦ったら失明しかねんぞ」

 「構いません! ドイツが負けた以上に悲しいことはありませんよ!」


 ドイツ人以上にドイツへの愛国心を持つこのオーストリア人義勇兵は毒ガス攻撃によって目を負傷し、ポンメルン地方のこの病院で治療を受けながら終戦を知ったのだ。退院後、彼はドイツ中で聞くことができた噂を頻繁に耳にした。


 「ドイツ軍がドイツに押し込まれてもいないのに敗北となったのは、ユダヤ人や社会主義者、そして戦争に非協力的だった人々によって政府と軍が無理矢理終戦へ追い詰められたからだ。ドイツ軍は敗北などしていない。これは不当な結果だ」


 「匕首伝説」、「背後からの一撃論」などと呼ばれるこの論調は多くのドイツ人に影響を及ぼした。

 無論、彼にも。

 そして一九一九年にドイツ帝国に代わる新国家ワイマール共和国の軍へ情報提供を行ういわばスパイの下っ端になった彼はある任務を受ける。


 「アドルフ君、君にはドイツ労働者党(DAP)を調査してほしい」


 彼は極左的主張を持つ党首が率いる社会主義政党を調査する内に、その政党から入党を誘われた。

 彼は当初断るつもりだったのだが、いつの間にか調査任務も忘れて熱中するようになっていた。ドイツ労働者党は後に国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP)と名を変える。



 「こんなものは終戦などではない、高々二十年程度の停戦だ」――仏陸軍元帥にして連合国軍総司令官フェルディナン・フォッシュ。一九一九年のヴェルサイユ条約について。


 正式な終戦条約であるヴェルサイユ条約締結から二十年後、何があったのかはどなたもご存知の筈であろう。



 第一次世界大戦終結から今日で一世紀経つ。しかし今も欧州では毎年のように第一次世界大戦時の不発弾が見つかっている。まるで百年前の死者達が我々に向かって「忘れるな」と訴えているかのように。


2019年はヴェルサイユ条約百周年。またヴェルダンの戦い始まった2月21日に合わせて、第一次世界大戦関連の動画URL紹介を追加しました。

第一次世界大戦への関心が少しでも高まる事を願って。



 着色と音声の再現によって、第一次世界大戦が白黒の世界ではなく、過去に実在していた事を知らしめる映像作品「They Shall Not Grow Old」のトレーラー

 https://www.youtube.com/watch?v=IrabKK9Bhds

 ↑の日本語字幕版 「彼らは生きていた」

 https://www.youtube.com/watch?v=OzRHwrrvW6E


 ww1 着色映像

 https://www.youtube.com/watch?v=yQ8JygXEMno


 各国の映像

 ドイツ帝国「ラインの護り」

 https://www.youtube.com/watch?v=tFs42Du8Z70


 オーストリア=ハンガリー帝国「双頭の鷲の旗の下に」

 https://www.youtube.com/watch?v=_dVP6DFpTYA


 オスマン帝国「祖先も祖父も」

 https://www.youtube.com/watch?v=cRZrO8qJqcY


 大英帝国「It's a Long Way To Tipperary(遥かなるティペラリー)」

 https://www.youtube.com/watch?v=LWunREZiZ0o


 フランス共和国「ロレーヌ行進曲」

 https://www.youtube.com/watch?v=1ymgtyUh8dU


 ロシア帝国「スラブ娘の別れ」

 https://www.youtube.com/watch?v=vEM-dKTfk-o


 イタリア王国軍の映像

 https://www.youtube.com/watch?v=o9eRtZS-YUw


 第一次世界大戦時の日本

 https://www.youtube.com/watch?v=BYOGClmmeao



 「肉挽き機」「人骨ミキサー」と呼ばれた激戦、ヴェルダンの戦いの映像 (注意 5:28から流血、死体有り)

 https://www.youtube.com/watch?v=d-OnG10v3MI

 ヴェルダンの戦場跡には、13万人分の身元不明遺骨が納骨された納骨堂も存在する。


 フランス軍の映像

 https://www.youtube.com/watch?v=oBwsi7MWAMc


 砲弾(シェル)ショック患者の映像

 https://www.youtube.com/watch?v=q1PsUUE6Smc


 第一次世界大戦後に起きた出来事 ソビエト・ポーランド戦争

 https://m.youtube.com/watch?v=YJKoTFiJCtk


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