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第38話 アストロ大聖堂


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 



 窓から差し込む白く輝いた朝の光が長く続いた塵一つない廊下を照らし出す。その中を一人の女が長い銀色をした髪を(なび)かせながら速足で通り抜ける。


「テ〜ミスちゃ〜ん、こんな朝早くからどちらまでお出かけだい?」


 名前を呼ばれたテミスが立ち止まると、いけ好かないと言わんばかりな顔で振り返った。

 そこには茶褐色をしたボサボサの髪に、長いまつ毛と清潔感の欠片もない無精髭を生やした、何かを匂わせるような笑みが特徴的な男が一人立っていた。

 テミスは目の前の男のことを知っていた。眉間にしわを寄せるとムッとした顔で口を開く。


「そのふざけた呼び方で私の名前を呼ぶな、パニッシュ」


 男の名前はパニッシュ。栄光の騎士団の騎士の一人にして、5番隊隊長を務める男だ。歳はテミスよりも一回り程上になるが同じく一つの隊を束ねる者として二人の間に実力、力量、階級において遜色はないものの事実上、パニッシュはテミスの上司にあたる。テミス自身入団時から何度か世話になることはあったが、何分テミスの性格上この男を毛嫌いしていたことは言うまでもない。


「久しぶりに会ったんだ。そうカリカリすんなって折角のべっぴんさんが台無しだぜ」


 パニッシュの冷やかすような言い草にテミスの眉間のしわがさらに深くなる。


「もう一度言ってみろ。次にそのふざけた口を利いた瞬間、貴様の首をこの場で叩き斬る」


 鋭い眼光がパニッシュの頭部に向けられるとテミスは腰の剣に手を添え、居合の構えを取った。その姿を見たパニッシュが笑みを浮かべたまま両手を上げる。


「おいおい、相変わらず冗談が通じねぇな〜。もう少しは可愛げがあってもいいと思うぜ」


「くっ、まだ言うか! それより何故お前がアルレキアにいる? 私は何の報告も受けていないはずだが」


「テミスちゃんの可愛い少女時代の姿が見られるって聞いてわざわざ飛んで来たってのにこりゃ手厳しいお迎えだ。全く痺れるねぇ」


 構えを解いたテミスの顔が眼前の変態を蔑む顔に変わる。


「冗談はさておきだ。お前もなかなかに手を焼いてるみたいじゃねぇか。俺も手伝ってやるよ……ネズミ退治」


 パニッシュの意味ありげな口振りにテミスの目つきが一瞬にして変わると、静寂だけが二人の間を埋める。


「それは団長からの指令か?」


「いや、俺の判断だ。勿論、上からの許可は得てる」


 嘘は言っていないか……。


「茶化しに来ただけなら私は行くぞ」


 テミスはため息混じりにそう言い放つと目の前の男に背を向け、廊下の先へ速足で進む。


「ったく、つれねぇなぁ……」


 あの男も馬鹿ではあるまい。一体何を考えている、パニッシュ……。


 力強く廊下に響いた足音は徐々に遠ざかると朝の光に吸い込まれるように消えた。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 太陽はもうすっかり空の頂点に達しただろうか。タクトたちがオリヴィアの家を出発してから早数時間が経過していた。すでに時刻は午前も終わりに近づき、タクトの目元は疲労と眠気の限界を感じさせ始めていた。


 アルレキアの南部、町外れの林の中にそれは突如姿を現した。

 雨風の影響によるものだろうか、外壁や屋根は完全に劣化し至る所にひび割れが発生している。さらには深い緑色をしたツタが壁の大部分を占めている。もし、この建物を一言で言うとすれば、おそらくほとんどの人間が迷わずに廃墟と言う言葉を選ぶに違いない。それがタクトの一番最初に思った印象になるほど、想像に反し廃れた建造物だった。


「これがアストロ大聖堂……どう見てもただの廃墟だろ、本当にこんな所にオリヴィアがいるのか? ってか、まず中に人がいるのか?」


 驚く程静かなその空間には林を吹き抜ける風の音だけが鳴り響き、それが廃墟の不気味さをさらに掻き立てている。


「はい、ここが目的地です」

「そう、ここが大聖堂よ」


 シャンとバラの二人がそれぞれタクトの両隣から声をかけた。


「なんだか気味が悪いわね」


「早く行きましょう、タクト」


 タクトの背後に身を隠すように立ったマキナとエレナの二人がゆっくりとタクトの背中を押す。


「ちょ、ちょっと待て! 俺が先頭かよ! そんなの聞いてないぞ! ってか、分かったから。俺が先頭で行くから。だから押すなって!」


 渋々、後ろを振り返りながらタクトが大聖堂の入り口に立った。塗装が剥げた古い木製の扉に手をかけて開くと、古い扉を開ける時の特有のきしむような音が室内に鳴り響く。


「え……」


 建物の内部は埃が充満し、装飾が施された天井近くの窓から伸びた光が室内を照らしている。

 いや、それ以前にそこは目を見張るべき状態だった。まず、人が一人もいないのだ。A.E.S.はおろかオリヴィアの姿も見えない。

 そして何より、室内はすでに壊滅的状態にあった。壁や天井、柱はひどくひび割れ、床には粉々に粉砕された机や椅子の残骸と思われるものが散乱している。目の前の状況が外部の自然的風化とは明らかに異なり、ここで何かが起きたのであろうことは一目見た瞬間にタクトにも容易に理解が出来た程だ。


「何だよ、これ!?」


「僕たちがいない間にここで何か起きたみたいですね……」

「誰もいないなんておかしいわ、それにこの状況は一体……」


 遅れて入ってきたシャンとバラの二人も先程のタクトとどうように目の前の光景に息を呑む。次の瞬間、エレナの両手が二人の背中に向けられた。


「ほら、嘘だったんですよ全部。さっさとオリヴィアの居場所を言えば、苦しまずに逝かせてあげます。オリヴィアはどこですか?」


「おい、やめろ! こいつらだって何も知らないみたいだし、まだオリヴィアが無事じゃないって決まった訳じゃないだろ!」


 その声を聞いたエレナが鋭い目つきでタクトを睨みつける。


「じゃあ、オリヴィアはどこにいるんですか? こんな所までついて来て、結局何も分からないまま! タクトはそれでもこの二人をまだ信じられるんですか? どの道、オリヴィアの居場所を知らないなら、ここで二人を……」


 そこまで言いかけたその時だった。突然、マキナが前方を指差し、声を上げた。


「待って! 奥に何かいるみたい!」


 その声に全員の視線が前方の祭壇へと向けられる。


「何もいないだろ?」


「本当にいたの! 何か黒いものが……」


 すると、祭壇の上に一匹の黒猫が飛び乗った。黒猫はただ黙ってタクトに向け、金色の瞳を光らせる。


「なんだよ……猫か。びっくりさせ……」


「猫で悪かったな」


「えぇ!?」


「嘘!?」


 タクトとマキナが驚きのあまり声を上げるのにも無理はない、目の前の黒猫が流暢に人語を喋ったのだ。しかし、シャンとバラの二人はその声に安堵の表情を浮かべると一歩前へ歩み出る。


「クライですね?」

「クライよね?」


「あぁ、そうだ」


 黒猫は間髪を入れずに答えた。マキナが口元に手を当て呆気にとられる中、タクトが一歩遅れて黒猫の正体に気が付く。


 そうか、クライの異能は他者への憑依。その対象は非能力者と一定以上の知能を持った生物。つまり、この場合は猫なんだ。


「クライー! オリヴィアはどこだ! どこにいる!」


 怒りや不安、はやる気持ちを爆発寸前で抑え込みタクトがクライの元へ歩み寄る。しかし、クライは顔色ひとつ変えずに淡々と話を続けた。


「まぁ落ち着けよ。こっちもシャンたちと話がある。いろいろ事情が変わった」


「やっとここまで来たんだぞ。落ち着いてられると思うのか?」


「ニャ!?」


 突如、背後から現れた手に捕まり、タクトの前から黒猫の姿が消えたかと思うと、祭壇の裏からエレナが姿を現した。


「捕まえました! 世にも珍しい喋る猫ですよ! 連れて帰りましょう!」


「や、やめろぉ〜! この女! 話せ〜! シャン! バラ! 早く俺を助けろ〜! ニャ〜!」


 エレナの腕の中で必死に抵抗する黒猫の姿がそこにはあった。しかし、その短い前足の爪はエレナの顔には到底届くはずもなく、黒猫はすぐに力尽きると、シャンとバラの二人に視線を向ける。


「今朝、日の出とほぼ同時に何者かに襲撃を受けた。それも単独、かなりのやり手だ。俺としたことが油断したぜ。本体を潰されちまった。お陰で俺はこのざまだ。フレアたちは今もどこかで交戦中か、もうとっくに逃げただろうよ。戦闘向けの異能のあいつらに限って簡単にやられるとは思えねぇが、連絡が途絶えたのは事実だ。正体は分からねぇ。おそらく騎士団ではない何者かだ。とにかく集合の合図があるまでは各自行動。以上」


 エレナの腕に振り回されながらクライが早口で現在の状況を伝える。


「ま、待ってください! 本体がやられたって? じゃあ、クライはもう……」


「あぁ、能力者失格だ」


 自分たちを余所目に話を続けるクライとバラの二人にタクトが割って入る。


「おい! 何がどうなってるんだよ! ちゃんと説明しろよ!」


「タクトさんもクライの異能が憑依なのは知ってますよね? クライの異能は憑依している対象から別の対象に憑依する場合、一度本体、つまり自分の体に戻る必要があるんです。でも、クライは自分の体を失ってしまった……もう異能を使えないんです」


「喪失者。とでも言えば分かるだろ?」


 その声にタクトはエレナの腕の中で体を丸めた黒猫に目を向ける。


「喪失者?」


「はい、僕たちように異能を持った能力者が様々な理由で異能が使えない状態になることや異能そのものを失うことを喪失と言います。クライの場合は、その、つまり……もう人間には戻れないんです」


 バラは言葉に詰まったのか、猫に変わり果ててしまった仲間の姿から目を背けるように瞳を閉じ、軽く俯いた。


「人間に戻れない? そんなことって……」


 タクトがようやく事態の深刻さに気付かされる。


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