第36話 約束の朝
大門を開き敷地の外へ出たタクトはまず目の前の状況に息を呑まずにはいられなかった。林の木々の間を縫うようにして広がった真っ白に濃い霧が漂い、辺り一帯を白い海へと変貌させていたのだ。タクトはこの世界に来てから早朝の外へ出たことがなかった。そこにはまるでこの世のものではないような、神秘に満ちた雰囲気の林が続いている。
見慣れたと思っていたはずの場所でも時間帯と霧のせいで、こんなに変わるものなのか。いや、今はそんなことよりだ。確か集合する場所は……。
まだ少し肌寒さを感じさせる風が頬を撫でる中、タクトはバラたちとの集合の場所を目指し、林の中へ足を踏み入れると走り出した。濃い霧に阻まれ一寸先すら見えない林に足音だけが響く。
タクトの後ろ姿を見送るかのように静かに聳えたオリヴィアの家の屋根も霧に包まれ見えなくなってから程なくして、タクトが二人との約束の場所に到着した。そこにはまだあの二人の姿はない。呼吸を整え終えたタクトの前にローブ姿の二人が霧の中から颯爽と姿を現した。
「すいません、お待たせしました」
「ごめんなさい、周囲の様子を確認していて」
疑っていた訳ではないが、二人が無事に約束通り来たことに対し、まずは一安心したと言わんばかりにタクトは小さく吐息を漏らした。その姿にバラとシャンの二人が何かを察したのか、苦笑いに似た表情で答える。
「信じてもらえてるなんて思っていませんけど、僕たちは騙すつもりなんてありませんから、どうか安心してください」
「いや、俺の方こそまだ正直疑ってる部分はあるけど、この集合自体が罠じゃなかったことにまずは安心してるって感じだ。それより、早くオリヴィアの所へ出発しようぜ。大聖堂とか言う場所に行くまでは、それなりに時間がかかるんだろ?」
「えぇ、それでは出発したいと思いますが、ここにいる全員でよろしいですか?」
バラの問いかけに対し、一瞬違和感を覚えながらもタクトが頷いた。
「あぁ」
「そうですか、では僕たちと合わせて五人ですね」
え、五人!?
「ちょっと待ってくれ! 俺以外にあと二人も誰が行くって言うんだ?」
タクトの言葉を聞いたバラとシャンの二人は一度だけ顔を合わせるとタクトの後方に視線を移し、それぞれに人差し指で何かを指差した。その姿を見たタクトが驚いた様子で振り返る。
「全く独り善がりが過ぎますよ、タクト!」
「みんなで助けに行こうって言ったよね?」
そこには解せないと言った顔で決めポーズを取りながらタクトを睨みつけるエレナと、不満そうに少し怒った様子でタクトを見つめたマキナの二人が立っていた。
「お前ら、どうして来たんだよ。これは元はと言えば全部俺のせいなんだ。だから、俺一人で何とかするって……」
「本当にバカですね!」
タクトの女々しい声を弾き返す勢いでエレナが声を上げた。
「そうやって何でも一人で背負い込もうとするからいけないんですよ。オリヴィアは私たちの仲間です。私たちで助けるのに理由なんていりません。そもそも無能のタクト一人に何が出来ると言うんですか? オリヴィアが誘拐されたのがタクトのせいだと言うなら、尚更一人で行かせる訳にはいかないじゃないですか」
「私もタクトの言いたいことは何となく分かる。けど、これは私たちみんなの問題。私の怪我なら心配しなくていいから、だからみんなで必ずオリヴィアを助けましょう。私たちは仲間でしょ?」
胸の奥深く、どこからか湧き上がる名前も知らない熱い感情にタクトは目を瞑った。大きく、そして力強く頷いた。
「あぁ、そうだったな。エレナの言う通りだ。俺は少し思い詰めてたのかもしれない。お前らの力を貸してくれ。今度こそ俺たちでオリヴィアを助けに行こう」
決意を新たに固め、三人の呼吸が合ったかと思われたその時、不意にエレナが口を開いた。
「ところで、そっちの二人は一体誰なんですか?」
エレナの声にタクトはバラとシャンの二人に視線を戻す。
「二人はA.E.S.って言う連中の仲間だけど、こいつらは別に悪い奴らじゃないんだ。今からこの二人にオリヴィアの居場所まで俺たちを案内してくれることになってる」
「僕はバラと言います」
「私はシャンよ」
バラとシャンの二人が名前を告げた直後。突如、稲妻が二人の足元を襲い、地面からは黒煙が上がった。場の空気が一転し、その場にいた誰もが静まり返る中、黒煙だけが白い霧の中へと消えてゆく。
「え!?」
余りにも一瞬の出来事にタクトはただ状況を理解出来ず、エレナのいる方に視線を戻した。エレナの両手はバラとシャンのそれぞれに向けられ、その手の平からは微かに煙らしきものが出ているのが分かる。
「おい! 何やってんだよ! いきなり危ねぇだろうが!」
「それはこっちの台詞ですよ! 何故、タクトはそんな頭のイカれたテロリストたちと行動をともにしてるんですか! 死にたいんですか!」
「ち、違う! こいつらは何も悪くない! オリヴィアを助けるために協力してくれるって言ったんだ!」
「まさか、タクトはそれを本気で信じてるんですか? 罠に決まっています。まさかオリヴィアを誘拐したのもA.E.S.の仕業ですか? だったら私たちに何の恨みがあるかは知りませんが容赦はしません。実力行使です!」
電気を帯びながら青白い光を放ったエレナの両手が霧の中にも関わらず輝きを増し、バラとシャンの二人を目掛けてバチバチと威嚇しているかのような音を立てる。それを見たタクトが慌ててエレナの前に立ちはだかり仲裁に入った。タクトに少し遅れてマキナも同様に仲裁に入る。
「今は話を聞いてくれ!」
「そうよ、エレナ! きっと何か深い事情があると思うの! 私はタクトを信じる! だからまずは話を聞いてあげて!」
「二人はA.E.S.と呼ばれる連中の危険性を知らないんですか? そいつらはご都合主義の正義を掲げて、復讐と語っておきながら何の罪もない人々を平気で殺して、村一つを火の海にしたような連中ですよ!」
あぁ、確かに俺はA.E.S.が、こいつらが、今まで何をして来たのかも、何人の人間の命を奪って来たのかも、何にも知らねぇ、分からねぇ、正直知りたくもねぇ。だけどな、俺はそれでもオリヴィアを助けたい。例え、これが本当に罠だったとしても、俺はバラの涙だけは信じてもいいって思えた……。
「だったら、どうしたってんだよ! じゃあ、エレナはこのままオリヴィアを見捨てて帰れるのか? もしオリヴィアに何かあったら、自分があの時助けに行っていたらって辛い思いをしてこの先の長い人生を生き続けるだけの覚悟でもあるのか? 悪いけど、俺にはそんな大した覚悟はないね! 断言出来る! だから、この先にあるのが罠だとしても俺は行く! 俺はバラとシャンの二人を信じてやる! 今の俺たちには、オリヴィアを助けるためには、こいつらの力が必要なんだよ!」
「もう、やめてください!」
タクトとエレナの口論が限界を迎え、エレナの手の輝きがピークに達しようとしていた時だった。一人の少年の悲鳴にも似た声が二人の耳に届く。バラが一人、タクトの隣に歩み出る。何かを警戒した様子でエレナが稲妻で満ちた両手を速やかに向けた。しかし、バラには一向に引く気配がない。
「あなたの言う通りです。僕たちは今まで正義や復讐なんて立派なものを掲げておきながら、実際は何の罪もない人々に迷惑をかけるどころか、その命までも奪ってしまった。僕たちは本当なら存在しない方がいいのかもしれない。でも、そんな僕たちでも変われた。人間として扱われることのなかった僕たちを人間として見てくれた人がいたから。あの人はもういないけど、今の僕たちはもう昔の僕たちとは違う。タクトさんは僕たちの仲間のお墓を作ってくれたんです。死んだらお墓に埋められる。当たり前のようで決して当たり前なんかじゃない、生きた証を残してくれた。だから、僕はタクトさんを、タクトさんの仲間を助けたいんです。信じて欲しいなんて言いません。もし僕が怪しいと感じたなら、その時はいつでも背後から……」
しばらくの間、睨み合うと、真っ直ぐに折れることのない少年の目に嫌みたらしく鼻を鳴らし返し、エレナの両手から輝きが消えた。両手をマントの中に隠すとエレナが背を向け誰に言う訳でもなく口を開く。
「そう言えば、確かA.E.S.と言えば騎士団から多額の懸賞金がかけられていましたね。どうせなら、オリヴィアを助けるついでに全員まとめて私が一人で始末してしまいましょう。ええ、そうしましょう。それがいいです」
その声を聞いたタクトとマキナの二人が互いに顔を見合わせると笑みをこぼした。




