第35話 勇気ある涙
――俺のせいだ。
俺のせいでオリヴィアが危険な目に遭ってる。俺がA.E.S.なんて変な連中と関わったせいで。全部、俺のせいで。俺が悪いんだ。だから俺が助けないと。
深夜の闇と静寂に呑まれた、月明かりも届かぬ林の中をタクトの足音と荒く乱れた息遣いだけがこだまする。
「!?」
そんな中、タクトが突然その足を止め目を凝らす。と言うのも、タクトの前方、子供の身の丈程はあるだろう茂みの中から見覚えのあるローブ姿の人影が二人、彼の前に姿を現した。それに合わせるように辺りを警戒したタクトが両手を上げ、拳を構える。
「お前ら一体何のつもりだよ! オリヴィアは関係ないだろ! お前らの用があるのは俺一人なんだろ?」
ローブ姿の一人が一歩前に出ると同時に両手を上げた。
「落ち着いて話を聞いてください! 僕たちは、少なくとも僕はあなたと争うつもりはありません」
この声? どこかで聞いた声だ。
「私もよ。あなたと争うつもりはないわ」
もう一人のローブ姿の人影がそう言うと、二人は同時に頭に被っていたフードを脱ぎ、敵意がないことを示すためか、タクトに向けて両手を上げ視線を向ける。
水色の短髪に気の弱そうなまだ幼さの残った顔立ちの少年と、同じく水色の長い髪を後ろで束ねたどこかおっとりとしながらも肝の据わった目つきをした少女の二人がタクトを見つめていた。
「お前ら、A.E.S.だろ?」
「えぇ、確かに僕たちはあなたの仰る通りA.E.S.です」
「そう、私たちはA.E.S.。でも、あなたとは争いたくない」
水色の髪の二人は息を合わせたかのように口を開いた。
「なら、邪魔しないでくれ」
二人を無視し、道を進もうとしたタクトの前を行く手を阻むかの如くローブ姿の二人が立ちはだかる。
「何のつもりだよ。結局、お前らも俺の邪魔をしに来たってことか」
「それは違います。あなたはこの先へ行ってはいけない!」
「それは違うわ。あなたはこの先へ行けば大変なことになる!」
「は? 何言ってんだよ?」
「僕たちはあなたを助けたいんです」
「私たちはあなたを守りたいんです」
二人の意味不明な受け答えに焦りを隠せないタクトが黒髪頭を押さえ、敵意をむき出しにした目を向ける。しかし、ローブ姿の少年と少女はその視線に微塵も臆することなく話を続けた。
「この先にはいくつかの罠が仕掛けられています。もし無事に罠を回避したとしても、あなたがこれから向かうのは僕たちの拠点です。捕まれば今度こそ確実に殺されます」
「大丈夫です。あなたの仲間の安全はここにいる私たち二人が保障します。クライは簡単に人質を殺すような人ではありませんから。だから、落ち着いて……」
「ふざけんなー!」
二人の呼びかけを遮るようにタクトの怒声が辺り一帯に響き渡る。
「お前らが勝手に襲って来て、勝手にオリヴィアを誘拐して、大丈夫だから落ち着けって言うのかよ! 落ち着ける訳ねぇだろうが! 俺にお前らを信用しろって言うのかよ! 仲間誘拐されて、自分の命まで狙われて、それでも信用しろって? 出来る訳ねぇだろ!」
タクトの声にさすがの二人も下を俯き、その場に立ち尽くす。その様子を見たタクトは怒りで震えた拳を開くと目の前の二人を押しのけ、道の先へ向かって歩き出した。
「待ってください! もう嫌なんです! 誰かが、心優しい誰かが犠牲になるのは! 僕は僕の信じた正しさに従う。それがあの人が一人では何も出来なかった僕に教えてくれたことだから。だから、僕はあなたを助けたい! ――だって、あなたはメモリアにお墓を作ってくれた人だから! だから、行かないで!」
少年の必死な叫びがタクトの背中に刺さる。足を止めたタクトが振り返ると、少年が一人立っていた。恐怖に打ち勝った少年の瞳には涙が滲み、今にも泣き出しそうな程歪んだ顔でただタクトの姿をその瞳に映していた。
思い出した。この声は何度か俺のことを救おうとしていた少年の声だ。
「お前……」
「僕の名前はバラ。あなたを助けたかった。お墓をありがとうって言いたかった……」
後ろから歩み寄って来た少女は優しく少年にハンカチを手渡すとタクトに視線を移した。少年はそれを受け取ると顔を覆い隠すようにハンカチを押し付ける。
「私はシャン。バラの双子の姉。私もあなたの力になりたい。私はバラの信じるあなたを信じる」
ようやく落ち着きを取り戻したタクトが一度深呼吸をすると、バラとシャンの二人を見つめる。
「さっきは悪かったな。まだ完全に信用してるって訳じゃないけど、二人の忠告は感謝するぜ。で? 俺はどうすればオリヴィアを助けられる? 俺一人と引き換えなら解放してもらえるのか?」
タクトの問いかけに対して涙を拭き終えたバラが首を横に振った。
「僕たちも一緒に行きます。その上で話し合いで解決しましょう。あなたが災厄の天使たちではないことはすでに理解されているはずですから。あとはクライを説得出来れば何とかなると思います」
「なら、急ごう」
歩き出したタクトの腕をシャンが掴み止める。
「今から行くのは危険です。日が昇って周囲が明るくなってからにしましょう。私たちが向かうアストロ大聖堂はアルレキアの南、徒歩で向かうとなるとそれなりに時間もかかります。昼間の一件もあって今は警備も厳重になり騎士団の巡回に発見されると厄介です。裏道を通るとしても、この暗さの中ではとても」
「くそぉ、オリヴィアが危ないって時に」
「僕たちは朝までこの周辺に身を潜めています。どうか、一旦帰って体を休めて来てください。いつ何が起こるか分かりませんから。朝になったら、またここで会いましょう」
「……分かったよ」
「それじゃあ」
「また朝に」
それぞれ一言だけ言い残すとローブ姿の二人は素早い身のこなしで夜の闇の中へと姿を消した。その場に一人取り残されたタクトは重い足取りでエレナとマキナの二人が待つオリヴィアの家へ来た道を戻る。
「あれ? ここどこだっけ?」
暗い林を抜けてオリヴィアの家に到着したタクトが玄関の扉を開く。すると、中から微かに一筋の光が溢れた。光に目を細めたタクトが顔を上げる。そこには心配そうな顔で落ち着きをなくしたエレナと、タクトの無事を確認し僅かに安堵の表情を浮かべたマキナの二人が立っていた。マキナの肩には包帯が巻かれ、彼女の微笑みの前ではその結び目すらお洒落なデザインのように見えてしまう。二人の視線が一斉にタクトに集中する。
「タクト、オリヴィアはどこですか? 廊下のあの有様は何ですか? ちゃんと私たちに説明してください!」
「タクト、大丈夫? どこか怪我してない? 一体何があったの?」
タクトが二人からの質問攻めにたじろぎ、困り果てた表情を浮かべる。
「俺のせいでオリヴィアが敵に誘拐された。今は人質になってると思う。居場所ももう分かってるし、朝になったら助けに行こうと思ってる……」
「何もタクトのせいではありませんよ! オリヴィアを止められなかった私にも責任はあります! 私もオリヴィアを助けに行きます! それにタクト一人では何も出来ませんからね!」
「だったら、私も行く! オリヴィアは私たちの大切な仲間でしょ!」
タクトは二人の言葉を聞くと静かに一度だけ頷いた。
「分かった。俺たちでオリヴィアを助けに行こう!」
「そうと決まれば早速です。朝まであと数時間しかありませんよ。私は広間でこのまま睡眠を取ります。二人はどうしますか?」
「なら、俺も少し広間で眠らせてもらうよ。昼間の疲れもまだ残ってることだし」
「じゃあ、私も」
三人はすぐに広間へ場所を移す。各々が場所を確保すると、それから誰も一言も発することなく三人はすぐに眠りについた。
太陽が昇る。朝日の光が山並みを照らし、町に朝を連れて来る。まだ鳥の声一つ聞こえない早朝。広間で一人、タクトが目を開く。エレナとマキナの二人の様子を伺い、二人がまだぐっすり眠っていることを確認すると、そっと静かに起き上がり、広間の扉を開くと外へ出た。
ごめん。俺たちで助けに行こうなんて言ったけど、やっぱりこれはどう考えても俺のせいだ。だから、俺一人で何とかするしかないだろ。
結局一睡も出来ず、体力の限界に近いぼろぼろの体を引きずり、タクトは一人、オリヴィアの家を出た。




