第34話 紳士かクズか
暗闇の奥、深夜の廊下に騒々しい破壊音が立て続けに鳴り響く。
もうエレナもマキナも誰もいない。ここは俺一人で何とかするしかない。でも、どうする? ただのオリヴィアならまだしも、今のオリヴィアの力は尋常じゃないぞ。無能な俺には到底、正攻法じゃ勝ち目なんてない。第一、どうやれば敵の異能は解けるんだ? 漫画とかだと、こういう系の能力はどっか近くに本体が隠れてるってお決まりのパターンだよな。まさか、この屋敷のどっかに本体がいるってのか? だとしてもオリヴィアを相手に探してる余裕なんてないぞ? さっそくピンチかよ俺ー!
オリヴィアの小さな細身から繰り出される猛攻撃を床に転がり這いながらタクトが逃げ惑うようにして躱す。壁や床には無数の亀裂やへこみが生じ、オリヴィアの怪力を如実に物語っている。
「おいおい、さっきまでの威勢はどうした? 仲間を助けるんじゃなかったのか? まさか今更、女は殴れないなんて紳士的なことを言うつもりじゃねぇよな?」
「確かに俺はそんな立派なこと言えた人間じゃない。って自分の命が危うい状況なら容赦なく、女だろうが、子供だろうが、殴り返す人間のクズだよ! でもな! オリヴィアは何も悪くねぇだろ! オリヴィア自身には何の罪もないってのに……くそぉ! 卑怯だぞ!」
「卑怯で結構、これが俺のやり方だ。どんな手を使おうと最終的に勝った者が強者。強者こそ正義だ」
その時、またも月が雲に遮られ、暗闇だけが廊下を埋め尽くす。暗闇の中、動きが止まったオリヴィアからタクトが距離を取った。
「あぁ、そうかよ。なら、俺だって多少は心が痛むけど、反撃させてもらうぜ」
「無能で口先だけのお前に果たして出来るかな?」
どうする、どうする、どうする? もし、オリヴィアの攻撃を一撃でも受けたらマジで骨折どころじゃ済まねぇぞ。一撃が死に直結する。無理ゲー過ぎるだろ。それに俺にはオリヴィアに対する有効打がない。考えろ考えるんだ、オリヴィアの弱点。凶器の鎧でこっちからの打撃は意味がない。狙うなら顔か? いや、オリヴィアの顔はいくらなんでも殴れない。でも……。
雲が流れ窓から差し込んだ月明かりがオリヴィアの姿をはっきりと映し出す。それと同時に闇の中からタクトが丸腰のままオリヴィアに向かって走り出した。足音に気付いたオリヴィアが拳を構える。
「そこか!」
振り向くと同時にオリヴィアの細く透き通った白い腕から空気を割くような一撃が繰り出された。しかし、その拳の先にタクトの姿はない。驚いた様子でオリヴィアが目を見開く。
「消えた!? 確かに足音から推測して位置もタイミングも間違いなかったはず……」
「下だぁー!」
オリヴィアの足下、ひらめくスカートの下。オリヴィアの視界からは死角のその場所にタクトは全速力のスライディングを決め、滑り込んでいた。タクトの足がオリヴィアの足を退け、体勢を崩したオリヴィアが音を立ててその場に倒れる。
「鎧の役割を果たしてる凶器の重さが仇になったな」
すぐさま立ち上がるとオリヴィアに向かってタクトが拳を振りかざした。しかし、その時だった。オリヴィアが涙ぐんだ大きな瞳をタクトに向け、今にも泣き出しそうな顔で弱々しく声出す。
「……タクト、酷い」
「オリヴィア!?」
オリヴィアの思わぬ態度に躊躇し、完全に気を取られてしまったタクトを嘲笑うかのようにオリヴィアの顔から笑みが溢れる。
「これだから詰めが甘いんだよ!」
オリヴィアはタクトの足を掴むと軽々と床にタクトの体を叩きつけた。
「ぐあぁー!」
鈍い音が廊下に響き、タクトが後頭部を両手で押さえながら、もがき苦しむ。タクトは全身を激痛が襲う中、必死に目を開く。彼の傍らではまるで天使のように悪魔的な笑みを浮かべたオリヴィアがタクトを見下している。
――俺、このままオリヴィアの手で殺されるのか。
オリヴィアは笑みのままタクトの首を掴むと、その体を軽々と持ち上げた。首が絞まりタクトが苦しげにオリヴィアの顔を見る。
「うぅ……あぁ……」
「このまま、この女の手で殺してやる。俺からのせめてもの手向けだ。あぁ、そうだ。もし、あの世でメモリアにあったら、よろしく言っといてくれ」
「……目を……覚ませよ、オリヴィア」
「無駄だね。この女の体は今俺が完全に掌握している。俺の異能は無能力者、または一定以上の知能を持った生物に憑依する異能。だが、お前にはどういう訳か憑依出来なかった。そこでわざわざこの女の体の方に憑依した訳だ。ところがこの女も一体どういう訳か恐ろしい程の潜在能力を秘めてやがる。異能は持ってないにせよ、こんな体は初めてだ。お前らは何者なんだ? まぁ、それはお前を殺した後でじっくりあの逃げた二人に聞くとして」
怪力は異能じゃないのか? オリヴィアの潜在能力? 何を言ってるのか俺にはさっぱりだ。ってかこのままじゃ本当に……。
オリヴィアの腕を掴んでいたタクトの腕が力なくぶら下がる。
無駄か、無駄でもいい。言えよ、オリヴィアいつもみたいに……。
「……ですのって……言えよぉ! オリヴィアぁ!」
「無様だな」
「このままじゃ……マキナが……お前のエレナが殺されちまうんだぞぉ!」
「終わりだ」
オリヴィアがタクトの首を握り潰そうと手に力を入れた、その時だった。突如、タクトが床に転がり、首に手を当て息を荒げる。
え? 助かった?
「あぁ? ナニ……エレナ……」
「はぁ……はぁ……はぁ……オリヴィアなのか?」
オリヴィアが両手で顔を覆い隠すと覚束ない足取りで壁に寄りかかった。
「オリヴィア?」
「タ……クト……この女!? 一体どんな精神構造してやがる!」
タクトも壁に手を置くとボロボロの体に鞭を打ち立ち上がる。
「帰って来い! オリヴィア!」
「クソぉ、どうやら今日はここまでみたいだ……。俺の名前はクライ。アルレキアの南、町外れにある『アストロ大聖堂』、そこに俺たちはいる。お前が来るまでこの女は人質として預かっておくが、間違っても今度は騎士団を連れて来ないことだな。人質の命が欲しければの話だが」
「ここまで来てみすみす逃すかよ……」
タクトとオリヴィアが互いの顔を睨みつけるように笑う。
「なら、ついて来るか?」
そこまで言うとオリヴィアが窓を突き破り外へ飛び出した。
おい! ここは二階だぞ!
タクトが慌てて窓から下を覗き込むが、そこには既にオリヴィアの姿はない。
「クソ! クライぃー!」
傷だらけの体で階段を飛び降りると玄関のドアを勢い良く開き、門を潜り抜けたタクトは闇に満ちた林を駆け抜ける。
彼の脳裏には昼間、目の前で殺された一人の少女の姿が禍々と再生され、オリヴィアの姿が重なって見えていた。
「オリヴィアー!」




