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第31話 守りたいもの

 夜の闇の中、林を抜けてタクトがオリヴィアの家の門前に到着した。広い庭の先、豪邸の窓からは微かに光が漏れているのが見える。門を少しだけ静かに開くと隙間から滑り込むようにして中へ入った。精神的なショックもさることながら肉体的な疲労がピークに達している今、彼にとっては門一つですら大きな障害物に感じる程だ。気を抜けば簡単に倒れてしまいそうな重い足取りで最後の力を振り絞り玄関の扉を目指す。


 もう、こんなに帰りが遅れてしまった。折角、マキナが夕食作って待っててくれてたのに。これじゃあ、愛想を尽かされていても仕方がないとしか言いようがない。今頃、オリヴィアもエレナも元の姿に戻って夕食を食べ終えているだろう。どうせ、誰も俺の帰りなんて待っててくれるが訳ない。現実と同じ、誰も俺を……。


 下を向いたままタクトが玄関の扉に手をかけてそっと開く。すると、開いた扉の隙間から光が溢れた。それを見たタクトが目を細めながら顔を上げる。そこには椅子に座りながら本を読むマキナの姿があった。ちゃんと元の姿に戻っている。マキナはタクトに気が付いた瞬間、安堵したのか笑みをこぼす。


「おかえりなさい――タクト」


 予想外の状況にタクトが口と扉を開けたままその場に立ち尽くす。マキナは泥に塗れたタクトの様子を見ると頷いた。


「やっぱり、いっぱい汚れて来た。タクトの部屋のお風呂いつでも入れるように準備して置いたから早く入っておいで」


「……俺を待ってたのか?」


「当たり前じゃない」


 マキナの言葉を聞いた瞬間、タクトが全身から力が抜けたように玄関へ座り込んだ。タクトの前に膝を抱えてマキナも身を屈める。


「どうして……何やってたんだよ? 夕食は? あいつらは?」


 マキナが目を瞑りながらゆっくりと首を横に振る。


「皆んなまだタクトの帰り待って食べないでいる。そう言えば、私が夕食を作るって言っちゃったけど、結局オリヴィアたちが作ってくれるって言うから私はタクトを待ってただけなの……」


「何で……」


「だって、どうしてもオリヴィアたちが作りたいって言うから……」


「そうじゃなくて! 何で皆んな俺を待ってるんだよ?」


 タクトの質問を聞いたマキナが不思議そうな顔で顎に手を当てる。


「その質問の意味がよく分からないんだけど。それは多分タクトがたった一人で私たちを助けてくれたヒーローだからじゃない? それに私たち仲間でしょ? 仲間の帰りを待つのは当然のことだと思うの」


 その時、タクトは優しく微笑むマキナの顔を見ることが出来なかった。罪悪感のような後ろめたさに耐えられず頭を下げるしかなかったのだ。


 それは違う。違うんだ。マキナ、違うんだよ。俺は何も出来なかった。目の前で女の子が殺されるのを止められなかった。俺は墓を作るだけで……。


 ――俺はヒーローなんかじゃない!


 いっそ、今日自分が見て来た真実を全てありのままに打ち明けられたなら、どれだけこの胸の苦しさは和らぐのだろう。そんな思いが彼の中でぐるぐると渦を巻く。しかし、今のタクトにはそれを伝えるだけの勇気がなかった。


 俺は無力で、卑怯で、臆病者だ。そんなことはずっと前から分かっていた。なのに、心のどこかでマキナを、オリヴィアを、エレナを、あんな風に死なせたくないって、皆んなを守りたいなんて思ってしまう自分がいるのが、どうしようもなく許せない。


 震えるタクトの泥に塗れた手を絆創膏だらけの手が優しく包み込む。


「大丈夫、何も聞かないから。だから、一緒に夕食を食べましょう?」


 タクトはその声に何度も頷いた。


 マキナに手を引かれながらタクトは自室へ辿り着いた。マキナがドアを開きタクトを中へ招き入れる。


「見て! タクト! ほら!」


 何かがあるのかマキナがベッドの上を指差す。タクトが顔を上げるとベッドの上には白いシャツと黒のズボンが綺麗にたたまれた状態で置かれていた。


「これは?」


「オリヴィアが奥の部屋から探して出してきてくれたの。元々オリヴィアのお父さんが昔着ていたものらしいんだけど。タクトが着れるようにって綺麗に洗濯しておいたから後で着替えて。サイズは……少し大きめかもしれない」


「いいのかな?」


「オリヴィアからの今日のお礼だって」


 俺は本当に何もしてない上にオリヴィアには返しきれないだけの恩がある。何だよ、これ。すげぇかっこ悪いじゃんか俺……。


「じゃあ、私は先に食堂行って皆んなで待ってるから。タクトも早く来てね。オリヴィアたちもお腹空かせてるだろうから。疲れてるとは思うけど夕食に来ないで部屋で一人寝てたら今度こそ本当に知らないんだからね」


 マキナはそう言い残し部屋を出て行った。タクトが泥のついたジャージを脱いで真っ直ぐにバスルームへ向かう。



 水の流れる音が部屋中に響く。排水口に流れる水が茶色から徐々に赤茶色へと変わり縛られた跡の残る肌が顔を覗かせる。その時、突如タクトの息が上がる。


 はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、何だこれ……。


 湯煙の中、タクトの前に一人の少女が姿を現した。忘れるはずもない橙色の長い髪の少女だ。少女はただタクトの目を見つめながら無言のまま立っている。


「お前は……嘘だ……だって、お前は死んだはずだろ!」


 あなたを殺す……殺してやる……。


「違う! 俺は何も悪くない! 墓だってちゃんと作ってやったろ!」


 殺してやる……。


「やめろー! やめてくれ! お前は死んだんだよ! 俺たちが争う理由なんてどこにもないんだよ!」


 気が付くとタクトは一人バスルームの中で壁に向かって大声を出していた。


 そんな……今のは……幻覚なのか?


 辺りを見渡すが勿論のことながら誰もいない。バスルームのドアにはしっかりと鍵がかかっている。タクトは床に両手をついて跪いた。


「こんな俺に一体どうしろって言うんだよ……」



 入浴を終え渡された服に着替えたタクトは暗い廊下を抜けて食堂の扉の前まで来た。


 このまま、いつまでも落ち込んでいる訳にもいかない。マキナもオリヴィアたちも俺の帰りを待っていてくれたんだ。俺がこんな調子でどうする。エレナのやつに根暗とかまたバカにされている光景が目に見えるな。いや、確かに現実では俺は根暗な奴ではあったが、それはもうこの際過去の話だ。皆んな元の姿に戻ったんだ。何も問題はない。そうだ、何もなかった。何も……。


 タクトが思い切って両手で扉を開く。巨大な長方形のテーブルの上にはいつも以上に華やかなご馳走がずらりと並べられていた。そのテーブルの端でいつものようにオリヴィアたちが待ちかねた様子で着席している。ドアの開く音に一斉に三人の視線がタクトへ向けられた。


「随分と遅れて主役の登場ですの」


「遅過ぎますよタクト! 私たちを餓死させるつもりですか!」


「さぁ、早く座って座って」


 何も変わらない光景、俺が守りたい光景、そして名前も知らない誰かの命の上に成り立っている光景。その全てがこの一つの光景なんだ。


 タクトが腰に手を当てて満面の笑みを浮かべる。


「お前ら、誰のお陰で元に戻れたと思ってんだ? こっちは命懸けだったんだぞ〜!」


 その声に三人が呆れたようで笑い返す。


「まあ、厚かましい限りですわ。折角ご馳走を用意して待っていたと言うのに、これでは手間損ですの」


「何ですか! 第一声がそれですか! 私は別にタクトにお願いした覚えはありませんよ?」


「もう、タクトったら。二人ともさっきまでタクトのこと見直したって言ってたのに」


 タクトが席に着くとそれから食堂には四人の変わらぬ賑やかな声が響き渡った。


 これはオリヴィアとエレナから話を聞いて分かったことだが、二人には幼くなっている間の記憶が全くない言う。もしかすると今回の異能が与えた影響を強く受けた者たち、つまりは変化が極端だった者たちは何かしらの後遺症として一部記憶障害などが残っているのかもしれない。


 それと余談だが。俺はこの夜もう一つあることを知った。それは三人の年齢だ。オリヴィアとエレナは予想通り同い年。中二病真っ盛りの14歳だそうだ。エレナはともかく、オリヴィアがあの落ち着きようなのは流石としか言いようがない。精神年齢だけで言えばエレナの母親代わりみたいなものだ。気になるマキナの年齢だが。何と18歳だと本人は言う。俺との年齢差は1歳だけだが、お互いの年齢を知った時の衝撃は大きなものがあった。マキナは自分が年長だった事実に若干苦笑いを浮かべていた。思いのほかショックだったのかもしれない……。


 かくして、今日も俺は眠りにつく。ってイロハを探すんじゃなかったのかよ! っと自分に自分でツッコミを入れてしまいそうなる衝動を抑え、ベッドに倒れる。


「明日からまたイロハを探さないとな……」


 そのはずだった……。



 深夜、静まり返った屋敷の中。窓から差し込む月明かりだけがどこまでも続いた廊下を映し出している。その突き当たり、闇の中から何者かの足音が刻々と迫る。


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