第29話 消えない傷
タクトが少女を抱きかかえたまま建物の外へ出た。そこは見渡す限りの森の中。振り返りながら見上げると木々包まれた中に巨大な石の建造物が聳え立っていた。
「ここは……」
「この建物はおそらくだが、何かの工場跡地かゴミ処理場と言ったところだろう。ここはアルレキアから北東に広がる森の中だ」
後ろから現れたテミスが話し出した。
「お前は知らないかもしれないが、かなり遠くまで連れて来られたものだ。奴らの拠点を見つけ出すためとは言え、すぐに助けなかったことは本当にすまないと思っている」
「でも、結果的に助かりました」
一人の少女の命を犠牲にして……。
タクトが建物の裏手に回る。少女を草の上にそっと寝かせると近くに落ちていた平たく大きな楕円形の石を拾い上げ地面を掘り始めた。テミスは石の壁に背中を凭れ、腕を組みながらただ黙ってタクトの様子を見守る。
まだ少女に殴られた鈍い痛みが残るタクトの顔から汗が滴り落ちる。乾いた血に染まった手に泥がかかる。タクトは汗に塗れながら泣いた。一人の少女の死を。
この子は俺を殺そうとした。それなのに何なんだよ! この苦しさは! 誰か教えてくれ……。
タクトは互いの名も知らぬ少女の墓穴を一心不乱に掘り続ける。この少女が彼に残したものは痛み。ただそれだけ。しかし、タクトは言葉にならない苦しみに苛まれていた。不意にテミスが問う。
「何故、お前はそいつの墓を掘る?」
「人が死んだら墓に埋葬してやる。当然のことじゃないですか」
「そいつはお前を殺そうとした相手だぞ? 戦場では敵の墓など作らない。もし、お前が殺されていたなら、そいつらは間違いなくお前の墓など作ろうともしなかっただろう」
「それでもいいんです。俺は死んだ人間に敵も味方もないと思います」
「変わった奴め」
そう言うとテミスが腰の剣を抜いた。次の瞬間、剣身が赤く輝きだす。
「退け。あとは私がやる」
テミスの思いがけない言葉にタクトが手を止めて顔を上げる。
「お前一人では時間の無駄だと言っている」
タクトがテミスと場所を代わる。すると、テミスが剣を地面に向けて構えた。赤く輝いた剣を振り上げると力強く振り下ろす。次の瞬間、激しい地響きと共に辺り一帯が土煙に覆われた。驚いて土煙を吸ったタクトが咳き込む。程なくして土煙が晴れると剣を鞘に収めたテミスが姿を現した。それだけではない、テミスの目の前の地面には巨大な何かに抉り取られたかの如く大きな穴が開いている。
「テミスさん……これ……」
「墓穴だ。さっさと埋めてしまえ」
これがテミスさんの異能。
何食わぬ顔でテミスは再び石の壁に背を凭れる。タクトは少女を抱え上げ、穴の底へ寝かせると上から両手で土を被せた。少女の白い肌が茶色い土の中に埋もれていく。一頻り土をかけ終えるとタクトは近くに咲いていたオレンジ色の花を数本摘み取り、少女の墓の上に供えた。目を瞑り静かに両手を合わせる。これが今の彼に出来る精一杯の行いだ。
「そろそろ行くぞ」
テミスが声を掛けるとタクトはその声にゆっくりと目を開く。
深い森の中、タクトはテミスの後を付いて行く。アルレキアの町まではここから暫く歩くらしい。オリヴィアの家がアルレキアの北西に位置することを考えると、このまま町に戻らずに森を西へ抜けた方が近道ではある。しかし、今は何が起こるか分からない以上、テミスについて行く方が確実だ。
「テミスさん。聞いてもいいですか?」
「何だ?」
「あいつらのこと何か知ってるですか?」
「ああ、よく知っている」
やっぱり、あいつらは災厄の天使たちだけでなくテミスさんに、つまりは騎士団にも何か強い恨みを持っている様子だった。
「教えてもらえますか?」
「構わん」
あまりいい顔ではないがテミスが話し始めた。
「奴らは名前は造られし反逆者。我々騎士団は通称『A.E.S.』と呼んでいる。元々は災厄の天使たちよって家族や一族を皆殺しにされた生き残りの孤児たちだ。前にも生存者の話はしたな。奴らはその一部だ。惨劇の後、騎士団に保護されていた彼らは治療を終えるとある施設へと預けられた。そこで静かに暮らしていたはずだった。しかし、如何なる手段を使っても災厄の天使たちの情報が欲しかったのだろう。研究者たちは異能を悪用し無理矢理子供たちから記憶を引き出す実験を行った。その結果は失敗。子供たちは重度の精神汚染を引き起こし、人格破綻者に成り果てた。それから数ヶ月後、突如彼らは異能に目覚め反乱を起こし消息不明となった」
「そんな!」
それじゃあ、あいつらは何も悪くないじゃないか! 家族を失い、信頼していた大人たちにも酷い扱いを受けた! それなのに今は騎士団から命まで狙われてるって言うのか! そんなのは絶対に間違ってる!
タクトが怒りと悔しさで拳を握り締める。
「当時、騎士団もその実験を黙認していた。私がそのことを知ったのは大分後になるが今の我々にも責任がある。我々が止めなければならない。奴らは施設から脱走する際、数十名に重軽傷を負わせた上、死者も複数出している。奴らはもうただの子供たちではない。異能を使う能力者集団だ。奴らは罪もない人々に牙を剥いた。秩序を乱し脅威をもたらす我々の敵だ。当初は十名はいた人数も今や六名までその数を減らした」
タクトがテミスの背を睨みつけるようにして尋ねる。
「テミスさんは自分のやっていることが本当に正しいと思っているんですか?」
「それはどう言う意味だ? お前も見たはずだ。奴らは仲間ですら簡単に見捨てるような連中だぞ。話し合いの余地などどこにもない。それとも私に奴らを黙って見過ごせと言うのか? それこそ今以上に犠牲者が増える一方だ」
「でも……」
「奴らを人間だと思うな! 人としての彼らは既に死んでいるのも同然だ!」
テミスのその言葉にタクトは何も言い返すことが出来なかった。
違う。間違ってる。騎士団もA.E.S.と呼ばれるあいつらも絶対に間違ってる。異能で互いを傷付け合うだけじゃ何も変わらない、何も解決なんてしない。怒りや憎しみ、辛い過去は消せなくともエレナみたいに今を幸せに生きる道だって必ずどこかに存在するはずなんだ。それなのに騎士団はその可能性すら摘み取ろうとしている。何でだよ……。
テミスとタクトの二人がアルレキアの町に到着したのは日が傾き辺りが段々と薄暗くなっていた頃だった。町では通りに沿って明かりが灯されている。元の姿に戻ったのであろう町人らしき人だかりが彼方此方でお互いの無事を確認し合っているのか、和やかな話し声がどこからともなく聞こえて来る。どうやら、町全域で起きた事態は何事もなく収束へ向かっているようだ。
長い間森の中を歩き続け体力を消耗したのだろう。流石のテミスも大きくため息を吐いた。訓練により常日頃から体を鍛えているテミスですら堪える道のりだ。何とか一度も休むことなくついては来たタクトだが、息を切らせ体力の限界を迎えていた。振り返りタクトの様子を確認したテミスが鼻で笑いながら声をかける。
「今のところ何者かに尾行されている気配はないが、まだ安心は出来ん。A.E.S.はアルレキア周辺に潜伏している可能性が高いとみて間違いないだろう。情報源は不明だが奴らの情報によれば災厄の天使たちもアルレキアに周辺に現れるらしいが信憑性が限りなく低い。そもそも、生きているのかすら不明だからな。こればかりは確かめようがない。私はこれから支部へ戻り報告の義務がある。信頼出来る部下でよければ家まで送らせるが、どうする?」
「大丈夫です。ここまで来れば一人でも帰れますから」
苦しげな顔を上げるとタクトが答えた。
「多少心許なくはあるが、そう言ってもらえるとこちらとしても助かるよ。一層、警戒を怠るな」
薄暗くなった町の中。テミスの後ろ姿が徐々に街灯に照らされた人だかりの中へ吸い込まれるように消えていく。タクトはただ呼吸を整えながらその後ろ姿を見送った。
どうしてだろう。テミスさんの、あの人の背中が見えているよりずっと遠くに感じる。どれだけ俺が手を伸ばしても届かない場所にいる。そんな遠い存在に感じしてしまう。いや、最初に会った時からテミスさんは何一つ変わってはいない。きっと変わったのはテミスさんを、この世界を、見ている俺の方だ。一体、今までテミスさんはあの手で何人の人の命を奪ってきたのだろうか。そして、これからも奪い続けるのだろうか。それがたとえこの世界の正義のためだったとしても、俺はもうあの子みたいに人が死ぬ姿を見たくない。誰にも人を殺して欲しくない。そんなことが綺麗事なことも絶対に無理なことも重々理解はしている。それでも頼むから……。
タクトは己の無力さに対する抑えきれない程の怒りと、行き場のない虚しさにただ唇を噛み締めることしか出来なかった。夕方の肌寒い風が通りを吹き抜け、町に夜を連れて来る。
――温かい何かが止めどなく頬を伝う。
その日、彼にとって消えることのない傷が刻み込まれた。まだタクトがこの世界に来て五日目のことである。




