第26話 いってらっしゃい
オリヴィアとタクト、それとリンゴを食べ終えて満腹なったのか眠そうな顔のエレナの三人が玄関へ着いた。そこには見覚えのある桜色の髪をした一人の美女が立っている。年齢は二十代後半程、もしかすると三十路を超えているかもしれない。それにしても綺麗だ。気品に満ちた婦人と言ったところか。タクトが驚いた様子で声を掛ける。
「マキナなのか?」
「ただいま。どうしたのタクト? 急に何を言ってるの? ん? その子たちは誰?」
マキナがタクトの両脇にいる幼女二人に目を向ける。
「分からないのか? オリヴィアとエレナだよ!」
それを聞いたマキナは神妙な面持ちで二人に見入る。
「オリヴィアとエレナ?」
「ママー!」
オリヴィアがマキナの足に抱き着いた。エレナは相変わらず眠たそうに欠伸をしている。自分の置かれた状況がよく理解出来ていないのだろう。呑気なものだ。マキナはオリヴィアを軽く抱え上げるとタクトの元へ近づく。普段ならタクトとマキナの身長差は約10センチはあるが今はその差がほぼない。何なら寧ろマキナの方がほんの少しだけ高い。
「何があったの? あれ? タクトって……こんなに小さかったっけ?」
「分からない。朝起きたらオリヴィアとエレナがこんな姿になってて、マキナは今までどこに行ってたんだよ? 家中探したんだぞ? その様子じゃ無事とは言えなそうだな……」
取り敢えず話が出来る状態で良かった。それに二人とは違って俺のこともちゃんと覚えているみたいだ。
「今日は何かいつもより早く起きちゃったから少し庭をお散歩して来たの。私ったらまだ寝ぼけてるのかな? 何だかタクトのことがすっごく懐かしく感じられるし、オリヴィアたちも小さくて可愛い……」
マキナが笑顔でオリヴィアの頭を優しく撫でる。
「そんなこと言ってる場合じゃないんだよ! オリヴィアたちは俺たちのことを何も覚えてないんだ! マキナだって鏡を見てみろよ!」
タクトの言葉にマキナが首を傾げながら玄関に置いてある鏡の前に立った。
「え、嫌だ……私少し老けたかな?」
マキナが落ち込んだ様子で自分の顔を触りながらタクトに問う。
「そうじゃなくて! 落ち着いて聞いてくれマキナ! 今、俺以外全員の体に何か異変が起こってる!」
「それって……」
「多分、異能だよな?」
その言葉にマキナの顔色が変わる。
「確かにこれは異能の力。でも誰がこんなこと?」
「俺には何も分かんねぇけど、イズコが昨日俺に気を付けろって言ったんだ。あいつは多分こうなることを予め知っていたのかもしれない」
「じゃあ、タクトはこれがイズコの仕業だって言いたいの?」
「いや、違う。イズコの異能はただ絵を描くだけだった。そのことに関しては俺やオリヴィアたちも一昨日の夜にこの目で見たからまず間違いない。それに犯人ならわざわざそんなこと言い残すはずがないだろ? 犯人は別にいる」
そこまで話すと二人は一先ず幼くなってしまったオリヴィアとエレナを連れて食堂に場所を移した。食事の時と同様、マキナとタクトが隣に並んで座る。その横ではオリヴィアとエレナが頭をくっつけながら眠り始めた。そんな幸せそうなオリヴィアたちを浮かない顔でタクトとマキナが見つめる。
「このままずっとマキナもオリヴィアたちも元に戻れないのかな?」
「私には何とも言えないけど、異能を使った張本人なら何とか出来る可能性は高いと思う」
タクトは静かに立ち上がると何かを決意した目でマキナの目を見つめた。
「俺ちょっと今から町に行って来るよ。悪いけどマキナはオリヴィアたちを頼む」
「タクト、何言ってるの? こんな状況で出歩くなんて危険よ? タクトの身にまで何かあったらどうするの? まだ体だって治ったばっかりなのに……」
「俺の体のことは誰よりも俺が一番良く分かってるって、バカな俺なりに何が出来るか考えてみたんだ。今のオリヴィアたちには側で守ってくれる存在が必要だし、マキナだって普段とは違う体にさっきからずっと戸惑ってるだろ。隠してたつもりかもしれないけど、俺はいつもマキナのこと見てるから、そのくらい分かる。それにイズコのやつがさ、俺のやるべきことは俺にしか分からないとか言うんだぜ? つまり、今行動を起こせるのは俺しか残ってないってことだろ?」
「タクト……私はもしタクトに何かあったら……」
その時、タクトがマキナの肩に優しく手を置いた。
「マキナもオリヴィアもエレナだって、皆んなこんな俺のことを助けてくれた。だから今度は俺が皆んなを助ける番だ。心配しなくても必ず夕食までには帰って来るって。まぁ、また大怪我して来るかもだけど。そん時はまた俺のこと助けてくれるだろ?」
「……分かった。じゃあ、私は食べきれないくらい夕食作って待ってるから。だから必ず帰って来て。少しでも遅れたらもう知らないからね」
そう言ったマキナの顔が少しだけほころんだ。
「いってらっしゃい――タクト」
オリヴィアの家を出たタクトは護身用に果物ナイフ一本だけをポケットに入れたまま林の中を駆け足で進む。
程なくしてタクトはアルレキアの町に入ったがそこは彼の知っているアルレキアとはまるで別の場所のように変わり果ててしまっていた。人が一人も見当たらない。それ以前にいつもは数えきれない程の屋台が所狭しと並んでいるはずの通りに今日は屋台が一つもない。あの大通りですらどこの店も入り口を完全に閉め切っている。静寂が町を支配し鼠色の空から吹き抜ける風だけが音を立てている。これではゴーストタウン宛らだ。
その時、道の先から誰か数名がこちらに向かって近づいて来るのが見えた。子供から年寄りまで年齢はばらばらだ。しかし、一度見たら忘れないであろうあの白の制服。どうやら騎士団の団員のようだ。その先頭を見覚えのある長い銀髪をした鋭い目つきの少女が歩いていた。見た目は10歳程だがタクトに勝る威厳と威圧感を漂わせている。
「あの! 何があったんですか!」
意を決してタクトが声を掛けた。その声を聞いたのか先頭の少女が後方の団員に手で合図をすると全員の足が一斉に止まった。少女がタクトへ歩み寄る。
「あの……」
「お前は確か……タクトと言ったな?」
この銀色の髪、この喋り方、この威圧感、やっぱり……。
「テミスさんですよね?」
「そうだ」
テミスは間髪入れずに答えた。
やっぱりそうか! テミスさんまでこの異変に巻き込まれてるってことはアルレキアの町全体で何かが起きてるってことなのか?
「まさか、こんな姿でお前と再会することになるとはな。それはさて置きだ。何故お前は元の姿のままなのか? 我々に詳しく説明してもらおうか?」
テミスが明らかなる疑いの目をタクトに向ける。
もしかして俺疑われてるのか?
「俺は何も知らないんです。この体だってたまたま目には現れない程度の変化で済んでるだけかもしれないし、俺は今何が起こってるのかそれを知りたくてここにいるんです」
テミスが喋り終えたタクトの全身を隈なく観察する。疑いが晴れたのかテミスが溜め息をこぼした。
「どうやら嘘ではないらしいな。この異常事態に関しては我々も現在調査中だ。見ての通り、それぞれ姿が変わってしまっている。若返った者、年老いた者、どちらにせよ強力な異能による影響と考えるのが妥当だろう。現状から察するに被害はアルレキア全域まで広がっていると見て間違いない。私は幸い少しばかり若返っただけで済んだが極端に変化した者たちはかなり重症と言える。お前の体は変化が見て取れないがまだ安心は出来ん。調査は引き続き我々騎士団が行う。後は任せて安全な場所で待機していろ」
「待ってください! 俺に何か出来ることはありませんか?」
「何もない」
真顔で一言だけ答えるとテミスは仲間を引き連れタクトの隣を通り過ぎて行った。
くそぉ、俺には何も出来ないってのか? 俺が無能だからか? マキナにあれだけ大口を叩いて出て来たってのに何もしないでもう帰れって言うのかよ? 俺はただあいつらを助けたいだけなんだ。確かにこの事態を俺一人で全てどうにか出来るなんて最初から思ってない。だけど、それでも何もせずにはいられねぇだろ?
テミスの言葉を無視してタクトが変わり果てた町を駆け抜ける。




