第19話 手料理
ベッドから起き上がり、部屋から出ようとタクトがドアへ向かう。
「待って、タクト……」
ドアの向こうからマキナが呼び止める。その声を聞いたタクトが足を止めた。
「どうかしたのか?」
「実はね、タクトに大事な話があるの……」
「何だよ話って?」
「そ、それは……恥ずかしいからもう少しドアの近くに来てもらえる?」
え? 嘘? 何この展開!
「タクト……早く……」
マキナの恥ずかしそうな声に妙な胸の高鳴りを感じつつタクトがドアへと近づく。
「それで話って?」
「ドアに耳を当てて……」
マキナに言われた通りタクトがドアに耳を当てる。
「私ね……実は……その……一目見た時からタクトのことが……」
え! え! えぇー!
タクトの胸の高鳴りがピークに達した。次の瞬間、勢いよくドアが開きタクトの顔面を直撃した。
「痛ってぇ、いきなり何すんだよ! マキナ!」
タクトが顔を上げると、そこには不敵な笑みを浮かべたエレナが一人で立っていた。
「あれ……マキナは?」
「マキナ? 何言ってるですか? 最初からマキナなんてここにはいませんよ!」
「だって今マキナの声が……」
「あれは全部私です」
「え……」
するとエレナがマキナの声を真似をして喋り始めた。
「タクト……私ね……実は……マキナじゃありませんよ!」
その姿を見たタクトが呆然と立ち尽くす。
「何ですかその顔は? 少し揶揄ってやっただけですよ? まさか、こんなに上手くいくとは私も思いませんでしたけど」
「そうだよな……へ、へへ、そんなことある訳ないよな。へへへ……」
魂の抜けたようにタクトがその場にしゃがみ込み、人差し指の先で床を突く。
「何ですか! どんだけ落ち込んでるんですか! さっさと行きますよ!」
エレナが強引にタクトを部屋から連れ出し夕食へ向かう。
食堂に着くとオリヴィアとマキナが既に準備を終えて二人を待っていた。昨晩と同様、四人が巨大な長方形のテーブルの端に並んだ。お嬢様と魔法使いとジャージ姿の男に加え謎の美少女が加わり何やらますます面白い絵面になっている。
「それでは、いただきますの」
三人が食事を食べ始める中、タクトの手だけが止まっている。隣に座っていたマキナがすぐにその異変に気付いた。
「タクト? どうしたの? 具合でも悪いの?」
「やっぱり、本物のマキナは違うな……」
「え? ちょっと何を言ってるか分からないんだけど?」
「タクトの代わりに私が答えてあげましょうか?」
エレナが横から口を挟む。
「実はさっきですね、タクトの部屋の前で……」
「あぁー! 何でもないんだよ! 全然元気! さぁ食べようぜ!」
エレナの声を遮るようにタクトが大声を上げ、勢いよく夕食を口に運ぶ。
「なら、いいんだけど……そう言えば、三人はどういう関係なの? 親戚か何か?」
ゴホッ!
マキナの急な質問にタクトが噎せる。
「ご、ごめんなさい! 大丈夫?」
「だ、大丈夫だ……」
「それは私がお答えしますわ」
マキナの質問に対しオリヴィアが答えた。
「エレナは私の家族ですの」
「そうです! 私とオリヴィアは血よりも固い絆で結ばれた家族です!」
「タクトは……」
そう言うとオリヴィアの言葉が詰まる。
「タクトは……私たちの何なんですの?」
オリヴィアがタクトの顔を見て尋ねる。
「いや、俺に聞くなよ!」
「奴隷じゃないですか?」
またしてもエレナが口を挟む。
「エレナは黙ってろ!」
「そうでしたわ! タクトは私たちの奴隷でしたの!」
「いつから俺がお前らの奴隷になったんだよ!」
「ふふ……ふはは……」
三人の様子を見ていたマキナが急にクスクスと笑い始めた。
「何だよマキナまで!」
「だってあんまりにも仲良しだから……」
「私たちとタクトのどこが仲良しと言うんですか!」
エレナが立ち上がり聞き返す。
「だってあなたたちって三人で話をしてる時いつの間なか笑顔になってるじゃない? 私そういうのに憧れるな……」
「何を言ってますの? マキナももう私たちの仲間ですわ」
オリヴィアが笑顔で答えた。
「え、私も……」
「オリヴィアの言う通りだ。マキナだってもう俺たちの立派な仲間だろ?」
「そうですね! 今日からは同じ釜の飯を食べた仲間です!」
三人から視線を向けられたマキナはどこか恥ずかしいそうに、そしてこれ以上にない満面の笑みを見せた。
四人の楽しげな笑い声が食堂に響き渡る。それからしばらくして食事後の皿洗い終えたタクトはその足で真っ直ぐに自室に戻った。
昨日より何となく……この世界について分かってきた気がしていた。
「明日も朝から仕事を頼まれたし、どうせ買い物には付き合わせられるし、イロハのこともさっさと見つけないとな……」
明かり消してタクトが就寝する。
あれ? 俺ってば現実にいた頃より何か充実した生活送ってね? まっいいか……。
――次の日の早朝。
「うぅ……うぅ……はぁ……」
――苦しい。
「はっ!」
妙な息苦しさに魘されながらタクトが目を覚ました。目を開く。すると次の瞬間、恐怖で全身が硬直する。
「な、何やってるんだよ……オリヴィア……」
「あら? 確か私に起こしに来るように言ったのはタクトじゃありませんでしたの?」
「そうじゃなくて……これ何だよ……」
ベッドの上で仰向けに寝ていたタクトの体を跨ぐようにしてオリヴィアがタクトの上に座っている。それだけではない。オリヴィアがタクトの枕元に左手をつきながら前傾姿勢で右手に持ったナイフの刃先をタクトの左眼球擦れ擦れに突き付けていた。それを見たタクトの額に汗が滲む。恐怖の余りか瞬きすらできない。
「声をかけただけでは起きなかったもので、折角ですからこのまま永眠させてあげようかと思いましたの? 残念ですわもう少しで楽になれましたのに……」
オリヴィアがゆっくりと上体を起こしてタクトから離れる。
エレナが昨日の朝言ってたことはこのことだったのか。危ねえ危ねえもう少しで失明どころの話じゃなくなるとこだった。トラウマのレベルじゃねぇぞ……。
「オリヴィアさん……俺明日から一人で起きるから……」
「ええ、そうしてもらえるとこちらも助かりますわ」
ベッドから降りたオリヴィアがドレスのスカートを捲り中にナイフをしまった。
えっ! そんな所にナイフを隠し持ってたの! おいおい殺し屋か何かですか?
「タクト、何を見てますの? さっさと顔を洗って来たらどうですの? もうすぐ朝食の準備ができますわ。今朝は早速マキナも手伝ってくれて大助かりですの」
「マキナが……」
「今頃張り切ってエレナと朝食を作ってますわ」
今朝の朝食はマキナの手料理か……テンション上がるぜ!
オリヴィアが部屋を出て行くのを確認するとタクトが慌てて洗面所に駆ける。
食堂に着くとエレナとマキナが丁度朝食を並べ終えて席に着いていた。そこへ程なくしてオリヴィアが来るといつものように四人が食事を始める。
「タクト、今朝はね私も朝食作りを手伝ってみたの。たくさん作ったから食べて食べて」
マキナがはにかみながらタクトに料理を勧める。出された料理を見るとパン以外は何やら異形な見た目をしている。紫色をしたスープに入った野菜と思しきものの大きさは大小様々で、真っ黒く焦げた卵料理らしき物まで見える。
「今日の朝食はマキナが殆ど一人で作ってくれましたからね。タクトも残さずに食べてください」
そう言って黒い何かを口に入れたエレナの顔が一瞬にして真っ青に変わった。その向こうではオリヴィアがテーブルに突っ伏している。
こ、これがマキナの手料理なのか? だとしたら本当の意味で不味いことになった……いや、まだ不味いと決まった訳じゃない。でも、あの食い意地の張ったエレナですら一口で手を止めたんだぞ? オリヴィアに至ってはさっきからピクリともしない。あの様子だと絶対ヤバいって早く何とかしてオリヴィアを助けた方が……。
「タクトはどうしてさっきから一口も食べてくれないの……やっぱり私が作った料理は嫌? 私今まで料理なんて作ったことがなかったからエレナに教えてもらって頑張ってみたんだけど……」
マキナが下を向いて手を押さえた。タクトがマキナの手に目を向けると両手の至る所に何枚もの絆創膏が貼られている。指先の絆創膏には赤く血が滲んでいた。
マキナは彼程綺麗だった手をこんな傷だらけになるまでして朝食を作ってくれたのか……でもどうして……。
その時、タクトの頭の中で昨晩のマキナの言葉が蘇る。
――私そういうのに憧れるな……。
そうか! そうだったんだ! マキナは俺たちのために、仲間のために何か自分に出来ることがないか考えて、それで朝食を……。
覚悟を決めたタクトが拳を握り締める。
「あぁー! 腹減り過ぎてぼーッとしてた! マキナの作ってくれた朝食美味そうだな! いっただきまーす!」
「タクト……」
その声を聞いたマキナが顔を上げた。
一度、唾を飲むと勢い良くタクトが朝食を口に頬張る。それを隣で見ていたエレナが信じられないものを見るような目をタクトに向けた。涙目になるのを堪えながらタクトが最後の一口を飲み込んだ。
「う、美味かったよ……マキナ……」
「本当? よかった! まだまだおかわりならあるから!」
「え……」
マキナが新しく皿に盛られた料理をタクトの前に置いた。
「お、おう、ありがとう……」
目眩がする……手が震える……でも、この程度でマキナに悲しい思いをさせたくない!
「タクトがそこまで喜んで食べてくれるなら、また今度作ってあげるね」
「はは……それは楽しみだな……」