9 いざ旅立ちの時
やっとこ旅立ちました。
結局、最初に出会った女の子は、妄想の中でしか丸裸にできなかったなぁ……。
「はぁ、また一人、か……」
馬車の荷台。そこに積まれた草束の上に寝そべり、僕はそんな呟きを漏らした。
「一人じゃねぇべさ。オラもいるっぺ」
馬車の御者台の方向から、そんな声が聞こえた。
その声は、この馬車に載せられた積み荷を街へと運ぶ商人のものだ。
彼は、アリーシャちゃんと別れた僕を、街まで送ってくれることになった気のいいおっちゃんだった。
「ああ、ゴメンなさい。すっげー助かってます!」
けどね、おっちゃん。美少女と別れた後の童貞の心の傷は、おっちゃん一人ではふさぎきれないんだよ。
僕の心にはね、今も隙間風がピューピューなのさ。
そんなことを思いながら、もはや“クセ”になってしまった鼻歌を歌う。
それから僕は、その視線を青空へと向けた。
ああ、アリーシャちゃんの縞パンを思い起こさせるような、気持ちのいい空だなぁ……。
◇ ◇ ◇
「唐突だけど、僕はカルドラ国の王都に行こうと思う」
完全変形ミストルティンロボ事件が終わった後のことだ。
僕は、いまだに顔を赤くしたままのアリーシャちゃんに向けてそう言った。
僕がカルドラの王都を目指す理由はただ一つ。
この『XXX』というゲームのスタート地点が、その王都であったからだ。
一筋縄ではいかない難易度を誇るこのゲーム。脆弱な僕がそんな世界を生き抜くためには“未来予知”にも等しい“情報”が必要になってくるだろう。
そして幸いにも、僕はその情報を持っている。
ストーリー。あるいはシナリオ。あるいは――
――神の見えざる手。この世界の大きな流れを決定づける歴史の本流。
それを“知っている”ということは、僕にとっての大きなアドバンテージとなる。
ただし、それを最大限に活用しようと思ったら、ゲームの中で主人公が辿った道の近くを歩むようにしなければならない。……おそらくね。
このゲームのストーリーは、基本的に主人公の目を介して語られていた。よって当然ながら、それを眺めていた僕も、基本的には主人公周りで起きたイベントしか、詳細を知ることができていない。
いや、もちろんそれ以外の情報もあるにはある。『XXX』設定資料集の中には、この世界の歴史年表が記載されていたし、ゲーム本編の中でだって、時に視点が移り変わることで、主人公から遠く離れた場所の物語が語られることはあった。
ただ、それはとても断片的なものであり、細かい事件のあらましや、因果関係の詳細もはっきりしない部分がある。(たぶん)超絶よわっちぃ今の僕には、その情報を使いこなすことが難しいはず――
「――っていうか、大事なこと忘れてた! アリーシャちゃん!」
「ふぁいっ!?」
ふぁいって、なんだよふぁいって……。アリーシャちゃんは、ミストルティンロボ事件からまだ立ち直れていないのか。
あんまり恥ずかしがられていると、こっちまでまた恥ずかしくなってくる。
いやまあ、アイドルが無垢な心を持ち続けているというのは、賞賛すべき事柄なのかもしれないけどさ。
「今って聖歴何年?」
駄女神アイドルのピュアな精神をフォローするのは後に回して、僕は真剣な顔でそう尋ねる。
これは今後の行動方針を決定するうえで、最も大事なファクターとなるからだ。
本来なら、最初に確認しておかなければならないことだった。
「えっと~、聖歴1453年だよ☆ ちなみに三月の一日♪」
「1453年!? あっぶね、やっぱり年代がずれてんじゃん!」
「ずれて……?」
聖歴1453年の三月。それはゲームの主人公が王都へと旅立つ日の、ほぼ一年前だ。
彼の父親はカルドラ王国の国防を担う騎士爵に叙せられており、他国との国境となる山脈の近くに、その領地を与えられていた。
主人公はこの年のある日、彼の家に秘密裏に受け継がれてきたエックス・エクス・クロスを、父親から受け継ぐことになる。
そして彼は明くる年の雪解けの季節を待って、その領地から旅立つのだ。
「てことは、イベント的に……」
僕は考えを少し改める。プレイしてきたゲームと、それが現実になった世界との間に、時間軸のギャップが生じているのだ。
カルドラの王都へ向かう以外の選択肢も、僕は考えなければいけない。
「1453年に起きた重大事件っていえば――東ロンバルド帝国の崩壊、それによる魔族の台頭。教皇カリスタリテ三世の暗殺事件も、だな。外伝・偽りの聖女のストーリーが始まったのは、確かこの年の九月だし。……待てよ、ヴェナレスカの武闘王が一躍有名になったのは……」
やばい。さすがは重厚なストーリーが売りの一つであっただけはある。主人公不在のこの時期にも、歴史的に大きな事件は山ほど起こっているのだ。
~~♪ ~~~~♪
あ、なんだ? うるさいな……と思ったら、それは自分が奏でるハミングの音だった。
しかもそれは、記念すべきアリーシャちゃんの初ライブの曲だ。
くっそ。二時間も延々おんなじ曲を聞かされてたからか。
初のライブならセットリストくらいちゃんと作っておけってんだ。
一曲のみで二時間って、そりゃライブの名を借りた拷問だろが。
「ね~、ね~、秋人クン♪」
「ごめん、ちょっと黙ってて」
「あう☆」
話しかけてくるウザ系アイドル女神を袖にしてから、僕はさらに深く思考の海に溶け込んでいく。
……………………。~~♪ ~~~~♪
はっ! またもや無意識にあの曲を口ずさんでいる。
なにコレ? 呪い?
「エヘヘ☆ ヘヘヘヘ❤」
うわ、なんだ? 気持ち悪い。
いつの間にか僕のそばで、アリーシャちゃんが薄気味の悪い笑みを浮かべていた。
美少女の「えへへ❤」は、もっとなんかさぁ、こう胸がトキメクものだと思っていたのに……。いざ聞いてみると、アレだな、結構気持ち悪いものなんだな。
まあいいや、こんなことに思索の時間を費やすわけにはいかない。
僕は再び、思考の海へとその身を沈めた。
非力な僕は、持てる情報を最大限に活用して事にあたらなければならない。まずはこの世界での基盤を得るためにも“あのイベント”は有効に活用すべきだろう。
その詳細はゲーム本編では語られないものの、幸いにもそれは“結果”だけが分かっていればいい話だ。
「それまでに、ある程度の資金を稼いで……となるとやっぱり冒険者ギルドで稼ぐのが得策か? できれば歴史に干渉したくないと思っていたけど、あの頑張り屋さんの女の子も救いたいし……」
んんんんん……よし、決めた!
「アリーシャちゃん!」
「ふぁいっ!?」
ふぁいって、なんだよふぁいって……。ああ、今度はお菓子を口いっぱいに頬張ってたのね。どっから出したの? その大量のクッキー。魔法鞄から?
「やっぱり予定変更だ。僕はヴェナレスカ共和国の首都、海上都市ヴェナスに向かいたいと思う」
「うぇなうぇふは~?」
あー、あー、もう。クッキーぽろぽろ落としちゃって。
森のリスさん達が、文字通りの“おこぼれ”にあずかっているじゃない。なに? 慈愛の女神ってのは、そうやって信仰を集めているわけ?
「もぐもぐ……んっく。ヴェナレスカ共和国だったら~、この神樹の森を西側に抜けてアダールの街までいくでしょ♪ それで~、そこから船に乗るのが一番☆ 秋人クンが良ければ~、森の端までなら送ってあげるよ❤」
あ、それはどうも――って、アリーシャちゃんはついて来てくれないのか。
「ん? ど~したの♪ さびし~みたいな顔しちゃって☆」
アリーシャちゃんはそう言って、にやにやした顔で僕を見てくる。
たしかにがっかりはしたけれど、僕はそんなに寂しそうな顔をしているのだろうか?
いや、実際に寂しく思っているのだろう。短い間ではあったけど、愛すべき『XXX』のキャラに会えて、僕は本当に嬉しかったのだ。
ゲームの主人公に対してはそうであったから、僕はてっきりアリーシャちゃんが仲間になってくれるものだと思っていた。
しかしそれは大きな勘違いだったと気付いたのだ。だって僕が、ここでアリーシャちゃんをこの神樹の森から連れ去ってしまったら、ゲームのストーリーを大きく変えてしまう。
おそらくは神の見えざる手が、そのような歴史の改変を許さないのだろう。
彼女は今から約三年の後に、ゲームの主人公との出会いを果たすのだ。
――僕のような偽物ではない、真の主人公に、だ。
「アリーシャちゃんてば、いまライブ用の衣装を創造るから~♪ それが完成するまではこの場を離れられないの☆ なんとか一年で作り上げて~、そしたら秋人クンと一緒に旅してあげるね❤」
はい? それじゃあストーリーが改変されて……。え? 神の見えざる手は?
柄でもなくシリアスな感傷に浸っていた僕を、アリーシャちゃんの爆弾発言が、無理矢理に現実に引き戻した。
「それに~♪ 私のエクス・クロスは秋人クンに上げちゃったから~❤ たぶん足手まといになっちゃう☆ 神器が無くっちゃ、アリーシャちゃんも女神様とか呼ばれるだけの力も出ないし♪ だから一年後までには~、アリーシャちゃんが楽に世界一のアイドルになれるような、立派なプロダクションを起ち上げておいてねっ❤ キャハッ☆」
え? 僕が貰ったのって、アリーシャちゃんのエックス・エクス・クロスだったの? それじゃあ主人公とのバトル――衣服破壊のイベント戦闘が成立しなくなっちゃうじゃん。
あれ? 僕ってば。図らずとも、もう歴史を改変しちゃったの?
「ごめんね、秋人クン」
混乱する僕をよそに、アリーシャちゃんはいきなり真面目な顔になって近づいてくる。
先刻のように、彼女のその豊満な胸が僕に触れ、そして――
――コツンと、可愛らしい音を奏でながら。彼女の額が、僕のそれに軽く触れた。
「私のせいで、秋人クンをこの世界に呼んじゃってゴメンね。秋人クンがいた世界のことは良く知らないけど、たぶん、ここよりもっと平和な世界だったんだよね」
アリーシャちゃんは、僕の胸に手を当てながらそう言う。
僕の薄い胸板は、お世辞にも筋肉質であるとは言えない。彼女が、僕のいた世界のことを平和なものだと予想したのは、たぶんそのせいだ。
「でもね。この世界にも綺麗なものがいっぱいあるの。美しいものがいっぱい、いっぱ~いあるの」
知ってるよ。知ってる。そんなことは、もちろん知ってる。
このエックス・エクス・クロスというゲームの世界は、醜くも美しく、苛烈でありながら優しい。そんな世界だってことを、僕は知ってる。
だからこそ僕は、このゲームを愛していたんだ。
家に帰ろう。
そしてこの素晴らしいゲームを、目一杯プレイしてやるんだ。
絶対に家に帰る方法を、僕は見つけ出してみせる。
だけど……その家路の道すがらで……
それはそれは、とても恐ろしくもあるのだけれど……僕は……
「秋人クンが、そんな綺麗なものをいっぱい見られるように。――神樹アルシャナの守護者が、あなたに加護を与えます」
アリーシャちゃんはそう言って、僕の唇に自分のそれをくっつける。
触れ合う胸は互いに高鳴り、次第にその心音はユニゾンを奏で始め、そして――
◇ ◇ ◇
そして僕は、その後彼女に森の端まで送ってもらい、街道に出た。
アリーシャちゃんの加護のおかげか、そこで僕は運良く旅の商人と出会うことができたのだ。
「にーちゃんよー、あれがアダールの街だでや」
おっちゃんが言う方向に視線を向けた。
遥か道の先には、たしかに街のようなものが見えている。
ゲームの世界では俯瞰することしか出来なかったそれは、近付くにつれて、かつてない臨場感をもって僕の目に飛び込んできた。
恐ろしいほどのリアル。
この世界には、そんなリアルが数多に存在する。
もちろん、生も死もが、リアルな世界なんだ。
それはそれは、とても恐ろしくはあるのだけれど……。
僕は……それに立ち向かうことを決めた。
家路の道すがらで、僕はこのリアルなゲームの世界を、目一杯楽しむことに決めたのだ。
アラゴン王国の西端に位置する海洋交易都市――アダール。
この世界を生き抜き、いつかは家に帰るための僕の旅が、今、この場所から始まる。
これでギルドとかギルドみたいなテンプレ的展開に入れる。
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