8
鋼一自慢の猟犬部隊が健吾の拠点をターゲットに定めて規律正しく前進していく。とはいえ規律正しいのはあくまで少年達だけでリードに繋がれた犬はそうでもない。犬種が様々なら大きさも性格も様々であった。到底歩調を合わせて綺麗に歩くのは無理なのだ。
しかしそんなことはお構いなく、猟犬部隊のリーダー春日部は全員を統率しているという自負からか、もたつく犬や休憩しようとする犬には目もくれず目的地へと進んでいく。そんな春日部の行動に部隊のメンバー内で不満に思う者が出てくるのも当然であった。
そんな内面の不和を抱えたまま猟犬部隊が健吾の拠点へと到着する。
「うん?」
正確には健吾の拠点が見えてきたところで猟犬部隊を待ち構える相手が立ち塞がっていた。
「全隊止まれ!」
全員に響き渡る声で命令を出し、そして目の前に居る邪魔者と改めて視線を交わす。
妨害者は健吾チームの秀一だった。
相手の小柄な体格を見て内面の器を矜持で満たしたのち、春日部は侮蔑の視線を隠そうともせず言い放つ。
「まさかとは思うがお前一人か?」
「……だったらなんです」
「話にならないな。怪我する前にそこを退けよ」
「その必要はありません」
ピシャリと断じた物言いに春日部の眉がピクッと動く。
「あん?」
「貴方たちは僕達のフラッグには辿り着けません」
冗談だろ、と春日部は鼻で笑う。
「お前何か勘違いしてるみたいだから言っといてやる。俺達が最初にここを叩かなかったのは単にこの拠点が他よりも遠くに設置してあったからだ。最初に周囲を削ってから最後に“一番楽な”この拠点を墜とす。誰でもそう思う」
「…………」
「なんせ、この拠点ときたら高い壁も無ければ深い塀もない。ただ縦横無尽に張り巡らされた網で囲んでるだけだ。こんな仕掛け、時間さえ掛ければ誰でも突破できるんだよ」
春日部が言うように、健吾の作った拠点は優希のような防御を売りにした作りでも、鋼一のような迷路を売りにした作りでもない。ただあらゆる角度と方向から巨大なネットを幾重にも重ねた代物だった。
「こんなもの拠点とは呼べない。欠陥建築だ」
隊を前に出す。
「すぐに教えてやる。こんなもの用意したところで無駄だってことを」
そして号令を掛けた。
「全隊突撃!」
春日部の大声に反応して少年達は一斉に駆け出す。それは犬も同じことで息を切らしながら我先に前へ進もうとしている。
隊全員が動いたことを確認しながら秀一は、ふっ、と小さな笑みを溢す。
春日部は秀一の笑みに違和感を覚えたところで、しかしもう遅い。
突如、足下が突き抜けてゆくような錯覚に襲われる。
「また落とし穴か!?」
二度の経験から春日部はそう判断した。
確かに穴は空いていた。それも隊全員を呑み込むぐらい大きな規模のやつ。しかしそれは真っ逆さまに落ちるためのものではない。
穴の真下には大きなネットが敷かれていた。犬共々猟犬部隊が全員仲良くネットへと雪崩れ込む。この巨大な穴は落下の衝撃を逃がすための穴だった。それだけではなく、ネットの下部が空洞になることによってより抜け出しにくい作りとなっている。現に猟犬部隊の面々は脱出しようと必死だが上手く起き上がることができる者は誰一人いない。
「くっそー!」
悔しそうな面構えで春日部が秀一を睨みつける。
「へえ。まだ抵抗の意志があるみたいですね。よかった。こっちもまだ終わりではありません」
そう言って秀一が右手を挙げると、どこに隠れていたのか陸と翔が現れる。
「ステルスモード解除!」
「解除!」
そして二人は息の合った動きによって猟犬部隊の上に新たな巨大ネットを被せてしまった。
「いっちょ上がり!」
「気分はどう? まるで蜘蛛の巣の中だろ」
きししっと悪戯っぽい笑みを浮かべる双子の兄弟。
敵勢力が完全に沈黙したことを確認して秀一がトランシーバーを手に取る。そしてすぐに報告した。
「こちら秀一。作戦成功、目標を完全に捕らえました」
すると、秀一のトランシーバーから喝采が聞こえてくる。仲間の喜ぶ声を聞きながら、秀一は春日部へと向き直った。
「さきほどあなたはこの拠点を欠陥建築だと仰いましたが、そもそも建築でもなければ欠陥でもありません。この拠点は謂わば虚像拠点です。そして、後回しになるようにわざと遠くで作りましたし、時間を掛ければ誰でも突破できるように作ったのもわざとです。
あなたは最初から僕達の掌にいたんです」
それだけ伝えてからまたすぐに仲間達へと視線を移した。
「こちら勇一郎。Mチーム拠点に動きあり!」
防衛成功の報告を受けてすぐ、勇一郎からこんな報告が飛び込んできた。どうやらそんなに喜んでいられる時間もないらしい。
「こちら悠人。勇一郎、そっちはどうなっている?」
「こちら勇一郎。Mチームの拠点が動いている」
動いている?
「こちら悠人。勇一郎、詳しく説明してくれ」
「こちら勇一郎。Mチームの拠点をずっと見張っていたんだが、あいつら拠点の周りに集まって何かやっていると思ったら拠点を後ろから押していた。そうしたら拠点が動き始めたんだ。ここからだとよく見えないけど、あの拠点車輪か何かついているんだ」
「こちら悠人。状況を理解した。勇一郎、Mチームの拠点はどこに向かっている?」
「こちら勇一郎。方向から察するにYチームの拠点だと推測される」
なるほど、と悠人は理解する。さっきYチームにやられたお返しにMチームは拠点そのものをぶつけにいくつもりなのだろう。まさに玉砕覚悟というやつだ。
「こちら悠人。幸太、Yチームは今どうなっている?」
「こちら幸太。暢気なものだよ。完全に暇を持て余してる。多分責められることなんて考えていない」
ふむ、と悠人が頷く。しかし、その移動するという拠点、何かに使えないだろうか?
少し考えたところで閃いた。
「こちら悠人。陸と翔、Kチームの犬を出来るだけ連れてきてくれないか?」
「こちら陸と翔。いいけど何するの?」
「こちら悠人。陸と翔の他に勇一郎と幸太も集まって欲しい」
そして決断するために少し間を空けた。
「これより、Mチーム拠点乗っ取り作戦を開始する」
健吾チームの面々が次の作戦に向けて意気込みを見せてから十分ほど経った後。Mチームの大将、道彦の甥である秋人は拠点を率いてYチームへと向かっていた。MチームとYチームの間にはそこそこの距離があるため、ギリギリ近づくまでは歩いていくことにしていた。
そんな中、正面に二人の人影が現れる。
その姿を認めて秋人はすぐに命令を下した。
「敵だ! 敵がいるぞ! 犬を連れている。六匹だ!」
秋人の命令に他のメンバーが即座に反応する。一人が拠点の上に乗りフラッグを守ろうとする。秋人は二人の敵影を警戒して正面にくる。残りのメンバーも秋人のすぐ背後へと連なった。
二人の人影、陸と翔はそれぞれ三匹ずつ計六匹の犬を引き連れていた。この六匹は言うまでも無くKチームの犬達である。
「攻撃準備!」
秋人の合図で他のメンバーがバッグから水風船を取り出す。
「攻撃開始!」
そして取り出した水風船を次々と投げつけた。
陸と翔は迫り来る水爆弾の雨を難なく避けると、両サイドからそれぞれ拠点の背後へと回りこむ。まるで円を描くような綺麗な軌道にMチームの面々は一瞬対応が遅れた。そんなMチームを嘲笑うかのように陸と翔は拠点の背後をグルグルと回っている。
慌てて秋人とMチームの面々が拠点の背後へと走り出す。それぞれ水風船を手に取りながら規則もへったくれもない物量作戦が始まった。
そうやって誰も居なくなった正面に新たな人影が三名追加される。地面に伏して低い草に隠れてMチームの視界を何とかやり過ごした三名、悠人、幸太、勇一郎は音を立てることなく静かに拠点の正面へと歩いていく。
「これが移動する拠点か。本当だ。車輪が取り付けられている」
「凝ってるよなー。差し詰め移動要塞ってところか」
「静かに。それよりも急ぐぞ」
悠人の一声で幸太と勇一郎が頷く。
素早くロープを取り出すと、それを拠点の正面に三箇所括りつけ始めた。
秋人が違和感に気付き始めたのはそんなときだった。何かおかしい。敵の双子は犬を引き連れて逃げ回っているだけで何もしてこない。一体どういうことだろうか。
何か見落としているような気がして秋人は正面へと振り返る。
そこにはいつの間に出現したのか三名の敵が居た。
「そいつらはただの囮だ! 正面に戻れ!」
秋人の号令が轟いたタイミングで三人はロープを括り終えていた。
「おっと見つかったか」
だが既に時晩し。
ロープを張った三人が同時に力を込めて拠点を動かし始める。
「やらせるな! こっちの方が数は多い!」
Mチームが拠点の背後にしがみ付こうというところ、
「させないよんっ」
軽快な動きと共に陸と翔が背後へと躍り出た。それぞれ犬を三匹ずつ計六匹も引き連れているためMチームの面々は迂闊に近づくことができない。
そうやって徐々にMチームを拠点から遠ざけさせていたが一つ問題があった。
「おい、上のやつどうにかできないか!」
勇一郎が叫ぶが、拠点の上でフラッグ守るためにしがみ付いているMチームの少年は全く動こうとしない。
「任せろ!」
と幸太が申し出る。
「陸、バッグの中身を寄越せ!」
すると陸は近くに置いてあったバッグそのものを幸太へと投げた。幸太はそれを衝撃を逃がすように、ふわりとキャッチする。そして中に入っている水風船を手にして、拠点上に居座る少年へと投げつけた。
幸太の命中精度は凄まじく、どんな球でも少年へと引き寄せられていく。緩急をつけ変化をつけ軌道を変え襲い掛かる水風船に、上の少年はずぶ濡れになりながら耐えていたが、流石に我慢できなくなったのか拠点を捨てて飛び降りてしまった。
「さすが野球少年」
悠人が幸太を褒め称えると、勇一郎とタイミングを合わせて思い切り拠点を引っ張る。人一人分の体重がなくなった拠点は簡単に動いた。徐々にスピードを上げてMチームを引き離していく。それでも喰らいつこうとするMチームの少年達に、幸太がついでとばかりにバッグの中身を全部投げつける。流石に距離があるためか全球命中とはいかなかったが、Mチームの少年達も濡れるのは嫌なのか水風船が手前に落とされると身を引いていた。そこへ陸と翔が一匹ずつ犬を放す。放された犬は身を引いた少年達へと飛び掛っていく。そこで何人かの少年達は逃げ出してしまった。
「待て。逃げるな! 立ち向かえ!」
威勢の良い声を張り上げる秋人に向かって駄目押しとばかりに翔が犬をもう一匹放つ。大型犬に飛び掛られた秋人は流石に参ったように地面に倒れてしまった。
その隙を突いて悠人、幸太、勇一郎の三人が一斉に拠点を引っ張る。勢いに乗った拠点は自らを作り上げたMチームを大きく引き離していく。まだ諦めきれないのかMチームの二、三人の少年達が遠くから水爆弾を投げていたが、やがてはそれも止まった。
Mチームを大きく引き離しながら五人は戦果を確認してニンマリ笑う。
フラッグと拠点の奪還。
「やったな」と勇一郎が笑う。
「ああ」と悠人も笑顔で返す。
Kチームは実質的に戦闘不能、Mチームももう追ってこられないだろう。そうなるとフラッグを先に奪取した自分のチームが一番勝利に近い位置にいるということだ。
五人がそれぞれ勝利の味を噛み締めていると、突如トランシーバーが鳴った。
秀一だ。作戦成功を知らせてやらないとな、と悠人はトランシーバーに耳を傾ける。しかし、悠人の耳に届いたのは意外な報告だった。
「こちら秀一。みんな聞こえますか?」
「こちら悠人。聞こえている。皆も一緒だ」
それで作戦が成功したことが伝わるだろうと思っていた悠人だった。が、しかし、
「こちら秀一。皆聞いてください。大変なことになりました」
秀一の動揺したような報告にメンバーが、えっ、と声を出す。
「こちら勇一郎。秀一、一体何があった?」
「こちら秀一。現在、我々の拠点にYチームが攻め込もうとしています。全員鋏を持っています。チームを率いているのはYチームの夏子です」
やられた、と悠人が頭を抱える。
夏子は以前偵察に来ていた。そのときからこっちのチームの対策を練っていたのだろう。
「鋏か。確かにそれなら簡単に網を切り破られるわな」と幸太が口に出す。
「このままでは大戦終了時刻までにフラッグを取られてしまいます」
「戦いが終わるまで後どれぐらいある?」
「十分というところです。悠人、速やかな決断をお願いします」