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大学の夏休みを利用して帰省した田上健吾の元に一通の手紙が届いたのは実家に帰った二日目のことだった。
「なんだこれ?」
手紙を読んだ最初の一言がそれだ。健吾は怪訝な顔でその手紙を読み返す。
内容にはこう記載してあった。
“第一回拠点製作大会のお知らせ。内容、平地における模擬戦を想定した拠点の運用について貴殿の能力をお借りしたい。八月三日十三時、拠点一にて待つ。シークレットベース運営委員会より”
はっきり言って書いてある内容はちんぷんかんぷんだが、知っている単語が少しばかり目についた。
“拠点一”。これは子供の頃皆でつけた集合地点のことだ。遊ぶ際は決まってこの“拠点一”に集まっていた。
ということはこの手紙を送ったのは幼馴染の誰かだろうか、と健吾はおおよその当たりをつける。
誰がなんのために? そもそも第一回拠点製作大会ってなんのことだ?
「そもそも八月三日って明日じゃねーか」
手紙の主は随分早急だった。
その性格を鑑みるにこの手紙を送ったのは道彦か。いやだがこんな回りくどいことをする奴じゃないことを知っている。
ますます訳が分からず健吾は一つの結論に至った。
「とりあえず明日行ってみるか」
翌日。八月三日十二時。
“拠点一”へ行くのに大した時間は掛からないが、そこへ行く前に寄るところがあったため健吾は早めに家を出た。
周りの風景を見ながらこの辺りは昔と変わらないな、とどこか懐かしい気分で道を行く。
歩くこと十分。目的地へ到着した頃、なにやら騒がしいことになっていた。
「お、やってるな」
見ると、大の男一人に対し三人の子供が勇敢に戦っている。
「ふはははっ! これで終わりか!」
「いや、まだだっ! まだ終わっていない!」
「愚かな! この魔王に楯突くとはっ!」
「諦めないぞ! 絶対に倒してやるんだ!」
この自称魔王は健吾の幼馴染、朝比奈道彦であった。金髪に染め上げられた髪が痛々しくて馬鹿っぽい。決して魔王に相応しい人材ではない、と健吾は思う。
「あれ? 健吾、いつの間に来たんだ?」
「お前が魔王やってる間に、だよ。この子達は?」
「ああ。俺の甥っ子と姪っ子達。兄貴んとこの子と姉貴んとこの子」
道彦の紹介を受けて子供達が緊張気味にぺこっと頭を下げる。
そういえば道彦は末っ子で上に年の離れた兄と姉が居たな、などと思案した。
「へえ。立派に叔父さん努めてるのか」
「いやいや。子供の遊びに仕方なく付き合ってるのさ」
しかしながら結構ノリノリに見えたのだが、とそんなことは口に出さずに別の用事を告げる。
「ところで、俺の家にこんな手紙が来たんだが、道彦のとこにも来たか?」
言いつつ手紙を広げて道彦に見せる。
「あー。それ来たわ。何だろうな拠点製作って」
やはり手紙は自分以外にも来ていたのか、と健吾は思う。
「これを出したやつは俺達に何をやらせたいんだ」
「言葉通りの拠点製作じゃないのか?」
「その拠点っていうのがよく分からないんだ。秘密基地とは違うのか」
「秘密基地! 懐かしいな。俺達が作った秘密基地まだあるのかな」
道彦の言葉を受けて懐かしい記憶が蘇る。
山の大木の上に作ったログハウス風の秘密基地。あれは子供の頃皆で作った大作だった。製作に約半年、子供達だけでは手の届かない箇所は近所の兄ちゃん達に手伝ってもらった。ちなみにその中には道彦の兄も居た。
その輝かしい記憶はそれでいいとして、
「これ、誰が出したか分かるか?」
「さあ? 検討もつかねーよ」
「拠点一ってあそこだろ。確か川沿いの」
「ああ。昔、台風きて洪水になった川な。今通れんのか。てか行くのか?」
「暇だからな。道彦どうする?」
「健吾が行くなら俺も行くよ。ここに居たら延々甥っ子達のおもちゃだし」
派手な金髪をかき上げながら、やれやれと道彦はポーズをとる。
その姿はすっかり田舎のヤンキーにしか見えない。昔は身体が小さかったからこんな風に成長するとは思ってもみなかった。人間っていうのは知らないところで変わっていくもんなんだな、と健吾はしみじみ思う。
道彦の家の前で甥っ子達と別れて、二人でダラダラと時間を掛けながら指定の場所へと向かう。
暑い空気を顔で受け止めながら、時折差し込む日陰と山の風が気持ちよく身体を透きぬけていく。その度に、ああここは田舎なんだ、と頭で実感していく。
「到着ーっと」
ゆったりした口調で道彦が告げる。
顔を上げるとそこには変わらぬ場所が――――いや長い間人の手が入っていなかったせいか大分変化している。拠点とかいうには稚拙な作りの小さなスペースだったけど、今では一体どこに人が座れるスペースがあったのだろうというぐらい緑が生い茂っている。最早ただの獣道だった。
「あんた達来たの?」
横から声を掛けられて二人して顔を向けた。
クールな口調だったから多分そうだろうと思ったけど、案の定そこに居たのは小野原優希だった。優希はブルーのTシャツに短めのスカートというラフな格好をしていた。女ではあるけど必要以上に着飾らないのが小野原優希という人間だ。
「よう優希。久しぶり」
軽い口調で道彦が声をかける。
「久しぶり。あんたちょっと変わったわね」
道彦の金髪を眺めながら優希はそう口に出した。
「優希はいつ来たんだ?」
「あんた等とそう変わらない時間からよ」
「この手紙見て来たのか?」
「そう」
ということは手紙を出したのは優希でもないのか。
「優希は相変わらずクールだよな」と道彦が言う。
「あんたは昔よりも馬鹿っぽいわね」と優希が応じた。
いや優希はクールなのではなく、冷静という仮面を被っているに過ぎない。元々の感情的な性格を隠すために装っているのだ。尤も今ではそれが優希らしさを伴っているようだけど。でも今優希は少しイラついている。こいつの感情の吐露は言葉ではなく目つきの変化で行う。それは第三者にしか見えない部分だから本人が気付いているかどうか定かではないが。
「それよりこの手紙寄越したのは誰よ?」
「俺もそれを知りたくて来たんだ」
「いや決まっているだろ」
道彦の言葉に俺と優希が振り返る。
「俺達の中で事の発端はいつも龍平だっただろ。今回だって多分そうだ」
龍平。宮川龍平。
俺達のグループの中でリーダーのような存在の男。いつも明るく賑やかでみんなを引っ張っていくけれど、冷静な部分もあってみんなが危なくないか常に気を配っていた。
中学校に入って龍平の家が急な引越しをするまでよくみんなで集まって遊んでいたものだ。
懐かしい名前だ。
「龍平って……引っ越していった人間が今更どうしてみんなを集めるわけ?」
「さあ? でもこんなことをする人間の心当たりは龍平しかいない。元々この拠点だって龍平が言い出して作ったものだし」
確かに、行動力があって決断力があって提案力があって、みんなを引っ張りまわして反面みんなを笑顔にしてきたのはいつだって龍平だ。過去の経験を考えれば今回のことだって龍平がみんなを集めたのではないかと考えられなくはない。
でも過去は過去だ。人間がちょっとずつ変わっていくことを考えれば、龍平が昔とは変わっている可能性は充分に考えられる。
「俺も龍平が今になって戻ってきたとは考えにくい」
「じゃあ誰が呼んだんだ?」
「……」
結局ふりだしに戻るのか。
健吾が嘆息したその時、誰かが歩いてくるのが見えた。
遠目から見えるシルエットで一人の女性というのが分かる。短く整えられた髪は涼しそうだが、反面、通気性がなさそうなリクルートスーツの格好が実に暑苦しい。その女性の姿に見覚えは無い。見覚えは無い、が、どこかで会ったことがあるような違和感を健吾は覚えた。その違和感は女性が近づくにつれ、顔がはっきり見えるにつれ大きくなる。どこか見たことのある顔立ち。凛とした佇まいにはっきりした目鼻立ち。知り合いにこんな人間いただろうかと健吾は自分の記憶を探る。その思案に耽る一瞬、女性と目が合った。
あっ――。
記憶が一致する。頭の中のパズルが一瞬にして出来上がる。
「宮川鈴音」
宮川龍平の妹、宮川鈴音。
ピリリリッピリリリッ。気が付くと左腕のデジタル時計がアラーム音を響かせていた。昨夜、念のためにセットした時刻。時刻は十三時を告げていた。