第2章その3: 白と赤
無いはずの階段を降りた先には、同じような教室の前の廊下が続いていた。教室と反対側の窓があるはずの場所は、ただの壁になっている。教室が並んでいる先には、ガレキが山となって廊下を塞いでいた。
出られない。
1階に戻るしかないのか。
教室からは、1階と同じようなざわめきが聞こえる。覗いてみて、ぎょっとした。
子供がいる。
いやあたしだって子供に入るだろうけど、教室にいたのは、小学校高学年くらいの子供たちだった。そんな子たちが高校生の制服を着て、大き過ぎる椅子に座ったり、机に乗ったりしている。制服の袖は長すぎて引きずってたりするし、靴はサイズが合わなくてあちこちに投げ出されている。
もっと悪い事に、あたしの教室と同じように、みんなケガしている。体のあちこちが赤黒く汚れていて、手足が変な方向に曲がっている子がほとんどだ。
それでも、普通に喋ったり、遊んだりしている。
隣の教室も、同じなんだろうか。
あたしは子供たちに気付かれないように、静かに動いた。
赤黒く汚れていても、床っぽいところを踏む。雑巾とか、何かぬるぬるしてるところは通らない。ロッカーに手を付くときは、飛び出しているシャーペンとかに気をつける。
いつもの倍以上かけて、隣の教室に着いた。
がしゃん。
足元で、大きな音がした。
踏んでいるガレキが崩れて、落ちていたロッカーの扉が床にぶつかったのだ。
静かな廊下に、音が反響する。
教室のざわめきが、止まった。
恐る恐る教室を見る。
目が合った。
見開かれた大きな目。子供は目が大きいとかそういうレベルじゃなくて、明らかに目が飛び出してる。
その子が、笑った。
その表情は笑顔としか言えないんだけど、ただそういう形に筋肉を動かした、ってだけで嬉しいとか楽しいとか、そういう感情が読み取れない笑顔。
同じカタチをしているのに、意味が同じではない。そんな直感的な嫌悪感。
それも、見える子供たち全員が。
扉が開く音。通り過ぎた教室のドアが開いて、目の大き過ぎる子供たちが笑いながら飛び出してくる。
「〜〜っ!!」
悲鳴さえ上げられず、あたしは走り出した。
バケツを蹴飛ばして、本に滑りながら走る。子供たちはガレキが刺さっても、普通に引き抜いて追いかけてくる。声ひとつ上げない。
前は、ガレキの壁だ。
いや、よく見ると一ヶ所、ガレキがなくて向こう側が見えてる部分がある。
後ろからは赤い染みを増やしながら、子供たちが追いかけてくる。
迷ってる場合じゃない。あたしはガレキの山を登り始めた。
足場が悪い。力を入れたところは当然のように崩れるし、ごちゃごちゃした中にボールペンだとか尖ってるものが混ざってて、着いた膝や手に容赦なく刺さってくる。
それでも、体が大きい分足場が少なくて済むので、子供たちより速く進める。
子供たちは相変わらずの笑顔で、体から赤い液体をこぼしながら追いかけてくる。体に刺さったりする場所でも平気で上ってくるので、実質スピードはそこまで変わらないかもしれない。
ひた。
足になにか冷たく濡れたモノが触れた。
追い付かれた。
足を思いっきり振って、あたしは上を目指した。
背後でガレキを崩しながら落ちていく音がする。あははは、って笑い声が聞こえた。
それでも横に並んだ子供は追い払えていない。赤く濡れた手がジャージに触れる。
ガレキの上端をつかんだ。
子供の手が腰あたりのジャージを掴む。ものすごい力で引っ張られる。
ガレキに腕を掛ける。足場に力をかけて、跳ぶ。
ジャージが破れる音がした。
ガレキの山の反対側を滑り落ちる。
硬いものに何度かぶつかったけど、背中のザックがクッションになって、衝撃だけで済んだ。
床に落ちる。
転がって勢いを殺す。壁にぶつかって止まった。
キン、って軽い金属が落ちる音がした。
全身が痛い。あちこちぶつけたようだ。
それでも、私は飛び起きた。
周囲を見回す。
白い。
ガレキに覆われた廊下だ。
……人はいない。
笑い声も、ざわめきも、聞こえない。
ただ、ごちゃごちゃした廊下が続いているだけだ。
越えられないようなガレキの山はない。
ガレキの山は、ない。
「?!」
落ちてきたはずのガレキの山はなくなっていた。
あたりをよく見てみる。
教室の前に並んでいるロッカーも、窓もない。その代わり、ドアが両側に小刻みにあって、学校の名前が書いてある旗だとかプラカードが転がっている。
「ここ…部室棟だ」
全体的に白いことを除けば、むしろ馴染みがある場所だ。部室棟は小さな建物で、特殊教室棟と体育館の隣にある。
本来なら、教室棟からは一旦外に出ないと入れない建物だ。
「……どうなってるのよ」
呟いてみても、返事はない。
とりあえず、あの子供たちから逃げられたことは確かだ。それで良しとするしかない。ないはずの地下から、知ってる場所に出られたことだけでも良いことだ。
体はあちこちぶつけたみたいだけど、血が出たり、骨が折れてる感じはない。
見渡すと、小さなコインが落ちている。さっきの金属音はこれみたいだ。つるりとして、何も刻まれていない。
ーー学校の備品にこんなのなかったはずだけど?
とりあえずコインをポケットに入れる。
そうだ。女子バスケ部の部活なら、ロッカーにスポドリが入ってる。あそこなら休憩できるはずだ。
「よし」
あたしは軽く伸びをした。授業が終わって、部活に入る前に、いつもやるように。
少し、落ち着いた気がした。