第4章その3: 光芒
薄い膜のようなものを通り抜けるような感触があったその時、王笏が輝いた。
身体に光が満ちたような感覚だった。
唐突に視界が明るくなった。薄暗いは薄暗いけど、うろの中の闇とは違う。
柔らかい絨毯に降り立つ。結構な勢いで落ちてたはずだけど、着地は簡単だった。
光の王城に似た、というか、全く同じ構造の建物の謁見の間だ。ただ、照明の数が少なくて、薄暗い上に、配色が黒っぽい。
影の王城。
また開かない門と乱闘する苦労はすっ飛せたみたいだ。とりあえずラッキー。
闇が震えた。
蜃気楼のように揺らいだ影の中心に、彼はもう1度現れた。
「そんなに捕まりたいのか?」
「今度はそう簡単にやられないから。王様代行さん?」
「代行、ね……」
遠い上に暗くて、彼の表情は見えない。ただ、彼の側で影が触手のようにうごめいた。アレに捕まった動けなくなるとマズイ。
「すぐに代行じゃなくなる」
あたしが王笏に力を込めたのと、影の触手が飛び出してきたのはほぼ同時だった。王笏の力であたしの周りに光が満ちる。光に触れようとした影は、かき消えていく。
「成る程。光の加護か」
闇に溶けるように影の触手が消えていく。これならいける。
あたしの手の中で王笏が形を変える。光の剣に!
「影は光に照らされて消えろ!」
絨毯を蹴る足はびっくりする位軽い。距離を一気に詰めて、その勢いのまま剣を振り下ろす。
振り下ろした剣が代行を捉えたその瞬間、何かが弾けた。斬りかかった勢いのまま、あたしは後ろに弾き飛ばされた。視界が黒く塗りつぶされる。背中が床に打ち付けられる。
絨毯だった分マシ!あたしは跳ね起きた。視界は戻っている。
「光の女王か。……ふん、全てあいつの差し金だったわけだ」
影が、脈打った。
「光が影を消す?太陽の光でさえ、遮られれば影を生む。ましてや、夜の星程度のか細い光で影を消すと?」
嵐の中に放り込まれる。本物の嵐と違うのは、風が影だってことだ。渦巻き、吹き荒れる影は刃物みたいに痛い。
「光よ!」
剣を握り込む。身体に光が満ちて、防護壁になる。風のような影を剣で振り払う。剣は熱を持って、あたしを励ましてくれてるみたいだった。
影が放射された。心拍のリズムで影が襲ってくる。強い波動の影は光の防護壁を透過してくる。痛い。痛いけど、防護壁がかなりの力を殺してくれてる。まだやれる。
もう1度、代行に斬りかかる。
当たった、と思ったけど感触がない。剣は空を斬って、絨毯に突き刺さった。
見回すと、少し離れた場所に影が澱んだ。代行の姿が現れる。ああもう、めんどくさいっ!
剣を引き抜く。
代行があたしを指差す。子供が銃撃ごっこするみたいな感じだ。
次の瞬間、撃たれた。
左肩のあたりに衝撃。骨に響く痛みと、冷気。
「光よ!盾になれ!」
全身を覆っていた光を身体の前に集める。指から撃ってるんだから、代行の方に盾があれば防げるはず。剣を撃たれた肩に当てる。剣の熱が、不快な冷えを払っていく。
舌打ちの音がして、もう1度指先から影の弾が撃たれる。弾はほとんど盾に吸い込まれて、かすかな冷気だけがあたしに届いた。いける!
斬れるまで、何度でも斬りかかってやる!
剣を構えた瞬間、背中に衝撃が走った。
体が崩れ落ちる。冷たいものが体内に入り込んで、光を奪っていく。光の熱を、吸い取っていく。
光の剣だけが熱くて、火傷しそうだ。とても持っていられない。
剣が姿を変えて、王笏に戻る。熱い。指から離れた王笏を、影が受け止めて離れたところに置いた。
熱くてひりひりする手に、誰かの手が触れた。
冷たい。
熱を持った手に、冷えた手が心地よかった。力を膨らませてていた何かが、穏やかな冷気に触れてしぼんで、抜けていった。
顔を上げると、代行だった。
代行?
この人はメイトお兄ちゃんじゃない。なんで、代行なんて知らない人みたいな呼び方してたんだろう。
「全く、ヒカリちゃんはいつも無茶するんだから」
彼は静かに微笑んだ。……見慣れた、メイトお兄ちゃんの表情。何か、張り詰めたものが抜けていく。
「それがヒカリちゃんのいいところでもあるけど、無理し過ぎない方がいいよ」
「だって、……」
……だって、何?あたしは、何を言おうとしたんだろう?
「だって?」
メイトお兄ちゃんは静かに微笑んでいる。
あたしが答えられないでいると、少し困ったみたいにメイトお兄ちゃんは続けた。
「ねぇ、ヒカリちゃん。君はここにいるべき存在じゃないんだ」
ここにいるべき存在?いるべきとか、いないべきとか、あるの。
「クラスに戻れば、沢山友達がいるだろう?みんなヒカリちゃんが戻ってくるのを待ってるよ」
クラスのみんな。思い浮かんだのはいつもの日常。そういえば、もうすぐテストだ。沙夜ってばまたノート見せて、って言ってくるのかな。
「部活だってそうだ。期待のホープだそうじゃないか。監督も、チームメイトのみんなも待ってる」
指先にボールの感触が蘇る。……ずいぶん長くボールを触ってない気がする。無性に練習したくなった。
「ここは影の王国。人の辛いとか苦しいとか、そんな気持ちが集まる場所」
そこで、メイトお兄ちゃんは少し寂しそうな顔をした。
「こんな場所は君に相応しくない。確かに、君の集中力は素晴らしい。けど、それはここで発揮するべきじゃない」
メイトお兄ちゃんの両手があたしの手を包み込んだ。。冷たさが気持ちいい。掌に残った熱が、消えていった。
「クラスも、部活も、君を必要としているんだ。……君の力を求められているところで、力を使いなよ」
そうだ。
あたし、戻りたかった。
帰りたかった、だけなの。
「ねぇ、ここは、何?あたし、帰りたいだけだったの。学校がおかしくなって、追いかけられて、いつの間にかこんな事になってた」
泣きそうな気分だったけど、メイトお兄ちゃんの手が優しくて、不思議と涙は出てこなかった。静かな気分だ。
「……帰りたい」
「大丈夫」
弱音を吐いても、メイトお兄ちゃんは優しく笑ってくれた。
ああ、大丈夫なんだ。
酷く、安心した。
メイトお兄ちゃんの周りで、影が揺れた。あたしに近づいて来る。……不思議と、嫌悪感はなかった。