第3章その2: 影の世界
扉の中、ううん、もしかしたら外かも知れない。とにかく、扉の向こう側立ってみると、そこは見慣れた世界だった。
荒れ果てた荒野。地質のせいなのか明るさのせいなのか、黒々とした大地が広がっている。遠くには山と、地平線。空は曇っていて、光は見えない。ただ、仄暗い程度の明るさだ。
ああ、いつもの夢だ。
いつも夢でこの世界に来ていた。
慣れているはずの学校でわけわからない状態になるより、初めからわけわからないけど、その事に慣れている夢の世界の方が落ち着くなんて、妙な感覚だ。
不思議な安心感に近い感覚を味わっていると、手が握り締められた。
「ーーなに、ここ」
そうか。ヒカリは初めてなんだ。
というか、これが現実なのかはわからないけど、夢じゃないのにここにいるのは私も初めてだ。もしかしたら、違う世界、っていう可能性もある。
でも、そんな事ない、って直観が告げていた。
「こっちだよ」
ヒカリの手を引いて、私は歩き出した。大地は荒れてるけど、乾いている。歩きやすいところに出てくれてよかった。乾燥しているせいか、臭いもそこまで気にならない。ヒカリ向けに変わってくれたんだろうか。
足元で虫が駆け抜けて、ヒカリが小さく悲鳴をあげた。私からその感覚がなくなったのはかなり前のことだ。……なんだか、大切なものを無くしてしまった気がする。
「ね、ねぇ、どこ行くの?」
ヒカリがあたりを見回しながら聞いた。
行くところは多分、あそこしかない。
「お城」
「……お城?こんな所に?」
確かに、街も何もない所に、お城だけあるのは不自然だ。そんな不思議に気付く感受性がなくなっていることに、苦笑するしかない。
「あるんだよ。……多分すっごく遠いけど」
見えないし。
「おっけー頑張る」
「ヒカリってほんと前向きだよね」
「アナの前だからね!」
「え、どういう意味」
「そのまんまだよ〜」
「もう」
ふと遠くに、煙が見えた。
それは見る間に広がって、こちらに来るようだった。
「何?」
ヒカリに聞いても、返事が返ってくるわけない。
顔を合わせている間に、遠い点にしか見えなかった煙は、近くまで来ていた。近付いて来ると、煙の中に馬車がいるのが見えた。馬と馬車が立てる砂埃が、煙のように見えていたのだ。
馬車は私たちの前で止まった。
馬車と馬は砂埃にまみれていたけど、止まった瞬間、埃が一気に落ちた。
見事に、黒い。
馬も黒、馬車も黒、御者の服装も黒。
同じ黒でも馬の毛並みと装飾、馬車の小物、御者の服のそれぞれのパーツが全部、色が違って見えた。黒の濃淡に、光沢とか質感とか、『黒』って同じ名前でも沢山種類があるみたい。
とりあえず分かることは、全ての黒が上質そうなものであることだ。
この薄暗い世界の中で黒く浮かび上がる程、圧倒的な黒だった。
御者が帽子を取って、私たちの前に膝を付いた。仄暗いこの場所では、顔がよく見えない。
「ようこそ、我が国へ。王子殿下がお待ちでございます」
私とヒカリは顔を見合わせた。
「行こ!」
ちょっと悩んでしまった私を咎めるように、ヒカリは言い切った。
その通りだ。
私たちが乗り込むと、馬車は走り出した。滑るように、って言いたいけど、この荒地でそれは無理だ。柔らかいクッションが張られているけど、揺れは全然収まってない。
「舌っ、噛み、そうっ!」
ヒカリは座るのを諦めたみたいだ。両手と両足を天井と壁、床に突っ張って転ばないようにしている。
「喋ると、余計、ねっ!」
私も似たような姿勢を取るしかない。窓の外を覗くと、どんどんスピードが上がっていってる。それに従って、当然、揺れも酷くなった。御者は平気なんだろうか。
乗る側の快適性が完全に無視された結果、馬車は素晴らしい速さでお城に到着した。
……せっかく素敵なクッションだったんだから、もう少し楽しく移動したかった。
御者は平然として扉を開けた。天井と3方の壁がない御者台でよく落ちなかったものだ。
「もっと安全運転して」
降りた時点でげんなりしていた私と違って、ヒカリは御者に当然の文句を言っていた。
「王子殿下がお急ぎでしたので」
「だからって、限度があるでしょ!馬車の中であたしたちが倒れてたらどうすんのよ!?」
「すぐにお解りになります。こちらではそのような思慮は無用です」
仕草だけは丁寧に、御者は頭を下げた。手のひらでお城の入口を指す。
言うまでもなく、夢で見たお城だった。けど、夢で見た時ほどぼろぼろじゃない。
お城は重々しい黒い石で造られていて、ヨーロッパの古い教会みたいに、所々像が立っていたり、彫刻が施されていた。お城自体10階分くらいの高さがあるけど、両側に迫っている切り立った崖はもっと高い。空を覆い隠している崖と、黒っぽい崖よりなお黒いお城が威圧感を醸し出していた。
「ヒカリ。行こ」
「〜〜でもっ!」
「文句は上司に言った方が効果的だよ」
「……ああもうっ!」
どうやら、諦めてくれたようだ。
「王子殿下とかいうのに言ってやる!」
そうでもなかったかも。
御者は慇懃に礼をしたままで、反応しなかった。
私はヒカリの手を引いた。
石段を登った先に大扉があって、そこをくぐると謁見の間だった。
お城の中は外側よりきれいだった。
天井はすごく高い。天井、というか、両側から壁が迫ってきていて、そのまま合わさって1本の梁が通っている。天井と呼べそうな平らな部分はない。幅は広いのに、それよりずっと長い奥行きのせいで、部屋全体として刃を上向きにした巨大なナイフの鋳型みたいな感じだった。
部屋の中央に黒い絨毯が真っ直ぐに玉座へと続いている。両側には彫刻が施された柱が並んでいて、その横には甲冑が立っている。兵士、じゃなくて甲冑が。鎧に覆われていないところには、ただ影がわだかまっていて、人の肌は見えない。
明かり取りらしい窓から光が差し込んでくるものの、その光自体が弱々しくて、部屋は仄暗い。所々で松明が燃えていて、私たちの影は複雑に踊っているようだった。
絨毯を半分位進んで、ようやく玉座に座っている人の顔が見えた。
おじいさんだ。
何枚も上着を重ねていて、服を着ているのか布団を被っているのか判らない。ぼんやりと淀んだ目は、私たちを見ているようで、何も見ていない。
それに、くしゃくしゃの白髪。
何もかも真っ黒なこの世界で、それだけが白い。異常な事のように思えた。
全体として、老人ホームか病院で、何も分からずに人生の終わりをただ待っている人に見えた。
「あのおじいちゃんが、王様?」
ヒカリの声が部屋に響いた。それだけ、部屋の中は静まり返っていたのだ。
とても、王様には見えない。
「とても、王の執務が取れるとは思えないだろう?」
おじいさんの声は思えない、若い男の人の張りのある声が響いた。




