第3章その1: 中庭
花鶏先生の質問は、試験問題とは違って答えが見つからなかった。
「すまん、気にするな」
「いえ、その、すみません」
「いや、そういう意味じゃない」
「え?」
「教師はな、生徒に答えられない質問をしてはいけないんだ。質問は生徒の答えを想定してから聞かなきゃならん。答えられないなら、答えられるように聞き方を工夫する必要がある。俺はそれを怠った。今のは俺の疑問だ。お前に聞くべきことじゃなかった」
だから気にするな。その一言で先生は準備室に引きこもってしまった。
先生の『夢』とは違って何もない実験台に、何かが光っている事に気付いた。高槻君が使っていた場所だ。
コインだ。
前に見つけた、2つと同じセットに見える。表面には王冠らしきものが彫られている。
花鶏先生にコインの事を聞こうと思って、化学準備室を覗いた。
いない。
化学準備室は化学室内に造られた小部屋で、化学準備室から外に出るには、化学室を通らなければならない。化学室を通れば、いくらなんでも私は気付いただろう。
それなのに、花鶏先生は化学準備室から消えていた。
「……もう」
考えても仕方ない。
最初からこの学校は『おかしい』のだ。
化学室から出る。特殊教室棟はロッカーがない分、廊下の覗ける位置に窓がある。
曇っていて薄暗い外を見下ろすと、誰かが校舎の横を走っている。
「ヒカリ!」
見間違うはずはない。ジャージ姿のヒカリが、正門の方に走っている。
私も走り出した。特殊教室棟から、教室棟へ。教室棟を端から端まで走って、正門に近い方の階段を駆け下りる。薄暗い空を背景に、閉ざされた正門がそびえ立っていた。
あたりを見渡しても、ヒカリはいない。さっき、確かにこっちに来てたと思ったんだけど。
もう、外に出てしまったんだろうか。ヒカリの事だから、閉まってても乗り越えていきそうだ。
校舎から出る。外には、砂より柔らかい、灰のようなものが積もっている。こんなもの、朝はなかったはずだ。
とにかく外に出て、門の外を伺ってみる。……誰もいない。勘違いだったんだろうか。
トン。
諦めて戻ろうとした時、門の外から、軽い音がした。
ボールだ。門の外で、バスケットボールが跳ねている。
「……ヒカリ?」
バスケットボールなんてどこにでもあるし、ヒカリ以外の人だって持ってる。
それでも、私はヒカリだと思った。
ヒカリがいるって、直感した。門をつかむ。
「ヒカリ!ヒカリなんでしょ!?」
外には、誰もいない。昼間のはずなのに薄暗くて、静まり返っている。弾んでいるボールだけが、動くものだ。
「ねぇ!?どこにいるの!?ヒカリ!!」
ざり、と音がした。門のこちら側だ。
何が動いている?
足元。
足元の地面に、薄く積った灰が、動いている。
足跡が、校舎の外からここまで続いている。門の前で立ち止まって、戻ってきてる。そして、引きずったり離れたり、妙な動きをしている。
字だ。足で書いているみたいに、文字になっていく。
中。
何か書こうとして、消される。
に。
わ。
中、に、わ。
中庭!
私は走り出した。
中庭。いつもヒカリとお昼を一緒に食べる場所だ。
学年が違うから、お互いの教室には行き辛くて、2人で見つけた場所。
さくさくさく、と足音が私を追い越していく。姿は見えなくて、足跡だけが残っていく。
「ヒカリ!」
ヒカリは足が速い。
運動が苦手な私はいつも置いていかれてしまう。息が上がる。心臓が苦しいけど、頑張った。
中庭、いつもの木の下。足跡が途切れて、誰か座ってるみたいに、灰が凹んでいる。
「っはぁ、はぁ、……ヒカリ!」
手を伸ばした。
触れる。
走ってきた私より少し冷たいけど、柔らかい手だ。
手が動いて、指が絡む。
離さない。離してなんか、あげない。
「ヒカリ!」
しっかり指を絡ませて、握りしめる。
揺れた。
周りの風景が、世界が、揺れている。水の中から外を見てるみたいだ。
水中から大気中に出るような感覚。同時に、聞き慣れた声が響く。
「アナっ!」
ヒカリだ。
目の前にヒカリがいる。
抱きついてきたヒカリを、思いっきり抱きしめた。
暖かい。いつものヒカリだ。幻なんかじゃない。
「ヒカリ……っ!」
「アナ、ほんとにアナだよね!?」
「うん、…うんっ!」
ヒカリが頰に触れてくる。その手に触れて、頰を寄せた。
涙がこぼれてきた。ヒカリも泣いてる。
「良かった……!」
涙って、安心した時も出るんだね。
散々泣いて、私はヒカリのジャージをぐしょ濡れにした。私の制服も濡れて、肌に張り付いてくる。
「さて」
ヒカリは立ち上がった。
「うん……ヒカリはどうしてたの、って聞きたいけど、後だね」
私も立ち上がった。
「後回しだね。なんだろコレ」
いつの間にか目の前に、扉があった。
壁も建物もないところに、扉だけ。裏を覗いてみても、何もない。
「開かない」
ヒカリは扉を開けようとしていたらしい。あんまり驚いていない。……ヒカリにも、色々あったんだろう。
「これ、太陽と、王様、かな?」
金属製の扉には、重々しい浮き彫りが描かれていた。ヒカリが指差したあたりには、丸と直線で描かれた太陽らしきものを背景に、王冠をかぶって杖を持った人が彫られている。
「でも、こっちにも王様がいるね」
同じように王冠と杖を身につけた人がもう1人描かれている。背景は、川、だろうか?
「王様が2人?」
「うーん……あ」
分からない、ってヒカリに白状するのが嫌で、私は特徴的なものを探した。私の方が学年上なんだから、ちょっとくらい見栄張りたい。
2人の王様の間は、色々彫られているけれど、ごちゃごちゃしていてよく分からない。
私は、扉の中央あたりに、丸いくぼみが1つあるのを見つけた。ちょうど、見つけたコインと同じ位の大きさだ。
「これ、もしかして」
適当に1枚コインを取り出して、はめてみる。ぴったりだ。
……でも、扉に反応はない。
反応を示したのは、ヒカリだった。
「あれ、それアナも見つけたの?」
ヒカリは、つるりとした模様のないコインを1枚取り出した。私のコインより、若干色が白っぽい。
「うん。あと2枚あるよ」
私は残りのコインを取り出して、気付いた。
私が扉にはめたのは、王冠のコインだった。それを外して、ヒカリとお揃いの、模様のないコインをはめ込んだ。
扉がきしんだ。
ちょうどコインのあたりから扉が割れて、開いていく。
コインが外れて、扉の桟に当たった。
金属音が響く。
扉の先は、暗い。
私は息を吸い込んだ。
……どことなく、懐かしい香りがする。長く帰っていなかった、故郷みたいな。
「アナ」
ヒカリがコインを拾って、渡してくれた。
「ありがと。……ヒカリも、来るよね?」
「もち!」
私たちは手を握り合った。それから、扉の世界に踏み込んだ。




