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ヒカリとカゲの間に  作者: 矢馳あさと
第2章 迷走
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第2章その5: 香り

 バスケ部の部室のドアはあっけなく開いた。いつも以上にごちゃごちゃしてるけど、教室前の廊下ほど酷くはない。

 ロッカーも凹んでないし。

 あたしのロッカーの中は、パッと見いつも通りだった。入れっぱなしだったスポドリもいつもの位置だ。今週からテスト前で休みだから、まだ開けてなかったはず。

 ペットボトルのフタをひねると、最初に開ける時の感覚があった。

 軽く臭いをかいでみる。

 普通だ。

 ほんのちょっと出して、なめてみる。

 普通だ。

 あたしは思いっきりスポドリを口に流し込んだ。

「はぁ〜〜」

 練習が終わって、先輩がいない時みたいに、ベンチに座り込んだ。

 痛い。

 腰の所のジャージが破けてる。ジャージとTシャツをめくってみると、小さい指の形に痣ができていた。ガレキの山を登る時に、子供につかまれた場所だ。なんて力。

 他にもあちこちぶつけたり引っ掛けたりして、ジャージはぼろぼろだ。しかもあちこちに白い粉みたいな汚れが付いている。建物が見た目白いのはこのせいか。

 なるべく白い粉には触れないようにジャージを脱ぎ捨てる。痣になってるところはいくつかあるけど、擦り傷切り傷はない。

 ロッカーから新しいジャージを出して着替える。

 背負っていたザックは真ん中で大きく切れていた。ガレキの上を落ちた時に、何かで切ったんだろう。

 ザックの中身を出す。一番外側に入ってた世界史の図説はぼろぼろになって、外側の数十ページが切れてなくてなっていた。これのおかげでガレキの山から落ちるときに体を切らなくて済んだんだろう。

 それだけ捨てて、スポドリと他の荷物を部活で使ってたバッグに入れる。トートバッグだけど、持ち手を伸ばせば背負えない事もない。

 それから。

 目当てのロッカーは、思いっきりガレキに侵食されて、扉が外れていた。でも、中身は無事みたいだ。使ったことはないけど、そこにある事だけ覚えていた工具箱を引っ張り出す。工具箱の中身は、どこか古びていたけど、そのままだった。

 一番大きいハンマーを取り出す。

 振ってみる。

 うん、重いけど扱えなくはない。ハンマーをトートバックに入れた。使いたくないけど、保険みたいな。

 ついでに落ちてたバスケットボールを拾って、ガレキのないところで弾ませてみる。

 いい感じ。練習の後にメンテしたばっかだし当然だけど。

 ボールを持って部室を出る。何だろ、心の支えみたいな?

 部室棟のドアは開いていて、ガレキが溢れ出ていた。

 外は、白い。

 1 m先も見えない霧が視界を覆っていた。

 耳をすませてみても、ひどく静かだ。いつも聞こえる生徒や先生の声も、車の音も、何も聞こえない。

 笑い声が聞こえてくるよりはマシ。

 積ったガレキを踏み越えて、あたしは外に出た。

 部室棟はからは、体育館をぐるっと回って西門に出るか、それとは逆の方向に体育館を回って教室棟の横を通って、正門に出るかだ。

 部活から帰るときならいつも行くのは西門だ。

「ははは!」

 声が聞こえた。

 人影は見えないけど、何かいる。どこかで聞いた覚えがなくもない声だけど、調子が違い過ぎて誰だか判らない。

 あたしは部室棟のドアの陰に隠れた。隠れたなんで言えないレベルだけど、濃い霧のおかげで見えずらい、はず。

 笑い声が近づいて来る。

 姿は見えないけど、ざり、ざり、と、足音が聞こえる。多分、一人。

「はははははは」

 その人、多分、彼は、笑っている。

 あたしはボールを抱きしめた。

 足音がゆっくりと前を通っていく。うっすらと人影らしい大きなものが見えた。

 人影は、大きい。体格のいい男の人みたいだ。

 子供であれだけの力があったのだ。大人の男の人なんか、敵わない。

「はははははは!」

 笑い声。近い。肩が震える。

 足音が遠ざかっていく。

 と、もう一つ、軽い足音が聞こえた。

 何かがぶつかり合う音が2回、倒れる音、更にぶつかる、多分、殴る音が、4回。

 少しして、布が破ける音、何か、ぐちゃぐちゃという音。

 ーー行くべきか、逃げるべきか。

 息を吐く。

 あたしはトートバックからハンマーを取り出して、可能な限り静かに、人影が向かった方に行った。

 大して進まないうちに、白い霧の中に黒い人影が見えた。好都合な事に、しゃがみ込んで何かしてる。ぐちゃぐちゃという音は続いている。

 真後ろに立っても、気付いていないようだった。

 あたしはハンマーを振り上げて、思い切り振り下ろした。

 ハンマーが、柔らかい部分を潰して、何か硬いものを割った感触を伝えてくる。

 もう一度ハンマーを振り上げる。

 人影が甲高い笑い声を上げる。

 振り下ろしたハンマーが、振り返った人影の頭らしき部分に当たった。

「はははは!」

 人影が哄笑して立ち上がる。やばい。

 勢いを付けてハンマーを振り上げた。人影のお腹あたりに当たった。ぐにゃ、って、柔らかいものが潰れた感触。気色悪い。

 人影がうずくまる。笑い声が苦痛の呻きに変わった。

 その頭めがけて、あたしはハンマーを振り下ろした。

 人影が倒れこむ。

 その頭に、ハンマーを振り下ろす。

 もう一回。

 もう一回。

 もう一回。

 腕が震えて持ち上がらなくなるまで、あたしはハンマーを振り下ろしまくった。

 倒れた人影は微動だにしなくなっていた。

 痺れたような指を無理矢理ハンマーから引き剥がした。重々しい音を立てて、ハンマーが落ちる。手が真っ赤に染まっている事にようやく気付いた。

 最初人影がうずくまっていた場所に倒れていたのは、女子生徒だった。中靴の色からして、3年生。肩やら胸やら、あちこちの肉が食い千切られたようになくなっている。それに、下半身がーーいや、止めとく。2人が何を、ナニをしてたかなんて言いたくない。

 倒した人影の顔を覗き込む。

「……元木先生……」

 優しくて女子にも人気があった、数学の先生だ。なんで。どうして。

 悲鳴を飲み込んで、トートバックとボールを引っつかむ。あたしは正門へ走り出した。

 もう、とにかく、逃げたかった。


 正門は閉まっている。登下校の時しか開いてないから、当たり前といえば当たり前なんだけど。

 カギの部分に触ってみる。

 当然、開かない。

 あたしは門を見上げた。上の方は霧に隠れてるけど、乗り越えられない高さではないはずだ。男子たちが乗り越えている所を何度か見掛けたことがある。けど、この馬鹿みたいな世界だ。霧に隠れて、門が果てしなく上まで続いてる可能性だってある。

 ボールを投げてみる。

 ボールは門を飛び越えたらしく、外の道に落ちてきた。

「よし」

 乗り越えてやる。

 門に手をかけたとき、よく知った匂いが漂ってきた。

 アナの練り香水だ。

「アナちゃん!?いるの!?」

 叫んでも、返事はない。

 香りだけだ。

 いや。

 空気が、動いてる。

 風が吹いているわけでもないのに、香りが強くなったり弱くなったりする。

 アナが、いるのだ。

 そう思った瞬間、涙がこぼれてきた。このわけ分かんない世界で、やっと救いがみえてきた。張り詰めてた糸が切れたみたいに、涙が止まらない。

「あたしよ!ヒカリだよ!助けて!!アナってば!!」

 返事はない。

 どうしたら、アナに伝わる?

 どうやったら、アナに気付いてもらえる?

 どうやって、アナに会う?

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