ようこそ、新入部員! -08-
数分後、私はトイレから出てきた。
引き絞られた恐怖がねじ切れて怒りに化ける数分だった。
あいつの胸ぐらを締め上げなければ。どこで私の名前を――。
考えながら持ったままになっていた文庫をポケットに押し込んだ。もう片方の手にはあの紙切れ。
印字された無味乾燥な字体が、壁一枚隔てた向こう側で私を笑っているようで、
「こんなもん!」
一人毒突いてから、それを握り潰して廊下の隅に放った。
同級生の中でも『小我さん』で通ってる私だ。それをフルネームで呼び捨てにするなんて。 パーソナリティーの侵害もはなはだしい。
屋上か……図書室前の階段のさらに上だったはず。
ツカツカと廊下に足音を響かせながら、私は知らず肩を怒らせていた。
四階に着き、後は『立ち入り禁止』の封鎖をよけて階段を上がればいいだけだったのだが。
ふと、ひとつの懸念が浮かんだ――あいつは本当に待っているのか? ひょっとしたらからかわれているだけかもしれない。
いやいやいや、ちょっと待てよ。もう少し掘り下げて考えてみよう。
そもそも、あいつが話しかけてきた理由はどうあれ、のぞき行為までして話しかけてきたってことは、なんにしても私に用があるのかも――ただの趣味かも知れないが……。
それに一応招待状らしき物も受け取ってはいる。さっき捨てたけど――。
まあいい、屋上にいなくても、どの道見つけ出すことは変わりない。
宵越しの銭は持たないに然り。不満や不安を明日に持ち越すなんてご免だ。
今日中にかたをつける。その初手がこの上にあるんだ。
決然と足に力を込めて屋上に続く階段を上った。誰も掃除してないのか、踏み段の端々に埃が盛っている。
そろそろと踊り場に辿り着き、折り返しの壁から顔だけ出した。
「ぃようっ」
あっさり見つかったそいつは軽快に片手を振ってきた。
頭にピキッと走るモノがあった私はさっさと屋上階に上がりきる。
「今日来るとは思わなかったぜ」
「……はあ?」
「いや、だってお前泣きそうだったからさぁ」
目を落ち着かせるのに費やしたあの数分間を思い出して頭が熱くなる。つい力んでしまい、首筋辺りの骨がピキッと音を立てた。
「ど……どこで私の名前を」
怒りは腹に据えかねるほど沸き立っているが、やはり目の前の相手が正直言って怖い。こいつは自分の目的のために女子トイレに入ってくるくらいに頭のいかれた奴なのだ。おまけに自らを如何わしいと言い切った変人である。
犯人と一対一でつら付き合わせて証拠を並べていく探偵の気が知れない。
屋上との段数合わせで扉前に設けてある二段の階段に腰掛けたまま、そいつは口を開いた。
「別に悪巧みして誘ったんじゃないから気にすんな。まっ、それなりの伝を持ってるだけだ。その伝から得た情報。欲しけりゃあ、お前だって伝は持てる」
「答えになってません」
敬語が口を突いて出た。相手は座っているのに何故か見下ろされている気分だった。
「分かった。じゃあ、ヒントだけやるよ。上と下があるんだけど、上っていくんじゃなくて下っていく物ってな~んだ?」
「バカにしてるんですか?」
「いいや、むしろその逆だ。このくらい解けるだろうとお前を信頼してんだよ。先公の出してくる模範解答みたく、手取り足取り教えてやったんじゃあ人間は成長しねぇからな。バカを量産する日本の教育カリキュラムには反対でねぇ……」
やれやれと両手を肩当たりまで持ち上げて振ってみせ、
「そんじゃ、前置きはこのくらいにして説明に入ろうか? まずは自己紹介から――」
「まず、私の質問に答えて下さい」
被せて言い返したのに、そいつは厭に落ち着いた調子でスッと立ち上がった。一直線な目線をこちらに向けたかと思うと――
不意に相好を崩した。
「お前、目ぇ開けると可愛いな」
一瞬なにを言われたのか分からなかった。言葉の意味と人懐っこい顔が認識されたのが同時だったため、情報処理の過程で脳と身体にズレが生じたのか立ちくらみがした――そんなこと、父親以外の異性から言われたことがない。
こんな状況なのに、嫌悪感だけで満たされていない自分の感情が不思議だった。
よろめく私の心境を知ってか知らずか、そいつは笑ったまま言った。
「俺はカイト。よろしくな」




