04:「黒髪の少女」
結局、現実は変わらずに。
「ん……」
ガラス戸を開き外を見なくとも分かる、天蓋のベッドにて起床した流麗は、今日一番の盛大な溜め息をついた。
あの時の縄も変わらず床に突っ伏している。どんどんとやるせない気持ちが込みあがってきて、体を起こすことも億劫になってきた。そう思い始めたその時。
「雨傘」
ぎぎぃ、と音を立てて扉が開かれる、重みのある木彫りの取っ手に手をかける白髪の頭が隙間からのぞくと同時に、薄暗い部屋の中に目を刺さんばかりの光が射し込んだ。
片目をつむり、ぼやける視界が回復するのを待っていると、チキリとまるで時代劇で耳にするような刀を鞘に収める音が。
………刀?
「……」
足音と同時に迫り来る、カタカタと鳴る何か。それは流麗の胸中を表すかのように鼓膜を震わせる。これは、ヤバい。
「…………ふっ…!!」
「………っ!!」
視界は少しずつクリアになっていくが、扉が閉じられたことで射し込んでいた光は遮断されたものだから意味がない。
ひゅうっ、と風を切る何かが流麗の真上に振り下ろされる。
殺される。流麗は命の危機を感じ、手探りでベッドサイドの棚をつたって身を引いた。
ドス、と、床に埋まる何か。風に揺れるカーテンがもたらした光を反射して浮かび上がる、それは―――
「か…たな……!!?」
月光に照らし出されればさぞ美しいだろうその刀を握る手は、すぐに床から刀身を引き抜いて明るみから姿を消す。
刃こぼれの一切ない刀は、こちらに体を向けると再び斬りかかってきた。
流麗は何か応戦するものはないかと未だ慣れない暗闇に手を伸ばす。と、ふいに固い、三角錐を彷彿とさせるような手触りが流麗の指先に触れた。
もう一度明るみに出た刀をよけて、流麗は掴んだそれを刀の持ち主に向かって殴りつける。
「っ!!」
刀を持つ手元に直撃したそれはベッドサイドにあったランプだった。豪華な装飾が剥がれ、無残な姿になったそれを、流麗は再び構え直す。見た目からして確実に弁償できない値段なのだろうが、今は構っていられない。
直撃した手はたたき落とされ暗がりに消えた刀を探している。流麗が未だわからない敵の顔を見るように、カーテンを勢い良く引っ張ったその瞬間。
「六花!!」
閉ざされた扉が開け放たれる。そこにいたのは、肩で息をする律花。昨日の落ち着いた雰囲気は消えていて、額には汗をかいている。
一気に明るくなった部屋に、ランプを構えた流麗と白髪の少年――六花が相対するのをみて、律花は酷く動揺の色を浮かべる。
「…このテストは廃案だっただろう」
「今、主導権を握っとんのは僕や。僕が決めたものに口出しする気なん?」
六花はギロリと律花を睨みつけ、机の下に落ちた刀を拾い上げるとそのまま流麗のネクタイを引っ張り、顔を引き寄せる。かなり腰を曲げることになった流麗は90度並みにお辞儀をすることになり、負荷をかけることになった腰に痛みを覚え顔をしかめた。
「このテストはこれからここで働く為に必要なことや。ただお嬢様のお世話して、横でニコニコ笑っとるだけなんやったら最初からこんな一般人雇用しとらん」
「だが、それだと不合格者に怪我を負わすだけだ。お前は手加減というものを知らないだろう」
律花が冷静に返す。その言葉に六花はうっと呻いてばつの悪い顔をすると流麗を突き放した。
急に突き放されたものだからよろめいてしまった流麗は、うっかり手のランプを滑らせ…
「あ…」
床にたたきつけられ、ガラスの割れる音が響き、こなごなになる装飾。元通りなんて甘いものじゃない、原型すらなくなったランプ。
「あれま、それたしか3千万のやつやん」
「さ……んぜんまん」
「まぁ咄嗟の戦闘に使ったのがコレなら、及第点か」
呑気に及第点だのと、意味不明なことを言う六花に流麗は腰を抜かした。
3000万なんて大金がたったこれ一つだなどと、考えがたい。しかもそんな値段を、アルバイト掛け持ち中の流麗に払える筈がない。
気づかぬうちに額を伝っていた汗を拭い、流麗はただただ黙り込むことしか出来なかった。
ふと、何か思い付いたと六花が呟く。
「どや、雨傘。ここで働く気ぃないんやろ?やったら…すぐにここを出て行ってくれたら、このランプの弁償は見逃したるで?」
は?流麗の脳内に一つの疑問符がおどる。ここで働く気は元からないし、俺はレストランに働きに来ただけだ。
この話は流麗にとっておいしい話。だが彼は、見かけ以上に誠実な男。それに、告げられた話に感じた疑問点は多々ある。それを聞かないまま「ハイそうですか」と従うのは彼のプライドが許さない。
「六花!?何を…」
一つは、彼の唐突な提案。
ここで就職試験を受けるから連行してきたはずなのに、何故今になって「帰れ」と手のひらを返すような発言をする?
「煩い、話すな」
おかしい、何もかもが。
テストと称して斬りかかった六花の手に、細身の刀。初対面の律花が隠していた、黒光りの凶器。
世界観が、狂っていく。
「なぁ、雨傘。どうなんや?出てくんか、出てかんのか」
「………」
六花が苛立ちを顕わにして問い掛けてくる。だが、流麗は未だ混乱する脳内を整理していた。
レストランのアルバイト試験を受けに来て、何故屋敷の使用人なんてものをやらされそうになっているのか。
俺は、いったい何に巻き込まれている?
「――六花」
突如、開かれる扉。
視界の先には、艶やかな紫がかった黒髪を風に揺らす少女が立っていた。