第二十五話、リショナシエ。
「ピエルージュ国ウィクレット州知事、リショナシエである。先王ボナシエの甥にあたり、今は亡命者の取りまとめをしている」
リショナシエはなるほど熊族というのはこういう種族かと分かるような外見をしていた。大柄で筋肉質で、肌は褐色、髪も目もこげ茶色で、同じ色のあごひげを蓄え、これまで見たどの種族とも違う風貌だった。
「勇者のロワ・ソレイユだ。ヴィルドパンとウィクレットを中心にこの地を治めている。遠いところ足労であった」
ピエルージュ国ウィクレット州知事を名乗ったリショナシエに対し、ヴィルドパンとウィクレットを統治しているのは僕の方だと主張したのだが、まだ国名を決めていなかったのでどう名乗ったものかと困り、勇者とだけ名乗ることにした。
「私の側の要求は書状に書いたとおりだ」
「大臣就任の件は歓迎する。我々はまだまだ人手が足りておらず、有能な人材ならどんな人間でも歓迎だ」
「領民の権利の保障の方は?」
「そちらは無理だ」
その返事を聞いて、リショナシエの顔色が変わった。
「それはおかしい。ここはもともと我々ピエルージュ国の民のものだ。我々の先祖が命を賭して切り開き、守ってきた我々の身命に等しい財産だ。この地が解放されたならば、その財産は速やかに本来の所有者に返還されるべきだ」
「この地がオークに占拠され、人々から放棄されてすでに10年以上の年月が過ぎている。帝国でも正式にピエルージュ国は滅びたとされたと聞く。そしてこの地にはすでに新しい住民が生活を営んている。元の民に従前の権利を全て返還することは逆にものの道理に反すると考える」
国王らしい堅苦しい話し方というのを実践しようとしているけれど、まだなかなか慣れないのでおかしなことになっていないか心配だ。が、相手はそんなことは特に気にはしていないようだ。
「では聞くが、ここに住んでいるのは一体誰だと言うのか? 見たところ、白鴉しかいないように見えるが?」
「貴様!」
リショナシエがそう言った所で、同席していたブシュロンが怒りを露わにした。
「ブシュロン!」
「っ、申し訳ありません」
「リショナシエ殿、今の言葉、この場で謝罪したら聞かなかったことにする。でなければ、この話は終わりだ」
ブシュロンを黙らせてから、リショナシエに謝罪の要求をした。白鴉というのはどうやら鴉族に対する蔑称のようだ。これをこのままにしておいては五族平等など絵に描いた餅だ。
当然リショナシエからの反発も予想されるし、この場で謝罪させたとしても後で他の熊族からの反発もあるだろう。それでも、これは僕にとっては譲れない一線だ。
僕の反応が予想以上に強かったためか、リショナシエはしばらく黙り込んだ。
「……、さっきの言葉は間違いだった。謝罪する。申し訳なかった」
沈黙の後、リショナシエはそう言って頭を下げた。
「ブシュロン」
「……、こちらも少し声を荒げてしまった。申し訳ない」
相手にだけ一方的に謝罪させると遺恨を残すと思ったので、ブシュロンの方にも謝罪するように促した。幸いブシュロンは頭がよく、僕の意図に気づいてすぐに謝罪をしてくれた。これでようやく話を先に進められる。
「話を戻そう。私は勇者としてこの地に降り立ち、新しい文明をこの世界に広める使命を与えられた。我々の仲間になるなら過去のしがらみを捨ててお互いを尊敬して協力する必要がある。それが駄目ならば受け入れることはできない」
教条的だけれどもこれは本音だ。内部が分断されている組織は崩れるのがたやすい。楓が言った通り実現不可能な理想論ではあるが、追い求めるべき理想論でもある。少なくとも草創期においては。
「もちろん、これは鴉族についても同じだ」
「はい」
「その上で、これは熊族に対する提案になるのだが、以前の所有者に対して財産の返還をすることは不可能だが、貨幣による補償は可能だ。ただし、この地をオークから奪還した手間賃と経年劣化による価値の減少分は差し引かせてもらうが」
もちろん、この貨幣はこれから楓が発行する予定の貨幣で支払われる。現状ではまだ発行の段取りもついていないが、それはここでは言わない。
「貨幣というのは帝都で流通しているというものか? こんな所でそんなものを貰ってどうしろと言うのだ?」
「帝都の貨幣ではなく、私の名で発行する新しい貨幣だ。これからこの地ではその新しい貨幣を使ってものの売り買いをするのだ」
「ちょっとお待ち下さい。そうすると我々鴉族はどうなるのですか?」
「鴉族も熊族も、他の誰であっても貨幣は何かの対価として与えられる。例えば鉱山て働いたり、街の工事をしたり、食べ物や衣服を売ったり。私が命じた仕事には、私が貨幣で対価を渡す。食べ物や衣服を譲ったら貨幣を対価に受け取るのだ」
リショナシエもブシュロンも慣れない概念に頭をひねっていた。この提案が自分たちの生活を変えることが予想されるものの、それがどんな変化になるのか予想がつかないからだ。
「それから、市内に住む者は、住居の等級に応じた対価を私に貨幣で支払ってもらう」
「ただ住んでいるだけなのにどうして対価を払わなければならないんだ!?」
「この地はオークに支配され、所有者を失っていた。そこから解放したのだからこの地の新しい所有者は私ということになる。私の土地に住むのだから、それに対価を払うのは当然だ。それとも、他人が所有する土地に住むのに対価は不要だと思うか? それならば熊族が所有権を主張する財産の返還を求める理由もなくなるぞ」
そう言うと、リショナシエは黙ってしまった。
実のところ、この理屈は人が住んでいなかったヴィルドパンには完全に当てはまるが、すでに鴉族が住んでいたウィクレットには完全には当てはまらない。確かにオークの脅威から解放したのは僕たちだけれどもそれをもって所有権が完全に僕たちに移行したと主張するのはすんなりとは受け入れられない可能性がある。
ただ、今この場にはウィクレットに住む鴉族はいないので、その話は後でフレーシュと会った時にじっくり話を付けることにする。
「心配しなくても、このことで生活が苦しくなるようなことはない。これは鴉族と熊族の間、それに今後も増えてくる移民との間で不公平が生まれないように、全員が平等になるルールを決めたというだけのことだ。真面目に働いていれば何も問題はない」
僕がそう言うと、ブシュロンは頭を下げて僕の言葉を肯定した。
「私たちはロワ・ソレイユ様に従うのみです」
だが、リショナシエはまだ納得がいっていないようだ。
「ということは、財産の返還を受けるには、ソレイユ殿の支配を受け入れなければならないということになるのか?」
「いずれにしても、この地の財産の権利を行使すると言うことは、ここに住んで私の支配を受け入れると言うことではないのか?」
「……、確かにそうだ」
そう言うと、リショナシエは何かを決意したようにこちらに向き直って姿勢を正した。
「私はソレイユ殿を信用しようと思う。旧ピエルージュ国民には私から説明しよう。付いては、今話した内容を書面でいただきたい」
「分かった。急いで用意する」
その後、僕はアイエや楓に手伝って貰いながら外交文書を作成した。公式文書となるので意図しない解釈が生まれないように言葉を選んだり、決められた体裁に乗っ取ったりする必要がある。そのうえで、リショナシエにも内容を確認してもらって最後の僕のサインを入れた。
熊族の人たちには文書の作成を待つ間、ヴィルドパンに一泊滞在して貰うことにした。ついでに、今のヴィルドパンの様子を見てもらったり、鴉族と少しは交流してもらったりと思ってのことだ。
10年以上経た故郷への帰還に、熊族の人々は声を殺して泣き出すものもいた。故郷を奪われるというのがどれほどのものか実感したことはないけれど、相当のことなのだろうと想像された。
ブシュロンとリショナシエは積極的に声を交わすようにしていたようだが、他の鴉族や熊族の人々はお互いに警戒心を抱いている様子でなかなか交わる様子はなかった。ただ、双方のリーダーがよく言い含めたためか、トラブルが起きる様なことはなかった。熊族がこちらの提案を受け入れれば、彼らは同じ国に住む隣人になるのだから、できるだけ早く警戒心を解いてほしいところだけど。
さらに、僕たちにオークを倒すだけの力があるということを示すために、ちょっとした余興も行った。




