第一話、怪しげな採用通知。
「日向? 日向ー? いないのかー??」
どこからか僕の名を呼ぶ声に目が覚めた。どうやらまた自宅の工房で図面を書きながら寝てしまっていたみたいだ。
「ふああ、いつの間に寝てたんだ?」
「こんなところにいたのか」
「なんだ、楓か」
工房に顔を出したのは幼馴染の楓だった。彼女は僕の1学年下で今は同じ大学に通っている。幼馴染のよしみか時々こうやって僕の家に無断で上がり込んでくる変わった女の子だ。楓はいつものボストンバッグを肩から掛けて、手には雑誌のようなものを開いて持っていた。
「君、ちょっと見てみろ、この景色。すごくきれいじゃないか?」
「んー、あ、そうだね」
僕は楓が見せてきた雑誌の写真をちらっと見ると、気のない返事をして寝落ちする前にやっていた作業の続きを始めた。今は高温多湿視界不良という悪環境の中、一定程度の自律的な動作が期待される多脚型独立移動式マニピュレータの開発で頭がいっぱいなのだ。
「な、きれいだろ。こんな素敵なところで結婚式が挙げられたらいいと思わないか?」
「んー、あ、そうだね」
「よし、じゃあ、行こう」
と、突然楓が僕の腕を引っ張った。
「え、何?」
「何って、今から行くんだよ。ギリシャに」
「何で?」
「僕と君の結婚式に決まってるじゃないか!?」
普通なら楓のような女の子からこんな事を言われたらドキッとするのだろうけど、僕はもう小学生のころから「求婚」され続けているのでこんな会話は慣れっこなのだった。
「はいはい。それはまた今度ね」
「むー。また僕を子供扱いして」
なので、僕は楓の頭をぽんぽんと撫でると、多脚型独立移動式マニピュレータの開発に戻り、この間の試験運転で損傷の激しかった部分について材料の選別から再検討を始めた。
「おはようございます。現在の未読メールは124件です。本日の天気は晴れ、最高気温は19度です」
急に空気をぶち壊すような合成音声のメッセージが流れた。工房に設置されているアシスタントAIがしゃべり始めたのだ。どうもまだAIの進化は場の空気のような微妙な機微を理解するにはまだまだ力不足のようだ。
ちなみにこのAI自体は別に特に珍しいものではなく、ごく普通に市販されている音声アシスタントAIデバイスだ。音声コマンド入力時の識別用に「ロボ子」という名前をつけてある。合成音声が低い女の声に聞こえるか高い男の声に聞こえるかは人それぞれだと思うけど、僕には前者に聞こえるからだ。
「124件!? 君、一体、いつからメールを見てないの?」
「そういえば、三日くらいメール見てないかも」
「じゃあ、僕のメールも全部見てないってことじゃん。道理で返事が返ってこないはずだよ! ロボ子、僕のメールを全部読みあげて」
残念ながら、ロボ子は声紋認証があるので僕以外の声で話しても音声コマンドは受け付けない。
「ロボ子、メールの差出人と件名を1つずつ読み上げて」
「差出人、山田工作所。件名、先々月の支払いについて」
「ロボ子、以後、山田工作所のメールは全部スキップで」
「君はまた研究資金足りてないのか? そんなの僕に言ったらいくらでも用意するのに」
「これが完成したら買い取ってもらえるから、それでまとめて払うことになってるの」
「全く、君ほどの才能があれば、まともな企業に就職すればいくらでも研究資金が付くはずなんだけど」
「僕は好きなことをしていたいんだよ」
その後も何社かの取引先から滞納している付け払いの催促メールが届いていたので、全部ロボ子にスキップしてもらった。
「差出人、遊佐教授。件名、来週の研究会は君の発表になります。水曜日、忘れずに来るように。EOM」
遊佐教授というのは僕の研究室のボスだ。僕のような問題児が曲がりなりにも大学に居続けられるのは先生のおかげだと言っても過言ではない。ちなみに先生の所属はなぜか文学部であるが専門は人工知能で、集まっている学生の出身は多岐にわたっているちょっと変わった研究室だ。
「君は今週の研究会も休んでいたからな。教授も呆れていたよ」
「一昨日は多脚制御プログラムのデバッグで他に何もできるような状態じゃなかったから」
「だから言ってるだろ。君が僕と結婚したら、余計なことは何も考えないで発明だけに没頭できる環境を用意してあげるって」
「うん。期待してるよ」
僕は楓の冗談にいつものように相槌を打ってロボ子に次のメールを促した。
「差出人、アイエ。件名、国王職採用結果のご連絡」
ロボ子の読み上げたメールの内容に、僕は一瞬何のことを言っているのか分からなかった。頭の中で心当たりを探ってみると、数週間前にネットで話題になっていた怪しい求人広告に酔った勢いで応募していたことを思い出した。
その求人広告とは、確かこんな内容だった。
※急募※
職種 国王職
年収1千万円 社宅、食事支給
フレックスタイム制
試用期間1ヶ月
勤務地 異世界
求人が出るや否やすぐにネット中に拡散し、半日足らずで消えてしまった謎の求人。たまたま研究開発で行き詰って気晴らしにネットサーフィンをして見つけて直ぐに応募したのだ。
と言ってもそんな不審な募集に不用意に個人情報をもらしたわけではない。名前は変名にして、それ以外の情報も必須項目のみしか埋めなかった。
名前:ソレイユ
メールアドレス:?????@?????.com
年齢:21歳
左の親指と右の小指の長さの違い:18mm
実のところ、入力したのはこれだけだ。名前は本名の日向をフランス語に翻訳した。最後の項目はなぜかこれだけ必須項目だったので指を並べて定規で差を測った。
こんな情報で何かが分かるとも思えないし、そもそも募集内容からして真面目とは思えないものだったので、まさか返事が返ってくるとは思ってもいなかった。
「ロボ子、内容をタブレットに転送」
積み上げたプリントアウトの中からタブレットを引っ張り出してメールの中身を見てみると、確かにそれらしい体裁で「採用」と書かれた通知が送られてきていた。
「君、僕の誘いを蹴ってこんなところに就職するのか?」
「そういうつもりじゃなかったんだけど、どうしようかな?」
通知にはさらに北関東の住所が付記されていて、仕事内容の詳細をそこで説明するので来てほしいと書かれていた。僕はちょっと考えると立ち上がって薄手のジャケットを羽織い、近くに落ちていたリュックを拾った。
「行くのか?」
「うん。なんか面白いことがあるかもしれない」
「分かった。僕も行く」
「何で?」
「君のそばにいたいからだよ。それに、君は車の運転ができないだろう?」
ということで、僕と楓は怪しげな採用通知に導かれ、北関東の山奥へと向かったのだった。
本日中にあと2話投稿します。