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王者の死

 闇色の風が丘の高い草を掻き分けながら駆け抜ける。月光の下、影を落すことなく風は進み、やがて丘の上に立つ少女のスニーカーを撫でた。群青のスニーカーの上にはほっそりとした蒼白な足首がタイトジーンズの下から顔を出している。彼女は小さく足踏みをし、丘に寂しく生える柳に寄りかかり、漣のように荒れる葉の滝を見た。

 夜空を世界地図のようにところどころ埋める霧の彼方から深夜ミサを告げる協会の鐘が聞こえてきた。少女はその一定の刻みに己の心臓の蠢きをシンクロさせる。張っていた緊張が解け、肌が軽やかになる。少女が吐き出した純白の息は渦巻きながら闇に少しずつ飲まれていった。

 ピッタリと上半身に張り付いた細いTシャツから伸ばされた腕を天に向け、少女は声を出さずに呟く。これが最後の戦い、と。どちらが生き残ろうと全ての結末はこの丘が、この柳が、そして全てを見守り見透かす月が握っている。

 勝利の女神がどちらに微笑もうと、二人の内一人が死ねばこの戦争は終わる。それは両方が率い、司る種族が望む結末でもある。戦争が終り、無駄な血が大地を染めなくなることをヴァンピール(吸血鬼)もヴェラヴォルフ(人狼)も望んでいる。

 結局は、少女は目を閉じ、聴覚を研ぎ澄ませながら考える、結局は二人の戦いだったのだ。予言が戦争を言い当て、さらにヴァンピールとヴェラヴォルフを支配するであろう者を二人のどちらかに定めた時から全てはあの少年と自分の争いに過ぎなかった。まるでチェス盤に君臨する王将のように同志を犠牲にしながら血と死の道を歩んできた。

 それがこの夜、宇宙空が見守るなかで終わろうとしている。戦争の最後に死ぬ人間は一人で、戦争の最後は一人の人間の死である。

 少女は耳を動かし、上半身を上げた。彼が近づいてくる。

「恐血鬼、死ぬ覚悟は?」嘲笑しながら彼は滑るように草むらを歩きやってきた。黒いマントに身体を包み、その不敵な笑を浮かべる真珠のような瞳に三日月が映っていた。「吸血鬼の女王はどんな処刑をお希だろうか? 残念ながらギロチンは用意していないんだが、ナイフはいくらでもある」闇に染まるマントの袖から少年は短剣を取り出し、刃の部分を舐める。「心臓を抉り、吸血鬼の愛を奪えばいいのか、それとも頭蓋骨を潰し女王の知恵を盗めばいいのか、僕は悩む。どの処刑が吸血鬼女王に相応しいのか、教えてくれないか?」そう言いかけ、少年は首を傾げ、一瞬地面に視線を動かす。雲が月を隠し、大地に大きな影を投げる。「いや、処刑は罪人の人生を反映するべきだ。首筋にしゃぶりついて人間の血を吸うのだから、吸血鬼は首からの出血で死を迎えるがいい!」

「私を吸血鬼と呼ぶな、人狼!」少女は丘の下に佇む少年に向かって吠えた。吸血鬼と人狼はヴァンピールやヴェラヴォルフを狩る人間のハンターが使う単語だから少女の気をいつも逆撫でた。しかし、同じように少年も人狼と呼ばれるのを嫌っているはずだ。「私は気高きフォン・ガイスト伯爵家の血を引く者だぞ。口を慎め」

「吸血鬼の女王がどの血筋だかは関係ない。僕が気にするのはその血の味だけだ」そう言ったかと思うと少年は闇に消えた。

 瞬間的に動き、彼は消えたのだ。そして少年はまた現れる――狼に化して。

 少女は横に転がり、背後から叩きつけられた少年の鉤爪を避けた。傷口が開くようにぱっかりと地が切り裂かられ、砂埃が舞い上がる。鼻に皺をよせ、少女はヴェラヴォルフの体臭を掴もうとするが、彼女の鼻は変形したヴェラヴォルフの嗅覚ほどよくなく、さらにあの少年は戦闘時に身体の臭いを完全に消すことができることで知られている。

 笑い声が立ち込める砂色の霧の彼方から聞こえてきた。楽しそうに少年は笑っている。

「こんどは手加減しない」と言いながら少年は砂埃の間から現れた。

 彼は漆黒のマントを冷えた地面に脱ぎ捨て、まだ右手以外人狼化していない綺麗な上半身を見せた。普通のヴェラヴォルフの筋肉質な身体には裏腹に少年の輪郭は細く、女性の身体を思わせる。少年はその青白い身体を張った。黒い毛並みが彼の胸に鳥肌のように現れ、硬い筋肉へと膨らんでいく。裸の足は不自然に曲がり、強くしなやかに伸びた。少年は前に倒れ、四つん這いになる。

 今攻撃しなければならない。少女はそう思った。ヴェラヴォルフの弱点は変身する瞬間だ。だから通常ヴェラヴォルフは敵の目の前で完全な姿に変わることはない。しかしそのリスクを無視して少年は自分の醜い変形を見せつけている。

「馬鹿にするな」少女は歯ぎしりをし、一気に少年との距離を詰めた。変わろうとしている彼の腹を蹴り上げる。中空で少年は回転し、完全に狼化した姿で地面に着地した。

 四本の足を交差させヴェラヴォルフは刹那の間に少女との距離を詰めた。大きな前足が振り上げられ、少女を襲う。

 間一髪少女は両手を上げ、身を守ったが、腕の筋肉が切り裂かれ、ヴァンピールの鮮血が空を赤に浸した。

「くっ」手で滲み出る血を押さえ、少女は下唇を噛み締めた。やはり白兵戦ではヴェラヴォルフには敵わない。特に三日月の月光が野獣の背中を照らしている間は。だったら少年を自分が優位な地形に引き込むしかない、と少女は考え走りだした。

 ヴァンピールは少しの間なら蝙蝠のように音を立てずに飛ぶことができる。少女は精神を集中させ地面を蹴った。彼女の背中から黒鋼色に光る翼が現れ、少女は風と一体になった。ヴェラヴォルフは雄叫びを上げて彼女を追いかけてくるが、いくら狼少年でも飛ぶヴァンピールに追いつくことはできない。

「ほぅら、狼坊やついてきな」

 少女が囃し立てると少年は二度吠えた。他のヴェラヴォルフと違い少年はこの姿でも冷静にいられるが、喋ることはできない。喉笛が歪み過ぎて人間の声を発することができないのだ。だから八つ裂きにされない距離を保つことができれば簡単に嘲笑える。

 草原を抜け、森に辿り着くと少女は楓の枝に立ち、狼の姿からまた人間へと変わる少年を見下ろした。一度月光を浴びながらヴェラヴォルフに変身すれば、それから数時間自分の身体を自由に人間からヴェラヴォルフにそしてヴェラヴォルフから人間へと瞬時に変えることができるようになる。つまりヴェラヴォルフの弱点である変身の瞬間をつけなくなるのだ。

「満足にも飛べない鶏め、どうした? 逃げるのか?」と少年は尋ねる。

「逃げるつもりは毛頭ない」

「だったら、一先ず貴様の忌々しい羽を剥いで、その後ゆっくりと殺してやる」

 陽炎のように少年の身体が揺らいだ。またあの瞬間移動をするつもりだなと少女が確信したその時、少女は貫くような痛みを自分の翼に感じた。振り向くとそこには短剣を握り変形していない真っ白な上半身を晒した少年が立ち、さらにまた短剣を突き出そうとしていた。

 慌てて少女は右手の拳を付き出し、少年の胸を殴った。バランスを失った少年は右に倒れ闇の奈落へと落ちる。追い打ちをかけようと痛む翼を広げ、少女は立っていた楓の枝から飛び降りた。

 だが真っ逆さまに落下する少年は腕を細い枝に絡まらせたかと思うと、宙で半回転し、またもや闇へ消えさってしまった。少女は翼を広げたまま空中で静止し、あたりを猫のように見回した。耳も済ませ、木々の囁きの間に潜んでいるはずの少年の音を聞こうとした。しかし、耳に届くのは自分のまるでざわめきのように不規則な心臓の音だけだった。

 森に留まることはできない――と、少女の脳裏に不安の声が鳴り響いた。通常ヴァンピールの方が夜に溶け込みゲリラ作戦を使用するのを得意とするはずなのに、この瞬間的な高速移動を身につけた少年に隠れる場所が多すぎる森で勝つことはできない。

 少女は飛び上がり、早く早くと森から逃げ出そうとした。鱗粉を撒き散らす蝶のように羽ばたき、肺が破裂しそうに痛くなるのを構わず木々の間を飛んだ。

「ほら逃げるつもりだ」どこからかヴェラヴォルフの声が聞こえた。それもとても近くで。

「場所を変えるだけだ」

「地形を変えても吸血鬼は僕に勝つことはできない」

 少年の嘲笑に答えている暇もなく少女は森から飛びぬけた。ちょうどその時、翼の痛みがとても耐えられなくなり、少女は地面に転がり、ドロが口のなかで広がる味を感じた。

 痺れる両腕で上半身を上げ、少女は汚れた顔を森の方に向けた。ヴェラヴォルフに変形した少年が四つん這いで楓の間から現れた。地面に転がった少女の姿を凝視すると、ヴェラヴォルフは笑を浮かべながらまた人間へと戻った。

 少女のTシャツが破け、かすり傷が布の切れ目から覗いているのにも関わらず、少年の身体には傷一つなかった。ただ一筋の汗が彼の肩から流れ落ち、月を反射しながら土へ落ちた。

「もう力付いたのか?」と少年は聞く。「正直ヴァンピール伯爵のイザベル・フォン・ガイストがこんなに弱いとは思ってなかった」

「おまえは強い」少女は素直に言った。恐らく混沌が世界を収める現代では少年に勝るヴァンピールもヴェラヴォルフもいないだろう。例え偉大な組織力と科学力を誇る人間のハンターでさえこの少年を狩り殺すことはできないに違いない。

「伯爵に言われると嬉しい」少年の言葉は皮肉ではなさそうだった。彼は今までの嘲笑とは違う快い笑いを見せた。「しかし運命が僕たちどちらかの死を望むのなら、あなたを生かしておくことはできない」

 一瞬辺りの空気が凍りついた。少年も少女も動かなかった。ただ少女の頬を伝う汗が動き、草むらがかすかに揺れた。そこは、森と崖を隔てる草むらだった。十歩走れば崖があり、そこから先は偉大な大海が支配する世界だった。今まで少女の周りを吹き抜けていたのは潮風だったのか、と彼女は気づき、立ち上がった。その時、少年の姿はまた影ばかりとなった。白い身体は闇と変わらぬ黒に覆われ、彼は消える。

 そしてまた現れる。少年は時間流から外れることはないのだ。瞬間移動は異常に速い動きだけなのだから。少女はそう考え、少年が消えた時を見計らい痛む翼を羽ばたかせた。

 後ろから忍び寄った少年の短剣をギリギリ交わし、少女は崖っぷちへと急いだ。そこなら少年に勝てるかもしれないというホープが彼女の胸に広がった。海を後ろに回せば、少年の瞬間移動を使った背後攻撃を封じることができる。さらに崖から落ちたらいくらヴェラヴォルフの少年でも死んでしまうだろうが、ヴァンピールである少女は飛ぶことができるからその心配はない。

「崖を使っても女王さまは勝てないよ」

 少年は笑い、また闇に姿を隠した。慌てて少女はさらに高くと飛び上がったが、すでに遅かった。ヴェラヴォルフに変身した少年が草むらから飛び出したかと思うと、彼女の足を掴み、鍵爪を脛に食い込ませて少女を下へと引っ張り降ろした。

 地面に激突した二人は何回も転げ、世界が回転するなか少女は食いつこうとする少年の牙を押さえ、背中を掻きむしる彼の爪に耐えた。ちょうど崖が始まろうとするところで二人は転げるのを止め、少年は少女の上に馬乗りになった。

「これで戦争は終わる」勝ち誇った笑を浮かべた人間の少年にヴェラヴォルフは変わり、爪ではなく血で汚れた短剣を少女の胸の上に置いた。

 少女は息を飲み、目を瞑った。

「おやすみ、ヴァンピールの女王さま」

 少年が短剣を振り上げる音がした。少女はもがいた。

 しかし次の瞬間彼女の身体を襲ったのは少年の短剣ではなかった。いや、全く別の感触だった。呻き声が夜を貫き、身体が軽くなった。少女は驚いて目を開けた。銀色のフード付きマントを被ったハンターが同じ色に光る長剣を変形していない少年の目を狙って振り下ろしていた。少年の左の顔面はスッパリとハンターの長剣に切られ、彼の瞳が破裂した。少年は絶句して身体の筋肉を張り詰めたが、狼に変身できる前にハンターのブーツが彼の胸を遅い、少年は崖から真っ逆さまに落ちていった。

「こんばんわ、フォン・ガイスト伯爵」ヴェラヴォルフの血を飲んだ長剣をハンターは仕舞い、銀色のフードを後ろへと下げた。長く鋭く伸びた黒髪の間に宿った彼の目は炎のように赤く光っていた。レト・ツゥ・ワルキューレ、若きながらヴァンピールとヴェラヴォルフ両方から畏怖されているハンターだった。

「人間、遅かったぞ」少女は安堵のため息をつきながら言った。

「フォン・ガイスト伯爵が私の助けなしで勝つと豪語していたので、介入するのをためらいました」レトはお辞儀した。「しかしこれで狩人連盟と吸血鬼の同盟は確実ですね」

「ああ、ヴェラヴォルフが絶滅するまでの同盟だな」

「承知しています。教皇の言葉を借りていいのなら、ヴェラヴォルフを絶やすためになら、ヴァンピールとも手を組みますから」

 少女はうなずき、立ち上がった。「しかし、あのヴェラヴォルフは確実に死んだのだな」

「ええ」ハンターは頷く。「この崖から落ちた人狼が生き延びるはずがありません。むろん彼が死の世界から蘇る術を持っていないとしたらね」

「そのはずはない」少女は言った。「ヴァンピールもヴェラヴォルフも生き返ることはできないはずだ」

 波が崖に打ち付ける音が少女の言葉の語尾を濁した。


読んでくれてありがとうございました。評価・感想お願いします。次話は一時間後!


メリークリスマスとハッピーホリデー!


Marian Flayer 24th of December 2012

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