第五回 呼吸
「やっぱり夏はキャンプでしょう?」
「ええー!思い切って、韓国とか台湾とか海外に行こうよ。」
「そんなお金ないって。」
楽しそうな笑い声が部屋中に響き渡っていた。その六畳ほどの部屋にはオシャレな淡いピンクのカーテンが掛けられている。テーブルの上にはクッキーやチョコレート、スナック菓子などがいっぱいに広げられ、いかにも女子の集まりといった感じだ。私の手の中では、まだ殆ど中身を残したままの紙コップが握力によって歪められていた。私はほとんど身動きさえ出来ず、ただその談笑を聞いているばかりだった。時計の針はまだ11時も回っていなかった。
ああ、この感じだ。集団の中といると、いつも感じていた。まるで私だけ水中に縛り付けられているかのような。笑い声は水に遮られ遠くに聞こえている。その気になればいつでもこの枷を取っ払って水上へも上がれることは分かっていた。しかし、その枷を外してしまったならきっと私は滑稽なままの姿で、ただ冷たい視線に晒されてしまうのだろう。その方が水中で耐えているよりもよっぽど怖かった。だから私は、ただただ息だけを止めて水が自然と引いていくのを待つしかないのだ。
しかし、彼女は水中に潜む私の姿を見つけてしまった。そして何のためらいもなく私をその水の中から引き揚げようと試みるのである。
「ねえ、夕希ちゃんは夏休みに何かしたいことある?」
この部屋の主、山野由美だ。私は驚き辺りを見回した。しかし、彼女の視線は間違いなく私に向かっている。私は戸惑った。下の名前で呼ばれたのは小学生頃にカナちゃんに呼ばれていた以来のことだった。それに、みんなの話に乗っかってうまく話を合わせていようと思ってやって来たため、自分が意見を求められるなど全くの想定外だった。
「え、あ、うん・・・その・・・」
みんなの視線が私に集まる。
「私は何でも良いよ。みんなで決めてくれれば・・・。」
私は視線を逸らすように下を向いた。暫くの沈黙があって、みんなの落胆の表情が頭に浮かんだ。私はますます視線を上げ辛くなってしまった。
「そっか。」
明るい由美の声が響いて私は彼女の顔を覗き見た。声のトーンとは裏腹に彼女の表情はとても困った様子だった。私はますます呼吸が出来なり、苦しくて、苦しくて、そして浮かんできたのはなぜかあのピンクのひらひらをした白い滑稽な姿だった。
これじゃあ何も変わっていない。これじゃあ何も変わっていない。このままじゃ駄目だ!
気が付くと、私は纏らないままの言葉を発していた。
「でも、キャンプっていいよね。みんなでバナナ食べたりしてさ。」
私は精一杯の笑顔を作っていた。その言葉を聞いてやはり一同、沈黙してしまった。しかし、その後に聞こえてきたのはみんなの笑い声だった。
「あははは。なんで、キャンプでバナナ食べるの?」
私の家族はよくキャンプでバナナを食べていたので、キャンプとはそういうものだと思い込んでいた。そんなことを口にしたら、ますます笑いは大きくなった。
「山本さんって面白いね。」
そう言ったのは結城理沙子だ。学科の女子でいつも中心にいる人物だ。
「じゃあ、夏はキャンプでバナナで決まりだね。」
私は何も心配することなく、新鮮な空気を思い切り吸い込んでいた。
それからたわいない話で盛り上がり、気が付けば窓から眩しいほどの西日が差しこんでいた。