勇者に嫌がらせをしたい少女の話
スナック感覚でご賞味ください。
恋をした。
でも、彼は冷たいひとだった。
冷たくて、寂しいひと。
誰にも心を開かない、悲しいひと。
きっと誰の声も響かないし届かない。
このひとを変えることなんて、一生を賭けても無理だろう。
だから私は、彼に嫌がらせをすることにした。
◇◇◇
「この馬鹿」
静かな怒声が槍のように鋭く突き刺さる。
こうして怒られるのは何度目になるだろう。
「急に飛び出して来やがって」
「ごめんって。そんなに怒んないでよ」
あははと能天気に笑う私に、彼は更に目を吊り上げる。
その傍らで、大きく道を逸れて突っ込んだ馬車が池ポチャしていた。馬と御者は間一髪で脱出したので無事である。
「どうしてくれんだ」
「いやまぁアレはアレで年季入ってたし、良い機会だから新しいの買ったらどうかな?」
「弁償するとでも?」
「そのつもり。もっと良いの用意してあげるよ」
「……いい。信用ならん」
「あはは、ですよねぇ」
じゃあこれだけでも受け取ってと、金貨がたくさん入った袋を手渡した。
「なんだこれは」
「お金! 弁償代として受け取ってくださいな」
「こんな大金……何のつもりだ?」
「ええ〜、気になっちゃう〜?」
茶化すように言えば、途端に機嫌が悪くなる。それは初めて会った時から変わらない。
顔を思い切りしかめて、それ以上は聞いてこなくなった。
「それじゃあ、またねぇ〜」
ヒラヒラと手を振って、その場から退散した。
彼は、飛び抜けて運が無い子だ。
目の前で両親を殺されたり、住むところを追い出されたり、なけなしのお金を盗られたり。
それはもう踏んだり蹴ったりな人生で。最低な場所で最低な人間としか関わってこなかった彼は、極度の人間不信だ。
そんな彼がいまや神様に選ばれた勇者様として祭り上げられて、悪い魔王を倒すために旅をしている。
ああ、運命ってよく分からない。
それで、私は何をしているかというと、嫌がらせだ。
彼の旅の行く先々で、色んなことをやらかして迷惑をかけるおじゃま虫である。
意図して行なっていることなので、後悔もなければ反省もしない。
「お前、一体何者だ?」
ある日、とうとう堪忍袋の緒が切れた彼に殺されそうになった。
身体が近くてドキドキするなぁ、なんて。場違いにも程がある感想を抱きつつ、私は直ぐに答えた。
「勇者に嫌がらせをしたい、悪い魔物だよぉ」
「嘘をつけ。魔力など、欠けらも無いだろうが」
あっさりバレた。まあ、魔物は嘘だけど前半は真実だし。
「じゃあ、訂正〜。勇者に嫌がらせをしたい、悪い小娘だよぉ」
「最期の言葉はそれでいいか」
首筋に当てられた刃が鈍い光を放っている。
「最期の言葉かぁ。何にしようかなぁ」
いざ言われてみると何も思いつかないなと、我ながら呆れてしまう。
「思いつかないから、今のでいいや。どーぞ?」
とりあえず斬りやすいように顎を上げて首を晒す。
そんな私を見て、彼は気持ち悪そうな顔をした。
「……何故、俺の邪魔をする?」
「え〜、言った方がいい?」
「命が惜しいのならな」
「別に惜しくはないかなぁ」
そう言ったら、頭を殴られた。
「いたーい!」
「拷問がお好みか?」
冷え冷えとした目が私を見ている。
いつもと変わらない、冷たい視線だ。
「拷問はヤダなぁ。でも、全然大したことじゃないよ? 聞いても怒らないでね」
「さっさと言え」
「いたっ! 言う、言うから殴らないで〜」
もう一度拳を振るわれて、渋々その言葉を口にする。
「君のことが好きだから」
「は?」
うわぁ、物凄く嫌そうな顔。
だから言いたくなかったのに。
「理由も言ったし、早く放すか殺すかどっちかにしてくれる?」
恥ずかしいやら気まずいやらで、ギュッと目を閉じる。
しばらくして、私の身体の上に乗っていた彼が離れていく気配を感じた。
「……バカバカしい。お前なんぞ、殺す価値も無い」
「…………フフ、そうだね」
────うん、それでいいよ。
彼の判断に心から安堵した。
◇◇◇
私の嫌がらせはその後も続いた。
ちょこまかと彼の進む道に先回りして、余計なことをする。
その度に怒られる。その度に呆れられる。
嬉しくて楽しくて、こんな時間がいつまでも続けばいいのにと思ってしまう。
────そんな願い、絶対に叶うはずがないのに。
◇◇◇
暗雲が立ち込める魔王城に、彼はようやく到達した。
道中の敵は全て地に伏せて、一直線に魔王が居る玉座へと向かっていく。
「ようこそ魔王城へ〜!」
玉座の間の前。聞き覚えのある少女の声に足が止まる。
「すごい、すごいよ! ここまで来れるなんて、さすが勇者様だね〜」
いつものおどけた態度で彼を出迎える。
「お前……」
「あ、驚いた? やったァ、サプライズ大成功だねぇ」
実に楽しげに笑って立つ彼女の手には、血に塗れた王冠と錫杖が握られている。
「ジャンジャジャーン! これこそ、“魔王の王冠”と“魔王の錫杖”! 神様が喉から破壊光線が出るほど欲しがってた、超絶レアアイテムだよ〜」
目を見開いて立ち尽くしている勇者に、少女はその2つを無理やり押し付けた。
「最初に手に入れた者にとんでもなく重い呪いをかけちゃうから、さすがの神様も自分で取りに来れなかったんだよねぇ。だから君が来ることになって……でも大丈夫! 魔王を殺したのも最初の取得者も私だから! 安心して受け取ってね!」
「……」
呆然と手の中のものと少女を見比べて、少年は顔をきつく歪めて「何故」と呟いた。
「……どんな呪いだ」
「え?」
「どんな呪いだと聞いている」
「…………」
今度は少女が驚く番だった。
まさかこの少年から、呪いの内容を聞かれるとは思わなかったから。
「あっ、あははっ! やだなぁ、もしかして呪いに巻き込まれると思ってる? それも大丈夫! だって、私だけにしか作用しないから……」
「呪いの内容を言え」
変わらず言及する少年の気迫に圧倒されて、少女はとうとう押し黙る。
視線を逸らし、血に塗れた自分の手と身体を見下ろした。
(あーあ……汚いなぁ、私)
魔王を殺して、目的のものを手に入れて。
やっと彼を自由にしてあげられると、信じていたのに。
(運命ってよく分からない)
好かれたくてしたのではない。
ただただ、彼の不利益になることを取り除きたかっただけ。
そのために散々邪魔をして、嫌われるようなことをしてきたのに。
(どうして、今になって)
「……ごめんね」
少年の顔をまともに見れないまま、少女はその場から逃げ出した。
◇◇◇
神様は死んだらしい。
なんでも、勇者に殺されたのだとか。
世界は支配者が居なくなって平和になったというのに、勇者はまだ旅をしているらしい。
今の私には、もはやどうでもいい話だ。
「……おい」
後ろから声をかけられて、どうしようとか、逃げなきゃとか、色々考えたけどどうでもよくなって。
最後にはやっぱり、会えて嬉しいなどと舞い上がる私は、きっと病気なのだと思った。
「……久しぶり! 元気そうでなによりだね」
「────」
振り返ると、彼は顔をしかめた。
「……その痣はなんだ」
「ああ、これ? イメチェンってヤツだよ」
私の顔の半分を占める黒い痣。
全身にわたって広がり続けているこれが完全なものになれば、私は死ぬのだという。
「……どうすれば消える?」
消える?
自分から話しかけておいて、目障りだから消えろって言ってるのかな?
相変わらず冷たいひとだ。
「あ、ごめん。直ぐに行くから大丈……っ」
「どうすれば、その痣は消える?」
強く腕を掴まれてその場に留められる。
痣のせいで掴まれた箇所が痛い。思わず、顔を歪めた。
「まさか……」
着ている服の袖まで捲られて、その下から現れた痣が露になる。
「これが呪いか?」
「……うん」
「呪いをとく方法は?」
「無いよ」
「……そうか」
短い問答を終えてもなお、彼は手を離さない。
むしろ力は増えていくばかりだ。痛い。
「……死ぬのか?」
「うん」
「……」
ぐい、と引っ張られる。
私の腕を掴んだまま、どこかへと歩いていく。
どこに行くのだろう。こんなお荷物を連れて。
◇◇◇
よく分からないまま、彼の旅に同行することになった。
基本的に腕を掴まれた状態で、逃げられないように居場所を探知する魔法を掛けられている。
彼は常に無口だけれど、目は口ほどに物を言う。じっと私を見てくる。その視線に耐え切れず、私は泣く泣く言葉を吐く。
あの神様は魔王のことが憎くて大好きだった。けれど、魔王に触れると呪いにかかってしまうから、人間の手を借りて間接的に手に入れようとした。
「王冠と錫杖。あれで魔王を使役しようとしていたの」
「しかしお前が殺した」
「うん。殺してくれってお願いされちゃった」
「……魔王にか?」
顔色はまったく変わっていなかったけれど、彼は驚いているようだった。
「あんなのに飼い殺しにされるくらいなら死んだ方がマシだって言われてね。自分で死んじゃうと世界中が呪われちゃうから、私が殺すのを引き受けたの」
簡単だった。
首にある太い血管を一閃しただけで、魔王は呆気なく楽に死ぬことができた。
「お前は魔王の何だ?」
「義理の娘。拾ってもらったんだ」
優しく笑ってくれる育ての親が好きだった。
このひとのためなら何だってできるとまで思った。
「死ぬ理由が欲しかったから、ちょうど良かったの」
「なぜ」
随分とお喋りになったものだと感心する。
「好きな人ができたから、早く死んでしまいたかったの」
声もなく、彼は私の顔をまじまじと見た。
その顔には大きく『何故?』と書かれているようだった。
「知りたいの? 知らなくていいと思うけど」
「それは」
「だって君を困らせたくない」
せっかく自由になれたはずの君に、余計なものを教えたくない。
「ずっと、自分のためだけに生きてきた君が好きだった。ずっと応援したくて、でもどうせ疎まれると思って。それなら、嫌われてもいいから、私を視界に入れてほしかった。君の人生の一部分、一欠片になりたかった」
だから、悔いはない。
「幸せに生きてください。あなたの人生に、幸多からんことを」
満面の笑みでそう告げたのに、彼の顔は強ばるばかりだ。
ああ、やっぱり余計なことをしてしまったらしい。
◇◇◇
痣は日を追うごとに広がる。
指先まで黒く染まり、残るは顔に残った僅かな地の肌色のみ。
「どうして泣いているの」
起き上がれずベッドに横たわる私を、彼ははらはらと涙を流して見下ろしている。
「胸が苦しい」
「それはいけない。お医者様を呼ばなくちゃね」
「呼べない」
「そっか」
何もできなくてごめんねと謝ると、涙は一層勢いを増した。
「馬鹿だ。お前は、大馬鹿者だ」
真っ黒な私の手を取って、懺悔するかのように両手で握り込む。
「うん、知ってる」
「……まだ俺が好きか」
「うん、好きだよ」
にこやかに答えると、手に力が増した。
「お前の言う、好き、とはなんだ」
「幸せでいてほしいって気持ちだよ」
「全然幸せじゃない」
「うん……ごめんね」
謝ると、彼の身体がびくりと震えた。
「結局、嫌な思いをさせちゃった。……ごめんね」
「あやまる、な」
声も震えて、落ちる涙は止まることを知らない。
「お前の謝ることではない」
「でも、私が関わらなければこんなことせずに済んだでしょう?」
私を看取ることなんて。
「私が憎い?」
尋ねると首を横に振られた。
「始めは、邪魔くさいと思っていた。行く先々でちょっかいを出してくる、面倒な奴だと」
「うん」
「好きだと言われたとき、嘘だと思った。俺を欺くために適当なことを言ったのだと」
苦しげに話しながら、私の手をぎゅっと握る。
「俺には愛が分からない」
「うん、知ってる」
「俺の好きは、お前のとは違う気がする」
「……え?」
泣き腫らした目が、私を強く射貫く。
「一緒に、生きてほしい」
「……!」
息を呑んだ。
自分のためだけに生きてきた彼が、ひとりで人生を歩んできた彼が、一緒に生きたいと望んでいる。
「だ、ダメだよ。私なんかと一緒にいたら、幸せになれないよ」
「お前の言う幸せとは何だ」
「決まってる。あなたが誰にも邪魔されず、穏やかに生きていられることだよ」
「お前が死ぬことでどれも叶わなくなる。どうしてくれるんだ」
冷たい瞳に熱が灯っているように見えた。
程なくして、痣は残りの隙間を埋めて、私は死んだ。
最期の瞬間に聞こえた、許さないという言葉が耳にこびりついた。
彼を煩わせ、苦しませ、悲しませた私への恨み節に違いなかった。
(もし、“次”があるのなら)
私の存在を彼に刻み込むのはやめようと思った。
ずっと遠くから見守って、関わらないようにしよう。
私なんかが視界に入ったせいで、余計な苦労をさせてしまったから。
もしも“次”があるのなら────。
◇◇◇
奇跡というものは起こるものだと感心する。
なんと────転生したのだ。
転生というものは、善行を成したものにしかできないと聞く。
あれだけの所業を行なった私が転生してしまうとは、つくづく運命とはよく分からない。
「マリ、また本を読んでいるの」
母親の半ば呆れた声に笑顔で頷く。
「好きねぇ。私なら5分で寝ちゃうわ」
前世では得られなかった母親。笑顔の眩しい快活なこのひとは正しく太陽のようだ。
「隣に新しい人たちが越してきたのよ。挨拶しに、一緒に行きましょう」
差し伸べられた手を迷いなく掴む。読んでいた本を棚に戻して、外へと出る。
業者に混じり、年若い夫婦と幼い子どもが荷物を運んでいる。
「こんにちは!」
「おや、こんにちは」
「まあ、隣の方? はじめまして!」
母の晴れやかな挨拶に、穏やかな優しい色をした目の夫婦が笑顔で答える。
「隣に住んでいるノウェルです。これからよろしくお願いしますね」
「ヒューストンです。こちらこそ、よろしくお願いします」
家名を名乗り合い、和気あいあいとした会話が行われる。
そんな大人たちをニコニコと見つめていれば、強い視線を感じた。
「?」
目を遣ると、男の子がじっと私を見ていた。
見覚えのあるその顔に、思わず息が止まりかけた。
────あのひとだ。
なるべく冷静を装い、ニコッと笑いかけた。
私のように前世の記憶があるかどうか分からないが、今は初めて会ったフリをした方がいいと判断したのである。
しかし。
「……ユリウス=ヒューストン。お前は?」
しまった、名乗ってきてしまった。
今生の彼は少し積極的な性質のようだ。
あたふたとしながら、私は手持ちの筆談ノートをめくって言葉を書き記した。
『はじめまして、マリーベル=ノウェルです』
彼の目が大きく見開いた。
「おや、お嬢さんは綺麗な字を書くね」
「まあ、素敵なお名前! 可愛らしいあなたにピッタリね」
世間話に花を咲かせていた彼の両親が、優しい言葉を掛けてくれる。
筆談ノートを出した時点で、私に声がないことを知ることができただろうに。何でもないように接してくれた、2人の優しさに心が温まるのを感じた。
『これからよろしくね』
固まって動かない彼にその言葉を見せると、ぎこちない様子で「こちらこそ」と言われた。
まだ幼い彼に、声を出せない私の存在は衝撃的だったのだろう。なんだか申し訳ない気持ちになった。
◇◇◇
私の声が無いのは、先天的なものだ。
産声を上げようと大きく口を開けた赤子は、声を出せず苦しんでいたという。
「でも、よく泣いてよく笑って。あなたは声が無いだけで、普通の子と一緒なんだって思ったら、辛くなくなっちゃったわ」
私の母はとても寛容的というか、視野の広い人というか。
こんな私を、愛情深く育ててくれた。
「ちょっと、あなた! カメラはどうしたの! 立つわよ、私たちの娘が! いつ立つか分らないから常に持っていてってお願いしたでしょー!?」
「はいはい、そう慌てなくてもマリなら待ってくれるって」
のんびりとカメラを持ってきて、父親はふにゃりと笑いながらレンズを私に向ける。
「さあ、マリーベル。にっこり笑って────はい、チーズ」
初めて立った日のことはよく覚えている。
母がひどく興奮して、カメラを構えている父の背中を容赦なく叩いて、泣きながら笑っていた。
「うん、いい顔だ。ママに似て元気いっぱいな、満開の笑顔だね」
「あら! 可愛い笑顔はあなたそっくりよ? さすが私たちの子よね!」
両親が幸せそうに、声もなく笑う私を見ている。
偽りなく向けられている愛情を余すことなく受け止めて、日々を過ごした。
前世と違って、ここは優しい世界だ。先天性な欠損はよくある事だと普通に受け入れられており、私のような子どもがいても眉をひそめるひとは周囲にいなかった。
彼が、現れるまでは。
「……おい」
隣に越してきたヒューストン夫婦の一人息子、ユリウス。
あまり接触しないようにと、なるべく顔を合わせないようにしていたというのに、まさか向こうからやってくるとは。
『こんにちはユリウスくん』
「お前、覚えているだろう」
ニコニコと笑う私の表情筋がつりかける。
やっぱり、彼も記憶を引き継いでいるらしい。
『なんのこと?』
「とぼけるな」
じとっと見つめられてたじろいでしまう。
見つめることは多々あれど、見つめられることには慣れていない私である。
潔く諦めて認めることにした。
『はい、覚えてます。誤魔化してごめんね』
「……謝らなくていい」
はあ、と息を漏らして彼は少し俯いた。
「……声が無くなったのは、俺のせいか?」
『どうして?』
「呪いで死んだ後遺症かと思ったんだが」
『それがどうしてあなたのせいになるの?』
言っている意味を図りかねて首を傾げる。
呪いを受けたのは私が望んでしたことなのに、どうして彼のせいになるのだろう。
「なんで、そんなことが言えるんだ、お前は」
悔しそうに口元を歪めて彼が言う。
「俺は最期までお前のせいにしたのに」
「……」
私が死んだ後、彼はどんな死に方をしたのだろう。
苦しかったのだろうか、辛かったのだろうか。
私のせいで。
『ごめんね』
そう書こうとした手を掴まれてしまう。
「謝るな、謝らなくていい」
ペンを取り上げられて手を握られる。
「お前のせいじゃないんだ。でも、お前のせいにしないと、気が狂いそうだった。お前が俺のせいで死んだことが苦しくてしょうがなかった」
────それは事実、あなたのせいではないというのに。
「そんな醜い俺が嫌で、死んだのに」
────自ら命を断ってしまったのか。
想像するだけで胸がひどく苦しくなる。
しかし言葉は紡げず、静かに彼の言葉を聞くしかない。
「両親が生きている世界に生まれ直して、生きているお前に会えて────嬉しいと、思ってしまった」
単純で嫌になると吐き捨てる、彼の手は熱かった。
◇◇◇
それからというものの、彼からの強い希望で、私たちは互いの家を行き来するようになった。
両家ともども良い友好関係で、2家族そろって旅行に出かけることもあった。
ユリウスは私と会う度に手を繋ぐ。決まって利き手を奪われてしまうので、筆談ができない。
でもそんなことはどうでもいいと言わんばかりに、ユリウスは構わず私の手を引いて前を行くのだ。
私の両親も、彼の両親も、微笑ましくそれを見守っている。おかげで文句も言えず(文句などないのだが)、彼に引かれるまま遊びに連れ出されるのだった。
「お前は分かりやすいから言葉は要らない」
例えば? とどうにかして聞き返すと、すぐそばにあった出店を指し示す。
「あそこで売ってる焼き鳥が食べたいと思っているだろう」
────なんで分かるの!?
「顔に全部出ている」
────ウソだ!
ぺたぺたと思わず顔を触ると、ニヤリと口端を吊り上げた。
「ほらな、分かりやすい」
意地悪に笑う彼はカッコよくて、私は顔を真っ赤にして俯いたのだった。
◇◇◇
邪魔くさくて、鬱陶しくて、怪しいヤツだと思っていた。
旅の先々で現れ、面倒事を引き起こすその女のことを、ずっと煩わしく思っていた。
「……?」
目的地である魔王城のすぐ近くまで来ると、あの女は唐突に現れなくなった。
それが返って不気味に感じ、警戒を強めながら魔王城へと乗り込んだ。
「ようこそ魔王城へ〜!」
久しぶりに見た女の顔は、ひどく晴れ晴れとしていた。
その手には、血に塗れた目的のものが握られている。
「最初に手に入れた者にとんでもなく重い呪いをかけちゃうから、さすがの神様も自分で取りに来れなかったんだよねぇ。だから君が来ることになって……でも大丈夫! 魔王を殺したのも最初の取得者も私だから! 安心して受け取ってね!」
言われた内容を、すぐに呑み込めない。
そんなこと、あの神様を名乗る化け物は一言も言わなかったとか、どうしてお前がここに居てどうやって魔王を殺したのだとか、様々な疑問が頭の中で溢れ返る。
その溢れ返った濁流の、ほんの隙間をくぐり抜けて、ひとつ訊く。
「……どんな呪いだ」
呪い。呪いは厄介だ。
早く解いてやらねばと、焦る心を抑えてそう尋ねた。
「え?」
「どんな呪いだと聞いている」
「…………」
女は黙りこくった。
訊かれると思わなかった、どうしてそんなことを訊くのかと、本気で思っている顔だった。
言及する俺の問いに困りきり、女は自分の真っ赤に染まった手を悲しそうに見つめると、その場から逃げ出した。
追いかけようとして、何故追いかける必要があるのかと自問する。目的のものは手に入れた。さっさとあの化け物のところへ持っていかなければ。
後ろ髪を引かれる思いで、魔王城を後にする。いつも笑っていたあの女が見せた、悲しげな顔を忘れられないまま。
神を名乗る化け物を訪ね、目的のものを渡した。
化け物は気持ちが悪いほどに喜んでいたが、しばらくして呆然とした顔になる。
「使役術が上手くいかない。ねぇお前、本当に魔王を殺したの?」
「魔王は既に死んでいた」
「え?」
ポカン、とアホのように目と口を開く。
「うそ、うそ……魂がどこにもない! やっと僕のものになるはずだったのに、どうして……!」
ひとり振り乱した化け物は気が狂ったようで、手にした錫杖で自身の胸を突き刺した。
魔王の血で染まっていたそれは、化け物の血で上書きされる。
どうしてと、何度も呟きながら、化け物は息絶えた。
化け物が居なくなり、世界は支配から逃れ自由となった。
変わりゆく世界の中、俺だけは変わらず旅を続けている。
忘れられない、あの女の顔を思い浮かべながら。
「……久しぶり! 元気そうでなによりだね」
やっと見つけたとき、女の顔半分は痣に覆われていた。
あの時言っていた、呪いが進行しているのだと分かった。
何故あんなことをしたのかと、問い詰めた。
彼女は困った顔をして、「あなたを困らせたくない」と言った。
俺がどういう人間か知っていた上で、協力したのだと語る。
「ずっと、自分のためだけに生きてきた君が好きだった。ずっと応援したくて、でもどうせ疎まれると思って。それなら、嫌われてもいいから、私を視界に入れてほしかった。君の人生の一部分、一欠片になりたかった」
好き。この女はまだ、性懲りも無く俺を好きだと言う。
どれだけ疎まれても、嫌われても。見返りを求めず愛を示す。
────俺が省みることないと、諦めきっている。
呪いを解く方法を探した。
女を部屋に閉じ込め、どこにも行くなと言えば、素直に従った。
そのことで何故か、心臓が軋んだ。
頼れる伝はあまりない。人を信用せず、ひとりきりで旅をしてきたツケが回ってきた。
それでも、呪いに詳しいという者に会いに行ったり、彼女に会わせたりもした。
どいつもこいつも、役に立たなかった。
気付けば、痣はもうほとんどの肌を侵食していた。
あと少しで、この女の命は潰える。死んでしまう。
手を握ってやる。こうすると嬉しがるから。
何もできなくてごめんねと謝る彼女に、こっちのセリフだと涙をこぼす。
どうして、こんな女のために涙が出るのだろうと疑問を抱く。信じたこともないくせに。愛などよく分かっていないくせに。
ただ漠然と思っていたのは、死に行く彼女と共に生きたかったという、恥知らずな願いだった。
勝手に呪いにかかって、ひとり満足して。俺を置いて死んで行ったあの女を。
「許さない」
何もできなかった、何もしてやれなかった自分を。
「許せない」
そんな後悔と未練を抱え続け、遂に耐えきれず自害した。
記憶は残って次へと持ち越し、新しい生を受けたその先に────あの女が、居た。
『はじめまして、マリーベル=ノウェルです』
『これからよろしくね』
声もなく文字だけで挨拶をする彼女を前に、様々な感情が胸の内で吹き荒れた。
また会えた。何故声が出ない。綺麗な字だ。俺のことを覚えているだろうか。笑顔が可愛い。聞きたいことがたくさんある。もう苦しくないのか。俺を憎んではいないのか。話したい。声が無くてもいいから。言葉を交わしたい。また。
(手を握っても、いいだろうか)
◇◇◇
手を繋ぐ幼いふたりを見る両親たちの目はとても優しい。
「本当に仲がいいわね〜」
「妬けちゃうなぁ」
声無しの少女を筆談抜きで先導し、甘やかしながらからかう。
意思の疎通はできるからと、筆談による文句を許さず少女を連れ回す少年は、ひどく楽しげに笑った。
「散々嫌がらせされたからな。仕返しさせろ」
「〜〜っ!」
少女の顔が真っ赤になる。それを見て更に少年が笑う。
「────ははっ!」
雲ひとつない青空の下。音のない抗議の声とからかいの笑い声が、朗らかな街に響いていた。




