第七話 2度目のダンジョン
目を覚ました瞬間、まず確認したのは痛みだった。
身体を起こすと、あちこちが重い。鋭い痛みではない。鈍く、遅れてくる違和感。例えるなら、運動をした翌日の筋肉痛に近い。
生きている、という実感だけが先に来た。
天井は見慣れない木組み。ギルドの簡易宿舎だと、少し考えて思い出す。昨日のことが、順番に頭の中で再生された。
ダンジョン。ゴブリン。視線が合った瞬間、身体が固まったこと。短剣に手を伸ばしたはずなのに、気づいたら頭を庇っていたこと。
――助けられた。
深く息を吸い、吐く。胸の奥が少しだけ痛むが、動けないほどではない。
着替えを済ませ、外に出る。朝のギルドは静かだった。人の数は少なく、動きもゆっくりしている。
受付に向かう途中で、リシアと合流した。
「おはようございます。体調はいかがですか」
「……筋肉痛みたいな感じです。動けないほどじゃないです」
そう答えると、リシアは小さく頷いた。
「その程度であれば、行動自体は可能ですね。ただし、無理は禁物です」
淡々とした口調。だが、視線はしっかりこちらを見ていた。
「本日は、低層のみ確認します。危険を感じたら、即座に引き返します」
その言葉に、反射的に頷いた。
怖くないわけがない。昨日の感覚は、まだ身体に残っている。目が合っただけで、呼吸が浅くなるあの感じ。
それでも――行かない、という選択肢は浮かばなかった。
怖いからやめる、という判断は、もう遅い気がしていた。
ギルドを出る前、受付カウンターの前で足を止めた時だった。
視線の先に、獣人の男がいた。背が高く、狼の特徴を持つ体格。
昨日、ダンジョンで助けられた相手だとすぐに分かった。
目が合った瞬間、男の方が目を見開いた。
「……おい」
驚いたような声だった。
「あの時の……オーガの近くで倒れてた男か?」
一瞬、何のことか分からず、すぐに思い出す。
「……生きてたのか」
それは、確かに驚きの混じった言い方だった。
「助かりました」
「そりゃ何よりだ」
軽い調子だったが、その目ははっきりとこちらを捉えていた。
リシアが一歩前に出た。
「グランさん。お時間、少しよろしいでしょうか」
「受付嬢が直々か。珍しいな」
「少し、同行のお願いを」
詳しい理由は説明しなかった。グランと呼ばれた獣人は、一瞬こちらを見てから、肩をすくめる。
「危険度は?」
「低層のみです」
「……なら、まあいい」
そうして、三人でダンジョンへ向かうことになった。
歩きながら、グランは時折こちらを見る。観察するような視線だった。
「昨日の動き、見てた」
「……最悪だったと思います」
「最悪ではない」
即答だった。
「逃げなかった。固まってたが、短剣には触ろうとしてた」
言われて、胸の奥がざわつく。
あの時、何をしようとしていたのか、自分でもはっきりしない。ただ、何もしないまま殴られるのは嫌だった。
「…怖かっただけです」
「誰でも怖い」
それだけ言って、グランは前を向いた。
ダンジョンの入口は、相変わらず静かだった。中に入った瞬間、空気が変わる。
足音がやけに大きく聞こえる。
少し進んだところで、前方から音がした。
低い唸り声。
ゴブリンだった。
今度は、正面から。
距離はある。逃げられるかもしれない。だが、足が止まる。
心臓がうるさい。視界が狭くなる。
短剣に手を伸ばす。震えているのが分かる。
――怖い。
それでも、身体は前に出ようとしていた。
逃げる判断はしなかった。ただ、どう動けばいいのか分からないまま、刃を構える。
一歩、踏み出す。
勢いのまま、短剣を振る。
刃先が、ゴブリンの体を掠めた。
だが、それだけだった。
甲高い声を上げて、ゴブリンは身をひねり、攻撃をかわす。
間合いが崩れる。
次の瞬間、横から影が動いた。
グランだった。
一撃。迷いのない動きで、ゴブリンは倒れた。
戦闘は、それで終わった。
息が荒いのは、自分だけだった。
「……悪くない」
グランがそう言った。
「ビビってるのに、前に出ようとしてた」
褒められているのかは分からない。ただ、否定ではなかった。
リシアがこちらを見る。
「今の判断で正解です。怖くても、意思があることは重要です」
足が少し震えている。だが、立っていられる。
怖さは消えない。それでも――動ける。
それだけで、今は十分だと思えた。
三人で、さらに奥へ進んでいった。
昨日よりは、確実に前に進んでいた。




