第六話 訓練
石造りのギルドの扉をくぐった瞬間、外とは別の空気に包まれた。
人の声、金属の擦れる音、紙をめくる乾いた響き。どれもが現実に引き戻すための雑音のように感じられる。
リシアは受付カウンターの前で立ち止まると、深く頭を下げた。
「……申し訳ありませんでした」
その声音は、普段の業務用の落ち着いた調子よりもわずかに低い。
「戦闘経験について、事前にきちんと確認していませんでした。こちらの落ち度です」
「……そうですか」
短く返すと、リシアは言葉を重ねる。
「驚かせてしまいましたか?」
「少し、だけ」
「そうですか」
一拍置いてから、続ける。
「冒険者ギルドに来る方の多くは、学院を出ているか、最低限の訓練経験があります。まったく武器を扱ったことがない方は……正直、少数派です」
視線を逸らさず、事実として告げる。
「ですので、いきなりダンジョン同行という判断は、適切ではありませんでした」
周囲の喧騒が、少しだけ遠くなった気がした。責められているわけではない。だが、謝罪を向けられること自体が、居心地の悪さを生む。
「……問題、ありますか」
「いえ。今後の手順を修正するだけです」
リシアは淡々と答える。
「幸い、ギルドには訓練設備があります。魔物と戦う前に、そちらで確認しましょう」
「訓練、ですか」
「はい。危険度の低いものです」
案内されたのは、建物の奥にある広めの訓練室だった。木製の標的、可動式の人形、刃を潰した模擬武器。戦場とは程遠いが、油断すれば怪我はする空間。
「使うのは、これです」
短剣を差し出しながら、補足する。
「無理はしません。できる範囲だけで構いません」
短剣を受け取った瞬間、指先に冷たい感触が残った。重さは想像より軽い。それでも、意識がそちらに引き寄せられる。
「構えに決まりはありますか」
「特にありません。楽な形で」
構える。教えられたわけではない。けれど、自然と重心が落ち、足の位置が定まる。
「……続けてください」
最初の一振りは、空を切っただけだった。二度目、三度目。標的の表面に浅い傷が入る。
しばらく無言で見ていたリシアが、静かに言う。
「……戦ったことはなくても、短剣自体は扱えていますね」
「そう、なんですか」
「はい」
褒めるでもなく、驚くでもなく、事実確認の口調だった。
「教本通りではありませんが、無駄が少ないです。先ほど遭遇した程度の魔物でしたら、単体であれば無理なく対処できるでしょう」
「……そうですか」
そう言われても、実感は湧かない。ただ、身体が勝手に動いている感覚だけがあった。
数分も経たないうちに、足元が揺れた。大きく動いた覚えはない。それでも、視界が一瞬だけ歪む。
「止めます」
リシアが即座に言う。
「少し、ふらついています」
「大丈夫、だと思います」
「いいえ」
はっきり否定された。
「呼吸が浅いです」
言われて初めて気づいた。背中の奥に、鈍い違和感が残っている。
「痛みはありますか」
「……背中が、すこし」
落下した時の衝撃。治ったと思い込んでいただけで、完全ではなかったのだろう。
「回復力が異常とはいえ、怪我が治りきっていない状態で続けるべきではありませんでしたね」
短剣を受け取りながら、リシアは淡々と結論を出す。
「今日はここまでにします。訓練は逃げませんし、急ぐ理由もありません」
「……はい」
その言葉に、反論は浮かばなかった。
戦える可能性がある。だが、今はまだ準備段階だ。
それだけが、はっきりと残ったまま、訓練室を後にした。
「今日は休養を優先してください」
背中越しに、業務的な声がかかる。
ギルドの喧騒が、再び耳に戻ってくる。
ここから先に進むためには、時間が必要だと、誰に言われるでもなく理解していた。




